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第三話 2026年 春

 桜の花びらが舞い落ちる、微かな澄んだ音が聴こえた気がした。それはまるで、なみなみに満たしたコップの中へと一滴の水滴が落ちたみたいな、水の揺らいだ音のようだった。


 思わず目を向けると、校門に差し掛かる少し手前に植えられていた桜から一枚の花びらがふわりひらりと空を舞い、私の手のひらへと舞い落ちてきた。

つめたい。春の柔らかな風に揺られながらも、確かに私の手のひらに存在するその花びらからは確かにそう感じた。


「小夜、おっはよ! 何見てんの?」


 途端に後ろから抱きつかれたものだから、思わずわっ、と声を出してしまった。鼻腔の奥へと届いてくるこの甘い匂いと声から、振り返らなくても誰かは分かった。


「ねぇ、突然そのぎゅっとしてくんのやめてよ。毎回心臓に悪いんだけど」


 私の肩の上にちょこんと頭を乗せながら子供のようなあどけない笑みを溢したのは、春川理沙(はるかわりさ)という名の、私の中学からの同級生で一番の親友だ。身長は168cmもありスタイルが良く、大きな目が特徴的な彼女は、いつも登校するだけだというのにばっちりメイクしてくる。おまけに甘ったるい香水の匂いをいつも身体の周りに纏っており、私はいつもそれを嗅ぐとくしゃみが出そうになっていた。思わず腕を持ち上げ指先で鼻を擦ると、理沙が慌てたように言う。


「あっ小夜はこの匂いあんまり好きじゃないんだよね? ごめんってば。いや、普通に小夜が何見てたか気になっただけ」


 あー、と言いながら私は手のひらに目を向けた。だが、そこにはもう何も無かった。


「あれ、さっきまで」

「さっきまで何?」

「桜の花びらが落ちてきてさ、あっ違う違う。桜の花びらが舞い落ちてくる音が聴こえたから桜をみたら花びらが落ちてきたんだ」

「花びらが舞い落ちる、音?」


 理沙は怪訝(けげん)そうな表情を浮かべている。


「うん。でも、理沙が急に抱きついてくるから風に乗ってどっかいっちゃった」

「ふーん。なんかさ、今さらだけど小夜ってほんとに変わってるよね」

「そうかな」

「そうだよ。さっきなんか校門の前でぼんやり手のひら見つめてたし完全に変質者じゃん」


 変質者。そうか、私は人からみたら変質者のようにみえるのか。と、妙に納得した気もしたが、一番の親友にぐさりと心に刺を刺され、曖昧に笑った時だった。なんかついてるよ、と理沙の手が私の頭へと伸びてくる。


「ほら、これ」


 広げられた手のひらには桜の花びらがのっていた。


「あっこれかも」

「うん。風に乗って小夜の頭についたのかもね。どうする? つけっぱなしにしとく? 小夜、より可愛くみえるかもよ」


 理沙は言いながら、悪戯な笑みを浮かべた。


「新学期早々そんなバカみたいな格好嫌なんですけど」

「まあ、だよね。ちょっと前髪切った?」


 問われ、私は前髪を指先で触りながら「うん、ちょっとだけね」と答えた。目の少し上辺りで切り揃えていた前髪が少し伸びてきた気がしたから自分で切ったのだ。横や後ろにはレイヤーを入れ、少し前に美容院で春らしく軽い髪型にしてもらった。


「その方がいいよ。小夜ってさ、目大きっくて綺麗だしより強調されてる感ある」


 言いながら、理沙は(おもむ)ろにポケットから携帯を取り出した。それを自分の顔に向け、流した前髪を指先で整えている。私の前髪の話をしながら、既に意識は自分のそれに向いているようだった。


「良かった。新学期だしね。気分変えたくて」


 曖昧に笑みを浮かべた。


「分かる。私も前髪切ってきたら良かったなぁ。今日って新しい子も私達のクラスにくるよね。メイクよれたりしてない? ってかさ、担任誰なんだろ? だるい人だったら嫌だね。もういこ?」


 矢継ぎ早に言われ、私が言葉を返す間もなく理沙に手を引かれ私は校舎の中へと足を踏み入れた。花梨女子高等学校。五年前に出来た改築したばかりだというその校舎のコンクリートは陽の光を弾く程に真新しく、その名の通りこの学校は女子高だ。偏差値が高いこともさることながら、制服がかわいいという事でこの辺りでは有名な高校だった。ワンピーススタイルの純白の制服で、腰には焦げ茶色のベルトを巻く為に細くみえるから嬉しいと生徒からの評判も良かった。


──ねぇ、小夜。ここの制服すっごく可愛くてさ、一緒にここいこうよ。


 中学の時、満面の笑みを向けながら理沙にそう言われ、私はこの高校を受験した。本当は別の高校が私の第一志望だったのけれど、理沙に言われるがまま私は進路指導の際にこの高校の名前を口にしていた。幸いなことに私も理沙も合格ラインにまで偏差値は達しており、二人揃ってこの高校に合格しただけでも手を取り合って喜んでいた私達だったが、同じクラスだと分かった時には泣きながら抱擁した。あれから二年が経ち、私達は高校最後の学年を迎えようとしていた。

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