126.Soldiers Of The Wasteland
126話目です。
よろしくお願いします。
五百の軍勢を率いているのは、名目としてはアスピルクエタ伯爵であり、他の八家の貴族当主たち全員が同格の指揮官としてその下についてそれぞれの領地から連れてきた兵士たちを率いていた。
だが、実際に兵を指揮するのは将として据えられたオクシオンという五十絡みの男だ。伯爵以下の貴族たちは、兵たちを叱咤しながらも後方からついてきている。
短く刈り込んだ焦げ茶色の髪を撫で、馬上のオクシオンは隊列の最前列にいる。
「本当なら、こんな戦いは無用なのだ」
「将軍、それは……」
オクシオンの小さな呟きに、並走する副官が焦りを隠せずに周囲を見回した。
他には、誰の耳にも届いていないようだ。
「お気をつけください。他の者たちの士気に関わります」
したり顔で注意していくる副官に、オクシオンは鼻を鳴らした。
「ふん、士気なんぞは必要ない。五百人も入れば、それなりの戦果は勝手についてくる。魔法攻撃さえしのげば、ホーラントの兵士はそれほど強くはない」
「な、なるほど」
「だがな。タイミングが悪い。なぜ今、しかも陛下の許可もなく兵を動かすのか」
オクシオンは以前、王城直属の国軍に所属していたが、アスピルクエタ伯爵に軍のトップとして引き抜かれた経歴を持つ。まだ転属して三年に満たず、副官とも顔を合わせてまだ三ヶ月だった。
同様に、兵員も急いでかき集められた新兵が大半で、領軍の兵士それぞれが数名ずつの新兵を率いて小隊長扱いになっている。統率などあってないようなものだ。
「王都の知り合いに聞いたが、以前の対ホーラント戦は、トオノ伯爵一人が単身でホーラント中枢に乗り込んで王太子を討ち取ったという大金星だそうだな」
「ええ、ですからアスクルピエタ伯爵は、それに並ぶか越える戦果をあげることを目指して、今回の同盟を組まれたと言われております」
どうだと言わんばかりに語る副官に対して、オクシオンは殴りたくなるのを我慢していた。どこがどう気に入っているのか、この副官はアスクルピエタに心酔しているらしい。
「そう思うなら、トオノ伯に習って単身潜入でもすれば良い」
「そんな馬鹿な真似、伯爵がなさるはずがありません。それに、こうして友人をお誘いになられる事で、自分だけが功を誇るような卑しい真似をせずに済むようにされているのです。深い思慮の結果と言えるでしょう」
「馬鹿な真似、か」
俺からすればどっちもどっちだ、とオクシオンは思った。
オクシオンは一二三という人物と会ったことは無い。聞こえてくる噂だけを聞いたのみで、まるでどこかの英雄物語に出てくるような猛者というイメージしかない。
だが、確かに結果を出しており、また聞きではあるものの、兵の運用について聞いた話は、とても参考になる物だった。自分の半分以下の年齢という話だが、どちらかというと戦果より年齢の話の方が信じられない。
どんな奴だろうか、一度会って話がしてみたい、と考えていると、副官が従卒から何か耳打ちをされた。
「将軍、間も無く国境へ到着します」
「それじゃ、駄目だ」
「は?」
「間も無く、じゃない。この速度なら後十五分で国境が見えるはずだ」
報告は正確にすること、と小言を交えて、オクシオンは念のため後方の伯爵たちに接敵直前という事を伝えるように、と指示を出した。
☺☻☺
一二三は単身、馬に乗ってアリッサがバールゼフォンと戦ったあたりを目指していた。
選りすぐりの駿馬を使った単独行で、朝一に出発した一二三は日暮れ前には現場へと辿りついていた。
あたりを見回すと、所々に黒々とした血の跡が残っている。
「このあたりか?」
街道の周囲をうっそうとした林が覆い、日没前というのに一足先に暗くなりつつある。
空気の匂いを嗅ぐと、濃い緑の匂いの中に、かすかに獣臭を感じた。
「……気配は感じない、だが……」
一二三は刀を抜かず、懐から一枚の手裏剣を取り出した。深く刺さるように丁寧に研いだ、十字手裏剣だ。
右手に手裏剣を掴んだまま、目を閉じる。
「……そこか!」
腰を捻り、左側面の茂みに向かって手裏剣を打ち込む。
「アアアアッ!」
弾丸のように飛ぶ手裏剣を、咆哮と共に飛び上がって躱したのは、バールゼフォンだ。
「おうおう、その巨体でうまく隠れていたもんだな」
自分に向かって覆いかぶさるように襲い来るバールゼフォンを、一二三は前転で避けながら、器用に刀を抜いた。
長い腕が一二三の背中に伸びてきたが、起き上りざまの一閃で手首から先を切り飛ばす。
「刀が通らないということない、が……」
唸り声を上げながら、落ちた手首を拾ったバールゼフォン。
一二三が見ている前で、グチャリと音を立てて傷口同士を押し付けると、あっという間に骨がつながり、傷がふさがっていく。
その間、バールゼフォンは一二三の顔と刀に視線を向けたままだ。
「アリッサが言った通り、確かにお前は城の騎士だった奴だな。身体は、すっかりでかくなったが、顔はあんまり変わってないな」
一二三が見上げると、バールゼフォンの目がグッと険しくなった。
「俺の事が判るか? あの時、俺はお前を評価したんだ。勝てないとわかった時点でキッチリ逃げた。大した奴だった」
手袋をつけた左手で、一二三はバールゼフォンを指差す。
「何があったか知らないし、興味もないが」
右手に握った刀は、だらりと下げたままだ。
「人間やめてまで戦うんだ。今度は最後まで楽しもうぜ」
「ガアアアアア!」
言葉が終わると同時に、傷が完全に塞がったバールゼフォンが長い足を踏み出し、たった二歩で一二三の眼前に迫る。
大ぶりだが速い右手が振り抜かれるが、一二三には当たらない。
「試しにあちこち斬ってやろう」
通り過ぎざまに脇腹を切り、さらに身を翻して尻を断ち割る。
「アアアアッ!」
左手を闇雲に振り回すバールゼフォンに対して、一二三が距離を取る。その間に傷が塞がる。
内臓がこぼれかけていたのも、無理やり押し込んで傷を塞いだ。
「なるほど、これは面倒だな」
バールゼフォンの鋭い回し蹴りが、一二三の側頭部を捉えたが、首をがくんと横倒しにして受け流した。
鋭い足の爪がかすり、耳たぶが裂ける。
さらに振り抜いた足を軸にして、背中から倒れて押しつぶして来るのを、一二三は後転しながら躱した。
土煙を上げて倒れたバールゼフォンは、数秒だけ一二三の姿を見失う。
一二三には、それで充分だった。
「これなら、どうだ?」
大上段から一二三が打ち下ろした刀は、正確にバールゼフォンの顔面中央を捉え、綺麗に左右に叩き割った。
首から上を、花が開くように割られたバールゼフォンは、衝撃で目玉が飛び出し、脳漿をこぼした。
それでも、その視線は一二三を捉えていた。
「……ふぅん」
一二三は、刀を懐紙で拭ったが、納刀はしなかった。
「まだ、遊べそうだな」
ブルブルと震えるバールゼフォンの両手が、割れた頭を左右から力任せに押し付けた。
「そうだ、それでいい。戦争を放ってこっちに来たんだ。それくらい頑張ってくれたら、俺も嬉しい」
こぼれた脳の一部が千切れて落ちたが、グジュグジュと押し付けている間に、すっかり頭はつながった。
一二三が顔面を踏みつけ、飛び出した目玉を押し込んでやった。
「やっぱり良い世界だな、ここは! ファンタジー万歳だ、お前もそう思うだろう?」
だが、と一二三は笑いながら首を傾げた。
「どうするかな。流石に不死身の相手を倒す技なんざ、知ってる武術のどこにもないぞ」
ゆっくりと立ち上がるバールゼフォンを前にして、一二三は殺し方を考えていた。
☺☻☺
「全員、槍を放て。敵に当てず、目の前に落とすように」
「当てないのですか?」
マ・カルメの指示を聞いて、傍らに残っていたビロン伯爵の伝令が質問を口にした。
「今回は、敵を殺すのが目的じゃない」
五百人相手にそれをやるのは馬鹿だ、とマ・カルメはヒゲを撫でる。
「二度の斉射の後、全力で退く」
指示を正確に聞き取った隊員たちは、五台の発射装置に二人ずつ取り付いた。
「まだ距離がかなりありますね……」
僅かに聞こえる喚声と振動が、大軍の接近をビリビリと伝えてくる。
通常の弓矢なら、まだ使える距離ではない。
「撃て」
「えっ?」
困惑する伝令の横で、並んだ投槍器から次々と槍が発射された。
ダン、と音を立てて飛び出した槍は、正確に敵の先頭集団の目の前にポトリと落ちた。五本のうち二本が地面に突き刺さっている。
「あんな遠くまで……」
「第二射用意……撃て!」
続いて放たれた五射も、敵軍の目の前で地面に当たって、一本は無残に折れた。
敵軍から口々に罵声や哄笑が聞こえてくる。
「よし、充分だ。退くぞ! 投槍器は放棄するが、打てないように弦は切っておけよ!」
マ・カルメが伝令を伴ってホーラント方面へと走りだすと、他の隊員たちもナイフで投槍器の発射装置に付いている弦を断ち切り、その後に続いた。
背後からは、再び敵軍があざ笑う声が聞こえてくるが、マ・カルメも他の隊員たちも、露程も気にせず走る。伝令も、馬を連れて街道の外側を走った。ルートは、あらかじめマ・カルメから説明している。
一分ほど必死で走ると、ホーラント国境へと辿り着いた。
「五人は投槍器に取り付き、残りは予定通りお出迎えの態勢を取れ!」
「ど、どうするんですか?」
「まあ、見てろ」
国境前には数箇所に高さ三十センチほどの杭が打たれ、隊員たちはその間に次々にロープをくくりつけていく。
杭もロープも太く頑丈なのが見た目でも判るもので、およそ馬が蹴ってもちぎれる事は無いだろう。
「あれでは、すぐに敵に視認されてしまうのでは?」
「だろうな」
一人の隊員が、準備が完了したことを告げると、マ・カルメは作業をしていた隊員も投槍器の準備をするようにと伝えた。
(ロープで馬を引っ掛けて槍を打ち込むのか? だが、あの見え見えのロープでは跨がれてしまうのでは……)
不安を掻き立てられ、びっしょりと汗をかいている伝令は、冷静に敵が迫ってくる方向を見ているマ・カルメを見た。
先ほどまでのような軽い雰囲気は消え失せ、真剣な目線は絶えず敵全体を把握するために細かく動いているようだ。
「……来た!」
マ・カルメが何かを確信したと同時に、敵軍後方から悲鳴が上がり始めた。
「来てくれたぜ、ビロン伯爵の軍だ」
「ですが、先頭集団がもうこんな近くに……」
長い隊列で、後方が襲われた敵軍は、追い立てられるようにマ・カルメが待つ国境へとさらに速度を上げて迫り来る。
馬に乗った地方領所属の騎士たちが一番槍を狙って数騎突出してくる。
「ああいう、功を焦っている奴が、一番嵌めやすい」
マ・カルメが呟くと、先頭の馬が見え見えのロープを飛び越え、そのまま転倒した。
騎士が放り出され、土まみれになって転がる。
「一体、なにが……」
「ロープのこっち側は砂を敷いている。普通に歩くなら問題ないが、馬が前足から突っ込んだら、折れるだろうな」
対処できずに次々と落馬していく騎士たちは、誰も立ち上がる事が出来ない。
後続に踏まれる恐怖から、必死に這いずり回っているものの、間に合いそうになかった。
砂地に気づいた騎士が速度を落としたが、槍に狙い撃ちされて即死する。
「騎馬は少ないな。あとは後方で貴族が乗っているくらいか」
寄せ集めの軍ということもあり、馬に乗れる者自体が少ないのだろう、とマ・カルメは正確に見抜いていた。
「あとは、大量の歩兵か」
走ってくる歩兵たちは、騎士がやられたのもお構いなしに、後ろから突き上げられるようにして血眼で迫る。
先頭がロープをまたぎ、一部は脚を引っ掛けて転ぶ者も居たが、それを踏み越えてさらに砂地を歩いてくる。動きはかなり遅くなるが、グイグイと近づいてくる大軍の圧力はかなりのもので、マ・カルメも背中に汗をかき始めている。
「や、槍を打ち込むのでは?」
「まだだ。見てろ」
砂地が終わり、固い地面に足を乗せた兵士が、一瞬だけ安堵の表情を見せたが、二歩目は地獄となる。
「ぎゃあっ!?」
布に砂をかぶせてごまかしただけの浅い落としあなだが、数は多く、穴の中には鋭く尖った鉄くずがひと握り仕込まれている。
一般の兵士が履いている靴程度なら、簡単に貫通してしまう。
「痛えぇ! ま、待って……」
足から血を流して這いずる兵士は、後続に踏み潰されて砂埃の中に姿を消した。
それからも次々と罠を踏み抜いて兵士たちが倒れ、その進行速度は歩くよりも遅くなる。
「今だな。撃て!」
マ・カルメの号令で、槍が次々と打ち込まれる。
「狙いをしっかりつけろ! 倒れた奴は無視して、その向こうの元気な奴を狙え!」
一度に二人を貫くほどの勢いで、槍が次々と降り注ぐ。
この時点で騎士・歩兵合わせて五十人は死亡か戦闘不能に陥っている。
「ぐぶっ!?」
「あぎゃっ」
隣で串刺しになって死ぬ同僚を見た兵士は、たまらず方向転換しようとしたが、まだ後ろからの圧力が強く、仰向けに倒れて仲間に踏み殺された。
「どけ! 俺は逃げるんだよ!」
「無理を言うな馬鹿野郎! 後ろからどんどん……」
「黙れぇ!」
口論は殴り合いになり、仲間同士で剣を抜いてでも戦場から離れようとする者も出始める。
「退け! 下がれ!」
馬上から、将軍オクシオンが怒声を上げた。
「槍の射程はさっき見ただろうが! さっさと距離を取れ!」
長年、部下たちを怒鳴りつけてきた声は良く響いた。
狂乱が多少は落ち着き、伝言が伝わってひたすら前進をしていた流れが止まり、じわじわと後退が始まる。
「後ろからビロン伯爵領の軍に攻撃されていただろう。伯爵たちの状況を確認してこい。落ち着いたら反転して後方からの敵に当たるから、伯爵たちが無事なら、街道の外に外れて味方を敵の方に通せと伝えろ」
「は、はっ!」
副官は状況に動転していたのを、オクシオンに背中を叩かれて我に帰った。
「ですが、目の前の敵は……」
「あれだけ広範囲に罠を仕掛けたということは、自分たちが打って出る事は考えておらんという事だ。気にする必要はない」
兵士たちをかき分けて後方に向かった副官を見送り、オクシオンは再びホーラント国境を見据えて舌打ちをした。
「嫌な予感はしたんだ」
数は圧倒的にこちらに有利だ、と踏んでいたが、まさか味方のはずの同国内の領地から襲われるとは思ってもみなかった。想像していた以上に、女王はアスピルクエタ伯爵の行動に怒っているようだ。
「ホーラント攻めは諦めるか。だが、ここでビロン伯爵軍を破ったとして、その功を誇る相手は誰になる?」
詰んだ、とオクシオンは奥歯を噛み締め、適当なところで逃げようかと考え始めていた。ビロン伯爵領の兵士が全て出てきたとしても、まだまだ数の上での有利は間違いない。ビロンの兵たちに負けるとまでは、考えない。
「いいか! 敵は近づかなければ撃ってこない! 矢のように遠くまで届くものでもない! 本当の敵は後ろにいるのだ。全員回れ右をして、武器を握って走れ!」
だが、この時点でオクシオンはまだ気づいていなかった。マ・カルメがなぜ、最初の槍をオクシオンたちの目の前に落として見せたのか。
望遠鏡というものがすでに発明されていれば、オクシオンたちが転身した姿を見て、マ・カルメがほくそ笑む姿が見られたかもしれない。それを見たら、オクシオンも考え直したかもしれない。
だが、すでに造反者集団たちは、全員がマ・カルメに背中を向けてしまっていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
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