へんな風邪をひきました
天災がそうであるように、風邪もまた忘れたころにやってくるものである。
2月4日の夕方、あー節分の売り場を片付けるのはくたびれるなあと思いながら仕事終わりに車で家路を急いでいたその時、乾いた咳がひとつ出た。それが今回の風邪の始まりだった。
大抵私の風邪とは喉が痛いところから始まる。だから油断したのか。喉の痛みを覚えないがゆえに、その日は夕飯も普通に食べ、普通に風呂に入り普通に寝た。その間、いつもはない咳がコンコンと、1時間に2回、3回と増えていった。
2月5日未明。予兆を見過ごされた私の風邪は唐突に炸裂した。
「あぁっ!?あいてててて……!」
身体が攣った。こむら返りの1度2度は経験があるが、今回なんと背中が攣った。背骨のすぐ右側が腰の上の部分から肩甲骨を掠めて首の近くまで一斉にバチィン!!と攣ったのだ。早朝3時、ひとりで布団のなかで悶絶した。
開いた奈落の入り口にフリーフォールで入っていってしまう暇庭。攣ったのは背中で終わらなかった。背中から少し間を空けて右の首すじも攣る。擦ろうと右手を首に回そうとして今度は右鎖骨のあたりから胸の真ん中へ伸びている筋がバチィン!となった。混乱しながら痛みで涙が出た。痛くて泣いたのは久しぶりかもしれない。
余りにも痛くて寒気がしてきた。……寒気?
意識した瞬間、私は全身の骨の奥から、ぶるぶると震え始めた。寒い。布団の外へ体温が直にすり抜けていっているような感覚がした。
その震えのひどいことといったらない。私の寝ているベッドが私の震えを受けて小刻みに揺れ、床と接するベッドの足からキチキチキチキチ……と音がするくらいひどい。なんだこれ。人生初の身体の異常だった。
右半身が次々と攣った痛みのせいで呼吸がうまくできない。異常な寒さに震えながら少しだけでも呼吸の楽な体勢を探してジリジリとゆっくり寝返りを打とうとしたその時。
「うー!ぅー……!」
今度は左太ももが攣った。こむら返りではない。こむら返りはあの嫌な3秒くらいの予告があるはずなのに今回は完全に不意打ちだ。到底こらえきれない。4カ所目の攣った痛みで泣く。枕に涙と鼻水が容赦なく垂れて、ティッシュを取りたいけれど右手を動かそうとすると右背中の攣ったぶんがぶり返してまた泣く。左手……動くか。ゆっくりだ、今度こそ攣らないようにゆっくり力をかけて、負荷を抑えてゆっくりーーーー。
「うー……っ!ぶしゅー、じゅる、しゅ、しゅ、しゅーっ……ぶしゅー、しゅ、しゅー、じゅる」
激痛。5度目。左側の腹筋がぐりぐりと強く縮むのを動かし損なった左腕に感じる。みぞおちの左側だった。漏れる声はもう意味をなさない。息を吸う、吐くだけのことがこなせない。鼻水を拭うだけの動作が出来ない。痛くて痛くて寒くて寒くて、こま切れになった呼吸と一緒に鼻水が惨めな汚い音を出す。
動けない。ここから指1つも動かせない。
痛いと寒いを闇のなかで繰り返して、そんな状態で眠れるわけがないので1度痛みで失神したと思う。ここに1度記憶の断絶がある。
「……はっ、はー、すー、は、はっ、すはっ」
痛い全身と寒さ、耳障りな不規則な自分の呼吸音で目覚めた。さっきまでかいていなかった汗をどっとかいている。気絶していたのは数十分くらいだろうか。たまたま私の目線の先にあった目覚まし時計は、午前4時を指していた。
正常な思考はもうこの時刻の暇庭の脳みそにはない。スマホで仕事休む連絡をいれるとしたら、壊れたようにあちこち攣る身体をどう動かしてスマホをとろうとか変なことばかり考えていた。そうして相変わらず寒く、痛く、呼吸がしづらい。
そういうどうでもいい感覚と思考のノイズの中、もしもこのまま夜明けを迎えられなかったら……とまたもどうでもいい考えが頭をよぎった。
攣った痛みは空が白みはじめるころ、やっと少しマシになってきた。呼吸が不規則なのが少しずつもと通りになり、入れ替わるように今度は、寒さでぶるぶる震える身体が実は熱いのか?と思った。思ったというか、熱いのだ実際に。
布団の真ん中から手先へと伝わってくる体温が異常なのを感じる。体感は寒いが、実際の身体は熱い。明らかに発熱している。
ここに来て仕事を本当にお休みすることに決めた。風邪……いや、インフルエンザか新型コロナか。ちょっと風邪でこういう引き始めをしたことがない。とにかく感染症なら他人にこのレベルのものを絶対にうつしてはならない。感染症じゃないかもわからない。とにかく病院に行くべきものだ。それを決意して、さあ、今度は攣るか。痛みの残る右腕にそっと力を入れ……動いた。動くと同時に本当に凄まじい量の汗をかいていることに気がついた。発熱しながらこんなに発汗するのもまた変だ。
発汗のおかげでミネラルバランスが少しマシになったということなのか、さっきまで少し動かしては攣り、とやっていた全身は不思議なことに攣らなくなっていた。あの痛みと寒さの地獄が嘘のように、私はスマホをとり、会社に電話して病欠の旨を伝えた。
この風邪では以降どこかが攣るということはなかった。とはいえこれを書いている2月8日の今ですら右背中と左太もも、左腹筋はあの時の痛みを少しばかり残していて、力を入れようとするといちいち痛む。
起きてきた家族は出勤のはずの息子の車が駐車場にあることで騒ぎ出した。寝坊だと思っている母に熱があることを伝えるが、統合失調症の母にはなかなかそれがわからない。熱があるなら先に連絡あるでしょう?とのこと。うーんなるほど……?そうなのか、熱には伝わる性質があるから、母にそういう感覚を生むのかな。結構面白いなと思った。
脱線した。話を戻そう。
とはいえ私は朝食はとれなかった。とてもではないがそういう体調ではなかった。それをどうしても理解できず、母がお盆に乗せて2度、3度と食事を持ってくる。
料理が嫌いなんじゃないよ。体調が悪くて食べられないの。どうすれば伝わるかなと考えながら説明を繰り返すが、母の心のなかに朝ご飯を食べない宅男の姿がないため、それが受け入れられない。さてどうするかと悩むうちに怒って自分の部屋に入っていった。愛娘※(実在しているわけではない。)まーちゃんに報告している。すまんな母よ。
父は認知症のおばあちゃんから体温計を借りてきて、私に渡してくる。インフルエンザだと思うぞと言われ、私はおばあちゃんとはしばらく会わないこととする。マスクもつけろと言われたのでつけた。
さておき、体温計で測ると朝7時時点の体温37.8℃。久々にしっかりめの熱が出ている。熱はあるのだがあの夜中の地獄の割には大したことはない。不思議だなと思った。
兎にも角にも病院でどういうことになっているのか分からねばどうしようもない。インフルエンザなら出勤停止である。最寄りのクリニックへ電話をかけ、まさかの予約いっぱいで断念。次点で近い隣町の総合病院へ電話をかけ、ここまでの経緯を話してそちらに行くことになった。
病院へは自分で行くつもりだったが父が俺が連れてくから乗れ。と車を出してきた。断ろうとして、夜中のあれが運転中起きたらヤバいと思い直し、今回は頼らせてもらった。ありがとう父。
隣町の総合病院も混み合っていた。送迎レーンで降ろしてもらうと北風が冷たく、思わず身震いした。受け付けを済ますと体温計を渡されるのだが、測ってみるとびっくり。38.6℃もある。あれっいつの間にそんなに高く……さっきのほんの10何秒で身体がびっくりしたのかな。
発熱外来に通されあの粘膜をとる痛い検査。どっちだろう……インフルエンザか、それともコロナか……。
眠れなかった分待合室でうつらうつらしていると、20分ほどで結果を受け取れた。なんとコロナでもなく、さらにインフルエンザA,Bのどちらでもなかった。どうなってんでいこいつぁ。
ただの風邪……医者はそう言った。アレがですか〜?と私は疑問を呈すが、医者は、むしろ私が消耗している可能性を指摘した。あーうんまあ、小さなキツイが結構な数積み重なってる状態なのは、そうかも知れないけれど。
結局ごく普通のアセトアミノフェンを処方されて終わってしまった。ここまでで午前11時前。待ち時間が長いのには閉口した。仕方ないんですけどね。
あーあとガッカリしながら車の後席で揺られ、家に着くと貰ってきたアセトアミノフェンを飲む。今熱どのくらいなんだと父が言うので体温計で測る。
「はっ?」
表示されている数字を見て間抜けた声を上げる。
39.4℃。
とんでもない熱だった。インフルエンザでだってこんな熱は出やしない。小学生のときインフルエンザ→肺炎のコンボを食らったとき以来だ
。おかしくねぇ?何なのこの風邪?
父が慌てて解熱剤を持ってくるがそもそも貰ったアセトアミノフェンが解熱剤なので意味がない。ひとまず落ち着いてもらい私も寝床に戻った。
発症もおかしく熱も異常なら、解熱さえも今回の風邪は異常ずくめだった。
「ハラいってぇ……」
薬を飲んで1時間。腹痛とともに下痢をする。こんなことになるのは初めてだ。
トイレに行くたびに水を飲み、水を飲んではトイレに駆け込みを繰り返すうちに、みるみる熱は下がっていった。夕方4時。体温計はついに36.5℃を示す。ほぼ平熱。おや〜?ヘンだなあ、いくらなんでも熱が下がるのが早すぎる。病院にかかってからたったの8時間、どうなってるんだろう。解熱剤を飲まないで一晩過ごしてみるか……と思い、水分だけ摂って早めに就寝した。
果たしてそれ以来、熱はぶり返していない。代わりに何年もご無沙汰していた喘息の発作が現れて、咳き込むのが辛い。
わかる人にはわかるだろうがゲゲーッホ!みたいな、2発の咳が1発にくっついたような咳が出るのだ。攣った腹筋が痛むし息が苦しいのがどうしようもない。これを見直している2月10日現在、テオフィリンの副作用で手が震えるのを忌まわしく感じながら、食欲だけはバッチリ復活したのですき家のチーズ牛丼が食べたい……と思っている。
あーほんとなんだったのかこのおかしな風邪は。
職場にも迷惑をかけたし、自身も辛かった。知らず知らずの無精が免疫を下げていたのかもしれないし……とかく、あまりだらしのない生活をするなということなのだろう。
そんなわけで、なんだか普通でない、おかしな風邪をひいてしまった。皆様も今年の寒冬、こんな風邪にかからぬようくれぐれもご自愛いただきますよう、暇庭からもお願い申し上げます。風邪は万病のもと、罹らねば万病より免れると思えば、そんなに安いものはない。
返す返すも嫌な思いをしてしまった風邪だったので面白くない思いをした鬱憤ごと書いてしまった。
病状を書くのもなかなかに難しいことに気がついた。まこと書き物の勉強にならぬものはこの世にないものだ。なんの出来事でも書く練習になる。




