26.起死回生の苦闘
鎖が、襲ってくる。カーラは身を守るため、そして黄金の刀を奪われないために立ち回る。研ぎ澄まされた反射神経で鎖を跳ね返す。足を取られないように細心の注意を払う。刀を握っていないと受けた傷は治らない。刀はカーラにとって生命線だった。
縄と違って鉄でできた鎖は燃やせない。カーラは透視によって彼の姿を見た。鎖の塊の内側にダニエルは確かにいる。大切な姉を見捨てた男ダニエル・クレイトンの死を諦める選択肢はないが、そもそもカーラにとって今は自らの身を守るので精一杯だった。
ただ一人の味方、シェイナ・グリーンは物凄い速度で動き続け、もう一本の鎖を相手にしている。そしてカーラは見た。シェイナに似た別の影が、彼女に向かって後ろ向きに近づいていく。残像のようなその影はシェイナの方へ淀みなく進んでいくと、ちょうどぶつかり合うところで二者の実体は重なり合い、思わぬ事象を引き起こした。
影とシェイナはその場で消滅した。いつの間にか現れていたもう一つの鎖が加わり、三本の鎖が、カーラ・クレマンを襲う。
私に向かってきた鎖が今度は全く同じ軌道で離れていく。ナイフを絡め取ろうとする寸前で鎖は戻っていき、見たばかりの軌道を描く。それは同じ軌道だったが、動きは逆だった。前向きに歩いていた人間が今度は後ろ向きに歩くかのように、時計の針が逆を向くかのように、私を襲う鎖はすでに通過した位置を逆戻りに動いている。
それと一緒に、私の体とほぼ完全に重なり合う位置で、ぼんやりとした影が動き回っていた。気色の悪い感覚があったので飛び退くと、その影はもう一人の私だった。鎖と同じく、そして他の周りの景色、例えば隣で戦うカーラ・クレマンの姿と同じく、逆戻りだ。時の流れが逆転している。
視界に浮かぶ三つの星の位置がいつもと違って逆さ向きだ。これを維持していれば、勝ち目はあるのかもしれない。そう思って空になった拳銃に弾を込めようとした。
しかし、私の動きは阻害された。ダニエル・クレイトンを包み込む鎖の渦から、もう一本の鎖がいつの間にか飛び出してきており、私を狙った。
どうやら今の私は世界の外側にいるのではなく、誰からどのように見えているのかはともかくとして、認識される立場らしい。ダニエルを守る鎖は几帳面にも敵対者一人につき一本のようだが、逆行する私とカーラ、そして今の私に対して三本が暴れまわっている。
挫いた片足をかばいながら慌てて避け、思考する。
このままで――違う。やはり、時の流れが逆回りになる直前の思いつきを実行しなければ打開できなさそうだ。このまま時が戻っていけば鎖ではなく先ほどの縄に包まれた姿を経て生身のダニエルに戻るはずだが、その時には奴は死んでいないのに私に殺せるだろうか、という懸念があった。矛盾している。
仮に生身のダニエルを再び襲えたとして、同じ事の繰り返しになるのではないかとも考えてしまう。奴は無意識に三角星の加護を行使しているように思えた。その時に時間が逆行していても、あの人影がまた現れて銃弾を弾き返すのではないか。
更にさかのぼり続けてダニエルが三角星の加護を得る前に襲うことも考えたが、今起きている現象がどこまで長続きするのか見当もつかない。
重大な賭けになる。最低でも少しの間カーラを一人にしてしまう。
私は決心した。考えている間にも三本目の鎖がしつこく襲ってきていた。限界だ。ぼろぼろの体をもっと酷使することになる。
まずはこの場を離れる。鎖を警戒しながら、マッケンジー邸の前から去る。ある程度離れたところで、鎖は襲って来なくなった。三本目は、鎖の塊に吸い込まれるように消えていった。
更に離れると、時間は戻り続けているから、炎がダニエルを再び覆い、焼かれる前の縄がまたもや現れ、カーラともう一人の私にまとわりつく様子が再演された。
これ以上はわざわざ戦いのおさらいをする必要もないだろう。私はポイントヒルの町の出口を目指した。この逆行する状態では馬は使いようがないから、目的地までどれほどかかるか知れない。歩き続けるしかなく、それまで私の足がもてばいいが……もう賭けは始まっている。
太陽が傾いていく。昼間の強い日差しがだんだんと東に移り変わり、空に赤みをもたらす。私は荒れた土地を一人で歩き続けている。いちど経験した今日の朝が再びやって来る。朝焼けの先に夜が待ち構えている。
目的地は見え始めていた。銀山の砦。ジョーの一味が根城にしていた場所だ。
途中の道で、保安官の助手の死体を発見した。彼は道の脇の岩陰に寄りかかるようにして死んでいた。やはり、砦の様子を見に行く道中でジョーたちと出合い頭に殺されたのだろう。
私が近づくと、死体の側まで鳥が後ろ向きに飛んできて、口から吐き出した死肉を死体の欠けた部分に継ぎ合わせていく――つまり、時間が逆さに動いているのだから、死肉をむさぼる鳥が、近づく私を見て飛び去った、という事になるのだろうか。
今はまだ、楽と言える。問題はこれからだった。
逆転した三つの星の輝きのうち一つが、光が弱まり少しずつちらつき始めている。強く意識していないと時の逆行が保てなくなりつつあった。体感で一時間ほど前からその事を感じていた私は、足を速めるかどうか悩んでいた。
これから重労働が待っている。銀山の砦で恥知らずのティムが持ち出してカーラを仲間ごと撃ったガトリング砲。それをたった一人でポイントヒルまで運搬しなければならない。
解放された砦の門を通り抜け、生きた人間が誰一人いない静かな風景を見渡した。
朝日は遠く稜線の先に沈んだばかりで、空はまだ薄い青色を残していて、薄暗い中に数々の死体が放置されたまま地面に転がっている。ジョーたちはカーラに襲われてから生き返ったとき、何も片付けたりせずに銀山を出たと見える。ガトリング砲も使用されたときのままで置かれていた。
鎖の鎧ごとダニエルを撃つのに必要な銃弾をカートリッジごと掻き集めて、袋の中にひとまとめにしまい込む。重いガトリング砲に据え付けられた車輪がきちんと動くか確かめ、私は銃弾を入れた袋を背中に担ぎ、砦の外に向かって砲を押した。ゆっくりと動き出す。
さっきからちらついていた星が、更に不安定な輝きを見せていた。周りが暗い中でその星だけは目立っている。ガトリング砲を押す私が砦の門に到達した頃から不規則な点滅が続き、弱くなったり強くなったりする中で、ふと、一際まぶしく光を放ち、ついには見えなくなった。
生命が途切れるかのようだった。視界に三つあった星は、一つが消滅し、今では二つが輝くだけになった。これが何を示すのか……。
少ししてから、ガトリング砲と、それを押して運ぶ私以外のすべてが完全に静止していることに気がついた。ゆっくりと時が逆行しているなら少しずつ動くはずなのだ。二つ目の星がちらつき始めていることにも同時に気づく。
ガトリング砲を押し続けた。
マリア特製の軟膏で抑えていた背中の痛みがぶり返し、ジョーの射撃で受けた胸の傷から血がにじむ。電撃ディックに蹴られた顔面は被っている布と擦れて熱を持ち、飛び降りて挫いた足の痛みは歩行を阻もうと悲鳴を上げる。
ガトリング砲は全身を使って力を込め続けないとすぐに止まってしまう。荒れ地の道を私一人で押すには重たく、とっくに体中が一連の戦いでぼろぼろになっていて、忘れていた古傷までもが痛み出す。
歯を食いしばる。車輪は動かし続けなければならない。前に進まねば。倒すべき敵がいる方向へ。
肉体の疲労と負担が大きくなるのと並行して、また、星の明滅が次第に弱々しくなっていく。これが消えれば残る三角星はたったの一つになってしまう。
私は力の維持が難しくなるのを感じていた。時間はいま過去にも未来にも動いていない。この力は強く意識していないと、保てない。ほんの少し意識が途切れるだけで星は二つとも消えそうになる。そして、ひとたび消えてしまえば、二度と眼前に現れないのではないか、という気がしていた。
遂に、二つ目の星が消えた。残りは一つ。それと同時に、せき止められていた時の流れが僅かながら動き始めた。もはや時は逆流も停止もしていない。ただ、通常よりもゆっくりと動いているだけだ。
しばらく進むと、朝日が昇り始めた。確実に歩を進める私の脳裏に、焦りが混じり、汗ばむ体に鞭打つように、気合を入れ直す。
せめてダニエルとの戦いから離脱したタイミングの直前までには、ポイントヒルに到着したい。そうでもないと、いくら身のこなしが軽く、黄金の刀さえ握っていれば怪我がたちどころに治ってしまうカーラとはいえ、致命的な敗北が待ち受けるだろう。
カーラをあの町で死なせるわけにはいかない。ミシェルを死なせた私がその妹まで助けられないということだけは、あってはならないのだ。起きたことは、元には戻らない。せめてカーラだけは。
太陽が大地を照らすおかげで、すっかり景色は明るくなっていた。
三つの星のうち、最後に残っていた星も消えてしまった。太陽の位置はほとんど元に戻っていた。
ポイントヒルの町に、ここまで運んできたガトリング砲と共に入る。必死に私が維持していた三角星の加護は、焼き切れて戻らなくなった。呪われた力はもう使えない。時の流れは変えられない。
静けさが町を支配している。
私は娼館に立ち寄った。
ヘザーが慌てて水を持ってくる。コップの水を一気に飲み干した。町に入ってから急に倒れそうになり、私は無理が祟ったと思った。もう少しだというのに体が気力に追いつかない。
そこには言いつけ通りエミリオもいた。私とカーラがマッケンジー邸に入ってからは全てが終わるまで娼館で待つようにと言ってあった。棺に入っていた財宝は別の箱に移され、ヴィクトリアとハンスが守っている。
「頼みたいことがある」
壁に向かって体重を預けて言う。一度でも腰を下ろせばしばらくは立ち上がれそうにない。
「表に運んできた物がある。それで標的を撃ってほしい」