第4話 自由に音楽を
酒場を出た美歌の目には、改めて見る異質な世界が広がっていた。
レッドカーペットが続く先にはレンガでつくられたような建造物があって、アニメや映画などでしか見たことのないような甲冑やマント、そして絶対警察の取り調べを受けてしまいそうな剣とか斧とかの「武器」を身につけた人たちが、当たり前の顔をして歩き回っている。美歌はその様子を見ながら、コスプレを頭に思い浮かべていた。
(コスプレ……じゃないよね? 夢の中って言っても、こんなファンタジーみたいな)
「さぁって、美歌ちゃん、このマネーダンジョンのことまだほとんど知らないよね?」
「あっ、はい!」
後ろの瑠那の声に慌てて返事をした。すぐそばに推しがいるという状況にまだ慣れていない。
「と言っても、まあ私もまだ全然知らないんだけど。私もねぇ、3カ月前くらいかな? 突然飛ばされてきたの」
「そうだったんですか?」
飛ばされてきた。その意味が混乱している美歌には全然わからなかった。その気持ちに答えたのは、どこか無機質な声だ。
『通称マネーダンジョン。ここはそう呼ばれています』
「えっ、今のは?」
美歌がずっと握り締めていたダンジョン専用のスマホ──エレクトフォンが光る。
「エレクトフォンのナビ機能ね。疑問に思ったことはたいていのことなら、頭に浮かべただけで答えてくれる。美歌ちゃんの頭の上にいる変なスライムより、何十倍もわかりやすい説明をしてくれるかもね」
瑠那の言葉にスラッグが頭の上でポーン、と跳ねた。
「ボクだって案内人としてしっかり説明してるよ! ……まあ、説明を忘れちゃったりすることもあるけど」
しょぼくれたようにへなへなになったスラッグを美歌の手が優しく撫でた。
『──説明を続けますが、いいですか?』
「うん、お願い。初心者の美歌ちゃんにもなるべくわかるように話してね」
『善処します』
瑠那の要望に応えるように少し間が空いてナビが話し始める。
『まず、私や美歌様の頭の上にいるスラッグ、酒場の店主などはこのダンジョンがつくったNPC──プログラムのようなものです。なので、私たちが話す内容はダンジョンに規定されており、話すことのできない禁止事項が含まれています。なので質問によっては答えることができないことも多々あります。以上は、ご理解いただけますか?』
(……む、難しい。なに言ってるか全然わかんないよ!)
「そんな小難しい言い回しじゃ、伝わらないよ? ようするにダンジョンが話していいよって言っていること以外は話せないってことでしょ?」
『大枠、間違いありません。マネーダンジョンは、境界と境界のはざまにあるような存在です。ここでは、ダンジョンによって選ばれたギフテッドと我々が呼んでいる人たちのみが招かれ、さながらゲームのようにデザインされた世界の中で遊びに興じることができます』
瑠那が大きくため息をついた。
「そこよ。なんで選ばれたのか、なんのためにダンジョンが生まれたのかわからないけど、美歌ちゃん、とにかくここではゲームのような世界で遊ぶことができる」
「……そうですよね。私も、スラッグからそんな説明を受けました。大冒険が待ってるって」
(でも、大冒険って?)
美歌の抱いた疑問に、ナビが即座に答える。
『ダンジョンはいくつか種類があります。今、解放されているのは一カ所のみですが、ダンジョンがアップデートすれば増えていく予定です』
「そう、そのダンジョンに私、挑戦してるんだ! でも、なかなか一人じゃ難しくて、それで仲間を探していたってわけなんだけど。とりあえず美歌ちゃん行ってみない? ダンジョン」
「えっ──あっ、はい」
とりあえず、美歌は何も考えずに言われるがままにうなずいた。
*
「うわぁ、大きい……」
美歌は、プレイヤーが行き交うなか大広間の正面に設置された一際大きな鉄扉の前にいた。
「大丈夫だよ、美歌ちゃん。最初は緊張するけど、何があっても死ぬことはないから。ゲームを面白くするために痛みはあるけど、ま、敵の攻撃が当たらなければ意味ないから、気にしない、気にしない!」
(いや、少しでも痛いのは、嫌だなぁ)
ナビ並みに美歌の心理を察したのか、瑠那は明るい声で付け加えた。
「大丈夫! もしケガしても私がすぐに回復するし、なんなら自動回復魔法かけとく?」
「いえ、それは、大丈夫です。たぶん……」
「大丈夫だって! 習うより慣れろ! だよ!」
元気づけるように高い声を出したスラッグは、美歌の上で跳ねると赤いカーペットの上へ着地した。
「僕はダンジョンに入るまでの案内人だからここまでなんだ! だけど、その前にダンジョンを楽しめるスキルを習得しないとね、あと装備」
(また、よくわからない単語だ……スキル、に装備?)
「スキルはモンスターと戦うための魔法とか技とかって感じかな? あと、装備はまあ、他のプレイヤーを見たらわかるでしょ?」
(あっ、さっきのコスプレ衣装みたいなやつ?)
スラッグが、また頭の上で跳ねる。
「スキルも装備もお金がかかるから、初日はお試しで好きなスキルと装備が選べるようになってるよ。美歌はバードだから、うん、音楽スキルがいいかな」
「──音楽……?」
『今、スキル一覧を画面に表示します』
ナビがしゃべるとエレクトフォンの画面が勝手に切り替わった。ギター、ピアノ、ソング──美歌でもわかる単語が並ぶ。
「ギターってもしかしてギターが弾けるってこと? ソングも、歌?」
『その通りです。現実世界と同じ名称がそのまま使われています。バードは日本語にすれば吟遊詩人。音楽を奏でてモンスターを倒す職業です』
「音楽を……奏でる……私が……?」
美歌はぎゅっと手を握った。
──ずっとアイドルに憧れていた。いつか自分もステージに立ってライトを浴びて観客とともに音に包まれる。そう思っていた矢先に交通事故に遭い足が動かなくなってしまった。
(でも、ここなら、音楽を奏でられるってこと?)
「願えば夢は叶う」
ずっと話さなかった瑠那がぽつりと浦高のキャッチフレーズをつぶやいた。後ろを向けば、そこには憧れていた笑顔が美歌に向けられていた。
「初期クラスバードってことは、ってずっと考えていたんだけど、美歌ちゃん、たぶん音楽やってたよね?」
「はい。デビューを夢見て、ずっとレッスンに通っていました。歌も。演奏ならギターもピアノも一通り習いました。瑠那さん、ここなら、このダンジョンなら私、自由に音楽を楽しめるってことですか?」
瑠那は優しくうなずく。
「そうだよ。音楽を楽しめる。何の制約もなくね」
美歌はエレクトフォンの画面に目を落とした。
(たとえ夢だとしても、こんなチャンスきっとない!)
「だったら、私【ギタースキル】にします。ギターなら車椅子に乗っても演奏できるし」
『ギタースキル。了解しました。それから──』
一通りスキルと装備を整えたあと、美歌の車椅子はダンジョンの入口に向かって進んでいく。近付いてよく見ると、両開きの扉の中心には、球体の周りを複数の楕円が囲むような謎の模様が描かれていた。
(うーん、宇宙みたいな……?)
「ちょっと待ってね」
瑠那は車椅子の前に出ると、扉を両手で押し開けた。扉の奥にはただ、暗闇が広がっているように見える。
「ここだけは自動ドアじゃないのよね。たぶん、これからダンジョンに入るぞっていう演出なんだろうけど」
再び車椅子に手を置くと瑠那は滑らせるように美歌の背を押し始めた。すると、それまでずっと頭に乗っていたスラッグが飛び跳ねて地面に着地する。
「ボクはここまでなんだ。こっから先はプレイヤーしか進めない。それじゃあ、美歌! 最初の冒険楽しんでね!!」
「あっ、うん、ありがとう!」
スラッグはそそくさと跳ね回るとレッドカーペットを通って、その姿を消した。
(なんかちょっと、寂しいかも……)
「あのスライム、変な奴だけど、でも子どもみたいでちょっと憎めないところあるよね」
「そうですね。スラッグのおかげでちょっと楽しかったかも」
「なぁに美歌ちゃん、私とじゃ楽しくないの~?」
ぐいっと瑠那が顔を近づける。慌てて美歌は首を激しく横に振った。
「そ、そんなことないです! 絶対、瑠那さんといる方が──」
瑠那が背中を向けてプルプルと体を震わせている。笑いを堪えているように美歌には見えた。
「瑠那さん、もしかしてまた私をからかったんですか?」
我慢しきれなくなったのか、瑠那は吹き出してしまった。
「あはは、ごめん美歌ちゃん! よし、じゃあ、気を取り直してダンジョンに向かおう!」
二人が完全に扉の中へ入ると、扉は重々しい音ともに閉ざされた。
「ここが、ダンジョン」
「いいえ、まだよ。ここはダンジョンへ向かう最後のフロアみたいなところ。ほら、見えづらいけど真っ直ぐ奥にもう一つ扉があるでしょ?」
指をさされた方向を目を凝らして見ると、確かに今までと同じ形状の扉がぼうっと暗闇の中に浮かんでいる。
「だけど、色が違う? なんか、青っぽいような」
「そう。あそこだけ違うの。なんかいよいよダンジョンに向かうっていう感じがするわよね。プレイヤーはみんなここでクラスやスキル、持ち物などの確認をするの。ここならまだ引き返せるから。あっ、それから扉の上の方を見て!」
言われたままに見上げると、そこには2つの巨大なディスプレイが暗闇のなかに浮かんでいた。
<5階のモンスター強すぎないか!?>
<5階とかザコ乙>
<そんなことより、天使のすずちゃん、今日もかわいすぎる!>
<は? 天下の瑠那様が最強だろ!>
左側のディスプレイにはユーチューブのチャット欄のように言葉が羅列されている。そして、右側にはモンスターと戦うプレイヤーの映像がランダムで入れ替わっていた。
「これは、チャットですか?」
「そっ。プレイヤーの映像はランダムで流れるからね。そこでファンになる人もいるみたい。あっ、さっそく美歌ちゃんのことも書かれているよ」
「えっ……?」
<新しくプレイヤーになった車椅子の子、誰か知ってる? めちゃくちゃ清楚系でかわいいんだが>
(車椅子の子って、私しか……いない、か。でも、知らないところで見られているとか、ちょっと怖いかも……)
美歌の肩を瑠那がそっと触った。
「大丈夫だよ。美歌ちゃんは私が守るから。さて、時間もないからさっそく行こう! 心の準備はOK?」
美歌は、笑顔をつくると大きく深呼吸をしてうなづいた。
「はい。大丈夫です」
全然OKじゃなかった。これから何が起こるのか、不安だらけでもはや心配事しか考えられなかった。だけど、それでも美歌は、大きくうなずいて見せた。瑠那と一緒ならきっと楽しい冒険が待っているはず、と自分を奮い立たせて。なによりも念願だった音楽が自由に奏でられるのだ。
美歌は瑠那とともに扉をくぐる。その瞬間、ここへ来たときと同じように空間にノイズが走り、周りの暗闇が別の構成物へと超高速で置き換わっていく。光の速さってこれくらいなんだろうか、と美歌がのんきな感想を頭の中に浮かべているうちに、それらは終了し、気がつけば二人は何かの建物の中にいた。