117.No Reason
117話目です。
よろしくお願いします。
ソードランテのスラムへと入ったエルフたちは、それぞれの家族単位で家を割り当てられた。数日のうちに、レニたちの判断や本人たちの希望によって仕事が割り振られる予定になっている。
エルフに対しては、人間たちはおっかなびっくりといった雰囲気だったが、獣人たちは“いるのは知っているけど見たことがない”という者ばかりだったせいか、誰もが新たな移住者たちに興味津々だった。
ザンガーは、プーセやシクと共に大きめの平屋を割り当てられ、エルフたちのまとめ役となるようにレニから正式に依頼を受けた。
その依頼は、レニの仕事場に呼ばれたザンガーたちが、お茶を飲みながら今後について打ち合わせをしている時に初めて話された。
「魔法をウチたち獣人にも教えて欲しいんです」
「魔法を?」
「そうです。人間の中には魔法を使える人がいて、エルフさんたちはもっと上手に魔法が使えると聞きました」
ザンガーは、目を閉じてしばらく考えてから、レニを真っ直ぐに見た。
「……魔法を覚えて、どうするつもりだい?」
「この町のみんなを守る力にしたいです」
即答したレニの顔に迷いは見えない。
「ふふっ……ああ、わかった、わかった」
吹き出したザンガーは、傍らにいたプーセに顔を向けた。
「プーセ、あんたと何人か、力仕事が出来ない女衆で魔法を教えなさいな」
「わかりました」
そのやりとりに「やった」と小躍りしているレニに、ザンガーは厳しい視線を向ける。
「でもね、羊さん。あたしも長く生きているけれど、獣人が魔法を使えるなんて聞いたこともないんだよ。教えたところでできるかどうか、わからないんだよ? 無駄な努力になるかもしれない。それでも、やるのかい?」
「もちろん」
大きく頷いたレニは、近くにいたヘレンの手を握った。
「一二三さんに出会ってから、ヘレンと二人で色々教えてもらって、勉強して、今はなんとか町をやっていけてます。でも、まだウチたちと仲の悪い人間も獣人も多いし、お母さんたちも呼びたいけれど、まだ難しいと思っています」
でも、とレニは鼻息を荒くして続ける。
「この小さな町の中だけでも、獣人と人間が仲良く暮らしていける場所ができました。これからは、エルフさんたちも一緒です。その町を守るために何ができるのか……ウチはあんまり頭も良くないから、やってみないとわからないから、とにかくやってみるんです」
「今思えば、一二三にやらされた勉強とかも、役には立っているのよね」
照れくさそうにレニの手を握り返したヘレンは、宿に篭って他の獣人たちとみんなで勉強させられた時の事を思い出した。責任ある立場に祭り上げられた今、文字の読み書きやある程度の計算の知識は非常に重宝した。
スラム出身ではなく、一二三に購入される形でこの町へと入った獣人たちは、概ね読み書きが出来、レニなど一部の獣人は計算もできる。ある点では、人間中心の町よりも行政の処理能力は上になっていた。だが、比較対象を知らないレニたちは、それでも問題は多いと思っていた。
「できるかどうかは、やってみたらわかります」
ここには、レニが冷静に計算した内容も含まれている。
獣人の中には虐待の結果、まともに歩けない程の傷を負っている者も少なくない。彼らは町の発展に寄与できていないという点で忸怩たる思いを抱えていた。それはレニの事務仕事を手伝っている者や、動かずにすむような商店の店番などをしている者たちからの言葉を聞いて、レニの中でもどうして良いかわからずに悩んでいるところだった。
もし、獣人が魔法を使えるならば、治癒魔法で戦場の怪我人を癒し、遠距離攻撃で支援することもできるだろう。多少でも町を守る戦いに貢献できるという自信があれば、彼らの心を慰められるのではないか、とレニは思っている。
「羊さんは……いや、レニさんと呼ばなくちゃ、いけないね」
居住まいを正したザンガーは、レニに向かってしっかりと頭を下げた。
「住処を失ったあたしたちエルフに、居場所と役割をくださって、どうもありがとう。魔法以外でも、色々と役に立つから、よろしくお願いするよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
レニの柔らかくて小さな手と握手をしたザンガーは、笑顔を見せながらも内心では不安が膨らんでいた。
(こんなに愛らしい小さな子に、一二三さんは何をやらせているのやら……。あの人は何を考えているのかわからないけれど、この子達は守ってあげたいねぇ……)
集落を捨てた自分が言うと虚しいものがあるが、とザンガーは自虐に内心苦笑しながら、深いシワが刻まれた手でしっかりとレニの手を掴んだ。
☺☻☺
一二三と対峙する羽目になった魔人族は、その身分に関わらず、一二三に近い場所にいた者から次々に惨殺されていく。
風切り音を伴って振るわれる短刀は、魔人族たちの喉や腿の動脈を切り、目に突き立てられ、心臓を抉る。
魔人族の町からエルフの集落がある方面へ向かい、点々とというには夥しい量の血痕が残る。
先頭を走る魔人族の兵士は、すでに三人にまで減らされている。
彼らは所属はバラバラで、仲間たちがやられている間になりふり構わず逃げ出したために、最後まで残っていた。
だが、一二三の追撃は彼らを見逃さない。
「あっ!」
誰かが短い悲鳴を上げて、前のめりに倒れた。
走っている勢いのまま、顔から地面に身体を投げ出した兵士は、首の後ろから短刀を生やしており、倒れた時にはすでに事切れていた。
「よっ、と」
駆け抜けつつ短刀を引き抜いて回収した一二三は、残った二人を視界に捉えつつ、短刀の刃に視線を流した。
「まあ、普通はそうだよな」
いくつかの小さな刃こぼれを見つけて、一二三は小さく呟く。
加護を受けたわけでもない短刀は、その切れ味を出すために刃は鋭い。その分脆いので、いくら柔らかな喉や眼球を多く狙ったとしても、何十人も殺せば刃も欠けて脂が付いて斬れなくなる。
「刺せば使えるだろうが……まあ、いいだろう」
闇魔法収納へ短刀を放り込み、素手になった一二三がさらに速度を上げる。
残った二人は、この先がエルフが結界を張っている場所だという事は知っていた。このまま行けば行き止まりになるという事を。
だが、左右バラバラに逃げたとして、自分の方に人間が来たらと思うと、二人はお互いを視線で牽制しながらも、ここまで真っ直ぐに走っているしかなかったというのが現状だった。
「はぁ、はぁ……あの人間、武器を捨てたようだぞ。もう手に何も持っていない」
チラリと背後を見た魔人族が言うと、もう一人も一瞬だけ後ろを向いて、一二三の姿を確認した。
「確かに……」
「あの武器が無ければ、二人がかりなら何とかなるんじゃないか?」
その提案に、走りながら兵士は考えた。
先ほどチラリと見た人間の姿は、冷静に考えてみれば自分たち職業軍人に比べれば体つきが一回りは小さい。
恐ろしいまでに切れる武器も放棄しているとするなら、どちらかが押さえつける事に成功すれば、それだけで勝ちは確定するだろう。
「……わかった。タイミングを合わせて止まろう。俺が奴を抑えるから、どうにか無力化してくれ」
「了解した」
体力が残っている今のうちに仕掛けよう、と兵士たちは直ぐに考えを実行する。
「いくぞ……今だ!」
振り向きざまに剣を抜いた兵士の横で、迎撃を提案した兵士は火球の魔法を放った。
業火にひるんだ隙を狙うか、と剣を握り直した兵士だったが、一二三はひるむどころかさらに速度を上げる。
「なにっ!?」
「遅い!」
飛び上がるようにして火球を避けた一二三は、そのまま呆然とする兵士二人の顔を両手でそれぞれ叩いた。
くぐもった音がして、二人の眼球が片目ずつ衝撃で破裂する。
「ぎゃああ!」
「ぐぅっ!」
魔法を放った兵士は、さらに着地の瞬間に蹴りを受け、右足をざっくりと切り裂かれた。
辛うじて剣を離さずにこらえた兵士が、狭い視界のなかで必死に剣を振るう。
「おう、戦えるなら始めからそうすれば良かったのに」
縦横とくり返し振るわれる剣を左右に揺れるような動きで避けながら、一二三は少し嬉しそうに微笑んだ。
兵士は目の痛みはとりあえず無視することにして、今は眼前の危機への対処に集中していた。
走った疲れはあるものの、足腰はまだしっかりと踏ん張れる。硬い地面を蹴って、さらに力で圧倒しようと踏み出した。
その間、もう一人の兵士は足を引きずって痛みに呻きながら逃げ出したが、一二三はそちらには目もくれず、戦う意思と実力を示した兵士の前に立つ。
頭ひとつは背が高い魔人族兵士は、大上段に構えた剣を思い切り振り下ろし、避けられてもさらに横薙ぎに振り抜く。
それを姿勢を低くしてやりすごした一二三は、身体を起こしながら剣を持つ手の甲を追いかけるように叩いた。
「うぬっ?」
振り抜いた剣の速度を上げさせられ、剣を止め損ねた兵士の身体はぐるりと回る。
露わになった首筋を掴んだ一二三は、そのまま仰向けになるように引き倒した。
「じゃあな」
ちょうど石が埋まった場所に頭があるのを見てとった一二三は、魔人族の額を思い切り踏みつけて頭部を叩き割った。
脳漿を撒いた兵士は、数度の痙攣のあと、事切れた。
「さて、あと一人だが……ん?」
まだ生きているかな、と生き残りを探しに行こうとした一二三の耳に、馬の蹄が地面を叩く音が聞こえてきた。
「はあ、良かった。追いついた……」
馬に乗り慣れていないのか、疲れた顔をしたフェレスと、その腰にしがみついて馬に乗っていたのは、先ほど一二三に刀を突きつけられたニャールだった。
「ほら、降りるよ」
「お尻いたい~……」
文句たらたらで馬から降りたニャールに続き、フェレスも馬を降り、一二三に頭を下げた。
「隊長……ウェパル様からの伝言をお伝えに参りました」
「こ、これを……」
ニャールが恐る恐る差し出した羊皮紙を受け取り、一二三はその場で中身を確認した。
そこには、ニャールやフェレスなどウェパルに一度敵対する形になった部下たちを殺さなかったことと、自分が王位に就くに際して協力をした事に対しての皮肉混じりの礼が書かれていた。
そして、その後に続く文章には、魔人族の領域からの退去を求める勧告が続いている。
「はっ。感謝状と退去勧告が一緒くたになってるな」
一二三が読み終わるのを、二人の少女は怯えながらもじっと待っていた。
書類を畳み、闇魔法収納へ放り込む。
魔法の発動の速さと珍しい闇属性に、少女たちが目を丸くしている。
「ウェパルの言い分はわかった。どうせ出て行くつもりだったからな、別に問題は無い」
一二三の台詞に、ニャールがわかりやすい安堵の表情を浮かべて、フェレスはまだ緊張した表情で一二三を見ていた。
「いいことを教えてやろう。もう、お前たちを閉じ込める結界は存在しない」
素直な性格なのだろう、ニャールは喜びを顔いっぱいに浮かべたが、フェレスはまだこわばった顔をしている。
「なぜ、それがわかるのですか?」
「エルフの村で聞いた。まともに考えたら、結界を維持する連中もつれて逃げただろうからな。……森から風が吹いてきている。すでに結界が機能していないんだろう」
「貴方は、エルフの仲間なのですか? エルフの手先だから、魔人族をこんなに殺して……」
フェレスの視線は、先ほど殺された魔人族の兵士を見ている。
「関係ないな。魔人族もエルフも獣人族も人間も、俺の敵になった奴は殺した。お前も、俺の前で武器を抜くか? 治癒以外の魔法が使えるなら、魔法で俺の命を狙うか?」
「……やめておきます。世界を敵に回しても笑っているような人と対峙したくはありません。ただ、ウェパル様を助けていただいた事には、お礼を申し上げます。ありがとうございました」
「お前も、あいつを迎え撃つ集団にいただろうが」
「標的は知らされていませんでした。あの時はなにもできませんでしたが、今後はしっかりとウェパル様にお仕えしていく所存です」
一度だけ頭を下げ、フェレスは一二三と視線を合わせた。
「私には治癒魔法しか能がありません。ですから、貴方と戦う事はできません。でも、仲間を助ける事はできます」
「なるほど、それは有能なことだ。頑張って、ウェパルを助けるといい」
「それが、私にはわからないのです。王を殺し、魔人族をこれだけ殺しておきながら、ウェパル様の栄達を手助けする理由はなんですか?」
疑問を口にしたフェレスは、よく見ると少しだけ震えている。
その後ろでは、ニャールが明らかに怯えた顔でフェレスの服を掴んでいた。
「調整だな」
「調整?」
「アガチオンと言ったか。あいつは強かった。部下が命を賭けるような策にも顔色一つ変えずに許可が出せる奴だった。あれが表に出てきたら、エルフも人間も獣人も一方的にやられただろうな。だが、仲間への気遣いをするウェパルなら、本人の戦闘力も含めて、今の人間なら数で、獣人連中なら手段の多さで、エルフは知らんけどな。獣人と組むのが一番バランスが良いんだが……とにかく、これで長く戦うための調整ができたわけだ」
大変だったなぁ、と遠い目をする一二三に、フェレスは違う理由で震え始めていた。
「長く戦う、とは? まさか……」
「戦える奴らで戦争をしてもらおうと思ってな。あまりに一方的に戦力が偏るといけない。どこかが全部を占領して終わり、じゃつまらない」
収納から取り出した刀を腰に差し、位置を調整する。
「魔人族は、結界が無くなったと知れば外へ出たいという欲望を押さえきれまいよ。人間は魔人族やエルフ、獣人族に対して本能的に拒否感や恐怖感があるようだし、獣人族は元々戦いが好きで、エルフと獣人の町がまだあるなら、その脆いつながりを保つために、対外的には戦って勝たねばならん」
お膳立てはできた、と一二三は満足げに頷いた。
「な、なぜそのようなことを……」
「うん? 理由は別にないぞ。ただ、そうなれば戦いが楽しくなるから、だな。誰もが戦う事に一生懸命になれば、結果としてこの世界も発展する。発展すれば戦いももっと激しくなる。良い感じだろう?」
一二三の答えに、フェレスはもう何も言えない。
「今後どこかで火種が弾ければ、そこからズルズルと戦いは広がるだろう。そうならなければ、そうなるように動くまでだ。というわけで、ここからは準備期間だ。いつまでかはわからないけどな」
ゴクリ、と音を立てて唾を飲んだフェレスは、あいさつもそこそこに、慌てて馬に乗り、ニャールを引き上げるようにして後ろに乗せると、城へと馬を走らせた。
「さて、俺も準備をしようかね」
フェレスが向かった先とは逆。エルフたちの居住地に向かって、一二三は歩き始めた。
お読みいただきましてありがとうございます。
魔人族編はこれでお仕舞いです。
次回もよろしくお願いします。