009.王太子様がお待ちです
最悪な女との再会から約三年。何か嫌がらせを受けるようなこともなく、比較的穏やかな日々を過ごしている。
試験にも受かり、ゲラノス学園へ通うことが決まっていたロディナは、入学のための荷造りをしていた。
(いい加減、正直に話してほしいものです)
私室で紙の束を抱え、ロディナは溜め息を吐いた。
サナとは、八歳から約七年の付き合いになる。
シルフの誕生日パーティー以降、明らかに彼女は焦って誰かを捜していた。
(同じ境遇の方を見つけたら、喜ぶものかと思っていたのに。……中身はアレですが)
同じ転生者から情報を得るため、シルフと交流を深めることもせず、サナはエイレアとして動いている。
エイレアの初恋はヴァルク。彼と婚約が決まったシルフと仲良くすることなどあり得ない。といった具合に。
そうやって、サナはロディナ以外に転生者であるとバレないよう行動していた。
理由を尋ねると「こちらのほうが調べやすいのです。全ては、最推しロディナ様のために」とのこと。
相変わらず、ロディナに嘘をつくのは苦手らしい。
(私も似たようなものか。ザミ兄さんのことも、成り代わったシルフのことも話していない。……なのに)
繰り返しを終わらせるため、元の世界に戻るため。利害の一致だと自分に言い聞かせて、虚しくなった。
ロディナには、家族だと思っている人間はザミしかいない。友人は繰り返すたびに自分のことを忘れてしまう。
(仲良くなるのが、怖い。次には、いなくなるかもしれないから…)
今までで一番順調な人生だからこそ、不安も大きくなっていた。
「ロディナねえさまぁー!」
ノックもなく入室してきたサナに、紙の束が床に散らばる。
物語通り、十二歳からゲラノス学園に通っているサナは、半年に一度しかニフテリーザに帰ってこない。今日がその日だったらしい。
「わわっ、ごめんなさい!」
「やはり心臓に悪いです」
「これが原作通りなのでお許しください。これがようやく完成しました!」
「本?」
そっとドアを閉めた彼女に、一冊の本を手渡された。
「登場人物リストと、これからの物語の展開を書いておきました。転生者が何人もいるから、物語の項目は無駄かもしれませんけど」
頁をめくると、文字がビッシリと並んでいる。要注意人物には危険度まで記されてる徹底ぶり。
「ありがとうございます。大変だったでしょう?」
「全く! 学園生活からが本編ですからね。中等部の校舎は隣とはいえ、すぐには駆けつけられませんし」
ロディナにわかりやすいよう、苦心した形跡がいくつもある。
「魔法を無効化する本なんですよ! 魔法によってループしてるなら、私が元の世界に戻っても、その本は残るかも?」
自分がいなくなることを想定し、ロディナのために書いてくれたらしい。魔法を無効化する品となれば、手に入れるのに苦労したはずだ。
(……貰ってばかりでは、ダメですね。また、恩返しができなくなる)
本を抱えたまま黙り込むロディナの顔を、サナは覗き込む。
「ロディナ様?」
「ミスミ……いいえ、サナさん。私のために、ここまでしてくれて本当にありがとう」
「ひゃいっ! ななな、名前を、推しがっ。死ぬの? 私、死ぬの?」
すっかり見慣れた奇行に、ロディナは柔らかく微笑んだ。
「是非ともお礼をしたいです」
「お互い様じゃないですか! この世界の常識とか、魔法の使い方とか、いっぱい教えてもらいましたもん! ロディナ様のおかげで、エイレア様として――」
「誰を捜しているのですか」
「えっ……」
「転生者がもう一人いるとわかった日から……ほら、この本が証拠です。物語以外の情報まで書かれています。それだけ、会話や観察をしていたということでしょう?」
転生者の疑いありと書かれた人物を指差しながら、ロディナは尋ねた。
「……その」
「言いにくいのであれば構いません。ただ、何かお礼はさせてください」
「……家に帰る途中で意識を失ったって、説明しましたよね?」
「そうですね」
「実は、兄を捜してて、この世界にやって来たんです」
「お兄様を?」
サナがこちらにやって来る前、ある場所へ行った兄が、意識不明となり、目覚めなくなってしまったらしい。
「真相を探ろうとその場所に行ったら、エイレア様になってしまって。転生者が他にもいるなら、兄もいるんじゃないかなって」
「転生者だとバレないように動いているのは、どうしてですか?」
「兄は人の悪事を暴く仕事をしていて、同じ場所で意識を失った人なら、敵か味方かわからないでしょう? 妹だからって、危ない目にも遭いましたから」
サナに転生者なのか尋ねられた日を思い出す。彼女も、誰も信じていなかった。そういうことなのだろう。
「では、私もサナさんのお兄様を探すのを手伝います。構いませんか?」
「見つかってる転生者は女性ばかりですし、ループの謎も……」
「もちろんそちらも調べます。どちらも、二人のほうが効率がいいでしょう?」
「それは、有り難いですけど」
「この本があれば、私は一人になっても平気です。でも、サナさんやお兄様は、どうなってしまうかわかりません。まぁ、二回目の人もいるようですが」
「二回、目?」
「あとで話しますね。とにかく…この本と、私の味方でいてくれたことの、お返しをさせてください。嬉しかったんです、味方ができたこと」
サナの顔がくしゃりと歪む。
「うぅ……好き。推してて、よかったぁ。信じて、よかったぁ。わだしも、うれしいっ」
「サナさん? お顔がすごいことに」
大声で泣き始めた彼女に、ロディナは慌ててハンカチを探した。
背中をさすっても、頭を撫でても泣き止まない。ずっと、無理をして明るく振る舞っていたのだろう。
入学の手続きをするために、ロディナはゲラノスへやって来ていた。学生寮に送る荷物は、転移魔法で運んでくれるらしく、屋敷に置いたままだ。
「合格証明書をあちらの方に渡せば、手続きができるはずです」
「忙しいなかありがとう、エイレア」
「いえいえ! 魔法史の課題の現実逃……息抜きになりました! では、戻りますね」
「本当にありがとう! 無理をしてはいけませんよ」
(間に合うのかしら…)
大きく手を振るサナを心配しながら、受付の女性に書類を手渡す。
「合格おめでとうございます。ロディナ・ニフテリーザ様ですね。こちらの書類に記入をお願いいたします」
「はい、わかりました」
「記入が終わりましたら、そちらの通路の突き当たりにございます、貴賓室へ」
「貴賓室ですか?」
「はい。王太子殿下がお待ちです」
「……私を、ですか?」
「ロディナ様をと仰せつかっております」
(王太子様が、私に何の用? ……ガカク・アレクトン。サナさんの本に、『絶対に近づかないで』と、書いてあった気が)
不安に襲われながら、扉を叩く。
「ロディナ・ニフテリーザです」
低い声が返ってきて入室すると、白髪の青年が座り心地の良さそうな椅子から立ち上がった。
「初めまして、ニフテリーザ嬢。貴方様の婚約者と相成った……ガカク・アレクトンと申します」
入口で、立ち尽くす。脳が特定の単語の理解を拒んでいた。
(コンヤクシャ? ………サナさん、ごめんなさい。婚約者になっていた場合、どうすればいいんですか? 貴賓室を破壊すれば、なかったことになりますか?)
物騒なことを考えるロディナを、ガカクは穏やかな表情で見つめている。




