020.似た者同士
机は無事だった。
ガカクと話す時間が不毛だと考えたのだろう。ヴァルクはロディナにだけ丁寧な挨拶をして、苛立ちを隠せていない力強い足取りで去って行った。
そして二人は今、ガカクの屋敷に向かって馬車に揺られている。
「ヴァルク様にあそこまで嫌われている理由は、見当もつかないのですか?」
「彼とは僕が十二のときに初めて会った。自己紹介をしたら『お前は偽物だ!』と言われてしまってな。それからずっとあの調子だ」
「誰の偽物なのでしょうね?」
「イベリスの日記が彼の愛読書なら、心当たりがある」
ロディナが借りた一冊を手に取り数頁捲ると、ガカクは開いた頁を指差して、対面に座る彼女へ見せた。
『ガカクは、風魔法で魔獣の硬い甲羅を粉々にした。珍しく本体までは届かなかったみたいで、無防備になった背中にクシロスが拳を――』
「殿下と同じ名前! 読んだことがあるのに気づきませんでした。確かイベリスの日記は、今では英雄と呼ばれている方々の冒険を綴ったものでしたよね?」
「そうらしいな。何巻だったか忘れたが、アレクトンでの冒険も描かれていて、僕の名前はアレクトンの英雄の一人から貰ったものだ」
「つまりヴァルク様にとって殿下は、憧れている英雄様の偽物だと」
(英雄様と同じ名前の王子が、これだったから幻滅したのですね)
「あくまで僕の推測だがな。……ロディナ嬢。今、失礼なことを考えていないか?」
「そのようなことは決して!」
訝るような視線を振り払うよう首を振って否定する。
彼は呆れ顔で、だらりと背凭れに体を預けた。
「好きで英雄の名を頂戴したわけではないのにな。いらぬ期待を勝手にされて、勝手に幻滅されても、煩わしいことこの上ない」
窓の外の街並みを眺めながら、ガカクはぽつりと呟く。
名前に込められた期待と次期国王としての重責。アレクトンの司法の根幹を担う契約者という立場。
(…茶化してはいけませんでした。私だって、そんな名前をつけられたら……両親の顔もわかりませんけど、その人のように生きろと言われているようで――)
『聖女と三つの毒』の物語の自分を思い出して、ロディナは言葉に窮する。
「どうした? 突然気落ちして」
「……殿下は、殿下のままでいいと思います。きっとヴァルク様もわかっていますよ。少し、合わないところがあるだけで」
「あぁ、気遣ってくれたのか。僕に憫察は不要だ。誰に嫌われていようと、特に何とも思わない。しかし今日でよくわかったが、ロディナ嬢は人の感情の機微に敏感だな」
「そう、でしょうか?」
「人の細かな動きを観察するのは、癖か? 正直心配だ。誰かを気遣って、自身を蔑ろにしそうで…」
観察は、確かに癖になっているのかもしれない。何度も何度も似たような人生を繰り返しているため、小さな変化も見逃さないよう気をつけている。
(気遣いは、むしろ……)
「殿下のほうが、周りに気を使っていらっしゃると思いますが」
「そうか? まぁ、今日紹介する侍女くらいには、悩みを相談できるようになるといいな」
(……殿下が用意した侍女に、相談。無理ですね)
内心バッサリと切り捨てながら、ロディナは肯定を返した。
馬車が走り始めて三十分ほど、窓から見える景色は緑が増えてきた。農地や放牧地が散見される。
婚約が決まってから入寮手続きが遅れ、まさかの満室によりロディナは学生寮を利用できなくなった。なんでも創立以来初めての事態だったらしい。
王太子の婚約者であろうと特別扱いしないのは素晴らしいが、入学手続き時に寮を利用するかの確認はしてほしかった。人数もそれで把握できたはずだ。
ニフテリーザ家には転移魔法を使える者はいないし、雇ってもいない。
ニフテリーザ領は転移用の記録石が設置された場所も少なく、ニフテリーザを記録している転移魔法の使い手を雇うと高額になる。
途方に暮れていたロディナに責任を感じてか、ガカクが転移魔法を使える侍女を付けてくれることになった。
彼が付けてくれる侍女という点において不安は残るが、背に腹は代えられない。ニフテリーザから馬車で通うのは不可能。ゲラノスの宿で連泊するわけにもいかない。ガカクの屋敷で厄介になるのは論外だ。
「あの、殿下も転移魔法を使えるのでは? なぜ馬車での移動を」
ふと疑問に思い、正面で舟を漕ぐ彼に問いかけた。
彼は初めて会った日に、「転移魔法で屋敷に送る」と言っていた記憶がある。魔力が底をついたわけでもないのに、時間のかかる移動手段をとる理由がわからない。
「ん? あぁ。転移魔法が使えることは基本隠している。確実に仕事が増えるし、家では君に紹介する侍女しか使えないことにしたんだ。彼女も僕も、記録石がなくとも移動できるんだが、石がない場所への移動が馬車になると、休めるだろう?」
(移動が休憩時間って、この御方はどのような生活をしているの? そもそも、そこまでの精度の転移魔法を使える女性が、侍女に留まっているのは……さらっと僕もって仰っていませんでした?)
学園の校門前にもあった青い魔石。あれを使わずに転移を行える人間は、あらゆる場所を自身で正確に記憶していることになる。
世界中の記録石へ転移できるだけで奪い合いになるような人材なのに、石を使わず転移できる人間が上級使用人なのはおかしい。魔力量が少なく、移動できる範囲が狭いとなれば使用人でも納得できる。ただ、王太子に仕える人間がそのような人材であるはずがない。
「その侍女を私に付けたら、殿下の移動は……」
「んー。他の者を雇う。もしくはこっそり自分で移動する。だから心配ない。君に何かあれば大問題だからな。そこは自覚しておいてくれ」
(……人の心配ばかりじゃないですか)
シルフやヴァルクに声を掛けたこと、寝たフリをしていたこと。あれだけ眠ったというのに、今眠そうなのは――。
(自分が寝ていれば、クラスメイトが私に声を掛けてくれるから。……考えすぎ、ですかね)
眠そうな彼と会話を続けるのが忍びなくなって、ロディナはこれからの予定に思考を割くことにした。




