7.怒りのマリア
振り返ると、洞穴が口を開ける小さな崖の上に、男が一人立っていた。
「お前シェイナ・グリーンだろ。マリア・サイフルと何してんだ?」
彼の声を聞き、姿を見た私たちは動きを止めるしかなかった。
電撃ディックだ。彼の拳銃はホルスターに収められている。
私が洞穴を飛び出す前に老婆の言い放った言葉がふと、思い起こされた。
――呪いから離れたいだろう。一人でよい、誰か一人、夢に現れた者の命を奪え。三つ子星に生贄を捧げよ!
まさに、さっき飲まされた汁の効能で見せられた記憶の幻に、彼は登場した。しかしその副作用で今は体調が最悪だ。早撃ちの電撃ディックと最後に会ってから八年経つが、もしあの頃のままの彼であれば、万全の私であっても十度の撃ち合いに一回勝てるかどうか怪しい。
ポイントヒルの厩舎でリトル・ボビーを殺したときのような異常でも起これば話は別だが……そう都合良くいくとも思えない。
ああ、占い師にあの時のことを尋ねるのを忘れた、と思った。
警戒する私たちに向かって、ディックが親しげに話しかけてくる。ただし、目は笑っていない。
「ジョーの奴が仲間を集めていると聞いた。お前らも奴のところに合流するのか? 俺はそのつもりだ」
ディックは崖を軽く飛び降りて、私たちに銃を向ける男たちの側に立った。町の酒場で見かけた顔もいる。
「あんな奴の下につくわけない」
マリアの声は苛立ちを抑えきれないようで、少し震えていた。
「そうか。じゃ、どいてもらおうか。俺たちが争ってもなーんにもならねえよ。二人とも」
彼の目は私たちを冷徹に見つめている。やるか、どうか。
緊張した空気の中で向き合っていると、ディックに男たちの一人が寄っていき、耳打ちした。ディックが私に問いかける。
「シェイナ。お前ポイントヒルでジョーの手下を殺したんだってな。こいつが見たと言ってるぜ」
そうだ、と答えた。
「昔の仲間だからな、そこをどいてくれればいいと思ったが……俺の出遅れた分、ジョーへの手土産になってもらうぜ。安心しな。生かして渡す」
私が声に出してそうだと答えたとき、洞穴を出てから治まりかけていた気分の悪さが再びぶり返していた。耐えきれない予感がする。ディックが恰好をつけて話している間、目の前にじわじわともやが広がり、視界が夜の暗闇になる。足がふらついて立っていられない。
鮮明な悪夢のせいで気が立っていた。が、苛立ちを向ける先がない。その前に、倒れてしまう。だめだ、でも、膝をつくしかない。力が、出ない。
男たちの足音が、私の後ろへと通り過ぎる。マリアが声を荒げるのが聞こえた。争う音。……
目が覚めると、荷台の上で手足を縛られていた。私のロープは隣のマリアと繋がっているようだ。彼女も縛られている。不機嫌な顔でうつむいている。
荷台は馬に引かれ、がたがた揺れながら進んでいた。
そして私の隣にはディックがいた。
「起きたか。もうすぐ昔馴染みに会えるぞ。急にぶっ倒れたから心配したんだぜ、これでもな」
私とマリアを見張るためだろう。利き手に拳銃を握っている。視線に気づいたのか、彼は手を少し動かした。銃口が揺れる。
「俺から奪えるか? やってみるか」
挑発だろうか。
腰のホルスターが空だ。私の銃は気を失っている間に取り上げられていた。マリアの得物も同様だろう。
複数の馬が馬車の周りを囲むようにして歩んでいる。ディックの手下だか知らないが、それぞれの馬に乗っているのは洞穴の外へ出たときに銃を向けてきた男たちだ。
洞穴で飲まされた汁の副作用はすっかり無くなっていた。ここでディックさえ最初に殺してしまえば、他の五人はマリアと協力して倒せるはずだが……難しいだろう。そして、副作用が消えた代わりに、洞穴で見た記憶の幻のことで頭がいっぱいだった。
「つまらねえ。二人とも久々に会ったってのに全然喋らねえ。こんな無口だったかよ、お前ら」
ディックの言葉を無視した。奴には独り言を言わせておく。
ミシェル――ミシェルは私たちが見捨てて、死んだ。クレイトン盗賊団の生き残りは皆その事を覚えている。覚えていなくてはならない。呪いを解くために三つ子星への生贄が必要だというのなら、一人どころか、彼女の死の瞬間の生々しい思い出を見せつけられたことで、彼らを皆殺しにしてやりたいという欲望が数年ぶりに蘇っていた。
マリア以外は皆殺し。こう私の頭に過ったのは、あのとき、彼女があの場にいなかったからだ。マリアは盗賊団が拠点にしていた廃村で一人、留守番をしていた。もしマリアがあの逃避行の中にいたなら、ミシェルを見捨てる事に反対し他の皆を説得してくれただろうかと、ペドロがいる村に流れ着く前の孤独な旅路で幾度も想像した。それを誰にも言わずにいた。
今、私と共にマリアも捕まっている。洞穴の前での出来事を思えば、彼女は抵抗したということだ。
「おい、マリア! そういやポイントヒルで旨い商売をしているそうじゃないか」
彼はマリアにも無視された。
「金儲けは好きだぜ。だから俺にも噛ませてくれよ。実はな、襲われたサンドポート行きの列車にだな、あのダニエル・クレイトンの野郎が乗っていたかもしれないんだよ。噂じゃ今度の知事選の応援のためにクレイトンシティから出たって話だ。何が言いたいか分かるな? あいつは死んだかもって事だ」
私の願いはさっそく聞き届けられたようだ。
「そうなるとジョーは……探し物を見つけ出しても、報酬をくれる飼い主がいなくなったのか」
「何だ、シェイナ。話す気になったか。あの金の塊は必ず買い手がいる。失われた大統領への献上品だぞ? ダニエルほどでなくとも、金を出す奴ならいくらでもいるさ」
奴らが求める黄金の刀をミシェルの亡霊が持っている事実は、ディックに教えてやらない。
「とはいえジョーのクソがダニエルの死を知ったら、やる気を失うかもなあ。だから、マリア聞いてるか? 俺がジョーに言ってお前を守ってやってもいいんだぜ? 用心棒もやってやるよ。な、俺と一緒にさあ――」
マリアが怒りの声をあげながら、ディックに飛びかかった。
「だったらどうして殺しを止めなかった! お前がやめろと言えばあの婆さんは……」
彼の拳銃を奪おうと私を乗り越えてもがいている。
「マリア! お前八年前から……変わったのか? 昔のお前はそれくらい気にするような女だったかよ!」
ディックが喚きながら抵抗する。
怒れるマリアの行動に対して、私はすぐに動くことができなかった。突発的で、ロープで縛られていた不自由さもあり、加勢するのが遅れた。銃声が響く。幸運なことに、銃口はどこにも向いていなかった。ディックが手を振り上げ、拳銃そのものを使ってマリアの頭に衝撃を加える。
マリアが倒れ、銃は私に向けられた。御者がようやく振り返り、ディックに何かあったのかと声を掛けた。
「問題ない。前見てろ」
自身を落ち着かせるように息を吐いた彼は、もうすぐ到着するんだ、と言った。
「こいつが襲ってくるとは思わなかった。だから驚いたぜ。お前が鈍くなっていた事もな。以前だったらもっと早く動けていただろうが……」
ディックは最後に何か呟いた。助かった、だろうか。だとするとこいつは本当に驚いたようだ。
「腕を落としたのか? 電撃ディック」
銃口が私の額に押し付けられる。
わざと挑発した。本当に彼が電撃の二つ名に相応しくなくなるまで腕を落としていたなら、こうするだろうと思った。図星だったようで、彼は私をこの場で撃ち殺してしまうかどうか考えているように見える。
笑いが口から漏れる。小声で囁く。
「昔の名声に頼りながら生きてきたのか? お前、実力を偽っているといつ気づかれるか、偉そうにしているくせにずっと恐れているんだよな」
「黙れ」
「今ここで連中にばらしてやってもいいんだ」
もうすぐジョーの新たな一味の根城に到着するというが、これから奴らに引き渡されたところで、多勢に無勢ゆえ昔の仲間を皆殺しになどできるはずもない。
ディックが私を蹴った。
「こうすりゃ黙るだろ、勝手に殺しただなんて文句は言われたくないからな。でもあいつらはどうせお前を処刑したがるぜ。覚悟しな」
彼は汚れたブーツで笑い続ける私の顔を複数回蹴った。血の匂いと血の味がした。




