05 サンタはいないし、ヒーローはやってこない
拠点探しは思いの他難航した。
そして、他の人、は誰もいなかった。
後者についてはもう、二人は何も思わないことにした。
なので、主に前者について、集中して考え、行動した。
商店ならともかく、人の家に入っていくには躊躇がある。不法侵入、という言葉が頭をちらつき、仮に中に入って何の問題もなかったとしても、ゆっくり休めるような状態にはならなかっただろう。
ならば逆に、どうせ誰もいないのだから駅構内や交番、図書館、そもそも入っていい場所ならどうだ、とも考えたのだけれど……そういう場所には、ゆっくりと腰を落ち着けられる、欲を言えばそこで寝られる場所はなかった。
ああでもないこうでもない、と揉めた揚げ句、二人は駅前のビジネスホテルに目をつけた。相変わらず電気もガスも水道も使える気配はなかったが、ロビーなら外の様子がよく見え、日の光も差し込んでいる。なにより、家のベッドよりふかふかで、大きくて、体がゆっくりと沈み込んでいって、立ち上がりたくなくなるようなソファがあった。開いていた部屋からシーツや枕を何組かいただいてロビーで巣作りしていると、それなりに居心地の良さそうな場所は完成。
向かい合った二脚のソファ。赤ワイン色をしたベルベット調ファブリックがいかにも高級そうだ。おまけに、今の二人なら一緒に横になれるほどの広さ。そこから醸し出される「大人感」に二人は声にも顔にも出さず胸を躍らせる。この程度で浮かれるほどガキじゃないけれど……。
向かい合ったソファ中央には、どことなくアンティーク調をした藤のローテーブル。中央の砂糖壺や花瓶は壁際によけて、コンビニカゴを、どん。二人の荷物――記憶上では昨日の同人誌即売会で買った同人誌の数々は、ロビー脇にある飾り棚のような本棚に突っ込んでおいた。いかにも重厚な雰囲気を出している分厚い洋書の横に薄い本が並ぶ様は、どこか、教養なんか知ったことかバーカ、と宣言しているように爽快で、二人は少し笑った。
そうして落ち着いてみると、今度はエリスの腹も鳴る。
互いに空腹は限界だった。喉の渇きこそ癒やせたモノの、生死、という言葉が頭にちらつくほど激しい飢餓感を覚える。
「…………ねえ、ねえ、黒丸くん……?」
ソファに座り、テーブルのカゴをあさるエリスは、はたと気付く。
調理器具がない。
お湯も沸かせない。
そのまま食べるようなものもほぼない。
パスタを生で食べるか、カップ麺を生でむさぼるか、缶詰だけを食べてご飯とするか……選択肢はそれぐらいしかない……ように思えるのだが、景虎は、ドヤ顔、という表現では足りないほどのドヤ顔をしながら、言う。
「こういうことですよ、白鷺さん」
自信満々にカップ麺を手に取り、包装をむしり、どぼどぼ、ペットボトルから水を注ぐ。
「へ?」
あっけにとられているエリスを尻目に、もう一つのカップ麺も同じように。
「へいらっしゃい! お好みは!?」
ラーメン屋の店員じみて威勢良く尋ねる景虎。
「か……かた、め……?」
「あいよっ!」
そう言うと充電を経て、ようやく電源がつくようになったスマホでタイマーをスタートさせる。十五分。電話もネットも不通状態だったので、ロクに地図も見られない、ほぼ時計と電卓としての機能しかないが、今はこれで十分。
「……え、マジでできるの、これ?」
子どもの頃一度、鍋で煮込むタイプのインスタントラーメンを、お湯を注げばできると勘違いした結果、ぐにゅぽきした生煮えの麺を食べたことのあるエリス。あの日の惨めさを思い出しつつ、水、常温の、ただの水が注がれたカップ麺を、目を丸くして見つめながら呟いてしまう。ただの、普通の、カップ麺だ。災害時にはお水でも作れます……などとはどこにも、書いていない。
「お客さーん、ウチはこれでやってんすよー」
まだラーメン屋コントを続けたままで言う景虎の顔は、自信に満ちあふれている。
「…………ま、しょうがないか……」
景虎のことだ、災害時なんだから多少まずくても体を壊さないことが第一なんだゼ、だのなんだの言うのだろう。まあ、この際しょうがない、と、エリスは思っていたのだが……。
十五分後。
「あいよっ! お待ちっ!」
酢を一回し加え、胡椒をぱぱっと振り、よく混ぜるとエリスに差し出す。見かけはまったく普通のカップ麺だったが……手に持ってもまるで暖かくなく、湯気もない。違和感がすさまじい。それこそ、コンビニが真っ暗だったのと同じぐらい。
「マジでぇ~…………?」
ぐるぐるとかき回した感触は、注文通り固め。だがやはり、かけらの暖かさもない。香りもしない。うっすら、胡椒と酢の匂いだけ。
「いっただきま~~~す!」
顔をしかめ躊躇するエリスを尻目、ずるずる、豪快に麺をすすり始める景虎。それを見てようやく踏ん切りがついて、エリスも一口。
「…………へ?」
あらゆる予想とは裏腹。もう一口。
「…………へ~~~っ!」
「なっ!?」
「うんっ!」
交わす言葉は、それで十分だった。エリスが顔に浮かべる、驚きの混ざった満面の笑みがすべてを告げていた。景虎はその笑顔のかわいらしさを見て少し、そうか、こいつ女の子だったな、と思い出してしまい……いや今こういうことを考えるのはよくないゼ……と慌てて目をそらし麺を啜った。
そんな景虎にはまったく気付かず、エリスはカップ麺を啜る。
やや硬め、わずかにぽきぽきした感触を残すお菓子っぽい麺は、しかし、常温のスープとよく合っている。かなりの薄味に思えるのだが、その空白を埋めるように、胡椒のスパイシーさが舌をぴりりと撃ち、酢の酸味が食欲をもり立てる。すると、硬めの縮れ麺によく絡む醤油スープが口の中を満たし、慣れ親しんだカップ麺のあの味が後からひょっこりやって来る。子どもの頃からいつも変わらない、あの味。インスタントラーメンといえば、の味。心配だった具もちゃんと食べられた。こちらもやはり少し堅かったが、食事とお菓子の中間のような不思議なこの食べ物に、ぎゅむっ、ざくっ、しゃきっ、と心地よいアクセントを加えていた。
おいしい、し……楽しい……!?
まったく不思議な食べ物だった。よくよく知っている味なのに、まったく知らない食事。学校の先生が地元のコンビニで異性と親しげにしているのを見かけたような。
「なんか、これ、酸辣湯麺? みたいじゃない?」
酸味のある麺料理の名をエリスがあげると、景虎は鷹揚に頷く。
「モデルにしてみた。ってかあんま味しないだろ、暖かくないと」
「あそっか、これ薄味に思えるのって、冷たいから?」
「らしいね、なんか。お湯じゃないから麺の中の味があんま出てきてない、ってのもあるかもだろうけど……だから酢と胡椒で味を足して、酸辣湯麺風にしてる。お湯じゃないから湯麺でもないんだろうけど」
「あはは、予想外だった、これ、いいね……!」
会話はそれぐらいで、数分もしない内に麺を啜り終えてしまう。常温なのでぐびぐび、それこそ水のように汁も飲み干してしまう。酸味のきいたスープが体内を満たし、エネルギーになっていく様が簡単にイメージできる。どうやら今の体は、相当飢えていたらしい。いつもならカップ麺のスープは、二口ぐらい啜ったら捨ててしまうのに。
とはいえ二人は健康な十七歳。
カップ麺一つなんて、おやつ程度にしかならない。特に景虎は、カップ麺ならそれをおかずにして丼ごはんを二杯は食べないと満足できない。その後で袋菓子をつまみにコーラ。エリスにしても似たようなもの。だてに小学生からずっと平均体重の遥か上を維持してきたわけではない。
だが。
「……ねえ、怖いこと、言っていい?」
少し引きつった顔のエリスが言うと、景虎はそれに答える。
「奇遇だな……俺も、かなり怖いことを言おうと思ってた」
「…………お先に、どうぞ?」
「じゃあ……腹、六分目、ってとこだ。こんな、カップ麺一個で……」
生まれて初めて、すとん、としている自分の腹を撫でる景虎に、エリスは引きつった笑いを見せる。
「私は……七分目、ってとこかな……」
二人はしばらく顔を見合わせ、そしてため息をついた。またもや自分の体を眺める。すっかり平均体重、スリムになってしまった自分の体。ぶかぶかの洋服。
痩せたい、と思わなかったわけではない。
だが……それは大して切実な思いではなかった。
なにせ物心ついてから太っていなかった時期なんてほぼ、ないのだ。自分の顔が自分のアイデンティティの一つであるように、体型、体重もまた、自分が自分である証だった。
痩せたら人生変わるのかもしれない……と夢を見るのには、中二ぐらいで飽きた。だいたい……痩せれば人生がうまくいくようになる、なんてのは結局のところ、宝くじが当たったら人生がバラ色になる、今の記憶を持ったまま小学生からやり直す、ある日突然優しい女の子/王子様がやってくる……なんて妄想と一緒だ。そもそも自分たちが抱えている問題の中で、太っている、なん大したものじゃない。痩せたところでキモデブ陰キャが、キモ陰キャになるだけだ。
「ま……じゃあ……デザート食うか、俺パイン缶~」
とはいえ、こうして実際に宝くじが当たってみると……悪い気は、しない。
「じゃ私みかん!」
二人は缶を開けるとそのままぱくつき、シロップ漬け果物の甘さに頬を緩ませ、そして、完璧に満腹になった。
「……マジで、なんなんだろね……? ね、後で体重計、どっかで乗ってみよーよ」
「まあ……あんまり考えても、わかりようがなさそうだからなあ……超自然であることは間違いないんだろうが……」
「魔法? SF科学? チートスキル?」
「はたまた……一年寝過ごしてて食事しなかったわけだから、それで痩せた、とか……」」
「だったらもっと、ガリガリになってないとおかしくない? なんかこんな……こんな、健康的なスリムボディに……」
「なんにせよ……」
景虎は空になった缶をゴミ袋に放り込み、スマホを机の上に出す。
「服が、いるな」
ぽりぽり、緩くなっているTシャツの首元をかきながら言うと、エリスも頷いた。
「賛成。ってか……ねえ、ねえねえ黒丸くん……? あのさ、提案なんだけど……」
「ショッピングモールはさすがに、この近くにはないだろ。ああいうのは郊外だから……ああ、クソ、車がありゃな……」
ゾンビ映画で物資を集めに行く定番の場所をエリスは提案したいのだろう、と悟った景虎は、先回りで答える。オンラインの協力プレイで二人はよく、そういうゾンビサバイバルゲームをやっていたのだ。
「そっか……うーん、バッテリーがあればな……」
「いや鍵がないだろ鍵が。直結とか、アレは昔の車とかでしかできないらしいぞ、今の車を鍵なしで動かすには、専用の犯罪道具がいるらしい。夢のない話だよな、ったく……」
「へ? あ……そっか、路肩の車、景虎、見てない? だいたい全部、鍵刺さってたよ? ドアも全部開いてたっぽい」
「は? マジで?」
「マジで。私、こういう状況ならまず車だなー、って思っていろいろ見てたんだけど」
「な……なんで……?」
「…………さあ……?」
……ひょっとしたら、自分たちが生きていけるように、状況を整えられているのか……? などと、陰謀論じみた考えが景虎の中に生まれるが……。
「……いや、免許ないだろ俺たち。こんな状況で事故ってみろ、即ゲームオーバーだ」
すぐに首を振った。だが。
「あそっか、言ったことなかったっけ、私、運転できるよ」
「……は? ……なんで?」
「私、子どもの頃ずっと、田舎のおじいちゃんの家で育てられててさ。おじいちゃんマジで自給自足してる人だったから、車の運転とか猟銃の撃ち方とか、いろいろ習ったもん」
景虎の口が、あんぐり、開いた。
街に出てみたら誰もいなかった時よりも、信じられなかった。脳がぱちぱちとはじけるような感覚に襲われる。これは、ひょっとして、マジで、誰かが、俺たちを選んで、この状況を招いたんじゃ……!?
「……おい、おいおい、おいおいおいおい! じゃあ……!」
景虎の頭の中に、今までさんざんプレイしてきたゲームの光景が、いくつも流れる。
改造装甲バスでゾンビの群れをはね飛ばし郊外の安全な場所へ旅をする。あるいは、スクラップから作ったトラックで街中をちょこまか動きあちこちの店から物資を集積していく。またあるいは……! 今までさんざんゲームの中で繰り返した動きを実際にできそうだ、とわかり、頭の中で妄想が破裂し燃え上がる!
だがエリスは容赦なく水をかけた。
「いや無理でしょ。一年ほっとかれてるわけでしょ、どの車も。線はつけっぱだろうからバッテリー上がっててエンジンかかんないよ。どっかで新品のバッテリー見つけないと。でもそれも……ちょっとキツいかもね。自然放電しちゃってると思う。試す価値はあるだろうけど。でも……たぶん、それで車動かせてもすぐ壊れちゃうよ? 私、オイルとか冷却水の交換とか、初歩的なメンテナンスはできるけど、さすがにエンジンばらして掃除するとかやったことないし……」
エリスが顔を曇らせても、景虎の勢いは削がれない。
「いや、いやいやいやいや、おい、それだけでチートじゃねえかよおい! 行けるぜオイ! 車だ、何はなくても車をゲットするんだ! それで、それで移動拠点を作るんだ! やっべえぜオイ! 俺たちは、俺たちは選ばれたんだ!」
景虎が興奮している理由もなんとなくわかったけれど、エリスは微妙な顔をしたまま。
「う~ん……あのね、景虎、うん、車、わくわくするけど、さ……あのー……ほら、知らない? ガソリンって、長い間ほっとくとどうなるか」
「…………へ? どうにかなんの?」
今度は景虎が、きょとん、としてしまう。
「なんでそれは知らないのアンタ……」
彼のことだから、ガソリンにも非常時用の三年保存缶がある、なんてことは知ってそうな気がするのだけれど……。
「……ウチはソーラーシステムだったんだよ……発電機も、カセットガス式で……」
気まずそうにそっぽを向きながら、唇を尖らせて頬を赤らめる。強がって知識をひけらかしドヤ顔する時とのギャップがすごくて、かわいいところもあるんだ、なんて思ってしまう。
「……ガソリンって、ほっとくと腐るの。腐るっていうのじゃないかもだけど……なんかどろどろねばねばしてきて、ちょ~~~臭くなって、使えないわけじゃないけど使ってると百%エンジン壊れるような感じになっちゃう。トラクターとかコンバインとか、使った後にガソリンいれっぱで次の年になるまでほっとくと、ひっどいんだ。灯油とかでもそういうの、聞いたことない? だからたぶん、運良く新品のバッテリー見つけて、それが運良く最初にエンジンかけられるぐらい残ってて、運良く路上の車動かせても……どのみちすぐ、壊れちゃうと思うよ」
破裂して燃え上がった妄想が、ただの燃えかすになった。
「だ……だって……じゃあ、じゃあ、ゾンビもので車に乗ってるのは……」
「あはは、それこそ、お話のためのウソでしょ。異能とか、魔法みたいな」
平然とエリスが告げると、がっくり肩を落としてしまった。
「そ……そんなぁ……じゃ、じゃあ……」
選ばれたのだ、と思った自分のおめでたさと、飲み込んだ現実の冷たさに、うっすら涙が出てくる。今まで自分が憧れてきた、あのシーンの数々は、じゃあ、とんだご都合主義だったというのか。
そして両親たちがどうして陰謀論にハマったのかが、なんとなくわかってしまう。
現実の、なんと味気ないことか。
物語を求めるたびにこんな仕打ちを受けていたら、物語の方が真実でそれを否定する現実がウソなのだ、と思いたくなって普通だろう。それがどんなに科学的常識からかけ離れていたって……水の上を歩く神の息子や、掃除すると運を良くしてくれるトイレの神様と、違うのは信じている人間の数だけだ。
「ちょ……ちょっと、マジでヘコまないでよ! なんなのアンタもうホント……」
叱られた子犬じみた顔をする景虎の肩を、エリスはぽんぽんと叩いてなだめてやったが、それでもしばらく、彼は肩を落としたままだった。
※今日から使える防災知識※
カップ麺、袋麺、どちらも水で戻せます。脂をウリにするようなタイプのものは溶けないので少しキツいですが、調味次第で結構イケるようになります。作中の酸辣湯麺風は非常時でなくても、暑い夏にはピッタリの軽食なのでゼヒお試しあれ。水戻しならこのラーメンがイケるぜ! というオススメもありましたら、感想欄で教えていただけると幸いです。
明日から毎日19時更新です!