05 休暇の終わり
それからしばらくして。
二人はソファに寝転がったまま遅い朝食をとった。お互いに、一歩も動きたくないし一ミリも離れたくなかったから、手のかかる料理はせず、家電量販店から調達してきた非常食。だが……味は予想外だった。
「え……これ……」
お湯を注いで待っただけの、白いご飯の非常食は、しかし、本当に、白いご飯だった。さすがに炊飯器で炊きたてのものと比べればいくらか味は落ちるが……食事に集中していない時に食べたら、絶対に気付かないレベルの味。白飯らしいほのかな甘味と粘り気、それでいて粒だった食感。つやつやで、ほかほかの、白いご飯だった。
「すげえだろ、技術だよな」
まるで、自分が作ったように自慢げに言う景虎。彼のそんな顔を見て、少し笑ってしまう。けれど、本当においしかった。おかずにしている非常食のハンバーグも、家で食べてきたものに比べて遜色がない。パッケージには五年保存、なんて書いてあるのに。
「すっごいね、ほんと、え、なんで? ってか……うそ、だって、一年たってるんでしょ? 作られてから……」
湯煎し、紙皿に開けたハンバーグ。
いかにもおいしそうな湯気をたて、デミグラスソースの食欲をそそる香りがする。箸をとおせばすっと切れて、口に放り込めばじゅわっ、と肉汁が溢れ、ソースと絡み、反射的にご飯を口に放り込んでしまう。口の中で混ざると……雑踏のざわめきが聞こえてきそうな気さえした。このハンバーグは五年保存のレトルトではなくて、自分たちがスーパーで材料を買ってきて作ったもの……あるいは、スーパーの惣菜コーナーで買ってきたもの、と信じてしまいそうだ。ロビーの窓から、誰もいない、無音の街が広がっているというのに……まるで、日常の味だった。
「レトルトってのはそもそも、中は無菌状態だからな。こういう非常食のやつじゃなくてもたいてい保存は利くし、味もそこまで落ちねえよ。むしろ……こういうソース系のヤツは味がなじんでうまくなる……傾向に、ある」
「ほへー、すごいんだねえ……」
「まあお湯じゃなくて水でもどすと、ああやっぱ非常食だな、みたいな味にはなるんだが……」
「やったことあるの?」
「メジャーどころは一通り。野菜ジュースとかトマトジュースで戻すのもやったな」
「へ? あ、ああ、え、白いご飯を?」
「ああ。コンソメちょっと足してやればパエリアとか……オムライスみたいになる。お茶で戻すのも結構イケたな……まあ、あんま、過度な期待はしないほうがいいけど」
「食べてみたいそれ!」
「じゃー夜飯はそれにしてみっか」
非常食の朝食を片付けると、なにか、いいことを思いついた、という顔をした景虎は、席をたち……やがて、湯気の立つカップを銀のトレイに乗せ、ロビーに戻ってきた。
「へ?」
「まあ……あのアレは見つからなかったが」
湯気の立つコーヒーをエリスの前に置いてやると、自分はカップを手に取り……少し戸惑い、正面に座ろうとする……が、エリスがシャツの裾を握っていて、できなかった。
「……えへへ……」
照れた小学生のように微笑むエリスの隣に腰を下ろす景虎。ソファはそもそも、カップルがあと一組並んで腰掛けられるほど広かったけれど……中央に、ぴったり、並んで座った。
「ん……なっ、なんか……そのっ……」
「あはは、ら…………らぶらぶだぁ~きゃぁ~~~……」
言ったそばから顔を赤くして、どうしてか、ぴらぴらと顔の前で手を振るエリス。
「そっ、おっ、オマエ、なぁ……」
「えへ、えへへへへ……」
「ったく……オタクくさい照れ方しやがって……」
「あ、アンタだって、それで、顔、真っ赤じゃん」
「そっ……だっ……からっ……か、かわい、かった、から……」
「っ……えへへ……ふふっ……コーヒー、ありがとっ」
「ったく……らぶらぶじゃなくて、色ボケじゃないか……?」
「な、なんだとぉ……」
「そもそも俺たちにはこの世界の謎を解き明かすという使命がだな」
そう聞くとエリスはにやりと笑い、いかにも艶めいた仕草で景虎の肩に手を置き、耳元に囁いた。
「あらぁ……じゃあ……ふふ……探さなくて、いいのかしら、ア・レ……? アタシ……ふふ……楽しみにしてたのに……」
仕上げに、ふぅ~……っと、吐息を耳に絡ませる。
「だから今日にでも準備を済ませて旅にでなくちゃいかん道中に物資を集めつつあのクソでか塔まで」
早口で言うと、エリスはけらけら笑った。
「うん、ふふっ、そうだね。実際、その、気になるし。あれ、どこら辺にあるのかな?」
「方向的に……新宿の方だよな、たぶん、わからんが」
「だと思う。地図ある?」
時折、互いの横腹をつつき合ったり、時には胸の方にまでそれが伸びたりしながら、二人は地図を見ながら、ああだこうだと話し合った。そうしながらも互いに胸の中で、これは謎を解きに行くのかはたまた……景虎のサイズに合ったものを探しに行くのか、どちらが理由として大きいのだろうか、なんて考えながらも……あからさまな謎を秘めた塔までの旅路に必要なものを相談しあう。まあ実際、近所のドラッグストアをあさればあるだろう、とは踏んでいたのだけれど。
そんな、言葉にできない打算を胸に、旅に持って行くモノを相談する中、武器、の必要性で少し揉めはしたが概ねまとまった。準備ができ次第出発しよう、ということになったのだが……。
立ち上がりかけた景虎のシャツの裾を、また、エリスがひいた。
「な……なんだよ……」
「……あ……その……ね、ねえ……? もっ、もう、一日、ぐらい……お、お休み、しても……その…………だめ……?」
少し赤らんだ頬と、潤んだ瞳のエリスに、心が爆発しかけ……実際に爆発して、彼女の頬をむにゅっ、と挟んで一度、唇を合わせた。
「んむっ!」
「………………その……い……今、そういうの、したら……」
「……し、したら……?」
「ず、ずっと、してしまう……」
「…………ぁっ…………」
誰もいなくなった世界で。
ただ二人だけ。
永遠に。
心も体も溶ける甘い想像に、ぷるぷる、震えてしまったけれど。
「そっ、それにっ、あの、さ、探さないとっ……お、俺のっ、り、せいが……」
「………………やば、い……?」
「くっ……狂うっ、こ、このままじゃ、あ、お、おそって、しまう……なっ、なんなんだよオマエ……なんっ……かわい、くてっ……かわい、すぎてっ……っっ……」
「…………ぁ……ぅ……わ……わか、った……」
そう言うとようやく、二人は絡み合った体を離して、少し気まずそうな顔をして立ち上がった。それでもなんだか名残惜しくて、互いに子犬のような顔になって視線を絡ませあって、少し笑った。
「あははっ、なにこれっ」
「わからんっ」