130.Greatest Day
130話目です。
よろしくお願いします。
「アスピルクエタ伯爵他、主だった貴族は捕えました。一部は、死亡してしまいましたが……」
「いいさ。乱戦だったのだのだろう?」
「それが……」
ビロン伯爵が治めるミュンスターの町。自らの執務室で柔らかな椅子に深く腰掛け、まるで眠っているかのように目を閉じてじっとしていたビロンの元に、自軍からの伝令が訪れたのは、もう陽も落ちかけた夕方の事だった。
おおむね満足すべき結果を聞いたビロンは、自軍の被害が思ったよりも少なかった事に胸を撫で下ろしていた。あくまで相手が国内の他領からの兵であったので、損害が多ければ領民の不満から国内での流通に影響が出かねない。
これが他国相手ならば、まだガス抜きの方法もあるが、とビロンは懸念が一つクリアされた事を喜んだ。
伝令はあくまで状況を伝えるために存在するものであり、私的な意見は許されない。というより、それら状況を見取る能力が無い。
だが、それでも目の前に来た伝令は何かに気づいたらしい。こういった細々とした部分で“自ら考える”兵士が増えてきたのは、フォカロルの教導部隊が来てからだ。
「いいよ。君の意見を聞こう」
微笑みを向けたビロンは、お茶を飲んで、落ち着いて話すといい、と応接に座らせ、少し冷ました紅茶を侍女に頼んだ。
最初は恐縮して緊張していた伝令も、甘い香りの紅茶を一口飲むと、少しだけ肩の力が抜けたようだ。
目の前に座ったビロンに視線を合わせることはできなかったが。
「自分は、当初の予定通り出て行ったアスピルクエタ卿の軍を背後から確認し、適当な位置まで出るのを見届けた後、仲間にそれを伝えて戦況を離れて確認しておりました」
街道へ出たアスピルクエタ率いる貴族連合軍は、ぞろぞろと街道を進み、その人数の多さ以上に不慣れな行軍もあって遅々として進まず、伝令がやや近い場所で監視をしていても、誰にも見つからなかったらしい。
「ホーラント国境近くで、貴族連合軍の前方が接敵しました。……いえ、接敵しようとしました」
「それは、どういう意味かね?」
「自分はその表現が正しいのかわかりませんが、貴族連合軍は接敵できたといえる状況ではありませんでした」
追い詰めたように見えて罠に嵌り、ホーラント方面で陣を張っていた一部隊から良いように数を減らされた時点で、彼は自隊へ舞い戻って状況を伝え、すぐにビロン領軍は貴族連合軍の背後を衝いた。
「ふむ。ホーラント側に陣を張っていたのは、おそらくトオノ伯が送った教導隊だろうね。流石という他ないな」
「同感です。その方法を習った自分でも、あそこまでうまくできるかは自信がありません」
「予定では、我が軍は背後からアスピルクエタたちを狙って半包囲して、降伏を呼びかける予定だったね?」
「はい。ですが……」
伝令が言いづらそうにしているのを、ビロンは軽く笑い飛ばした。
「気にせず、ありのままに教えてくれ。必要なのは正しい情報なのだよ」
物事が全て自分の思うように動くと考えるほど傲慢ではないつもりだ、とビロンは自分の紅茶に口をつけた。
「我が軍が敵の後背を衝いたとき……貴族連合軍は、もはや軍と呼べる状態ではありませんでした」
「うん?」
「おそらくは、前方の戦況がうまく伝わらず、前衛部隊が我先に逃げ出したことだけが兵たちに広がったのでしょう。兵たちは散り散りに逃げ出し、アスピルクエタ伯爵他、貴族たちも状況を確認しようとはせず、とにかく逃げるためにミュンスター方面……自分たちが包囲の準備をしているところに殺到いたしました」
この時、ビロン伯爵軍は包囲のためにトオノ伯爵領から伝わり、自領でも生産を始めていた槍投器を三十台ほど並べていた。まだ現地で組み立てなければならない試作段階のものではあるが、その脅威的な威力は兵たちの誰もが知っている。
そして、誰が最初かはわからないが、ビロン伯爵軍から次々に槍が撃ち込まれた。
「それからは、言ってしまえば地獄絵図でした。半狂乱で逃げ出してくる貴族軍に、恐怖のあまり次々に槍を打ち込む自軍……。ご命令は捕縛でしたが、実に百名以上がその際に死亡しています」
「そ、それほどにあの投槍器は強力だったのか……」
「それもありますが、貴族連合側が出した死者の半数以上は、倒れたところを味方に踏みつけられたり、貴族の前を塞いだことで斬られたりしたことによるものです」
想像以上の惨劇に、ビロンは苦い顔をして歯を食いしばった。
「それで……その後はどうやって収集をつけた?」
「……フォカロルからの教導隊の方々が大声で後退の指示を出され、我々と貴族連合軍の間にロープを何本も張って転ばせて動きを止め、それからようやく我々の手によって捕縛が始まりました」
以上です、と伝令が言うと、ビロンはソファの背もたれに身体を預けた。
「つまるところ、私たちはトオノ伯の戦力に助けられたわけだ」
借りが増えていくばかりだな、とビロンは笑うしかない。
「とにかく」
ビロンは居住まいを正すと、先ほどとは違う鋭い視線を向けた。
「全軍に通達。捕縛した者のうち、貴族とその死体は丁重に扱い、王都へ護送する準備を。それ以外の兵は、この戦のために徴用された者は解放し、それ以外は適当に分けて留置するように」
「了解いたしました」
「ホーラントとの戦争は避けられた。まずはそれを喜ぼうじゃないか」
ビロンが微笑むと、伝令もぎこちなく笑顔を浮かべた。
「失礼します」
命令を伝えます、と伝令が立ち上がったところで、一人の侍女がビロンに声をかけた。
「ホーラントからの伝令が戻られたということで、領軍の方がお見えです」
「おや? どうしたんだろうね」
ビロンが入室を許可すると、今回の戦いで小隊長を務めていたという兵士が、一人の若い男性を連れて入ってきた。
「……用件を聞こうか」
先に来ていた伝令も含め、三人は横並びに整列し、ビロンに向かって背筋を伸ばし、かかとを揃えた。
「ホーラントへ伝令に出ていた者が戻り、新たに状況が判明いたしましたので、お伝えに伺いました」
小隊長という男は、日焼けした皺の目立つ顔を緊張にこわばらせながら、低い声を響かせた。普段は、その声で兵士たちを叱咤しているのだろう。
「本来であれば、上位の者がお伝えするべき件ではありますが、内容の重要性を鑑み、大隊長より直接お伝えするようにとの指示を受けて参上いたしました」
「わかった。聞こう」
ビロンが発言を許可すると、小隊長は連れてきた若い伝令に目配せをした。
若い伝令は、涙の跡が残る顔で、まっすぐにビロンを見て、口を開く。
「ホーラントへ入っていたフォカロルの教導部隊、マ・カルメ殿他十名の方々が、ホーラントの軍によって攻撃を受けました」
「なんだと!」
珍しく大声を上げたビロンは、咳払いをして先を促す。
「それで、その教導部隊は?」
「……その場にいた私を逃がすため、その場に残って戦うことを選ばれました。おそらくは、もう……」
再び泣き出した伝令。
ビロンは声をかける余裕も無く、こぶしを握り締めて唸った。
「なんということをしてくれたんだ……」
☺☻☺
馬を走らせる一二三が取り出した棒は、簡単に言えば“鉄の棒”だった。
契り木の、鎖を出し入れする機構が壊れてしまった一二三は、プルフラスに依頼していわゆる“杖術”で使われる百二十七センチメートルのシンプルな杖を作ってもらった。
「単なる棒を、どうするんだ?」
と訝しむプルフラスに、一二三は訓練場に立てられた丸太を相手に、様々な打撃を見せ、さらには訓練場に居合わせた兵士たちを相手に組技や投げ技を披露して見せた。
くるくると生き物のように動く杖に誰も対応することができず、訓練場にはものの数分でダウンした兵士たちと感心するプルフラス、高笑いする一二三という光景が広がっていた。
もちろん、盗賊たちがすぐ鉄杖に対応ができるはずもない。
「おい、金を……」
「よっ、と」
街道を塞ぐように立っている盗賊のうち、金を要求するお決まりの台詞を吐こうとした男が、言い終わる前に杖で頭を砕かれて死んだ。
「うわっ!?」
「てめぇ!」
いきなり攻撃されるとは思っていなかった盗賊たちだが、血は見慣れた連中らしく、すぐに手入れの悪い剣を手に、一二三を睨みつけた。
「おうおう、やる気は充分だな。ちょっと人数は少ないが、肩慣らしには丁度いいな」
馬を飛び下りると、一二三は軽く尻を叩いて先へと逃がした。
「しっかり囲んで隙を探せよ。ちゃんと頭を使って、仲間と連携しながらだぞ」
「何を言ってやがる!」
一二三が指を立ててレクチャーし始めたところに、一人が剣を横から振り回して斬りかかってきた。
「それがダメだって言ってるんだろうが」
跳ね上げた杖で相手の剣を打ち上げると、がら空きになった胸に両手でしっかり掴んだ杖を突きこむ。
「ぐぇっ」
口から肺の空気をすべて吐き出したところで、一二三の杖で足をからめ取られて転ばされ、最後の一突きを喉に受けて男は死んだ。
「味方が多いときに、武器を横に振り回す奴がいるか」
さらに迫る盗賊の目に突きを入れ、そのまま肩に背負って投げ飛ばす。
脛を叩き折り、首を踏み折る。
こめかみを強打され、昏倒した男を踏み越えて、ナイフを構えて飛び出した男を避けて背後に回り込み、首に杖をひっかけて頭を押さえて捻り折った。
「な? 色々できるだろう?」
「素晴らしい技術です!」
「叩くだけじゃなくて、投げたりもできるんだね」
会話が始まったことで、盗賊たちはオリガたち後続が来たことに気付いた。
「お、女連れのガキに……」
「連れが誰かで強さは変わらないと思うが?」
一二三が冷静に答えると、顔を紅潮させた盗賊たちは、さらに猛烈に襲いかかってきた。
剣を持った腕に杖をさしこまれ、肩関節を極められて押さえられた男は、味方の剣戟を受けて血しぶきを飛ばした。
「ねえ、アリッサ」
「なに?」
惨劇を遠巻きに見ている二人は、視線は一二三の動きを追ったままだ。
「アリッサは、一二三様のどこが好き?」
「き、急に何を……」
「いいから。一二三様の好きなところ、あるでしょう?」
「う……やっぱり、強いところ、かな……」
その瞬間、一二三の杖がまた一人の盗賊の頭を叩き割って殺す。
脳漿が散るのを見届けてから、耳まで赤くなるアリッサをちらりと見たオリガは、いたずら心が膨らむ。
「あら。強い人なら、他にもいるんじゃない?」
「うん。でも、あれくらい近くにいて安心できる人って、今までいなかった、かな……」
「安心感ね。なるほど」
わかる、とうなずくオリガ。
少し離れた場所では、一二三が「残り半分だ、動きやすくなっただろう?」と笑っている。そしてまた一人、股間に杖を受けて、失禁しながら泡を吹いているところを喉を突き破られた。
「私は、逆かな」
「逆?」
オリガは、うまく言えないけれど、と頬に手を当てた。
「一二三様のお顔やお姿を見ると、なんだかドキドキしてくるのよ。それに、あの方と一緒に過ごすようになってから、自分が今まで知らなかった世界がずっと広がったのを感じた。本当なら、荒野にだって一緒に行きたかったけれど」
ねえ、とオリガは一二三から視線を離さないまま、アリッサの肩に手を置いた。
「一二三様の目標を、貴女も聞いたでしょう?」
「う、うん……」
「“その時”貴女はどうする?」
アリッサは、自分の立ち位置をまだ決めかねている。
トオノ伯爵領では、自分の生まれでは考えられないくらい高い地位をもらい、多くの仲間に囲まれて、きっと幸せだと自分を見て、思う。
だが、一人の人間として、一二三に対してはどうだろうか。
部下ではある。友達だと言っても、許してもらえそうな気はする。
恋人ではない。命の恩人ではある。できることがあるなら、一二三のために何かを惜しむつもりは毛頭ない。
「まだ、迷っているみたいね」
「うん。でも」
アリッサは、肩に置かれたオリガの手にそっと自分の手を重ねた。
「この旅で、ちゃんと一二三さんの事を見て、決めるよ。少なくとも、一二三さんとどうなりたいか。それはちゃんと決めるから」
「そう」
オリガは、アリッサの顔を見て微笑んだ。
「応援するからね。私の事は気にせず、正直に考えて良いのだから」
でも、とオリガは釘を刺す。
「ライバルは多いからね。特にイメラリア様とか」
「女王様が!?」
アリッサが声を上げたとき、最後の盗賊が頭だけ後ろ向きにされて、絶命した。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。