132.Eat You Alive
132話目です。
よろしくお願いします。
ヴィシーから独立したピュルサンを出発した伝令は、実際に受けた“フォカロル領軍と接触せよ”という指示を隠したままフォカロルまで辿り着いていた。
その時点で、一二三はおろか領軍から百五十名ほどがホーラント方面へ友軍救出のために出発していた。
だが、これはピュルサンの伝令にとっては好都合だった。本来であれば領主である一二三もしくは軍のトップであるアリッサに話をつけるというのが指示であり、その二人がオーソングランデ王都に向かったということであれば、直接女王に助けを求めたとしてもピュルサン国王であるミノソンへ説明もしやすい。
フォカロル領軍からかなりの人数がホーラント方面へ出発したという情報も、ピュルサンとしては有利に働く。今は国を安定させるのに必死で、騒動を起こしてほしくはないミノソンとしては、少なくともフォカロルの戦力が減っているのは良い知らせだろう。
ところが、集団で進むフォカロル領軍を追い抜き、急ぎ向かった彼らが王都にたどりついた時点で耳にしたのは、新たな敵だという“魔人族”の情報だった。
「……それは、いったいどういう……」
王城で女王の不在を知った伝令は、責任者不在との一言で誰にも話ができず、仕方なく王都で情報を収集することにした。
その一環として、酒場の客から最近の情報を聞いていた伝令は、魔人族という耳慣れない言葉を聞いた。
「なんでも、荒野に住んでる亜人らしいぜ。俺も良くは知らねぇが、新しい魔人族の王がいて、それが人間の町を襲うってんだから、たまったもんじゃねぇな」
それがわかってから、騎士も兵士もピリピリした様子で訓練してやがる、と大工だという酔っ払いは、へっへっと笑っている。
「その割には、ずいぶん余裕そうだな」
酒をおごって充分滑らかになった口は、伝令が一言尋ねると堰を切ったように話してくれた。
「どんな奴が相手でも、あの細剣の騎士様が何とかしてくれるって。なんつっても、一人で荒野を走破してきたなんつぅ、とんでもないお方だ。しかも、その魔人族を一匹仕留めてきたってんだから、大したもんだ」
「仕留めた?」
「ああ、王城近くの広場に飾ってあるぜ。人間みてぇな面ァしてるが、首だけになっても生きてるんだから、ありゃ本当に人間とは違うんだな」
「首だけで……」
翌日になって、酔っ払いから聞いた場所を探してみると、確かに魔人族の首が飾られている。
触れられないように高い台がすえつけられ、その上にロープで固定された首が忌々しげに人々を見下ろし、声にならない声を上げるように口をあけている。
「これは、すごいな……。オーソングランデは、こんなものとも戦う気なのか」
独り言を呟いてから、違うな、と考え直す。
もし荒野から出てくるならば、ヴィシーが巻き込まれる。荒野とは離れていると言っても、ピュルサンも巻き込まれないとも限らない。
「我々に、こんな化け物と戦う戦力も技術も無いんだがな」
オーソングランデに協力を乞う理由が増えたな、と伝令は小さく舌打ちをした。
「ちょっと、よろしいですか?」
禍々しいとさえいえる生首を見上げていると、伝令に話しかけてくる男がいた。
やせ気味で、ごくごく一般的な麻の服をきた若い男は、まるで線を引いたかのように目を細めてニコニコと笑っている。
「はあ、なんでしょうか?」
「ひょっとして、ヴィシーの方から来られました?」
「……それが、どうかしましたか?」
訝しむ伝令に、男はやだなぁ、と言いながら手を振る。
「そんなに警戒しないでくださいよ」
そっと顔を近づけた男は、周りに聞こえない声で言う。
「僕も貴方と同じ所から来ているんです」
「えっ」
「というより、連絡役としてもう長いことここに住んでいるんですけれどね。良かったらちょっと話しませんか。僕も郷里の情報が聞きたいし」
「なるほど。私もできればオーソングランデの状況が知りたいので、むしろ助かります」
男が行きつけだという料理屋に入り、個室を取る。
「ここならゆっくり話せますし、従業員も口が堅いので気にせず話せますよ」
「それは助かります」
「それで、国の状況はどうですか?」
飲み物と簡単な食事を頼むと、さっそく男は話を振ってきた。
一口、薄めたワインを飲んだ伝令は、自分がピュルサンを出てきたときの状況を説明しましょう、と語る。
「ピュルサン自体は安定に向かっています。ミノソン代表……国王は、まだ安心できない状況であるとは言われていました。ひとまずフォカロル、ひいてはオーソングランデと友好的な関係が結べれば、ヴィシーに対してもけん制になる、と」
「なるほど。その使者として、この町まで来られたわけですね」
「まあ、そうですね」
まさか命令を無視する形でここまで来たとは言えない。
「では、オーソングランデの状況ですが、ホーラントとの戦闘に向かっているようですね。一部貴族がホーラントへ侵攻を企て、それを女王自らが率いる軍が抑えに向かったようです」
しかも、と二股のフォークに突き刺した蒸し芋を顔の前で揺らしながら、男が言う。
「トオノ伯爵が、側近を連れてホーラントへ先行し、軍の本体が追いかけているそうで」
「ああ、その話なら知っています。私もここへ来る途中でフォカロルの軍を追い抜いてきましたから」
「なるほど、では……」
不意に表情に影を落とした男に、伝令は眉をひそめた。
「何か、気になることでも?」
「先ほど見られていた、魔人族のことです」
ぐいっとカップのワインを飲み干し、カツン、と音を立ててテーブルへ置く。
「あれらの軍勢がもしフォカロルないしヴィシー方面へ侵攻してきた場合、トオノ伯爵不在でどの程度抵抗できるでしょう。いや、それでなくてもヴィシーが我々ピュルサンに向かって攻勢に出た場合、責任者がいないフォカロルやオーソングランデは動いてくれますかね?」
「うっ……しかし、ヴィシーはフォカロルと事を構えるつもりはないでしょう」
「ホーラントも、動かないと考えられていましたよ?」
誰かが勝算有りと考えたなら、その前提は簡単に崩れるでしょう、と男は首を振る。
「で、では……」
「実は、声をかけたのはある物を郷里まで届けていただきたいと思ったからです。本来なら、僕のような潜伏担当者が予定外に自分から接触したりはしません」
「ある物?」
藁にもすがるような思いで問うてきた伝令に、男は優しく微笑む。
「ホーラントから手に入れた、兵士を強化する魔道具があります。これがあれば、少なくともヴィシー相手に簡単に潰されるということはないでしょう」
「そんな物があるのですか」
「ひょんなことで手に入れたのですが、物が物だけに輸送を依頼する相手もおらず、途方に暮れていたのですよ。女王との接触が叶わなかったのは残念ですが、これで充分な成果になるのではありませんか? すぐにここにお持ちしますから、ぜひお願いできれば」
この時の男の笑みは、先ほどとは少し違うものだったが、伝令は気づくことができなかった。
荷車に乗せられた魔道具と魔法薬一式を曳きながら、何度も礼を言いながら街中へ消えていった伝令を見送ると、男はその顔から笑顔を消した。
「……どうやら、うまくいったようで」
店員と称して料理を運んできていた中年の男が声をかけた。
「ふん。ヴィシーの中央委員会がらみならもっと良かったが、まあうまく行った方だろう。こちらから一言も町の名前を出さなかったというのに、自分からペラペラしゃべってくれて助かった。楽な仕事だったな」
店内へ戻った男たちは、客席ではなく奥の従業員のための休憩室に入ると、慣れた手つきで椅子を引き寄せ、どっかりと座る。
「種は撒いた、とクゼム宰相へ連絡を。これでヴィシーからのちょっかいを気にすることなく、オーソングランデとの戦いに、専念できるというわけだ。宰相閣下も、なかなか気のまわる人だね」
手ずからワインをカップに注ぎ、半分ほど一気に呷る。
「はてさて、後は宰相閣下の思惑通り、細剣の騎士様を仕留めることができれば、俺も国に帰って出世できるってもんだが。どうだろうね」
「うまく行きますよ、きっと」
「だといいがね」
☺☻☺
一二三は適当な事を言ったり嘘をつくことも平気だが、基本的に顔を隠すことも無ければ身分を偽ったりは面倒だという理由でしないので、伝令が王都近くで正面から馬にのってやってくる黒髪の人物が、トオノ伯爵であることに気付くのは難しくなかった。
フォカロルまで行くつもりだった伝令は、想定外の場所で見かけた重要人物の姿に焦ってしまい、馬を操るのに失敗してもたついてしまったが、なんとか声をかけることには成功した。
「と、トオノ伯爵様でありますか?」
「誰だお前?」
首を振る馬を必死でなだめながら話しかけてきた若い男性に、一二三は呆れたような顔で返した。
一二三の後ろにいたオリガがくすくすと笑う声が聞こえて、伝令は恥ずかしさで耳まで赤くなる。
「と、突然ですが、失礼します!」
馬から飛び降り、伝令は手綱をつかんだまま片膝をついた。
「私はビロン伯爵領から伝令として使わされました、オセと申します。ホーラント方面での戦況と……マ・カルメ様の最期についてお伝えに参りました」
「そうか。そりゃご苦労。アリッサ、お前も聞いておけ」
「う、うん。マ・カルメさんの最期って、まさか……」
馬に乗って進み出たアリッサを見て、伝令は固まっている。
「どうしたの?」
「い、いえ。その……軍務長官のアリッサ様というのは……」
「僕だけど?」
絶句しているオセに、アリッサは首をかしげているが、オリガは鋭い視線を向けていた。
「オセさん、とおっしゃいましたね?」
「は、はい!」
マ・カルメの話から絶世の美女のような印象を持っていたオセは、かわいらしいとは思うものの、まだ少女と言っていい見た目のアリッサを見て混乱していたのだが、圧迫されるようなオリガの声で、我に返った。
「アリッサが今の地位にいるのは、もちろん夫との縁もありますが、偏に彼女の努力と実力があってのこと。妙な疑念を抱くようなまねは……」
「とんでもございません!」
ほとんど土下座するような勢いで頭を下げたオセに、なるほど、とアリッサは納得していた。
「確かに、同じ歳の連中と比べても、アリッサは小さいしな」
「一二三さん、ひどい!」
結婚してぐっと女性らしい艶が出たオリガを見て、アリッサはひそかに自分の見た目にため息をついたことがあった。
「それより、さっさと話をしてくれ。マ・カルメは死んだのか?」
なら、その状況を聞いておこう、と一二三は言った。
「本当に命を落とされたかはわかりませんが、状況から見て、絶望的かと……」
オセが涙ながらに語ったマ・カルメの勇姿を、一二三は馬上で腕を組んで聞いていた。
アリッサはオリガにすがりついて泣いている。
「やるじゃないか」
「……は?」
思わず顔をあげたオセの視界に、笑顔の一二三が映った。
「マ・カルメもなかなかやるな。ホーラントにやられたのはいただけないが、そこまでの動きは悪くない。少ない人数で、可能な限りたくさん殺すことができている」
機嫌よく馬のたてがみを撫でる。
「ホーラントの連中も大したもんだ。魔法と投槍器を使って、大勢で小数を囲むのは確実な方法だな。お前を逃がしたのは失敗だが、きっちりと戦うための準備をして、実行できている」
いったい何を言っているのか、とオセが混乱していると、オリガが一オクターブ高い声で言う。
「これも、一二三様のご指導の賜物。素晴らしいですね」
「え……」
オセは、自分が持ってきた情報は悲報だと思っていたのだが、目の前の英雄は笑っている。
そのことが理解できず、泣いているはずのアリッサに、助けを求めるように視線を向けた。
そこには、怒りの表情で涙を流す少女がいた。
「一二三さん」
「おう、どうした?」
「お願いがあります」
アリッサは、馬を下りて手綱をオリガに渡すと、一二三の前で深々と頭を下げた。
「ホーラントとの戦いは復讐戦ということになった……なりました。これは僕の復讐でもあります」
馬上から見下ろす一二三は、薄い笑みを絶やさない。
「そうだな。お前がマ・カルメたちの復讐をしたいと思うなら、これは復讐戦だ。誰のものでもない。お前の復讐だ」
「だから、僕がやる。やらせてください。オリガさんが復讐を果たしたように、僕にもその機会をください」
この願いは、通るかどうかアリッサにはわからなかった。一二三の性格を考えれば、自分が前に出て戦うと言う可能性は高かったし、自分の敵を横取りするつもりだと言われてもおかしくはなかった。
だが、まだまだアリッサは一二三の性格を正確にはわかっていない。
不安に曇るアリッサとは対照的に、オリガはにこやかにほほ笑んでいた。
「面白い!」
一二三が両手を打つ音が街道に響く。
「ホーラントもフォカロルの軍も、しっかり成長しているし、この分ならイメラリアの軍もそれなりには戦えるだろう。アリッサ」
「は、はい!」
「お前の復讐とは、何をすれば完遂になる?」
一二三とアリッサの視線が交錯する。
「……マ・カルメさんたちを殺すことを命令した人と、実際に殺した人を、殺すこと……」
「よしよし、それで良い。それで良いんだ」
腕を伸ばし、アリッサの髪をくしゃくしゃに撫でた一二三は、上機嫌に笑う。
「お前に任せる。軍を使って腹いっぱいやるといい。イメラリアと競争だからな。負けるなよ?」
「うん!」
「俺が後ろで見ていてやろう」
「うん! ありがとう、一二三さん!」
「で、だ」
完全に蚊帳の外だったオセは、突然一二三の視線が自分に向いたことで、思わず肩を震わせた。
「お前に頼みたいことがある」
「な、なんでしょう!」
「このままフォカロル方面へ進んで、フォカロル領軍に今の話を伝えてくれ」
これは駄賃だ、と一二三が闇魔法収納から一振りの脇差を取り出し、オセに投げ渡した。
「こ、これは?」
「マ・カルメが欲しがっていた、アリッサと同じ装飾の脇差だ。それを見れば、軍の連中も俺からの依頼だとわかるだろう」
「このような貴重なもの……」
「持って行け。受け取る奴がいなくなったんだ。もしマ・カルメが生きていたなら、たっぷり吹っ掛けて売りつければいい。あいつのことだから、有り金全部渡すだろうな」
高笑いする一二三に、オセは脇差を頭上に掲げて「ありがたく、頂戴いたします」と声を振り絞った。
視界が揺れてはっきりとは見えなかったが、オセの視界には、アリッサとオリガが泣いているのが見えた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。