123.Tragedy
123話目です。
よろしくお願いします。
戦いは奇襲から始まった。
「後方から襲撃!」
五百名の兵士が作る長い隊列の中央にいたアリッサは、幌付き馬車の中で脇差の手入れをしており、ちょうど仕上がったところだった。
声が聞こえた瞬間、アリッサは音も無く立ち上がり、後方へと視線を向ける。
「ミュカレさんは、ここにいて」
「わ、わかりました!」
一気に緊迫した空気に、戦闘慣れしていないミュカレは、身体を低くして馬車の奥へと入っていく。
同時に、アリッサは馬車を飛び出した。
「長官、こちらです!」
馬車と並走していた台車の兵士に声をかけられ、その後ろにひらりと飛び乗る。
「急いで!」
「了解!」
改良に改良を重ねたフォカロル領軍の台車は、一抱えはある大きな車輪と音を抑えるクッション材の採用など、当初とは見た目も性能も格段に上がっている。
一台に5人は楽に乗れる大きさになり、アリッサ一人ぐらい増えてもなんともない。
魔物の皮で作った緩衝材と車軸が擦れるシュルシュルという独特の音を立てて、台車が走る。
兵士たちは先ほどの声に素早く反応し、非戦闘員は隊列を外れて前に向かい、兵士たちは後方を向いて武器を構えていた。
「左右からの襲撃にも警戒して! 後方三分の一の人数で対応!」
大声で指示を出しているうちに、隊列後方へと到着する。
「人型の魔物?!」
台車を操る兵士の一人が叫んだ。
アリッサにも、その異様な姿は見えた。
両手足が普通の人間よりも異様に長く、全ての爪が鋭く、分厚い。
身長はゆうに三メートルはあり、辛うじて衣服が残った身体は、毛深く、筋量が増大して醜く膨れ上がっていた。
頭部だけは人間の面影を色濃く残しており、アリッサはその顔に見覚えがあった。
「あれは……たしか王城で……」
他でもない、騎士であったバールゼフォンを城内で挑発し、一二三が待つダンスホールまでおびき寄せたのがアリッサだった。
怒りに震える表情を、まだ憶えていた。
「バールゼフォン……人型の魔物って、あの人のことだったんだ」
待っている間は遭遇せず、撤退時に出会うという運の悪さに、アリッサは苦い顔をした。
現場を見回すと、何人かが負傷して血を流しており、いくつかの台車を横倒しにして壁を作り、バールゼフォンを狙って槍を撃ち込んでいた。
「僕が注意を引くから、怪我人を台車で隊列前方へ送って!」
叫びながら、台車からアリッサが弾かれたように飛び出す。
「長官、危険です!」
台車の影で投槍器を動かしていた兵士が止めようとするが、その手をすり抜けて走った。
「久しぶりだね!」
アリッサの声に、バールゼフォンは虚ろに見開かれた目を向けた。
そこに意志があるようにはとても見えず、アリッサの事もわかっていないようだ。
バールゼフォンは自分の半分以下の身長しかない相手が近づいて来るのを、ただ攻撃するために腕を振り上げる。
「特に反応なしかぁ。それなら」
長い腕が振り下ろされ、爪が顔を狙って迫るのを、脇差で辛うじて受け流す。ぐらりとバランスを崩してしまう程の衝撃を、前転して移動の力に使った。
それでも、無傷とは行かなかった、頬をざっくりと切られ、血が溢れる。
「ぐっ……」
見ていた兵士から悲痛な叫びが上がるが、反応する暇はない。
転がりながらバールゼフォンの足元に近づき、脇差を振るってふくらはぎを斬り裂いた。
「がああああああ!」
叫び声を上げ、しゃがみこんだその背中に、二本、三本と槍が突き立つ。
「ぐぅぅうう……!」
「良しっ!」
足元をくぐり抜けたアリッサが追撃を入れようとした瞬間、信じられないものが見えた。
確かに筋肉を切り裂き、傷は足首の腱を傷つけたはずなのに、もう血が止まりかけ、傷は端からふさがりかかっている。
「うそ……」
アリッサの動きが一瞬だけ、止まる。
その瞬間を狙い、バールゼフォンは自分に痛みをあたえる槍を抜き、無造作にアリッサに叩きつけた。
「あうっ!」
投槍器用に先端を尖らせただけの、刃が無い槍だった事は幸運だった。
殴られた肩は鎖骨を折られ、脇差で庇おうとした右腕も巻き込まれて前腕を叩きおられた。
何とか脇差は左手に持ち替えたものの、衝撃で倒れこんでしまったアリッサは、立ち上がるのも難しい程のダメージを受けている。
「長官! 全員、あるだけの槍をぶち込め! 長官を助けるぞ!」
「応!」
三名の兵士が命懸けでバールゼフォンの前に飛び込み、追いかけるようにして後方部隊が一斉に槍を打ち掛け、中には手で投げつけている者もいる。
槍がアリッサに当たらないよう三人の兵士は彼女に覆い被さり、どんどんと打ち込まれる槍の雨の中、時折鎧に当たる槍に肝を冷やしながらも、ただただアリッサを守ることだけを考えていた。
「あああああああ!」
腕を振るい、槍を叩き落としていたバールゼフォンも、流石にその量に捌ききれなくなると、いくつかの槍を身体に生やしたまま、街道の外へと逃げ去っていった。
兵士の誰もがそれを追いかけようとはせず、一斉にアリッサへと駆け寄る。
「長官! ご無事ですか!」
「うぅ……」
大粒の汗を流し、呻くアリッサはそれでも目を開けて周囲を見回す。
いくつもの顔が自分を心配そうに覗き込んでいる。
身体を張って守ってくれた兵士たちも、二人が膝をついて土まみれになった顔をぬぐいもせずに、アリッサの首を支え、担架に乗せるための態勢をとっている。
残り一人は、アリッサの足元で仰向け寝かされて、ピクリとも動かない。
アリッサが動かない一人を呆然と見つめているのに気づいた兵士たちは、固く目を閉じた。
「長官……」
「あいつは、魔物が振り回した槍に当たって……」
絞り出すような声で、兵士たちが状況を報告する。
「……そんな……」
これが、フォカロル領軍が一二三の指導により発足してからの、戦闘による初の死者となる。
訓練中の事故や、軍とは無関係な病死や罹災はあり、兵との死別は初めてではなかったが、戦闘で、しかも目の前で自分を守る為に命を投げ出したということに、アリッサは傷の痛みも忘れる程に心がかき乱された。
「あ、あああ……」
「アリッサ様!」
狂乱に陥りかけたところで、兵士たちをかき分けてミュカレがアリッサの前に滑り込んできた。
汚れるのも構わず、横になっているアリッサの前に膝をつき、切れた頬に清潔な布をあてる。
明らかな腕の骨折に一瞬だけ驚いた顔を見せ、直ぐに周囲の状態を見てとったミュカレは、腕になるべく触れないように注意しながら、そっとアリッサを抱きしめた。
「まずは、お怪我を治しましょう。それが守られた者の仕事です」
「ミュカレさん……」
そのまま気を失ったアリッサを、ミュカレの指示で兵士たちが担架に載せ、馬車へと運んでいった。
「遺体も余裕のある馬車か台車へ」
アリッサに何かあった場合の取り決めとして、指揮はミュカレへと移る。
「近くの町に寄りますか? 戻った方が町は近いのですが」
運ばれていくアリッサへ視線を向けながら、小隊を纏める兵士が発した質問に、ミュカレは目を瞑って考えた。
「……予定通りにフォカロルへ向かいましょう。領主様にお願いして、魔法薬で治療をしていただいた方が確実です」
なるほど、と頷いた兵士が見たミュカレの表情は、まるで鬼神のそれであった。
アリッサを抱きしめた時に顔から胸にかけて血まみれになり、心配と怒りのあまり、人が殺せそうな程に厳しい目つきになっている。
「全速力でフォカロルへ戻ります。長官と遺体を含めて三十名で台車を使って全速で移動します。休憩をしなければ一日でたどり着けるはずです」
「了解いたしました!」
編成の為に兵士たちが離れていく中、布に包まれて担架に乗せられる兵士に向かい、ミュカレは頭を下げた。
担架の周りにいた兵士たちも、直立不動でその死を悼む。
「ありがとうございます。貴方の命懸けの行動により、私の、そしてみんなにとって大切な人は助かりました。貴方が守った人は、必ずフォカロルへお送りしますから、どうか見守ってください」
もう一度、ありがとうという言葉をミュカレが紡いだとき、彼女の耳に誰かが嗚咽を漏らすのが聞こえた。
☺☻☺
「……それで?」
領主館、戻ってきたアリッサは治療室で手当を受け、そのまま館内の自室へと寝かされている。
そして今、執務室にいる一二三の目の前には、小隊長ランクの兵士数名とミュカレが並び立ち、腰を九十度曲げて頭を下げている。
一二三の質問に答えたのは、ミュカレだった。
「人型の魔物を撃退した後、アリッサ長官を連れて急ぎ戻って参りました次第です。損耗を出した上、戦果も無い無能の勝手なお願いであることは重々承知の上でお願いいたします。どうか、領主様がお持ちの魔法薬でアリッサ長官の傷を癒していただけませんでしょうか」
お願いします、と兵士たちもミュカレの言葉に続けて声を揃えた。
「あのな」
ふぅ、と一二三はため息をついた。
「俺は別に、損耗だとか誰かの戦果とかは気にもしていない。アリッサも、本人が希望するなら薬をやるのは別に構わん」
「ありがとうございます」
「だが、その前に一つ聞きたい」
頭を上げたミュカレたちは、一二三が笑っている事に気づいた。
一二三は手袋に覆われた左手で、兵士を指差す。
「その人型の魔物とやらは、強かったか?」
ミュカレは戦闘を見ていないので、兵士の一人が答える。
「強かったです。槍で殴られた長官が一撃であれほどの重症を負ったことも、その前の攻撃を、あの器用な長官が受け流しきれませんでした。また、槍が刺さっても斬りつけても、傷が見る間に治っていくのを確認しています」
真剣な眼差しで話す兵士を、一二三は微笑みのままでジッと見ている。
「傷が治るのか。切り傷はどうなった? 肉が盛り上がって塞がるのか、傷の端から塞がるのか、治り方も色々あるだろう。それに、治る速度はどうだった?」
興奮気味に聞いてくる一二三に、兵士はできるだけ細かく説明する。
それを、一二三は異様な程の上機嫌で聞いていた。
「領主様。どうか我々に再戦の、復讐の機会を!」
「だめ」
熱い気合の入った兵士の懇願を、一二三はバッサリと断る。
「今のアリッサが一方的にやられるような相手だろう? ホーラントのゴタゴタより、そっちが余程面白いじゃないか。魔人族連中もまだまだこっちまでは来れないだろうからな。そいつは、俺がもらう。第一、お前たちに対処できるのか?」
「う……よろしく、お願いいたします」
正直に言えば確実に仕留められるかは自信が無かった兵士は、大人しく引き下がった。悔しさで握り締めた拳は、血が滲むほどに力が入っている。
「そう嘆くなよ。そいつは多分、新しく魔人族に誕生した魔王が放った魔物だ。他にも魔王の手下は来るだろうから、そん時に腹いっぱい仕返ししてやればいい」
「魔王……」
信じていないミュカレは苦い顔をしていたが、一二三の狙いを知っているので黙っていた。ただ、ここでそれを言い出すか、という気持ちではあった。
「ああ、荒野にいるときに魔人族の様子もちょいと覗いてきたんだが、新しい魔王が誕生していたんだ。いずれ魔人族との戦いが始まるから、そこで腹いっぱい、アリッサなり死んだ奴なりの復讐をするといい。それまで、しっかり戦えるように鍛えておけ」
「はっ! その時には是非、我々にも敵を屠る機会をお願いいたします!」
揃って頭を下げ、兵士たちが出て行ったが、ミュカレだけは部屋に残った。
「……嘘ですよね?」
「新しい魔王が誕生したのは本当だぞ? 魔物との関係は、知らん」
「呆れた……魔人族が攻勢に出る可能性があるなんて、大問題じゃないですか、そんな簡単に……」
「いいんだよ、こういうのは単純に考えて」
立ち上がった一二三は、刀を腰に差した。
「敵が来るから殺す。負けたら死ぬ。ある程度調整はしてきたから、死ぬ気で頑張れば負けることは無いだろう」
カラカラと笑いながら、アリッサを見てくると言い、一二三も出て行く。
一人残されたミュカレは、首をかしげていた。
「何かひっかかるわね……」
違和感を感じていたミュカレだったが、ここで考え事をしていられる程暇ではなかった。
大人数がこれから帰還するうえ、初の戦死者を出したのだ。軍務担当の文官として、忙殺される未来しか見えない。
「みんなに手伝ってもらおう」
アリッサが心配ではあったが、悔しいとは思いつつも一二三に任せる事にして、ミュカレは足早に他の文官たちの所へと向かった。
☺☻☺
一二三が部屋に入ると、ベッドで横になっているアリッサは、顔に包帯を巻かれた状態で視線を向けて来た。
固定されて肩を動かせないので、目だけを何とか動かしている。
「あ、一二三さん……。恥ずかしいなぁ、こんな格好で」
力無く笑うアリッサに、一二三は気にするなと言いながら適当な椅子を持ってきて、ベッドの横に座った。
「もっとボロボロになったところも見たんだ。今更だろう」
「もう……あの時とは色々違うのに……」
無事な左手で、毛布を顔まで引き上げたアリッサに、一二三はいつもの調子で話しかけた。
「人型の魔物とやりあったそうだな。どうだった?」
「魔物……かなぁ? あれは多分、王城のダンスホールから逃げたあの騎士だと思うよ」
「どういうことだ?」
アリッサの説明を聞いて、一二三は考え込んだ。
「まあ、どうでもいいか。人型なら魔王の手下って事に信ぴょう性があるからな。王都やら騎士やらの目に触れそうなら、顔を潰すなり焼くなりしておけばいい。……おっと、さっさと済ませておくか」
「きゃっ」
突然、かぶっていた毛布を引き剥がされ、アリッサの包帯を巻かれた姿が露わになった。
細くしなやかで鍛えられた小柄な身体は、今は薬と消毒薬替わりのアルコールが塗りたくられ、下半身に薄いズボンを一枚履いただけの姿だった。
「ちょ、ちょっと……」
「じっとしてろ。初めてじゃないんだから」
闇魔法収納から魔法薬を取り出した一二三は、蓋を取りながらアリッサの身体をさっと確認した。
「傷は肩と腕、あとは頬だな。他には無いか?」
「……うん、大丈夫」
一二三はアリッサの右腕と肩から胸までを覆った包帯と固定具を外し、起伏の少ないつるりとした上半身に、無造作に魔法薬をかけた。
冷たさに一瞬身体をこわばらせたアリッサだったが、傷が治って痛みが収まっていくと、次第に力が抜けていく。
「ねぇ、一二三さん……」
「なんだ?」
「僕を守る為に、兵士さんが一人、死んじゃったよ……」
「ああ、そうだな」
七割程を使い、身体の傷が癒えた事を確認した一二三は、顔の包帯に手をかけた。
「一二三さんに付いてきて、なんだかんだで長官なんてなったけど、こんなことじゃ、駄目だよね……」
「いや別に」
残った魔法薬をアリッサの頬にそっと流し落とす。
「駄目とか良いなんてのは、お前が自分で決めろよ。指揮官なんて、味方の損耗より敵の損耗が多ければ良しとする奴なんて沢山いるだろ」
顔の傷もすっかり治ったことを確認するように、一二三の右手がアリッサの頬を撫で、頭の上にぽんと置かれた。
「お前がいないと困る。好きなようにやっていいから、あの暑苦しい連中を適当にまとめておいてくれ」
「うぇ……」
じわりと涙を浮かべ、頭に乗せられた右手に、アリッサは自分の両手を乗せた。
ぬくもりが伝わってくると、余計に悲しさが胸にこみ上げてくる。
「一二三ざぁん……」
涙が溢れだし、顔をくしゃくしゃにして、アリッサは一二三の腹に顔を押し付ける。治ったばかりの腕でしっかりと背中に手を回して、力いっぱい抱きしめた。
「うあああああ……!」
くぐもった泣き声は、アリッサが泣き疲れて眠るまで、部屋の中に響いていた。
お読みいただきましてありがとうございます。
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