114.Under Pressure
114話目です。
よろしくお願いします。
「あっはは! どうだい、びっくりしただろう!?」
アガチオンは肘から先が消失した左腕を振り回す。千切れてボロボロの断面は、首と同様に白い砂壁のようにざらついている。
左の前腕を破裂させたということは、一二三にもわかったが、理屈はわからなかった。
一二三は弾けた瞬間に両腕を前に出して顔と喉を守りながら後ろへと飛び下がった。だが、受けたダメージは深刻だった。
「魔法か……?」
「そうさ。人間の君には想像も付かない、純粋な魔力の爆発はどうだった? 両腕をズタボロに壊されて、どんな気分かな?」
アガチオンが嘲笑混じりに言う通り、一二三の両腕は肘から先が血まみれになっている。
道着の袖は無理やり引きちぎったように短くなり、腕はかばうために前に出した前腕外側が、骨は無事でも皮は裂け、筋肉が弾けて肘から先は動かない。
「初めてだな。ここまでやられたのは」
「おや、案外冷静だね。もっともっと泣き喚くかと思ったんだけど」
残念、とアガチオンが首を振った。
そのあいだに抉れた喉は修復され、左腕も少しずつ伸び始めている。
当然だが、一二三の方は自然に治るものではない。流れる血は、止まらない。
「呼吸をしているように見えたんだがな」
「しているよ?」
擬似的にだけどね、とアガチオンは笑う。
魔力を物質化した素材の集合体で、擬似的に人型を保っているだけだけれど、それでも呼吸や鼓動は再現しているという。
「これでもね、以前は普通の魔人族だったんだよ」
独自の魔力操作による魔法の失敗で、全身が物質化した魔法と置き換わってしまったのだが、どうせ説明してもわかるまい、とアガチオンはそれ以上語らなかった。
「まあ、僕が普通じゃ殺せない事がわかったなら……終わりにしようか」
フェゴールももうすぐ死ぬだろう、とアガチオンは視線をそらした。
その瞬間、一二三は痛みも感じないかのように再び猛然とアガチオンに駆け寄った。
「えっ? なにをやけになっているのさ」
面白くないよ、と石礫を次々に撃ち出すアガチオン。
その石塊を身体を傾けて無理やり受け流した一二三は、右腕から漆黒の刃を伸ばした。
「うぇっ?!」
思わず声を上ずらせたアガチオンは、わけがわからないままに黒い刃に再生しかけた左腕を肩から切り取られた。
「な、なんだよ、それは!」
「試しにやってみたが、うまくいくもんだな」
黒い刃の正体は、闇魔法で作った単なる収納の取り出し口の形を変えたものだった。
横から見ると視認できない程に薄く、生物は通さないので、うまくやれば物理的な武器として使えるのでは、と考えたのだ。
「使えるなら、丁度いい」
グイグイと力押しに迫りながら、一二三の奇妙な剣撃が続く。
斜め下から舐め上げるように叩きつける刃を、アガチオンは右腕で押さえつけようとしたが、右前腕を縦に裂かれた。
さらに、一二三が袈裟懸けに切り下ろす斬撃を、一歩下がって躱す。
「おや?」
血を失って、肩で息をしている一二三は妙な事に気づいた。
「なぜ、避ける必要がある? どうせ物質化した魔力でできた身体なら、斬られても問題無いだろう」
「な、なんとなくだよ! 妙な魔法を使ってきたから、びっくりしただけだ!」
更に襲ってくる礫を、一二三は冷静に見切って斬り捨てた。
アガチオンの攻撃速度と弾道に、慣れてきている。
さらに踏み込み、一二三は手足から顔面、そして胴へと刃を向ける。
四度目の斬りつけの時だった。
「おっと!」
アガチオンが声を上げてのけぞり、斬撃を躱した。
そこで、一二三の動きが止まる。
「……どうしたんだい、人間? そろそろ限界かな?」
アガチオンが一二三を挑発するように嘲るが、一二三は肩を震わせている。
「……?」
「ふくくく……ひぁっはっはっは!」
首を傾げたアガチオンが、再び石礫を十ほど宙に浮かべた瞬間、爆発したように一二三が笑い出した。
「な、なんだよ……」
ぴたりと笑いを止めた一二三が、真剣な目でアガチオンを見据えた。
「今から、お前を殺す。その前に俺を殺せればお前の勝ちだ」
何を今更、とアガチオンが眉を顰めた瞬間、再び一二三の猛攻が始まる。ただし、先ほどまでと違い、執拗に胸部を狙って刃が振るわれている。
「ぐっ!」
何度も胸を狙って飛んで来る突きや斬り払いを、アガチオンは腕を犠牲にして辛うじてそらしていく。
一二三は無言のまま、刃と化した右腕を振るう。
何合目かの打ち合いの中で、一二三の刃がアガチオンの胸を横一文字に斬り裂いた。だが、アガチオンは笑みを浮かべた。
「残念でした。胸を切られたくらいじゃ、ね」
だが、一二三はそれに答えない。
反撃として飛来した石礫を真正面から受けた一二三は、両肩の関節を砕かれ、右手の刃もだらりと垂れ下がった腕の先から消えた。
「ほら見ろ、僕の勝ち……」
それでも止まらない一二三は、アガチオンの左足を踏みつけて押さえ、まだ残っている左腕の脇に頭を突っ込んだ。
「え、何を……」
「おおおおおっ!」
雄叫びを上げた一二三が身体を起こすと、アガチオンの左腕が強制的に跳ね上げられた。
本来は身体ごと相手の脇を開いて、鎧の無い脇の部分に短刀を突き立てるための動きだが、今回の狙いは別にある。
「わわっ!?」
先に一二三が斬りつけた胸の傷。それが無理やり開かれる。
そこには、まるで砂に埋もれた宝石のように、直径十センチ程の赤い何かが脈打っている。
それが露わになっていることに気づいたアガチオンは、青ざめながらも余裕ぶった口ぶりだった。
「おっと! 僕の心臓見られちゃったね、恥ずかしいなぁ」
「見つけたぞ。この鼓動が、俺が探していたものだ。お前が必死に庇っていたものだ」
「ぅぐっ……でももう、君は両手が動かないだろう。惜しかったね」
「別に、問題ない」
踏んでいた足を払い、仰向けに転ばせたアガチオンの胸に、一二三は顔を突っ込んだ。
「ま、まさか……やめ……」
懇願を無視して、大きく開いた一二三の口が、その心臓に齧り付く。
「あああああああああ……」
魔法を使うのも忘れ、一二三の肩や背中を左手で叩く。
だが、それも長くは続かない。
硬い表面を噛み砕くと、中は柔らかく、一二三の前歯は無残に心臓を齧りとった。
「ペッ」
口に含んだ物を吐き捨てると、赤い液体にまみれた欠片が床に叩きつけられた。
残った心臓から、ドロドロと粘つく赤い液体が流れ出し、砂状になっている周囲へと染み込んでいく。
アガチオンは、恐怖に目を見開いたまま、死んでいた。
「……ようやく血を流したか」
そう言う一二三も、大分血を失っている。
膝の力が抜け、どすんと床に座り込んだ。
「ああ、やっとだ」
アガチオンと戦っているあいだ、喉を抉っても腕を飛ばしても、命を奪っているという実感は持てなかった。
それが今、脈打つものに齧り付き、香り立つ液体を浴びた事で、ようやく充足感を得られたのだ。
「うん。言葉を話す生き物の命を奪うのは、やはり良い心持ちだ」
朦朧とする意識の中、しみじみと、呟いた。
☺☻☺
「……あれ、死んでるのかな?」
「フェレス、見てきなよ」
「やだよ。ニャールが行って来てよ」
中央に瓦礫が積み上がり、小石や砂が広がり、荘厳とも言えたはずのホールが見る影も無くなっている。
その入口の左右から顔を出して様子を窺っているのは、ウェパルについてきて正門前で盛大に嘔吐していた二人の魔人族少女だ。
ホール手前には、刀に貫かれて前のめりに膝をついているフェゴールの姿があり、奥に見える壇上には、胸から真っ赤な血を流し、仰向けに倒れた王の姿。その傍らには、まるで王を見守るかのように座っている人間の姿があった。
そして、その誰もが微動だにしない。
「ウェパル隊長を待っていた方がいいんじゃ……」
「でも、助かるのに助けなかったら、もっと怒られるんじゃない?」
治癒魔法が使える二人の少女を、ウェパルは重宝していた。訓練中の事故や戦闘中に出た怪我人を助けるため、彼女たちは事あるごとに駆り出されている。
副隊長であるベンニーアが襲撃現場に二人を呼びつけていたのは、反撃されて怪我人が出て余計な証拠が現場に残るのを恐れたためだったが、ウェパルは純粋に怪我人や死人が出ないならそれが一番だと思っていた。
そのせいか、彼女たちは戦闘面などではまったく成長せず、回復する間もない前線や、怪我人が居ない場面では、はっきり言って役立たずだった。
「……ちょっとだけ、近づいてみようか」
「わかった」
彼女たちは、城内の混乱を収める事に尽力しているウェパルに命じられ、城内で隠れて監視している者から聞いて、一二三が向かったと思われるホールへと状況の確認と必要があれば生き残りの傷を癒す事を命じられていた。
一歳だけ年上のフェレスが、恐る恐るフェゴールに近づき、その後ろをニャールがついていく。
二人共、フレアスカートにケープを羽織った姿で、申し訳程度の武装としてナイフを持たされている。だが、使い方はよくわからない。
とにかくナイフを両手で握りしめ、ヒールがあるブーツだが、つま先立ちになって気持ち足音を殺して歩く。
「うわぁ……」
乾いた血だまりの中で、刀にしがみつくようにして事切れているフェゴールは、顔を伏せており、その表情は見えない。
「フェゴール様、治すとかいう状態じゃないよね」
さすがに、どれだけ治癒魔法が得意でも死者を蘇らせることは不可能だ。
「ねえ、この剣って……」
ニャールが指差したのは、フェゴールの身体を貫通している一二三の刀だ。
「あの人間が持っていたものだよね」
フェレスが指差したのは、こちらに背中を向けて座り込んでいる一二三の姿だ。
「うん。わたしも見た。それにしても、これってすごい武器なんだね……」
ニャールがそっと刀に手を伸ばしたとき、血走った目を見開いたフェゴールが、血の気を失った顔を上げた。
「貴様がぁ……」
もはや目も見えていないのだろう。目の前に立つニャールを一二三だと錯覚したのか、鍔を掴んでいた手を開き、ニャールに向けて伸ばしてきた。
「ひぎゃああああ!」
死者が動き出したかのような状況を前にして、ニャールは叫び声を上げ、フェレスも硬直して動けない。
だが、伸ばされたフェゴールの手は横合いからの蹴りに弾かれ、ニャールには届かない。
「ようやく結界が解けたか」
蹴りを入れた一二三は、力なく倒れたフェゴールを見下ろした。
「に、人間?」
「生きていたの……」
少女たちの声には耳を貸さず、一二三はフェゴールの胸に突き出た刀の柄を握り締め、一気に引き抜いた。
「ぅあああ……」
まだ痛みを感じるのか、刀の抜けた傷を押さえ、フェゴールは低く呻いた。
「まあ、生きていて良かった。止めはやはり自分の手で、だな」
引き抜いた勢いで振り上げた刀を、一二三は右手一本ですとん、と振り下ろす。
すでに多くの血を失っていたらしく、首が切断されても、さほどの血は流れなかった。
ニャールの足元に転がってきたフェゴールの生首、その怨嗟の念を思わせる凄絶な表情に、彼女は腰を抜かして座り込んだ。
その際に膝があたり、フェゴールの首はあさっての方向に転がっていった。
ニャールが見上げると、刀を懐紙で拭う一二三の姿があった。
「あ、ありが……」
助けられたと思ったニャールが、なんとか声を振り絞ってお礼を言おうとした瞬間、その眼前に刀が突きつけられた。
まるで研いだばかりのように美しく光を帯びた刀が、先ほどあっさりと首を刎ねたことを思い出したニャールは、震えながら唾を飲んだ。
「で、次の相手はお前か?」
助けられたと思ったが、どうやら違うらしい。
ニャールも、すぐそばで何も言えずに状況を見ているしかできないフェレスも、ベンニーアからの出動命令なんて無視すれば良かった、と今更後悔していた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。