125.Lying From You
125話目です。
よろしくお願いします。
ホーラント国境が俄かに騒がしくなっていたのに対し、ソードランテの騒動は早々に鎮められていた。
王を失い、舵取りをする者がいなくなった城内では、相変わらず権力闘争が続き、朝令暮改そのものの、無茶苦茶な法令が乱発されていた。
唯一、共通していた部分は、獣人がほとんど出て行ってしまった後、一般市民を労働力及び搾取の対象としているという事だけで、権力を持った貴族たちが、名目を変えてひたすら勢力争いのための原資を吸い上げているという状態でしかない。
当然ながら、そんな状況で一般の市民たちが大人しく従うだけでいるわけはない。
不満は急速に広がり、兵士の中にすら職場を放棄するものすら出てくる。兵士にとって、一般市民とは自分たちのことでもあるのだから、懸命に働いた結果の給料を、訳のわからない理屈で棒引きされるのは我慢ならない。
市民と兵士、兵士どうし、兵士と騎士、市民と騎士など、小さないざこざや衝突はあちらこちらで頻発するようになった。
「それで、結局どうなったの?」
留守番役を命じられたヘレンは、へとへとになって机に突っ伏しているレニに訪ねた。
「ん~……」
レニは顔をころりと横に向け、眠そうな目を少しだけ開けた。
「こっちに来たい人たちは来てもらって、攻撃してきた兵士さんたちは、エルフの人たちの魔法で逃げちゃった。終わり」
「終わりって、あんたね……」
「だって、それしか言えないもん。ゲングさんたち獣人は活躍の場が無かったって嘆いてるし、ウチたちは新しい人たちの受け入れでさっきまで大忙しだったし」
レニを始め、誰もが気づいていなかったが、この時点で一部の獣人たちがこっそりと元スラムの区画を拡張し、居住場所を確保し始めていた。
しかも、本来の居住地であるソードランテ市街と、元スラムである他種族居住エリアで、人口の逆転が発生している。人間も獣人側もそれぞれの人口統計など取っていなかったので、誰も気づいていなかったが。
「ウチも魔法使いたいなぁ。とってもかっこよかったし」
「あ」
「なに? ヘレン」
「出た。風魔法」
何気なく、杖をいじりまわしていたヘレンが、机の上に毛玉よろしく乗っかっていたレニの頭に向かってそよ風を送りたいと思ったら、出た。
「な、なんで……?」
「わかんないよ、そんなの」
でもなんか出た、とヘレンがレニの顔に風を当てると、小さな悲鳴をあげたレニの髪がゆらゆらと揺れた。
「ずるいずるい! ウチも魔法使いたい!」
「うわっ! ちょっと、やめてってば」
レニに飛びつかれ、ヘレンが床で転がっているところで、ザンガーが入って来た。
「おやおや、元気だねぇ」
「あ、ザンガーさん!」
ヘレンの髪をクシャクシャにかき回して、少しだけすっきりしたレニは、ザンガーに笑顔を向けた。自分の頭も酷い有様になっている。
「どうしました?」
「いやね。ちょっと相談があるんだよ。あたしじゃないけどね」
ザンガーが入っておいで、と促すと、エルフのプーセと片耳の兎獣人の女性、そして、虎獣人の少年マルファスが入って来た。
なんともまとまりのない組み合わせに、レニとヘレンが髪を整えていると、兎獣人の女性が、なんとも言いづらそうに話し始めた。
「あの……街を出る許可が欲しくて……」
「へ? 別に許可とかはいらないけれど、どうして? 荒野に出たら危ないよ?」
首をかしげるレニに、片耳兎の女性は顔を赤くして視線を落とした。
ひゃっひゃっとザンガーが笑う。
「一二三さんに、会いたいんだそうだよ。いやいや、良い男だとは思ったけど、やっぱり隅に置けないねぇ」
若いねぇ、とザンガーが笑うと、兎獣人の女性はますます縮こまってしまった。
レニとヘレンは、お互いに顔を見合わせて呆然としている。
「私も、付き添います。一二三さんに会って、聞きたいこともありますし、彼も……」
プーセに促され、マルファスが頷いた。
「俺も行きます。その人間に会って見たい。兎のお姉ちゃんから、獣人に対して偏見が無くて強いって聞いたから、鍛えてもらいたいんだ。結局、魔法は使えそうにないし……」
マルファスの口から、兎獣人が語ったと思しき一二三像が透けて見えて、ヘレンは小さく「美化しすぎじゃない?」とつぶやいた。
「そうなんだぁ。なんかいいなぁ。一二三さんのどういうところが好きなの?」
レニがのんきな感想を言い、プーセは一二三の事が怖かったので、兎獣人の気持ちは正直あまり解らないという気持ちではあったが、応援するのは良いかな、と思っていた。
ザンガーが囃したて、レニが質問攻めにして、兎獣人がポツポツと答える。
女性陣が盛り上がっている脇で、マルファスは一人、妹を置いて旅に出るために自分を励ましていた。
「人間は嫌いだけど、このままじゃあいつに勝てないんだ……」
復讐心は、燃えはすれど消える事は無い。
☺☻☺
「敵が来ます! 予定通り、ミュンスターで補給のみを行い、こちらへ向かっています。総勢五百名超!」
一度ビロン伯爵の元へマ・カルメの提案を持ち帰っていた伝令が、陣を敷いたホーラント国境へと馬を駆って戻って来た。
「ご苦労、お前さんは早くミュンスターに戻るんだ。連中とかち合わないように、大回りしてな」
「いえ、私はここに残り、戦況を見極める任務があります!」
「そりゃ、ご苦労なこった」
マ・カルメは部下たちに戦闘準備をするように伝えると、伝令に向き直った。
「ここから先は馬を降りて後方に歩いて行きな」
「歩いて、ですか?」
「ちょっとした、仕掛けがあるんだよ」
自慢じゃないが、うちの領主様の教えの通りさ、とマ・カルメはケラケラ笑って部下たちと共に投槍器の設置を手伝い始めた。
「それは、ヴィシーとの戦争でも活躍した投槍器ですね。初めて見ました」
「活躍ねぇ。実際は、あれは領主様が暴れただけなんだがね」
「しかし、たった五台で大丈夫なのですか?」
不安を隠せない伝令に、マ・カルメは軽く答えた。
「大丈夫じゃないさ。五百人に五台じゃ、無理だ」
「え、それじゃ……」
「これは釣り餌。何発か撃ったら捨てていく」
準備ができたところで、マ・カルメの号令で各々休憩に入る。
「さて、俺は昼飯にしようかね」
その場にどかっと座り込み、ホーラントの街で買っておいたパンを一口齧り、水筒の水を飲んだ。
伝令が周りを見回すと、同じように食事を採っている者もいれば、豪胆にも昼寝をしている者までいる。
とても、今から命懸けの戦いをしようという緊張感が見当たらない。
「皆さん、とても落ち着いておられますね」
伝令も座り込み、手綱を適当な石にくくり付けると、腰に提げていた水筒に口をつけた。
「領主様の教えさ。良くわからんが、戦いは日常の延長にあるものなんだとさ。普通に食って寝て、その中で殺し合うのが当然なんだと」
頭おかしいよな、とマ・カルメは笑うと、バターが塗りこまれたパンをバクバクと食べ終わり、ごろりと横になった。
「でも、それで実際に生き延びてんだから、従うしかないやな。有名な細剣の騎士様の教えだしな」
「なるほど……。そうやって、トオノ伯やフォカロルの兵たちは国のために戦っていたのですね」
「あ、それは間違いだな」
「えっ?」
腹を掻き、ヘラヘラと笑うマ・カルメは座っている伝令に目を向けた。
「領主様は“誰かのために戦う”なんて大嫌いだからな。えっと、なんつってたか」
マ・カルメは空を見上げた。
少しだけ雲が出ているが、暑いくらいの日差しはしっかりと地上に届いている。
「そうそう。人のために命をかけて、死んだとして、そいつは嬉しいかって話だ」
「えっと……」
「わかりにくいか。こういう説明は苦手だな。つまり、お前が命懸けで誰かのために戦って、死んだとして、お前が守った奴は嬉しいかどうかって話だ」
マ・カルメの話に、伝令は腕を組んで考え込んだ。
「でも、私たちは誰かを守る為に戦うのが仕事で。しかし、確かに私のために誰かが死ぬかもしれないと思うと……」
「さぁてね、俺にも本当の答えなんかわからん」
顔を横に向けたマ・カルメは韜晦して済ませた。
「俺はなるほど、と思った。どうせ戦うなら、自分の目的の為に戦った方が、ずっと健全だってな」
「じゃあ、何のために戦うんですか?」
「決まってる。アリッサ長官に褒めてもらうためさ」
マ・カルメは地面に耳を当てて、目を閉じた。
「来たぜ」
立ち上がったマ・カルメが一声かけると、のんびりとしていた空気が一気に張り詰めた。
「蹄の音が近づいてくる。沢山、な」
伝令は、今までで一番硬い唾を飲んだ。
☺☻☺
「もうちょっと待ってもいいんじゃないかな?」
「いや、別にいいだろ」
アリッサが控えめに引き止めるも、一二三は特に気にしたふうも無く、着替えや予備の武器などを闇魔法収納に放り込み、旅に出る準備を進めている。
「でも、オリガさんは一二三さんに会いたがってると思うよ?」
「ここで待っているように伝えてくれ。すぐそこに出かけるだけだ」
「……わかった。僕もここで待ってる」
「そうか」
アリッサと共に自分の部屋で朝食を採っていた一二三は、食事が終わると「人型の魔物を見に行く」と突然言い出し、オリガが悲しむというより壊れるんじゃないかと思ったアリッサが止めようとしたが、無駄だった。
獲物がいるのが明確なのに、ジッとしているわけにはいかない、と一二三が言い出すのは予想通りだったからだ。
「一晩考えたけど、やっぱりあれはお城にいた騎士だよ。なんであんなになっちゃったのかはわからないけど」
アリッサは、まだ身体が本調子ではなかった。
誰にも言わなかったが、戦いが少し怖くなっていた。
訓練に参加する時間を減らし、気づけば一二三と過ごす時間を増やしている。一緒にいると、少し安心するのだ。
「でも、僕のこともわからなかったみたいだったよ。憶えてないだけかもしれないけど、言葉も通じてなかったっぽい」
一二三は一通りの準備を終え、魔人族の街からこっそり持ち帰ったコーヒーもどきを淹れて飲んでいる。
「なるほどな。アリッサが翻弄されるくらいの奴だからな。正気でやってくれたら、もっと楽しめるが……馬鹿と戦争するよりマシか」
もきゅもきゅとサラダを口に詰め込みながら、アリッサは疑問に思った。
「あれ? 一二三さんなら、沢山がいる戦争を選ぶかと思った」
「大量に人が殺せるのはいいんだがな。いかんせん、相手が普通の兵士連中じゃな。獣人やら魔人族あたりがまとめて攻めて来てくれたら、まだ楽しめるんだが」
コーヒーもどきの香りを愉しみながら、一二三は残念そうに首を振った。
「何その飲み物」
「コーヒーみたいなもんだ」
「ちょっと頂戴……うぇ」
一二三のカップに口をつけた途端、苦味に顔をしかめたアリッサに、一二三は何かを思い出したように闇魔法収納から何か取り出した。
「これを忘れていた」
するりと取り出した脇差を、アリッサに放り投げた。
「あ、僕の脇差」
薄いパジャマ一枚の胸にぽんと当たった脇差は、綺麗に拵も直されていた。
一二三の細かい要求に苛々しながら耐え抜いたプルフラスの力作である。
「武器が駄目だと、人を殺すのに苦労するからな。今度からは自分で手入れしろよ」
「あ……うん!」
両手でしっかりと脇差を抱きしめたアリッサは、一二三が留守の間、しっかり鍛えなおそうと決めた。
「じゃあ、留守は任せた」
「うん。いってらっしゃい!」
十五分程後になってから、アリッサはオリガを出迎える役を体よく押し付けられたことに気がつき、しばらく行方を晦まそうかと本気で悩むことになった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回は明後日予定です。