第3話 ローズの香りに振り回されて
「るっ……」
美歌は、驚きすぎて声が出せなかった。嬉しすぎて体が熱かった。──どうしよう。心臓が、心臓が、暴れまわりそう。
美歌は自分がどこにいるのかも誰に囲まれているのかも、自分がどんな状況にいるのか一切全てを忘れ去ってしまっていた。かわりに、瑠那の一挙手一投足を全て刻み込もうとするかのように、その大きな丸い目は瑠那だけにフォーカスされていた。
瑠那は目を大きく開くと、急に笑顔になり、横に垂らした緩くカールした髪の毛を耳にかけた。
「あなた、見たことがある気がする。確か、ライブで。……違う?」
「えっ!? えっと、その……そ、卒業ライブで……」
「卒業ライブ?」
「あぇ、あの……浦高の、瑠那さんたちの卒業ライブです」
そう言うと、瑠那は突然美歌の体を抱きしめてきた。
(えっ、えっ、えっ、えぇっ!!?)
夢だ──と、瑠那の姿を見て美歌は思った。突然わけのわからないところへ飛ばされて、プレイヤー登録をしたら憧れだった瑠那に会って、会っただけじゃなくて会話もしてあろうことか今、抱きしめられている。
(うわぁぁぁ、香りがぁ。いい匂い……で、ででででも! 夢だよね? だけど、この感触──私……)
「やっぱり、そうだ! 特別席の最前列にいた子!! すっごいかわいいから覚えてたんだよね!」
「へ……? かわいい? 私がですか?」
美歌から離れると、瑠那はしゃがみ込んで少し悪戯っぽい笑顔で美歌の顔をのぞき込んだ。
「うん! かわいいよ! ファンのみんなペンライトとかうちわとか、タオルとかでアピールしてたのに、あなただけボーっとステージ見てたからちょっと気にかかってたのもあるけど」
(あっ! 私、ステージからそんなふうに見えてたの!? 瑠那さんに夢中で目で追ってただけなんだけど……)
「ごめんごめん、そんな目で見ないで。ちょっとからかっただけ」
「からかっ──!!」
(瑠那さんにいじられてる!? これってとんでもないファンサなんじゃ……!! 待って、だとすると、やっぱり夢だよね、そうだよね)
またフワッとローズの香りが広がると、目の前には手が差し出されていた。
「えっ……」
「ねぇ、名前教えてくれる? 私、ちょうどダンジョンに潜る仲間を探していたんだけど、女の子がいいなって思ってたの。それに、初めましてじゃないみたいだし」
(仲間? 瑠那さんが私と? でも──)
美歌は頭を悩ませた。仲間なんて大それたものになっていいのだろうか。一ファンに過ぎない私が瑠那さんの仲間に?
──でも。
(落ち着いて私。これは、絶対夢だから。今までだって何回も瑠那さんが夢に出てきたことだってあるんだから。だから、これも絶対夢。こんなおかしなこと、逆に現実で起きるわけない──)
「齋藤美歌です。あの、た、ただの高校1年生ですけど、よろしくお願いします」
これは夢だと自分に言い聞かせて、美歌は勇気を振り絞って震える手で瑠那と握手を交わした。
「よろしく、私は金木瑠那。私と仲間になりましょう」
瑠那はふっと、微笑むとそう言った。
「さて、と美歌ちゃんは、プレイヤー登録したばかりだからダンジョンの準備、まだだよね? まずは、ダンジョンへ向かう準備を一緒にしよう!」
ポーン、と美歌の頭の上に何かが飛び乗った。柔らかくひんやりとした感触は、ダンジョンの案内人と名乗ったスラッグだ。スラッグは抗議するように体をプルプルと震わせた。
「ダメだよ! それはボクの仕事なんだから」
「まあ、いいじゃん、いいじゃん!」
明るく笑うと瑠那は美歌の後ろに周り、車椅子を押し始めた。
「わっ! 瑠那さんダメです! 自分で動けますから!」
「気にしないで仲間になったんだから! この方がきっと案内しやすいと思うし──ダメ?」
瑠那はわざとらしく小首を傾げた。
(そ、そんなふうに可愛らしくお願いされたら、断れるわけない……!)
「お、お願いします……」
「よーし、それじゃあ! 行こう!!」