002.一度目の人生
ロディナには、何度も人生を繰り返した記憶がある。気を失うように眠り、目が覚めたら八歳の体に戻っていたのが、繰り返しの始まりだった。
どうやらこの世界は、魔王が倒されてひと月が経過すると、生死関係なく時間が戻ってしまうらしい。
今にして思えば、一度目の人生から異変はあった。
ロディナの記憶は、なぜか六歳から始まっている。覚えていたのは、年齢と『ロディナ』という名前だけ。両親の顔も、住んでいた場所も覚えていない状態で、森にぽつんと座っていた。
そんな彼女を救ったのは、ザミという黒髪の青年。フール村の村外れの小屋に住み、魔物退治や魔獣の素材を売って生計を立てているらしく、ロディナを見つけたのは魔物退治の途中だったらしい。
ザミと村長の話し合いのすえ、ロディナは村にあった小さな教会へ引き取られることになったが、日中は毎日のようにザミの家で過ごしていた。
教会の大人を連れ、村外れの小屋へ向かうのが、ロディナの唯一の楽しみだった。
「ロディナ、お前な。もはやジャム食いたいだけだろ」
粗末な外観からは想像できないほど小綺麗な室内。小さなテーブルで、二人は今日も昼食をとっていた。
「じゃむ? わたしがぬってるやつ?」
「塗ってない。お前のは、パンがジャムに沈んでるんだよ」
彼が指差す木製の器には、赤いスープのように注がれたジャムと一口ぶんのパン。彼女の前に置いてある野菜は、綺麗に盛られたままだった。
口の周りがベタベタのまま、ロディナは微笑む。
「ジャム、はじめて食べたけど、おいしかったから」
「何でも食べ過ぎは良くないって言ったろ? 野菜も食え」
「……わかった」
不貞腐れたように言って、ロディナは渋々野菜を口に放り込み、険しい表情で飲み込んだ。
「よし、その調子だ。にしても、相変わらず何も思い出せないみたいだな。ただの記憶喪失じゃなくて、やはり魔法によるものか」
「わかんなくて、ごめんなさい。ジャムはおぼえたよ! あまずっぱくておいしい。ザミ兄ちゃんありがとう」
「謝る必要はない。不安なのはロディナだろ? 俺も色々調べて――って、おい! 壺ごといくな。砂糖も蜂蜜も、普通は手に入れるの大変なんだぞ」
垂れた目を細め、ザミは小さな壺を取り上げる。
ロディナはぽかんと口を開きながら、壺を失った手を震わせた。
「わたしのジャムが……。バランスとったのに」
「野菜ひと口とその量のジャムがバランスとれてるわけないだろ。それに、全部食べたらジャムクッキーが作れなくなるぞ?」
「ジャム、クッキー…! 食べるっ!」
「はぁ。明日は野菜、食べろよ。クッキーは、文字の勉強を頑張ったらくれてやる」
「うん、食べる! べんきょーもする!」
ジャムを勢いよく飲んで、背伸びして台所に皿を置き、ロディナは本棚に急ぐ。
「おい、待て。外のやつにもパンを持っていってやれ」
ザミはいつも、ロディナに付き合ってくれている教会の者たちの分まで、食事を用意していた。
差し出された小さなパンかごを見上げ、ロディナは首を傾げる。
「今日ネロさんだよ。ザミ兄ちゃんから、ほどこし? はうけないって言ってた」
「あいつか。なぁロディナ。今更なんだが、教会の連中が外で待ってる理由、わかるか?」
「えと、兄ちゃんがおっきくてこわいからお外にいるねって言ってた」
「……何のために付き添い頼んだと思ってんだよ。魔物来たら何も言わず逃げるし、見張りにもならねぇ」
ザミは小声で言って、ロディナの残した野菜をバリバリと噛んだ。
「ねぇ、べんきょーは?」
「わかったわかった。その前に口の周りを…袖で拭うな!」
クッキーのため、別のお菓子のため、彼に乗せられてロディナは毎日勉強した。
お菓子が貰えるのも彼女がここに来る理由の一つだったが、一番の理由は居心地の良さ。教会の者たちや村人たちが時折向けてくる憐れみや、得体の知れないものを見る目を、ザミは向けてこない。
ザミは暇潰しだと言って、何でも一緒に楽しんでくれる人だった。
貴族が食べるようなふわふわのパンを焼いてくれたり、色んな果物のジャムを二人で食べ比べたり。文字の読み書きに、魔法の使い方。彼から多くのことを教わり、返しきれない恩がある。
恩返しもできずに幸せな日々が壊れたのは、彼と出会ってから一年と少し経った頃のこと。
ザミが仕事の都合で留守にしていたとき、女神教会の司教が村にやって来た。
突然の司教の訪問に、村中が大忙し。ロディナを含む村の子供たちは、静かにしていろと教会の奥の部屋で勉強をさせられていた。
勉強を始めて一時間。司祭が、記憶喪失の子供がいると司教に相談したらしい。呼び出されてやって来たロディナを見た白髪の司教は、目を見開いて「呪われている」と言った。「ニフテリーザ領に解呪の得意な者がいるから、私が送り届けよう」とも。
ザミと一緒にいられなくなると、ロディナは必死に抵抗した。
魔法で記憶を書き換えられた可能性はあるが、呪いの類ではない。ザミにそう言われたと司祭に言っても、「村の用心棒と司教様では知識と経験が違う。記憶を取り戻すためにも行ってきなさい」の一点張りだった。
別れの挨拶もできずに、半ば無理やり連れてこられたニフテリーザ領。
「解呪には時間を要する」と言われたロディナは、なぜか領主の屋敷で暮らすことになった。教会はこれ以上子供を預かれないとの理由で、解呪が終わるまで領主が預かってくれることになったらしい。
呪いを解くため、屋敷と教会を行き来する毎日が始まって二ヶ月。我儘を言って村へ出してもらった手紙の返事がきた。
村へ帰ることを伝えたくてザミに出した手紙の返事には、司祭の名が書かれてある。
『ザミは仕事が長引いているらしい。長らく帰っていないせいか、家も壊されてしまっていた。もし帰ってきたら、返事を書くように言っておく』と。
ザミからの返事はないままに、ロディナはニフテリーザ家の養子となる。解呪も上手くいかず、帰る場所も失ってしまったロディナを、夫妻が憐れんで決まったことだった。
全てを知りながら温かく迎えてくれた義父母と、自分を姉と慕ってくれる義妹エイレア。
家族になれるかもしれない。疑念が確信に変わるまではそう思っていた。
エイレアがあの女に乗っ取られた瞬間から、家族ごっこは始まっていたのだ。
ニフテリーザ家の養子となって約九年。十七になったロディナは、義父母に黙って家を飛び出した。




