13.未亡人
誰かが来た。ミシェルが刀を持って墓地に現れた時を思い出す――ゆっくりとした足音が近づいてくる。おそらくポイントヒルからの追手だろう。
木の下で腰掛けていた私は立ち上がり、拳銃を抜き、周囲の速度を遅くした。不意打ちされてたまるものか。三つの星は視界に浮かんでいるが、最早ほとんど意識しないでいい。邪魔でも何でもない。慣れた。
周りは茂みで視界が悪い。私は夜空が白み始めてからずっとここで休んでいた。その間、耳だけは注意深く働かせていた。いま聞こえてきたのは近づいてくる誰かが茂みを恐る恐るかき分ける音だった。
音のした方向を警戒しながらさっさと回り込む。相手は何人だろうが私の動きに対処できようもない。相手は遅い。私は速い。
背中が見えた。背はあまり高くない。邪魔で厄介な枝をどかそうと手を伸ばしている。ほとんど静止したその姿を見て、どうやら追手ではないらしいぞと気がついた。彼女は一人で来たようだ。
念のために近くで銃を向けてから、速度を元に戻した。
「動くな!」
慌てて振り返ろうとした相手に警告する。
「誰だ」
「マリアさんの使いで――」
「顔を見せな、ゆっくり」
思い出した。マリアの死体を引き渡した時、彼女は娼館で他の女たちと一緒にいた。確か、小さな子を抱いていた。マリアの使い?
「マリアは死んだだろ。どういうことだ」
彼女はヘザーと名乗った。ヘザー。占い師のいる洞穴へと出かける際に、マリアが不在中の事はヘザーに任せると用心棒に伝えていたのを覚えている。マリアに信頼されている人物というわけだ。
「マリアは今朝、生き返ったんです」
彼女の話を聞くのに、銃はもう要らない。
ヘザーが言うには、死んだと思われていた(私がまずそのように思っていた)マリアは一夜明けて息を吹き返した。彼女は何か思案する様子を見せた後、ヘザーに私をポイントヒルまで連れ戻すよう頼んだという。
「なぜだ? 私を必要とするって事なら理由があるのだろう?」
「こう言ってました。『私と同じように、ジョーは生き返ったはずだ。昔仲間だった他の連中も』って。『シェイナ・グリーンにも心当たりがきっとあるはずだ』とも」
はっとした。ミシェルの亡霊にやられたマリアがあの状態から生き返ったとするならば。私が墓地であの黄金の刀に斬られた後に経験したものは単なる気絶ではなかったのかもしれない。あれは、もしかすると死、あるいは仮死状態とでもいうべきものだったのではないか。
そして私が周りの速度を低下させるという不思議な現象を引き起こすことができるようになったのは、ミシェルに斬られた事が関係している。それは三角星の加護という言葉が彼女の口から発せられた事からも確実だろう。
となると、マリアも私のように、種や仕掛けのない手品のような真似ができるようになったのではないか。マリアだけでなく、ジョーやディックらもそうなったならば大変な事だ。そうでなくともマリアのもとへ彼らは報復しに行くだろうから、彼女が私を呼び戻そうと使いを寄越したのも頷ける。
マリアが「昔仲間だった連中」と生き返る範囲を限定したのは――きっと、私がした話を覚えていたからだ。私が保安官として住んでいた町で唯一ペドロが生き残っていたのも、今考えるとミシェルの亡霊が彼に情けをかけたのではなく、斬られた後に彼だけが生き返ったからだと分かる。
ペドロは私を除き、あの町でただ一人のクレイトン盗賊団の関係者だ。彼が私の目の前で火種が何もないにもかかわらず突然炎に焼かれ死んだのも、何か三角星の加護だか呪いだかが関連しているに違いない。自分自身を罰するように自ら燃え出したとも考えられる。
私は馬に歩み寄った。馬は、道からわざと見えるように繋いである。ポイントヒルから来るかもしれない追手に気づかせて、私の所へ誘い込むためだった。結局現れたのはマリアからの言づてを頼まれたヘザーという女だったが、どちらにしてもそれで良しだ。
「あの、戻って来てくれますか」
ヘザーが心配そうな声で聞いてくるので答えてやる。
「ポイントヒルに戻ったら、ならず者どもは皆殺しだ。ところで馬はいるのか。まさか歩いてきたんじゃないだろうね」
「いますよ、ほらそこに。馬には乗れます」
「そうか、なら早く乗りな。置いてきたガキも心配だろ」
「はい」
素直な女だ。馬を走らせた。
ヘザーと出会った地点はポイントヒルからそう遠くなく、私が夜道をゆっくりとしか進まなかった分、今は日中だからあっという間に道を引き返すことができる。町に着く手前で、ヘザーは馬を止めてこう言った。
「念のため、これを着てください」
差し出されたのは未亡人が着る、黒い服の一式だった。特に重要なのは顔を見えにくくする黒いヴェールだ。町にいる一味の残党から私の正体を隠すためだという。ただ、少し透けてしまうので、持っていたスカーフでさらに顔の半分を覆うことにした。
「私には似合わないな」
着てから言った。愛し合った夫を農園で亡くしているマリアならともかく、私では。
「シェイナさんは私の姉という事にします。他に身寄りのない姉を、手紙で私が呼び寄せたと……」
再び町に入ると、少し様子が変だった。
厩舎の入り口の前で私とヘザーは足を止めていた。ヘザーも町の異変には気づいていて、私の視線と同じ方を見つめていた。
私がビッグ・ボビーを殺した酒場の前から遠くの十字路にかけて、死体がいくつか転がっている。その一つには、私の目に間違いがなければ、見覚えがあった。電撃ディックだ。違いない、これで奴が死ぬのは二度目だ。
違和感はそれら死体のせいだけではなかった。外にいる誰も彼も倒れている死体を気にもかけず、ある者はゆっくりと、ある者は駆け足で同じ方面へと集合していく。それは遠くの十字路の人だかりだ。これまで私が見た町の住民は、町から逃げ出そうにも逃げ出せずジョーの一味と共存するがために、諦めと偽りの安堵が入り混じった表情でいるのが大半だった。それが今は、すでに通り過ぎたはずの恐怖、緊張。人々の間にある空気は妙に張りつめていた。
私にも分かる。十字路に集合する人たちはある点を見上げていた。立派な邸宅がある。バルコニーから誰かがぶら下げられている――。
「私、見てきます」
厩舎で馬を預けた後、ヘザーは「戻ってくるまでここにいて下さい」と私を残して出て行った。
厩舎の番は何があったのか知らない様子だ。でも、町の不穏な気配は感じ取っているようで、私と同様口数は少ない。何か尋ねられるかと思いきや、変装した私の正体にも気づいているのか分からない。
また、ここで私がリトル・ボビーを殺した事で彼がならず者たちに何か報復された様子はなかった。保安官と、正直に彼に事情を話すよう言ったマリアのおかげだろう。そう、マリアが……
争うような音がした。奥からだ。若い厩舎の番は手近にあった長い柄の農具を取り、音が聞こえる隣の納屋に向かった。
考え事をしていた私は、動くのが遅れてしまった。納屋から聞こえてきたのが人と人の争う音と気づき、私が厩舎の番に続こうとして無防備にも歩き始めた頃にはすでに、彼が納屋へ続く扉に手をかけてしまっていた。そして私が声を出す前に、扉は開け放たれた。
人が降ってきた。薄暗い納屋の、干し草が散った地面に仰向けに落下したのは見覚えのある老人だった。胸の辺りから血が出ている。いちど酒場で会ったウォード大佐だった。黄金の刀を探し求めていた彼は、もう動かない。
私は三角星の力を使わなかった。マリアの二度目の死にショックを受けていた。ヘザーから話を聞いてポイントヒルまで舞い戻った時にはすでに手遅れだったからか、一度目の死よりもずっとショックは大きかった。うわの空だ。
厩舎の番が農具を構えて中に入ると、納屋の上段から梯子で降りてくるもう一方の人間が姿を現す。その姿に私は再び心臓が止まりそうになった。なぜなら彼女は黄金の刀を手にしていたからだ。また私の周りで人を殺戮するのだろうか。
いや、これまでに遭遇した時と様子が違う。今までは無表情で何があっても顔色を変えず、生気のない人形のようだった。ただ人を殺すために地上に降り立った亡霊が、今では生きた人間のように感じられた。彼女は梯子の最後の数段を飛ばして身軽に飛び降りた。
「動かないでよね」
私と厩舎の番の両方に向けて言った。そして、「死にたくなければこの事は誰にも言わないで」と言う。
どうするか迷っている若い番の肩をつかんで止め、私は彼より一歩前に出た。
すると彼女は威嚇するかのように血のついた刀を振りながら後ろへ下がった。
納屋の裏口から出て行こうとする彼女を止めようと、声を上げる。
「ミシェル!」
彼女は私たちに背を向けて今にも外へ出ようとしていたが、その足を止めた。振り返った顔には困惑の表情が浮かんでいる。彼女は言った。
「姉さんの名前……あなた誰? ミシェルを知ってるの」