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第六話 2027年 秋

「私と、いや私たちと透花先生の出会いは、こんな感じだったと思います」


 全員に視線を配りながらそう言って、目の前に置かれているコップに手を伸ばした。まだ熱を持っている。息を吹きかけてからゆっくりと啜り、喉を潤した。私は、元々口数が多いタイプではないから、日頃こんなに短時間に喉や口を動かすことはない。少し、疲れた。


「名取……美優さん」


 ラナンキュラスの花が置かれていた机の主。校長が彼女の名前をぽつりと呟くと、その言葉に被せるように「不慮の事故にあった」と教頭が眉間にしわを寄せた。瞬間、私は自分の顔が引きつるのが分かった。


「事故……?」


 思わずそう問いかけた。すると教頭は徐ろに顔を持ち上げ、「確か」と宙をみた。


「彼女が事故にあったのは、高校二年の二学期だったでしょうか?」


 教頭に問いかけられ、平井先生はちいさく頷いた。


「休み時間の間に、窓に張り付いていたナメクジをふざけて口にした。運が悪いことにそのナメクジは寄生虫に感染していて、名取さんは広東住血線虫症かんとんじゅうけつせんちゅうしょうを発症。今も植物状態にある」

「あれは我が校の長い歴史でみても、とても痛ましい事故でした」


 眉間に深い皺を寄せた校長は、やりきれないというように顔をしかませた。私はそれをみながら、ふざけるな、と舌を噛んだ。歯の裏でぎりぎりと自分の舌を痛めつける。痛みを十分に摂取してから、ふっと力を緩めた。


「名取さんの、いえ美優のあの件は事故だとまだお思いですか?」


 校長に問いかけた。


「ええ。あの件に関しては生徒たちにヒアリングを済ませたうえで、第三者委員会にも調査を依頼しました。そのうえでこの結論に至っているので、あれは事故だった。学校側としては、そう認識しております」

「……そうですか。なら、いいです」

「何ですか?」


 私の横に座っている平井先生が間髪入れずにそう口にしたが文脈を掴めず、えっ?、と聞き返した。


「いや、さっきの古宮さんの反応ですよ。そうですか、ならいいですって何か不服そうに聞こえますけど。それに、失礼ですよ。僕なんかには言いですけど、せめて校長には敬意を持って接して下さい」

「接していますよ」

「そうでしょうか? 僕にはそう感じられませんでしたけどね。教頭はどう感じましたか?」


 二つの視線が同時に向けられたことで教頭は、あー、えー、などと言葉にもならないようなものを溢し、ようやく喋ったかと思えば「古宮さん、ではもう少しだけ敬意を持って頂けますか?」と当たり障りのないような腐りきった笑顔を向けられた。それを黙って聞いている校長は校長で、さっきは平井先生が声を荒げた時に注意はしてくれたのに、こと自分の事となると場を宥めようとする素振りは一切なかった。俺の位ならば、こいつらの言う通り敬意を持ってもらって当然だとでも思っているのだろうか。舌を噛んだ。強く、強く。微かに血の味が口の中に広がった。教頭に、校長に、学年主任。この学校のトップの位置にいるこいつらが、この体たらく。もう、駄目だなこいつらは。心からそう思った。けれど、このままでは(らち)が明かない。私が折れなければ、話は一向に進まない。だから、「すみませんでした」と頭を下げた。


「少し配慮に欠けていたかもしれません。これからは、敬意を持って接しさせて頂きます」


 順に視線を配りながらそう続けた。すると、「あら、急に素直だな。まあでも、分かればいいんですよ。分かれば」と気色の悪い平井先生の声が応接室を満たした。


「美優の件は、とりあえず今は大丈夫です。それは、もっと先の話ですから。今日の本題は透花先生のこと。そうでしたよね?」


 問いかけると校長はちいさく頷き、革製のソファに深く腰掛けた。私もそれに続く。少しだけ腰を浮かせ、ソファに座り直した。


「高校最後の年の担任が、あんなに綺麗で素敵な人だなんて、と新学期が始まったあの日は皆がそう思ったのだと思います」

「ええ」


 校長が相槌を打ってくれる。


「人と人との出会いは最初が肝心。なんて良く言われますけど、関係が深くなってからその人の心の奥底がみえてしまったり、最初の印象とは真逆の印象を持ってしまうことってよくあると思うんです」

「分かります。人の裏側がみえてしまう瞬間ですよね」

「はい。でも、透花先生は違いました。いや、むしろ知れば知るほどに透花先生という人を好きになるというか、もっとこの人を知りたい、私自身のことも知ってもらいたい、という気持ちが強くなるんです。そういう気持ちにさせるのは、透花先生の見た目が美しいからなのか、海のように寛大で優しい心に惹かれてなのか、それは分かりません。でも、その年の蝉が産声をあげた頃には、私達全員が透花先生のことを実の姉のように慕っていました」


 大袈裟ではなく、事実だった。生徒と先生。その関係が大前提にあるのは当たり前だが、透花先生と出会って数ヶ月が立つ頃には、親しみを込めて「透花っち」や「透花さん」などとクラスの半数が呼び始め、その日にあった出来事や悩みを打ち明ける者まで現れるようになっていた。


「いつだったか、隣のクラスの子に言われた事があります。透花先生が担任で羨ましいって。いつも笑い声が聴こえてくるし、ほんとに楽しそうだねって」

「……その噂は、職員室でも広まっていました」


 校長がコップを手にしたまま、ぽつりと呟いた。


「でも、私達だってずっと遊んでいた訳ではないんです。透花先生は人として完璧でしたが、先生としても完璧でした。世界史なんて小難しい外国の話ばっかりだし寝るのが当たり前みたいな、まあこれは私達生徒の常識だったんですけど、透花先生の授業は凄く分かりやすくてずっと聞いていられました。成績だって一年前とは比べものにならないくらいに上がった子が大勢いました」

「ええ」

「それに、透花先生は心のケアまでしてくれた。ある日、授業中に突然泣き出してしまった子がいました。その子は、前日に彼氏にひどい振られ方をしたみたいで、自分なりにどうにか授業に集中しようとは思っていたみたいなんですけど、感情の処理が出来なかったみたいで」

「はい」

「透花先生はどうしたと思います?」


 問いかけると、全員が首をひねった。


「透過先生はその日、白のノースリーブをきていました。服の先から出ている肌は新雪のように白くて、なのに髪の毛は凄く綺麗な黒で、そんな透花先生は何も聞かずゆっくりとその子の元へと歩いていきました。机の前で腰を下ろし、ただその子を抱きしめたんです。一言も発することなく、その子が泣き止むまでずっとです」

「事情も、知らずにですか?」

「ええ。その子が事情を話したのは泣き止んでしばらく経ってからなんで、あの時の透花先生は何故その子が泣いているのか、授業中にどう対応するべきか、そんな疑問や考えを一切持っていなかったのだと思います。ただ、慰めてあげたい。だから、何も言わず抱きしめた。何分も、何十分も。私達は、その二人の姿をただ見守っていました。まるで聖書に出てくるマリア様と少女をみているかのようで、感情移入して泣き出してしまう子もいました」 

「……そうでしたか」

「先生でありながらも、時として姉のように親しみやすく、時として母のように温かい。私達は透花先生のことを心から好きになっていきました。学園祭の時には企画から当日の設営まで誰よりも動いていたのは透花先生でしたし、体育祭の時なんてクラス対抗リレーで私達が優勝した時、泣き崩れたんですよ。子供みたいに声を上げて泣いて、メイクも崩れてるのにそれも一切気にしてなくて、ただ私達一人一人を抱きしめながら、ありがとう、ありがとう、ってそう言ったんです」


 言いながら、目の奥が熱くなってきた。その年になってから私達のクラスの一員になった涼葉はバスケ部のエースで、足も早かった。涼葉はアンカーを任されており、私はそのバトンを渡す役目だった。序盤から続いた接戦は終盤までもつれ込み、私が涼葉にバトンを渡した時には、タッチの差で三位だった。だが、涼葉は本当に足が早かった。最終コーナーに差し掛かる前に一人抜き、そして最後の直線でトップに踊り出た。そして身体一つ分だけ早く涼葉がゴールテープを切ったその瞬間、皆が歓喜の声をあげた。抱きしめ合い、泣いて喜んだ。透花先生が地面にしゃがみ込んでいることに気付いたのは、その後だった。顔は手で覆っていたがすぐに分かった。その手の隙間から嗚咽が漏れていたから。新雪のように白く細い首筋を、透明な液体が何度も伝っていた。


「私は、その姿をみてこう思いました。ああ、この人が担任で良かったって。どうしてもっと早く出会えなかったんだろうって。私だけではなく、皆がそう思っていたのだと思います。いつか、透花先生のようになりたい。同じ女性として、そんな憧れを抱いていたようにも思います。でも、私たちが思い描いていた透花先生の像は、あの日一瞬にして崩れ去りました」

「いよいよですか」


 平井先生が私の目をみながらそう言った。


「はい。あの日の空は灰色に染まっていて、肌に触れる風はつめたくて、その年の初雪が降った日でした。白く、真綿のようなちいさな塊が空から舞い落ちる中、最初のお題が出題されました」


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