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第2話 ようこそ、マネーダンジョンへ!

 何が起こったのか。脳内の処理スピードを超えて、今まで15年間培ってきた常識すら超えて起こった出来事に、美歌は半ば涙目になりながら辺りを見回すことしかできなかった。


 レンガだろうか赤茶けた重厚そうな壁に、シワも汚れも一つもない縁が金色の赤地の絨毯。


 アカデミー賞などで見たことのある無駄に横幅の広い絨毯は、真っ直ぐ奥の暗闇へと敷かれていた。その先に何があるのか、立ち上がって確認することのできない今の美歌には見ることができなかった。


 絨毯はいくつか枝分かれしており、その先に鉄扉が置かれていることから、もしかしたら暗がりの中にあるのも重々しい鉄の扉なのかもしれない。


 あまりにも突飛な出来事に美歌は油断していた。いや、油断というよりも意識の外にあったというべきか、全く異次元に変貌を遂げた自身の部屋を確認するのに優先するあまり、背後から音も立てずにやって来る存在に気がつくことができなかった。


「どうも~僕の名前はスラッグ。悪いスライ──」


 だから、後ろから見知らぬ物体に突然声を掛けられた衝撃で、美歌は叫び声を上げていた。──授かった自分の能力を知らずして。


 途端にゼリー状の物体が爆発したかのように弾けとんだ。水風船が割れたときのように、それを形成していた欠片は四方へと飛び散る。


 水風船と違うのは、美歌の短い黒髪にべとりと付いてしまったように強力な粘り気があること。


 その物体に恐る恐る手を触れ、安全を確認したところで絨毯の上へと投げ捨てる。半透明の青色が絨毯の赤と混ざり合い紫色に見えた。


「こ、これって……ス、スライム……?」


 子どものときに触れたことのあるぷにぷにしてひんやりとした謎の感触の物体。そのスライムが今動き、声を発したのか、と美歌が四散した塊に目を向けたとき、 ぶるんっとそれらは振動した。


「えっ」


  目の前で起こったことはまた美歌の中の常識を一つ覆した。


 それらは意志を持つかのように次第に1ヵ所に集まり、重なり、形を成していく。ものの数秒でそれは原型を取り戻した。真ん中に寄った2つのおそらく目が、たぶん怒りの感情を表すようにつり上がる。


「いきなり何をするんだ! 僕は悪いスライムじゃないって!」


(……いや、だって、いきなりこんなわけのわからないものが出てきたら誰だって大声を出しちゃうよ)


「まあ、びっくりするのはしょうがないけど、登場シーンからバラバラにされたのは初めてだなぁ」


 その台詞に美歌は目を見開いた。透き通るような黒色の瞳が光を含み輝く。


「私の他にも誰かここに来たんですか?」


「はい、もちろん! ここは選ばれし者のみが入ることが許されたマネーダンジョン! 何を隠そう僕こそマネーダンジョンの案内人のぷるるんスライムのスラッグ! さあ、見事ダンジョンに選ばれた齊藤美歌様! ボクとともに栄光の道を歩みましょう」


 スラッグはグラデーション豊かな青色の体を揺らした。おそらく、人間であれば胸を張る動作だろうか。


 本人の言によれば、何人もの選ばれた者をその台詞でダンジョンへと導いたのだろうが、困り果てた様子の齊藤美歌はそうはいかなかった。


「あの……そんなことより、前に来た人達って、なんていうか、その、帰れたんですか? ……元に戻ったって言った方がいいのかな?」


「そんなことよりって! 大冒険が待ってるんだよ! それも命の危険はなしで現実のお金と交換可能な大量のマネーが手に入るんだ!」


 その話を聞いても美歌には何の興味も沸かなかった。というよりも、冒険やお金と言われてもまるでピンと来ないし、目の前のスライムだって現実感が無さすぎる。


 そもそも、今眼に映っている映像が本物なのかどうかとか、自宅はどうなってしまったのかとか、とにかく全てが美歌の許容範囲を超えていて、いっそのこと全て夢のせいにして元の部屋に戻りたかった。


(それに、せっかく瑠那さんが出てたのに……)


 あまりにも興味なさげな美歌に、スラッグはドロドロと液状化してみせる。


「……そんな、本当に関心がないの? みんなお金がタダでもらえるって聞いたら興味津々でゲームに参加してくれるのに。半信半疑の人も多いけどさ。やってみたらこれがいかに安全で、これまで体験したこともないようなエンターテイメントかすぐにわかってもらえるよ」


「あの、すみません。それ全部無理です。私、歩けないから」


 セールストークのように、聞いてもいない説明をするする続ける謎のスライムに向けて、わざわざ自分から言いたくはなかったが、美歌はそう告げた。


「──へあっ? 歩けないって……?」


 ため息を一つ漏らすと、美歌はベッドにいたときから伸びたままの脚を触った。


「私、事故で脊髄やられて脚が全く動かなくなったんです。だから、そんな冒険とか無理なんです」


「あっ……」


 スライムもそんな反応するのか、と美歌は内面少しうんざりしていた。脚が動かなくなってから、車椅子での生活が始まってから、家族や友人や密かに思いを寄せていた人までみんながみんな一様に「なんと言ったらいいのやら」という顔をする。


 その最初の反応は仕方のないものかもしれないけど、自分自身がどうしようもないことで可哀想にというくくられ方をする度に、できたばかりのかさぶたをちょんとつつかれるような感覚が走った。


「でも……そうか、だからあのとき……ってことは、珍しい……【バード】? いや、そう、まず……」


 急に後ろを向いたかと思うと、ごにょごにょとひとり言を呟くスラッグ。丸みを帯びたその背中に、どうでもいいが気持ちよさそうという感想を美歌は抱いた。


(あれ、クッションにしたら熟睡できるかな?)


「わかった! 美歌、僕わかったよ!」


 また急に振り返ると、スラッグは、裂けてしまうんじゃないかと思うほど、うれしそうに口を大きく開いた。


「な、何がわかったんですか?」


「ノープロブレム! 歩けなくても全然OKなんだ! これあげる!」


 言うなり、スラッグの口から何かが吐き出された。体積的にそんなものをどこに入れていたのか、さっきバラバラになったはずじゃと美歌は一瞬思ったが、そもそも突飛な場所にいることを思い出して構造とか仕組みとかについて考えるのはやめた。


「これ……」


 それよりも、目の前に出されたそれは、美歌の所有しているタイプと同じようなチェック柄のオレンジの布が張られた車椅子だった。吐き出したにも関わらず粘液はどこにもついていない。


「これに乗れば僕と一緒に歩けるよね! 大丈夫! こう見えてダンジョンはバリアフリーなんだ! たぶん、そうに違いない!」


 うん、テキトーだよね。そう心の中で突っ込む間にもスラッグはピョンピョン跳ねながら説明を続ける。


「いや~車椅子のギフテッドは初めてだなぁ。あっ、そうそう、これもあげなきゃ。ダンジョン専用のスマホ。このダンジョンだけで使えるもので──ああ、ごめん、まず乗ってから話そう」


「あっ、はい」


 美歌はスラッグをクッション代わりになんとか体を持ち上げて車椅子へと移動することに成功した。慣れた感覚に心が少しだけ落ち着く。


「よし、次にこのスマホを」


 またもや口から出されたスマートフォンを手にする。つかむと、それは瞬時に小さめな美歌の手にも収まる大きさへ変化した。


「すごい!」


「でしょ。できる限り不便を感じさせないように配慮されているんだ。指紋認証したら、もうそのスマホ──エレクトフォンって言うんだけど、エレクトフォンは君専用になるんだ」


「へ~ありがとう…………」


(……って待って!?)


 そこで美歌は自分が乗せられてゲームだとかマネーダンジョンだとか、よくわからないものに参加しそうになっていることに気が付いた。車椅子に乗れても、便利なスマホみたいなものがあったとしても、そもそもこんな得体の知れないゲームに興味はないのだ。


「あの! それよりどうやって帰るんですか? さっきも言いましたけど、私、ゲームに参加するつもりは全くないんです」


 こういう誘いにはキッパリと断ることが肝心。今までの経験上それはわかりきったことだった。だが、それは人間相手のこと。


 スラッグは愉快そうな笑顔のまま、車椅子の後ろに回ると下から跳ねるようにして前方へと進ませる。


「えっ、あっ、ちょっと!」


「まあまあ。戻ろうと思えばいつでも戻れるし、ダンジョンの1日の時間も限られてるからさ。初心者だと1日は体感的には1時間しかないから、すぐに終わっちゃうよ! 何事も体験、体験!」


「ほ、ほんとに1時間だけなんですか!?」


「うん! 僕はウソをつけないからね! 信じて!」


 信じるという言葉をこんなにも軽々しく言われたのは初めてだった。それだけにそんなに身構えなくてもいいのかなと思ってしまう。──もちろん「浦高AFTERSCHOOL」は録画しているから、後で見ることだってできる……不本意だけど。


 美歌は、その小さな胸の膨らみの下に手を当てると、大きく息を吐き出した。


(よくわかないけど、1時間……1時間だけなら……)


「わかった。参加してみる。そのダンジョンっていうやつに」


「そうこなくっちゃ! じゃあ、まず、酒場に行ってプレイヤー登録しないとね!」


「さ、酒場? 私まだ未成年なんだけど!」


「そうやって呼んでるだけ! さ、入りまーす」


「えっ、ちょっ、待っ……」


 赤い絨毯の上を滑るように加速していく車椅子の、その勢いに乗ったまま美歌は一番手前の鉄扉へと近付いていく。……ぶつかる、と思ったが扉は美歌を迎え入れるように左右に開いた。


 するすると減速して止まった所はちょうどカウンターの真ん前。 英字で書かれたラベルの貼られた酒瓶が乱雑に並ぶ奥には、焦げた茶色の毛で覆われた巨大なぬいぐるみがあった。表面の毛は触れるとちょっと痛そうなごわごわしている毛。


 ぴょんっと横の脚の長いイスに飛び乗ると、スラッグはそのぬいぐるみに向かって「マスター、新しいプレイヤーを連れてきたよ!」とはしゃいだ声を出した。


(え……マスター……?)


 目の前で「おう」と低音のバスが聞こえたと思ったら、ぬいぐるみがゆっくりと振り返る。鋭い眼光が睨み付けるように美歌を見下ろした。


「え、あ、その……」


 毛むくじゃらの中に三日月を横にしたような2つの細長い瞳が埋まっていた。高い鼻はピクピクと微かに動き、 自分の顔ごと持ってかれそうな大きな口の中には丹念に磨かれた鋭利な刃先のような白い歯が並んでいた。


「おーう、これはまた可愛いらしい嬢ちゃんじゃねえか。この前来たばかりの新人もかなりのべっぴんさんだったけど。ん? どうしたい? 俺の顔が怖いかい? 大丈夫、俺はウルフガイ! 悪いウェアウルフじゃねえぜ!」


 ウルフガイはこれまた大きな手を前に出して何やらポーズを決めた。


(……毛で覆われてよくわからないけど、たぶん、グッドポーズのつもりなのかな?)


「あっ、はい。すみません、ぬいぐるみだと思ってたからびっくりして……」


「ぬいぐるみ~!? そんな可愛いもんに間違われたのは初めてだぜ!」


 そう言って豪快に口を開けて笑うと、ウルフガイはカウンターの下からタブレットを取り出した。太い指で器用に操作すると、古文書の表紙のような装飾で彩られた画面が現れる。


「ここに名前を記入するんだ」


 言われた通り、美歌はシンプルな四角い枠の中に指で名前を書いた。もう少し丁寧に書けばよかったと思ったのは、最後の一文字を書き終えてから。通知音とともに美歌のエレクトフォンが振動する。


「見てみなよ。登録が完了しているはずだよ」


 スラッグに促されるままにサーモンピンクのシャツの胸ポケットに入れておいたエレクトフォンを取り出す。光る画面には、「ようこそ 齋藤美歌!!」の言葉とともに次の行に「初期クラス バード」の文字が。


「初期クラス? バード……?」


「やっぱりバードだったんだ!」


「ほう、バードとは珍しいな」


「へ~バードなんだ!!」


 スラッグもウルフガイも美歌の端末に顔を近づけてのぞき込んでいた。


(ん? もう一人別の人の声が聞こえた気が──)


「あっ、かわいい女の子だ! ダンジョンには女の子少ないから仲良くしたいな」


「……って誰ですか!?」


 エレクトフォンを胸に押し付けながら、慌てて後ろを振り返ると、そこにはあり得ない顔があった。


(!? ウソ…………)


 輝くような光沢を帯びた金糸のような髪は、邪魔にならないように低めの三つ編み団子でまとめられ、整った眉の下でキリリと睨み付ける切れ長のブルーの瞳は、青空を凝縮したかのように済みきっていた。筋の通った高い鼻は彫刻で彫られたかのように綺麗で、ふっくらとした唇までもが美歌の目には可愛く見える。


 今、美歌の前にいるのは、間違いなく日本、いや美歌個人的には世界最強の美しさを誇るトップアイドル、金木瑠那だった。

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