株式会社 夢の国
午前4時、舞浜の駅前に白いバンが停まる。
数人の若者がぞろぞろと降りてきて、無言のままスタッフ専用口から施設内へと消えていった。佐伯仁は、裏方スタッフとして働く28歳の契約社員だ。着ぐるみの中に入る、いわゆる“キャラクター要員”。ただし、彼が担当するのはミッキーでもミニーでもない──独自開発されたオリジナルキャラ“マネーマウス”だった。
“夢の国”は最近、資本主義へのリスペクトを前面に出した「投資と収益の冒険ランド」へと方針転換していた。メインテーマは“遊びながら経済を学ぼう”。株価を模したジェットコースター、ガチャで「富と運命の格差」を体験するブース、フードコートでは現金禁止・独自通貨制が導入されていた。
「仁さん、今日のグリーティング、例の“富豪ゾーン”っす」
後輩が声をかける。“富豪ゾーン”とは、入園料15万円のVIP専用エリア。裏では“使い捨てスタッフ”が、猛暑の中で汗だくになりながらVIPの笑顔を演出していた。同じパーク内、しかし完全に区切られた場所に、「貢献者専用ラウンジ」がある。企業の会長や大手広告代理店の重役たちが、空調の効いた室内でワインを片手に談笑する。その一角に、小倉直哉の姿があった。小倉は元大手証券マン。今はランドのコンサルティング部門で幹部として働いている。「夢の国を“最先端の資本主義のテーマパーク”に変える」というプロジェクトの中心人物だ。
「いやあ、今のディズニーは“知育より投資育”ですよ。人生の勝者を育てるんです」
笑う小倉の隣で、広報担当が言う。
「新しい広告案ですが、こんなキャッチコピーはどうでしょう。“夢を見るには、まず稼げ”」
二人は声を上げて笑った。
午前10時、通常のゲートから続々と入園してくる一般客たち。入園料はスタンダードで1万2千円。だが、それだけでは何もできない。パーク内のアトラクションは“グレードポイント”制。高級ホテルに泊まるとポイントが増え、ショッピングで課金するとVIPアトラクションに乗れる。つまり、ランド内ですら“金を持つ者”だけが遊べるのだ。“労働体験型アトラクション”では、子供たちがパン工場や投資会社を模した施設で働き、ポイントを得る。だが、家庭が課金していれば働かなくてよい。仁はマネーマウスのスーツの中から、その様子を見ていた。笑顔の子どもたちの中には、表情を失った少年少女も混じっていた。
「パパ、うちはなんで“働かないでいい”の?」
「うちは“勝ち組”だからだよ」
どこかで聞こえた親の声。仁は汗の中で、吐き気をこらえていた。
午後3時。パーク裏のメンテナンス用通路を、警備員が担架を押していた。仁はその様子を遠目に見た。中に横たわっていたのは、パーク内の清掃員をしていた大学生アルバイトだった。熱中症──という名目。だが、仁は知っていた。この裏で働くスタッフには、「冷房休憩なし」「水も自費」という規則が暗黙で存在していることを。
「夢を売るには、地獄を見せろ」
それが上層部のスローガンだった。
パークの全域には顔認証とAIによる“顧客満足度スコア”システムが導入されていた。
客の表情・動線・課金傾向を分析し、スタッフの笑顔や動作の“パフォーマンス評価”に反映する。仁のマネーマウスも、“うまく子どもを笑わせた回数”でボーナスが決まる。
だが、ある日。仁の評価画面に「要注意マーク」が表示される。
─“反資本主義的態度あり。監視対象。”
理由は、笑顔が足りない、踊りが雑、子どもに「無理するな」と声をかけた、など。
「……は?」
仁は絶句した。
そんなある日、SNSにひとつの動画が投稿される。
「ディズニーランドで“貧乏人の子ども”が差別される瞬間」と題された、アトラクション前でVIP専用レーンに弾かれる男児の動画だった。
瞬く間に炎上。
だが、公式は「当パークは資本主義の学びの場です」と真顔で返した。逆にファン層は熱狂。
「これこそ本物のエンタメだ!」
「ガチの格差社会体験型ランド!」
「日本版イーロン・マスク降臨!」
小倉の評価はさらに上昇した。
一方、仁は考えていた。
「……やるしかない」
その日、パーク内では年に一度の“グローバル資本主義カーニバル”が開催される。
世界中の経営者、富裕層、その子弟が集まる夢の一大イベント。VIPゾーンでは仮面をつけた上級ゲストたちが、テーマに沿ったパフォーマンスを鑑賞することになっていた。
「マネーマウスによる“本物の投資ゲーム”ショーを予定しています」
企画をプレゼンする仁。
小倉は興味深げに言った。
「君にしては面白い案だ。客に損させず、夢だけ見せろ。理解してるな?」
「もちろんです」
その目は、仮面の奥で濁っていた。
ショー当日。豪華なステージに登場した“マネーマウス”──中にいるのは、もちろん仁。司会が紹介する。
「皆さま! 今日は“リアル投資体験”として、ここでランダムに選ばれた一般人を対象に、あなたが投資するか否かを選んでいただきます!」
スタッフが用意したのは、「今月の生活費がギリギリのシングルマザー」「借金を抱えた元経営者」などの実在するパーク従業員たち。名前は伏せられ、顔は仮面をつけさせられたまま、“商品”として並べられた。
「投資すれば救えます。見捨てれば消えます。あなたの価値観が問われる、リアル・キャピタリズム!」
客席は歓声に包まれる。
「これ、本物ですか?」
「やば、超楽しい!」
投資額はスマホで決済でき、最も多く“救われた”対象は、後日インフルエンサーとして紹介される“夢の国サクセスストーリー”に出演する特典付き。だが仁の意図は別にあった。
ステージの裏で、仁はスタッフ用の通信を遮断し、録画データを別サーバーに転送していた。
「これでいい……これで全部“本物”になった」
そのとき、会場の大型スクリーンが切り替わる。映し出されたのは、数日前に亡くなった清掃アルバイトの青年の遺書。そして、隠し撮りされたVIP上層部による冷笑、スタッフ虐待の映像。
ザワつく客席。
「これは……演出か?」
「違う、本物だ」
最後にスクリーンが真っ黒になり、赤い文字が浮かぶ。
“あなたが払った金は、誰かの死に繋がっている”
その瞬間、パーク内の電源が一斉に落ちた。
「お客様にお知らせいたします。ただいまシステムトラブルが──」
園内放送がパニックに変わる。笑っていた仮面たちが、次々に怒号を上げて叫び出す。
「金を返せ!」
「これは詐欺だ!」
誰もが投資という名の“娯楽”を、現実と混同しはじめる。仁は、その混乱の中心で踊るマネーマウスのまま、静かに立ち尽くしていた。
翌日、ネットニュースは騒然としていた。
「夢の国、“資本主義の見世物”として炎上」
「ショーの参加者は実在、倫理的問題に波紋」
「マネーマウスの中の人物は逃亡中、身元不明」
一方で、一部の若者たちは声を上げた。
「これは本物のエンタメだった」
「俺もマネーマウスになる」
「真実の暴露に感謝する」
本作『株式会社夢の国』は、夢と娯楽の象徴であるテーマパークという装置を用いながら、現代社会における資本主義の構造そのものを描こうと試みた物語です。
舞台は“夢の国”。しかしそこでは、夢は無償では与えられません。課金、ポイント、評価、スコア──あらゆるものが数値化され、可視化され、格付けされる世界です。金を持つ者は優遇され、持たざる者は「努力」という名の体験を与えられる。そこでは格差は隠されるどころか、むしろ「学び」や「エンタメ」として演出されます。
本作で描いたのは、極端な未来ではありません。私たちはすでに、日常の中で似た構造を受け入れています。評価経済、SNSの承認欲求、投資至上主義、効率と成果の崇拝──それらは静かに、しかし確実に価値観を再編しています。
作中で掲げられたスローガン──「夢を見るには、まず稼げ」──は誇張ではありますが、完全な虚構でもありません。夢が市場に組み込まれ、希望さえも商品になる社会。その中で、人間の尊厳はどこに位置づけられるのか。それが本作の中心的な問いです。
佐伯仁は反逆者のように見えます。しかし、物語の最後で明らかになるように、彼の「革命」すらも資本の回路に回収されてしまう。ここに本作の核心があります。
資本主義は、反資本主義さえ商品化する。
炎上も、怒りも、正義も、消費される。搾取を告発する行為さえ、マーケティングに転化される。では、そこから本当に抜け出すことは可能なのか。
本作は明確な解決策を提示しません。むしろ、読者自身に問いを返すために終幕します。
あなたが払った金は、誰かの死に繋がっているかもしれない。
この一文は作中の演出であると同時に、読者への問いかけです。私たちは日々、どこかの労働、どこかの犠牲の上に成り立つ商品やサービスを消費しています。それを知ったうえで、それでもなお参加するのか。あるいは、別の選択を模索するのか。
“夢の国”は遠い場所ではありません。それは、企業化された社会そのものです。そして私たちは、スタッフであり、顧客であり、投資家であり、観客でもある。
最後に。
本作が単なる風刺や皮肉で終わらず、読者にとって自らの立ち位置を再考する契機となることを願っています。資本主義を全面否定するのではなく、その構造を理解したうえで、どのように向き合うかを考えるための物語です。
夢は、本当に“売る”ものなのでしょうか。
それとも、守るべきものなのでしょうか。
その答えは、ページを閉じたあとの、あなたの生活の中にあります。




