106.Sweet Sacrifice
お待たせして申し訳ありません。
106話目です。
一二三が思っていたよりも、魔人族の世界というのは狭く閉ざされていた。
エルフの結界は強力で、時折見つけられる綻びはあれど、人が通れる程の物が見つかる事は珍しいらしい。
たまたまそういった穴を見つけた者が衝動的に出て行くか、魔人族の中でも魔力の高い者が穴を一時的に拡張し、工作員や兵士を送り出すのだが戻ることは難しい、と一二三に声をかけたフェゴールという魔人族の男が説明した。
王の補佐官として働くというフェゴールは、不健康に見えるグレーの肌色をした顔に疲れを見せながら説明を続ける。
「エルフと人間の対立が進めば、多少は結界も緩むのではないかと思ったのだが……」
フェゴールは、並んで歩く一二三に視線をチラリと向けて、ひと呼吸置いた。
「エルフどもが我々の想像以上に森から出たがらず、人間も森へと接触をしなくなったのでな。相変わらず強固な結界に阻まれ、魔人族全体で鬱憤が爆発しそうな状態なのだ」
「それで、なぜ俺に接触する?」
「それは……」
フェゴールは痩せた頬を人差し指で掻きつつ、一二三の顔色を窺う。
「エルフの森を抜け、単身ここまで辿り着いた力と、方法について聞きたい。そして、我々に協力を頼みたい、と思ったのだ」
「人間とも敵対しているのではないのか?」
「本来はそうなのだが……」
深い溜息を吐いたフェゴールは、首を振る。
「今は、我々をこの地に封じ込めているエルフに対する憎悪の意見の方が圧倒的に大きい。長い期間、人間との接触が薄かったせいもあるだろうが、敵が明確でも戦うことすらできないというのは、思ったより鬱憤が溜まるものなのだ」
「わかる!」
急に大声を出した一二三にびっくりしたフェゴールは、満面の笑みを浮かべる一二三にまた驚いた。
「やっぱり、敵とわかったら戦って白黒つけないと気がすまないよな! 殺す事も殺される事も無い、ただ分けられただけで睨み合いなんてのは、つまらない!」
それから先、魔人族の町へ着くまでは一二三の独擅場だった。
「別に殺し合いだけが優劣の基準とは言わないが、頭を使った策略でも時間をかけた罠でも何でもいいから、対立したならとことんまでやり合うべきだ。壁を挟んで休戦するにしても、その期間は次の争いへの準備段階とするのは当然だ」
想定外に乗り気でいる一二三に、フェゴールは質問を向けた。
「人間というのは、皆そのような考えなのだろうか?」
だとすれば、魔人族がエルフが突破したところで、人間との戦いで非常に不利な状態からの始まりになるのではないか、とフェゴールは不安を覚えていた。
だが、それはあっさりと否定される。
「残念だが、こう考えている奴はそう多くないだろうな。いや、かなり少ないだろうな」
今までの経験からの話だが、と一二三はつまらなそうに呟いた。
「だから、魔人族がそういう部分まで考えて、計画的に事を進めようとしているのはとても良い事だ。人間がそれを知れば、より多くの人間が自分たちの敵や戦いについて考えるようになるだろう。まあ、一部の地域はそれなりに準備をしているだろうが」
フェゴールは付け足したように言われた“一部の地域”というのが気になったが、一二三が興奮気味に話しているのに口を挟むことができない。
「それで、お前ら魔人族は取りあえずはエルフの結界を突破して、それからどうするつもりなんだ?」
「具体的には、まだ何も決まっていないが、私としてはエルフのいる土地を奪い取ったところで、魔人族としての覇権を広げるために一度情報を収集し直して、方針を決めるべきだと考えている。今の君の話を聞いて、より強くそう思った」
この慎重論について、一二三は特に何も言わなかった。
フェゴールとしてはもっと急進的な事を言っているのでは、と考えていたが、取りあえずは受け入れられたのだろうと判断することにした。
「それで、人間よ。君にお願いしたいのは、戦力としてもだが、人間やエルフの情報をできるだけ教えて欲しい。我々が一番欲しているのは、何より外の情報なのだ」
魔人族の町。遠くから見えていた塀は、高さが四メートル程もあり、丁寧に削り出された石が複雑に積み重なった構造をしている。
興味深げに見上げていた一二三に、フェゴールが説明をしてくれた。
「魔物は昼夜問わず私たちを襲いにくるからな。魔人族と言っても、戦う力を持たない者もいる。そのために、以前の世代の人々が必死でこの壁を造り上げたそうだ」
塀の上には見張りが巡回し、各所にある櫓には、飛行するタイプの魔物が来ないか見張るための要員も常駐している、と説明した。
どこか自慢げに語るフェゴールに、一二三は軽く頷くだけだった。
「フェゴールだ。彼は客人なので、その旨通達を回すように」
門番と思しき人物に声をかけ、人が二人並んで通るのがやっとというくらいに狭い通用門を潜る。
門番は目を丸くして一二三を見ていたが、特に何も言わなかった。
「通常、魔物への対応以外で人が出入りすることはあまり無いのでな」
大門が別にあるのだが、多くの兵が一度に出入りする時以外は、徒歩用の門と馬車用の門のみ使用するらしい。
「返答をしていないのに、町の中に人間を入れていいのか?」
「……まずは、私よりも王の話を聞いてもらいたい。王は私などより余程聡明で、魔人族の前途についても深く考えておられる。それから、判断してもらいたいのだが」
「王、な」
一二三の脳裏に、自分が殺したオーソングランデやソードランテの王、対して友好的であったホーラントの王の顔が浮かぶ。
(まあ、上がダメでも下が多少はマシなら、やりようはある)
フェゴールの顔を見てから、一二三は頷いた。
「わかった。会おう」
「では、案内しよう」
☺☻☺
ザンガーは、一二三が通り抜けるための数分間で精神をすり減らし、元通りに結界を修復した時点でその場に倒れた。
「ざ、ザンガー様!」
「いやだねぇ……すっかり衰えちゃって、恥ずかしいったらありゃしない」
ヒャッヒャッと笑ったザンガーは、よいしょ、と言いながら座り直すと、その場にいるエルフたち全員に告げた。
「もうあまり時間が無いから、簡単に言うんだけれどね」
誰かがゴクリと喉を鳴らした。
「あたしはこの森を出るよ。何人かは、ついてくるだろうね」
あんたたちも好きにすると良い、とザンガーが言うと、エルフたちは口々に疑問をぶつけて来た。
混ざり合って騒音にしか聞こえない声を、ザンガーは右手をひらひらと振って抑えた。
「みんなに集まるように言っているから、そこでちゃあんと説明するよ。結界も、あたしがちょっと頑張ったからね、しばらくは大丈夫さ。それより、ちょっと立ち上がるのを手伝ってもらえないかい?」
二人に腕を抱えられて立ち上がったザンガーは、杖をついて歩き始めた。
「さあ、おいで。森のエルフの終わりを決めなくちゃいけないんだよ。あんたたちも、ちゃんと見届けな」
立ち上がるのも苦労した老婆とは思えないほど、さっさと歩いて出て行くザンガーを、エルフたちは慌てて追いかけた。
そして、開かれたエルフたちの会合の中でザンガーとプーセが語ったエルフの最期について、最初は誰もが信じられないという反応を示した。
その反応に、当然だと思ったザンガーは、祖母を見捨てた自分の経験を語った。続いて、プーセも一二三と共に出会った老人について話した。
すると、数名のエルフが恐る恐る、掟を破って親族や知り合いの死に様を見てしまった事を語り、中には恐怖や後悔で泣き出す者もいた。
「ああ、やっぱりねぇ……」
「ど、どうしましょう」
予想通りの混乱具合に、ザンガーはつい笑ってしまうが、プーセは不安で仕方がないという様子だ。
「まあ、別にみんな一緒じゃなくてもいいのさ」
ザンガーの言葉に、全員の視線が集まる。
「森が原因という話だって、どうしても信じられないってのもいるだろうさ。別に残りたいなら、それを強要するつもりもないのさ。指導者だなんだと言われても、結局あたしは、怖くなって逃げ出すだけなんだから」
無責任な発言をするザンガーに、睨むような視線を向ける者もいる。
「でもね、問題はそれだけじゃないと思うんだけどねぇ」
ザンガーはため息と共に、魔人族がいる方を向いた。
「あの人間さんは、きっと魔人族を連れて出てくるよ。それまでに、あたしたちもどうするか覚悟を決める必要があるね」
「えっ? 連れてくるんですか?」
「一二三さんと言ったね。あの男は、自分の中に明確な基準があって、魔人族とエルフ族が争えば面白いと判断すればそれを狙うだろうね」
「でも、それで誰が得するんですか? 魔人族が結界を超えて出てきたら、人間だって襲われるんじゃ……」
プーセが理解できずにいると、ザンガーはその頭をそっと撫でた。
「きっと、個人の得とか損なんて見てないんじゃないかねぇ。もっともっと大きくて遠いものを見ているような、そんな目をしていたよ」
あたしが八十歳くらい若かったら、惹かれていたかもしれないねぇ、と呟いたザンガーに対し、プーセは反応に困った。
☺☻☺
フェゴールに連れられて姿を見せた人間に街の人々は動揺していたが、遠巻きに見ているくらいで、話しかけてくる者などはいなかった。
一人を除いて。
「フェゴール! なんだそいつは!」
いきなり怒鳴りつけてきたのは、一二三も見たことがある大男だった。
町を外から見ていた時に、長剣を振り回して魔物の群れをなぎ払っていた男だ。
「ベレト、彼は王の客人だ。無礼な真似は控えろ」
冷静に返したフェゴールを、ベレトは鼻で笑った。
「はっ! 王の補佐官殿はろくに打開策も出せずに、とうとう人間にまで頼るところまで堕ちたか!」
大柄な身体に見合う大きな声だったが、フェゴールは慣れているようで、特に気後れした様子も見せない。
「貴様のように力押しでどうにかなる状況ではないというのが判らないというのであれば、何も言うことはない。愚直であることを美徳だと思うのなら、一人でそうしていれば良いのだ」
一歩も引かずに、頭二つ分は背の高いベレトに対して言い放ったフェゴールに、さらに一人の女性が近づいてきた。
「あらあら、どうしたの二人共」
身長は一二三と同じくらいだろうか。女性は魔人族だとすぐに判るエルフ同様の長い耳に、薄いグレーの肌をした美女だった。水色に近い青の髪に、同じ青の瞳を持ち、豊かな胸を強調するようなスリットが入ったローブに、高いヒールのブーツを履いている。
「ウェパルか」
フェゴールが明らかに面倒臭いという顔をしたが、ウェパルという女性は完全に無視して、一二三の方を向いた。
「あら、人間がこの町にいるなんて、珍しい……んん?」
ベレトとフェゴールの会話も無視して、魔人族たちの街の様子を見ていた一二三は、ウェパルの様子を無感動に見ていた。
ウェパルはすっと一二三の前に近づき、その顔をまじまじと見る。
「あなた……なんて目をしてるのよ。それに……」
真顔でじっと顔を見つめていたウェパルは、素早く一二三の隣に並ぶと、左腕を抱きしめようとして、逃げられた。
「あんっ、素早い! 人間なのに身体能力も高いのね。興味深いわぁ」
「敵対するような感じじゃないが……なんだ、お前」
一二三が細めた目で油断なく見てくるのを受けて、ウェパルは腕を組んで胸を押し上げるような格好で身体を震わせた。
「その目、イイわね!」
一二三はウェパルを指差し、フェゴールを見る。
フェゴールは一二三に「すまない」と小さく頭を下げた。
「あれでも魔人族の中では上位に位置する軍人なのだ……あとでよく言い聞かせておく」
「ウェパル! お前!」
隙あらば一二三に擦り寄ろうとしているウェパルに、ベレトが汗をかきながら吠えた。
「あら、何か用かしら? 私は今忙しいのだけれど?」
「忙しい、だと!? 人間ごときに擦り寄るのが、そんなに楽しいか!」
「“ごとき”なんて言える程、貴方は人間より偉いのかしら?」
挑発するように指さされたベレトは、顔を紅潮させて、湯気が上がりそうなほど熱くなっている。
「少なくとも、こんなチビ程度片手で殺せる!」
「そうかしら?」
首を傾げたウェパルは、一二三を流し目で見た。
「私には、彼の方が強くて、ずっと危険な匂いを感じるのだけれど」
ベレトは怒りの視線を一二三に向けた。
一二三は、黙っている。
「ベレト。さっきも言ったが、彼は王の客人だ」
「……チッ! フェゴール、こいつが何か仕出かしたら、直ぐに俺を呼べ!」
がに股で、肩をいからせながらのしのしと歩いて行くベレトに、ウェパルは舌を出した。
「粗野な男は嫌い。それより、フェゴール。彼と王様の所へ行くのでしょう? 私もついて行くから」
「……余計な事はするなよ」
一言だけ釘を刺したフェゴールは、一二三に声をかけて再び歩き始めた。
その後ろを、一二三とウェパルが並んで歩く。
「……ベレトって、変なところで冷静なのよね」
「そうだな。実に残念だ」
「あら、魔人族の街のど真ん中で魔人族相手に手を出すつもりだったの?」
わざとらしく驚いて見せたウェパルに、一二三は目線だけを向けた。
「それが、何か関係あるか?」
ウェパルの背筋を寒いものが走り、ゾクリと身体を震わせたが、その口は微笑んでいた。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。