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11 クソゲー

 もう、ムリだ。

 絶対。もう。


「私……私、ね……」


 耐えられない。

 くるっちゃう。


「あのー……ね……えと……」


 このままじゃ、絶対。




「…………怖い」




 とうとう、言って、しまった。




「ねえ……景虎、怖いよ」




 景虎の手の暖かさでも、私の心はもう、耐えられなかった。いや、きっと、彼の手が温かければ温かいほど、耐えきれなくなる。




 怖い。ずっと、怖い。

 景虎と過ごして。景虎と話して。景虎とふれあって。

 楽しくて、嬉しくて、幸せで。

 体がはじけそうなぐらいなのに。

 心が飛んでいきそうなのに。

 怖くて、怖くて、しょうがない。


「私が……私じゃなくなってくみたい。怖い、怖いよ。このままじゃ、このままじゃ私……私……」


 違う、違う、こんな、そんなことが、言いたいんじゃなくて。


「こ……この、ままじゃ……?」

「ほ……ほんとに、ほんとに、ただの、美少女になっちゃうよ、あは、あはははっ、ばか、ばかみたい、なに言ってんだろ、私……でも、ねえ、景虎、わたっ、私が、今、なにが一番怖いか、わかる……?」


 ねえ、おねがい、お願いだから。

 気付いて。ねえ、お願い。


「………………起きたら、元のデブに戻ってることか?」


 ああ。やっぱり。私のことを、わかってくれるのは、きっと、世界でこいつしかいなくて。でも、だから、もっと。


「…………あんた、だって、たぶん…………そうでしょ?」


 喉が引き攣れる。鼻がつんってする。


「さあ……どうだろ、な…………俺が一番怖いのは、やっぱり……脳みそのどっかがイカれて、言葉を扱えなくなるとか、指が動かなくなるとかだ」


 ため息交じりの景虎の言葉に、顔をゆがめてしまう。


「あ……あんた……あんたは、男だから……」

「男女差別反対」

「私が、私だったのは、きっっ……き、キモデブ陰キャちゃんだったからでしょ、ねえ、アンタだってそうでしょ」

「なあ……オマエがその……痩せたからって、なんかその……オマエが一番好きなアニメが変わったり、好きなカップリングの基本が変わったりすんのかよ?」


 その言葉に、きっと、昨日だったら、まだ、頷けたと思う。私の中が君に、目の前の君に、埋め尽くされる前だったら。


「……このままじゃ、変わっちゃうよ、きっと、だって、だって……」

「だって……なんだよ」


 わけわかんねえよ、って感じで唇を尖らせた景虎。

 ああ、もう、むりだ、ほんとうに、むりだ。




「あっ、あんたのことっ、ほしいんだもん!」




 机を少し叩いて、叫んでしまう。

 胸が張り裂けそうで、顔が燃えそうで、鼻がつんってして。


「……なに、なんっ、なんなんコレ!? なんなの私、さいっ、さいあくじゃんっ! 最低、バカ、なんなんだよこれ! ダメだよこんなの絶対! わたっ、私たちっ、こんなっ……! こっ、このままっ、一緒にいちゃったらっ……!」




 かわいくなったら、人生の問題全部が解決したように思って、それで、それで……気になってた男の子のことが、ほしくなって、それで……。




 そんな、そんなの、私じゃない、絶対、私じゃない。




 男の子に好きというなんて、ほしいと思うなんて、そんなの、前の私だったら、心の中でも思えなかったようなこと。だって、私みたいなデブのキモオタ陰キャちゃんは、そういうことに参加できない身の程を、わきまえて生きるべきだから。大人も、子どもも、学校も社会も世間もネットもみんな、そう言ってたから。




 デブは笑われて生きろ。




 そんなの、クソだって思ってたけど。

 でももし、私が今の体型で、元の私を見たら。

 きっと、同じことを言うはずで。


 ああ、だから、いちばんクソなのは、きっと、私で。


 むずっ、と、頬を流れてく涙の感触が、なんだかくすぐったかった。




「その……なあ、エリス……その……あー…………あの、さ……」

「あっ! あんただって! そうでしょ! 隣にこんな美少女がいて! 嬉しくなってるでしょ! 世界最後の一人でもオマエはないとか言ってたくせにさ!」


 でも、今の私には、わかる。

 それは、きっと。その言葉は、きっと。


「…………エリ、ス……」


 泣きわめいてヒスってる私を見て、景虎が困ったような顔をする。違う、違うの、違うんだよ、そんな、そんな顔をさせたいわけじゃなくて。アンタを困らせたいわけじゃなくて。でも他にどうすればいいのかわかんなくて。


「だって、だって私が今そうなんだもん! 痩せて、かわいくなって、恋愛なんて、付き合ったとか恋人とか、そんなの、そんなの、クラスのバカな子たちがやるもので、私は、そんなの、関係なく生きてくんだって……そんな、そんなこと、思ってたのに…………ぅ……ぁ……あ……あんた、あんたに、触りたくて、触ってほしくて……ぅぁ……ぁ……」




 体が、ばらばらになりそうだった。




「……なあ、エリス」




 ぼろぼろ、机に涙を落とし続けるエリスに、俺は言った。




「……………………なに」

「俺は、前からオマエのこと、好きだよ」


 きっと、どもったり、言いよどんだりするだろうな、って思ってた言葉は、予想外にするりと出てきて、自分でもびっくりした。まるで前々から舞台の上にあって、指さしただけみたいな自然さで、言えた。まあ、そういうもんかもしれない。だってそれは、秋になったら公孫樹(いちょう)の葉っぱの色が変わるとか、超必殺技をガードされたら相手の超必殺技を食らうとか、それと同じぐらい、当たり前のことだから。


「…………な…………あ…………そっ………………ふっ、そっ……そんな、こと…………信じられるわけ、信じられるわけないじゃん! 私今かわいいもん! 美少女だもん!」


 エリスはまだぽろぽろ泣きながら言う。その言葉に、ちょっと笑いそうになってしまうけれど……その言葉が事実で、真実なのは別に、もう、下半身に聞かなくてもわかる。


 俺は少し、考えてしまう。




 コミュニケーションなんてのはクソだ。


 誤解と妄想をぶつけ合って強いヤツだけ得するクソゲーだ。そんなもんが人生のすべてを決めてたこの世界ってのは、やっぱり、クソみたいなクソゲーだ。




 けれど……でも、それなら、俺の中にある、この気持ちはなんなんだろう。こいつには、世界の中でこいつにだけは、俺のことをわかってほしいと思う気持ち。こいつのことを、わかりたいと思う気持ち。今まで生きてきて、コイツにだけしか感じない気持ち。




「なあ、その……別に、別に恋愛とか、そういうことじゃなくたって、たぶんその……たぶんだけど、さ、恋愛のことなんて、一ミリも知らねえから……だから、たぶんだけど、俺たちは……その……」


 ああ、くそ、もうちょっと、気の利いたことは、言えないのか、俺は。我ながら、イヤになる。けど……どうしても、言いたい。


「は……へ、あ……え……?」


 泣きながらぽかんとするエリスに、俺は言う。


「……俺は……俺は、オマエ以外と、こんなに話したことなんて、一度もないんだ。こんなに長い間一緒にいたヤツも。一緒にどっかに遊びに行って、げらげら笑って……楽しく、楽しいって思える時間を過ごせたことなんて、オマエ以外の人間と、やったことねえんだよ。俺は……だから、俺は……そういう、クソなんだよ。こんな……こんなことにならなきゃ、一生、言うつもり、なかったけど」


 行きたくもない場所に行って喜んでるフリをしなきゃならないなら、一生部屋に引きこもってた方がマシだ。嫌いなヤツと話したくないことをイヤイヤ話すぐらいなら、一生誰とも喋らないでいい。やりたくないことをやらされるのをヘラヘラ笑いながら受け入れるのが人生なら、俺はそんなもんいらない。


 俺は一生、一人でいい。一人で死んでいくだけでいい。人生なんてたいそうなもんはいらない。


 人が嫌いだ。人間が嫌いだ。犬も猫も嫌いだ。学校が嫌いだ。家族が嫌いだ。社会が嫌いだ。俺が好きなものなんて、きっと、二つとか、三つとかしかない。


 けど、死ぬのは絶対にイヤだ。俺が消えるのは、絶対にイヤだ。こんな俺だって、現代は、死ぬまで楽しく暮らせる権利はあるって話だろ。


「……俺は、俺は単なる、人間の形してるだけの、うんこなんだよ。わかるだろ。なのに……なのに…………」


 なのに。それなのに。

 こいつが、泣いてると。


「…………ああ、くそ、オマエが、オマエが苦しんだり、オマエがいなくなったり、オマエが俺のこと嫌いになったり、そういう、そういうこと、想像、した、だけで……だけで……くそっ、関係、関係あるかよデブもイケメンも美少女も!」


 俺たちは、ああ、俺たちは。


「オマエと俺は、痩せようがどうなろうが、単なるキモオタ陰キャだろうがよ! 美少女になろうが、イケメンになろうが、俺たちが、俺たちが変わるわけ……変わるわけねえだろ……! なあ、あの……あのホテルで起きてから、なあ、俺たち、なんにも変わってねえじゃねえか、いつもみたいに、バカなこと言って、バカなことやって……それが、それが楽しくて……少なくとも俺は、俺は……そりゃ、そりゃオマエが痩せて、美少女になって……そりゃ……そんな、そんなの、勃起しやすくなるだけで、なるだけの…………ああ、くそっ、なんだよっ、なんなんだよっ、くそっ……ああ、くそっ……」


 やっぱりコミュニケーションってのはクソゲーだ。言いたいことを言おうとすると、言わなくていいことを言ってしまって、肝心のことは言えないまま。


 ああ、でも、くそっ。




 怒りながらクソゲーに立ち向かってる時ほど、生を実感することなんて、ないだろ。




「俺の一番怖いこと、わかったよ、今……」

「……………………なに…………?」

「オマエが……オマエが、俺の、俺の隣から、いなく、ぁっ」




 想像しただけで、喉が引き攣れて。




「ぐっ……ぐぅ……ふっ…………ぅっ……」




 世界が真っ暗になって、がらがらと崩れていくようで。




「いなぐ、いなぐ、なっで……ぁ……」




 子どもみたいに、泣いてしまう。




「いやだ、いやだっ、オマエがいなくなるのは、絶対に、絶対にいやだっ……いやだよ……ぐっ、ひぐっ……ぅ……っ……」




 お父さんとお母さんは、僕より陰謀論の方が、自分たちのほうが大事なんだ、そう気付いた小学二年の時みたいに。


 この世界は僕みたいな人間が生きるようにはできていない、って気付いた、中学一年の時みたいに。




「そしたら……そしたら僕は、本当に、本当に……ひっ、ひとっっ……ひどっ………………っ……ぅぐっ……僕も、オマエも、ずっと、一人、にっ…………」




 ああ、きっと、最初から、出会わなければ。

 こんなことを思うようなヤツには、ならなかったのに。




「……っ……な……ならないよっ、景虎、ならない……絶対、絶対……ならない、ならないから……お願い……泣かないで、景虎……お願い……あっ……あんだがっ……ないでるとぉ……わ、私、まで……ぐぅ……ぅっ……ひんっ……」


 いつの間にかエリスが隣に来ていて、その胸の中に、俺を抱きしめていた。




※※※※




「ね……ねえ、景虎……落ち着いた……?」




 しばらくして。

 辺りはすっかり、夜の闇に包まれ。

 二人は暗闇に身を浸すようにして身を寄せ合いながら、囁きあった。




「あ……ぅ…………す……すまん……と……取り乱した……」

「ん……いいよ…………でも、ねえ……もっかい、聞きたい……」

「なっ…………なんだよ……もっかい、って……」

「……わかるでしょ……」

「…………わかるかよ、俺は人間の形したうんこなんだ」

「……私今、うんこと抱きあってるんだ~……やば~……」

「はあ…………エリス、好きだ。世界で誰より、とかじゃない……俺は……俺はきっと、世界でオマエしか、好きになれない……」

「っ……あっ……あはははっ…………ばーか……なに言ってんだばーか……」

「んだよぉ……」

「ん……ねえ、景虎、約束する。私は、ずっと、アンタの側にいる。私……私だって、きっと、アンタのことしか、好きになれないから。だから……アンタも私の、側にいて」

「…………わかった。誓う。父祖の名にかけて……も、大した意味はねえから……まあなんだ、俺の名前と、俺の人生にかけて、誓う。オマエの隣に、いる、俺は、ずっと」

「っ……あははっ、んっ、ね、景虎……あのー……その……ねえ、ほら、その、えーと………………うん、好きだよ。ねえ……ずっと、ずっと、好きだった。たぶん……あの……あははっ、最初に、会った時から」

「…………最初って……オマエが、屋上の前でぼっち飯してた時か? 授業始まった週辺りの昼休み……」

「そーそー。あんときアンタ……特に……ぷっ、ぷぷっ、特に、特に何も言わず、階段でご飯、食べ始めたでしょ。踊り場の椅子に座ってる私を、ちらっ、って見て、軽く頭下げたぐらいで……食べ終わっても……ぷぷっ……軽く頭下げて、黙って帰ってって……ぷぷっ、なんなん、なんだったの、アレっ……今思い出しても笑うんだけど……なに、私、お地蔵さんかなにかに見えてた……?」

「なんだったって……ああ、俺と似たようなヤツが女にもいるんだなあ、って……まあ、だから…………誰にも、話しかけられたくないだろ、ああいう時。オマエ……その……たぶん……あんとき……」

「ん…………泣いてた。クラスの女子からさ、むちむちだからムッチーってあだ名つけられて。それで……嫌がるのも、自虐するのもできなくて、バカみたいにへらへらしてるだけで……」

「ああ……俺はなんてあだ名だったんだろうな……」

「……あー、やっぱ知らないんだアンタ」

「やっぱついてたのか、あだ名。なんて呼ばれてたんだ?」

「……怒んない?」

「もういないヤツに怒ったってどうにもなんねえよ」

「特盛りアスペ、略してトクペ」

「あ、あぁ~……あぁ~……だからかぁ……」

「……え、なにそのリアクション?」

「いやなんか俺の近辺で、妙にドクペドクペ言ってんなあ、っていつも思ってて、なんだこのクラス、あんな薬みてえなジュースが好きなんて、妙な趣味のヤツが多いんだなあ、って思ってたけど……そっちだったのか……ったく……中高生にインターネットを与えてもクソみてえな語彙を得るだけだな」

「あはははっ、かもね……でも、あんときね、思ったんだ。あぁ、なんか……優しい人って、いるんだ、へー、って。ふふっ、生まれて初めて思ったかも」

「……わけわかんねえ思考回路だ……」

「あはは、かもね……だから……うん。好き。そのときから、ずっと好き。今も好き。ふふっ、ああ、あははっ、なんだろね、これ」

「まあ……よくわからんが……」

「だね、わかんないや……なんか……あのー、だから、ほら、えーと…………」

「…………ん?」

「えーと、あのね…………ちゅー……したい、な~……とか……思ったり、思わ、なかったり……?」

「へ……っ……は……?」

「いや、うん、したい、景虎、ちゅーしたい、きす、すっごい、したい、今、したい、ちゅー、すぐ」

「あっ……ぃっ…………」

「だ……だめ、かな……?」

「い、いや、あ、だ、だめ、じゃないが……あ、いや、だから、その、し、したこと、ないし……」

「あはは、私も、でも……うん、じゃあ、さ……」

「あ……う…………う、ん……」

「…………うん……」

「……あ、エリ、ス……」

「…………なに……?」

「その…………あー……」

「……ふふ、なにさ……」

「………………元のデブに戻ったら……」

「……なっ……なに……」

「いや、もし、戻ったら……」

「……戻ったら?」

「……二人で、ランニングとかから、始めりゃ、いいんじゃないか? まあこういう状況だと……どうしても炭水化物中心のメニューになるからキツそうだけど……」

「っ……っっ…………ばーか、ばか、ばか、ばかばかばかっ、すきっ! すきすきすきすきだいすきっ!」


 深まりつつある暗闇の中で二人の体が重なり、離れ、また重なり。

 そうして二人の姿は、夜の中に混ざっていく。

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