08 少年漫画のBL需要に応えることはサービスなのか、もしくはデー、ト
「そりゃ、少年漫画のBL需要は大きいけど、最初から、そっちで盛り上がってくださいね、って目配せされたら冷めるじゃん? そんなの、オタクくんはどうせこんなの好きだろ、っていう感じでムカシのテレビに出てくる、萌え萌えきゅ~ん、とか言うメイドキャラみたいなものじゃん?」
本棚の前でエリスは、熱を込めて言った。
「いやでも結局それってさ、作者側のサービスだろ。読みやすいように用語解説をさりげなくしよう、シルエットだけでわかる覚えやすいキャラデザインをしよう、と同じく、BL妄想がしやすいキャラ配置をしよう、薄い本が厚くなるどちゃシコな制服を着せよう……まあ結局その加減とバランスっちゅー話になるけど」
隣に立つ景虎はやや冷めた声で答える。
「俺は別にアリって思うけど……そんなにアレかね」
と、手には一冊の少年漫画。エリスはその表紙、背中合わせに立っている二人の少年を見て、少し苦い顔。
「いや、いいのよ、いいのよ? 私だってわかるよ、なんていうか……この作者さんそんな邪なこと考えてないって、私だってわかるよ、異能バトルを今風に書きたいんでしょ、ちゃんとした習慣少年漫画の文法の上で……でもその…………」
唇をもにょもにょとさせ、至極言いづらそうに言葉を吐き出す。
「……そのキャラを見ただけで、そのキャラを特集した動画とか、二次創作の絵とかの、コメントで、なんて言われてるか想像ついちゃって、なんかげんなりする、って……ない……?」
そう聞くと、景虎も口をもにょもにょとさせ、至極言いづらそうに言葉を吐き出す。
「現代病め……わからんでもないが…………」
「でしょ、でしょー?」
「八割、いや、九割九分、被害妄想じゃないですかぁ」
「個人の好みが被害妄想混じりで何がいけないっていうのさ」
「作者さんに聞かれたらブチ切れられるぞ」
「いいでしょもういないんだし」
「あ悲しいこと言った」
「じゃあ楽しいことも言うよぉー、ねえねえいつ十八禁コーナー行くぅ~?」
「チミぃ、若いお嬢さんがそんなはしたないことを言うものじゃないですよォ」
「アンタのその口調、時々出てくるけどマジなんなの」
「俺の中の昭和のおじさんの口調。時間はあるんだから、ゆっくりでいいさ、作者さんはもういないけど閉店時間もない」
「あそっか! ってか泊まれるじゃん! うそっすごっ!」
「博物館とか本屋に一泊ってのはなんかのイベントであったらしいが」
「中古ショップに一泊、って、なにそれ楽しすぎるなんで誰もやんなかったんだろマジで、え、なんで?」
「さあー……なんでだろうねぇ……」
もっと楽しい場所……に、行くのだから二人は当然、秋葉原のそういうショップに来ていた。東京近郊に住んでいるとはいえ、それらしき要素のあるリアル店舗は自転車で一時間かかる国道沿いの総合巨大中古店のみ、という二人。そんな二人にとっては、人口の半分が観光客であろうとも秋葉原はまだまだ憧れの場所、聖地だ。中でもこのショップはお気に入り。六階建ての中規模ビルがすべて、新品、中古のアニメ円盤、本、ゲーム、DVD、フィギュア、グッズ、オタク絡みの商品で占領されている大型ショップ。
ショップに来た当初は、リヤカーと台車を片っ端から集め、店の中のもの片っ端から積んでいこう、などと言っていた二人だったけれど……いざフロアにたどり着いてみると我に返り、気付いた。
貨幣経済が消滅した中で世界に残った、資本主義に則って生産された製品に対して、どういう態度をとればいいのか? 特にそれが、生存には必要なものでない場合。
つまるところ……いつでも持っていけるのに、わざわざアジトまで運ぶ必要があるのか?
ゾンビ作品のサブテーマとなりそうな主題に対して二人は少し悩み、結果、とりあえず今日は本棚一つ分ぐらいまで、という縛りを設けた。そんなわけで二人して棚を巡りながら、どの作品を持って行くか、残していくか、かれこれ小一時間は話し続けている。
「ま、俺は別にこれ系はそんなにだから、別にいいけど……」
景虎は棚に本を戻しつつ言う。するとエリスは、少し不思議そうな顔。
「えー……? あんた結構これの二次絵ブクマしてたじゃん」
「そりゃ……作者さんの絵柄が好みだったんだよ。漫画面白かったし。あと……元のジャンルに戻ってくれ、という……祈りを込めた?」
「あははは、男性向けもそれやるんだぁ……ってかさ、なんか……なんか、ですよ、なんかアンタ……今日……なんか……」
エリスがにやにやしながら、背後に手を組み、下から景虎をのぞき込むようにする。
「なーんか……ちょっと…………優しいなー、って思うのは……私の、気のせい? さっきからずっと、私の意見に合わせてくれるし……」
ついでだから、と、服と同じビルで手に入れた、どことなく制帽じみたベレー帽の下、つややかなツインテールがリボンと共に踊り、チェシャ猫のような顔をしたエリスが景虎をのぞき込む。
突っ込まれるのはわかっていた。いたけれど……。
……そんな気は、本当に、さらさらない。ないはずだ。ないと思う……かわいい女の子に、でれでれして、彼女の言うことならなんでもいいなりになる、なんてのは、俺みたいな硬派なオタクにとって一番恥ずかしいことで……だから……いや……。
たしかに、数タイトルの漫画について、持って行くかいかないかで意見が合わなくて、話し合いの結果……エリスの言うことを優先したけれど……それは単に話し合いの結果であって……別に……。
「気のせいじゃないかなあ、ボクはいつもこれぐらい優しかったじゃないか、はは、白鷺さんはヘンなことを言うなあ」
あからさまに照れ隠しの妙な口調で言うと、エリスは吹き出した。
「あ、あはははっ、よ……弱すぎチョロすぎ雑魚すぎオタクく~ん、ちょ~っと好みの服装しちゃっただけでなんでも肯定BOTになっちゃってさ~、はわわ~、私オタサーの姫になっちゃいます~っ」
にやにや笑いながら口調とは裏腹、顔を赤くしながら、なぜか自分のツインテールを持ってぶんぶん振るエリス。こんなやりとりをもう数回繰り返している。いい加減腹が立って景虎は言った。
「うん、そうだよ、白鷺さんが今日は、輝いて見えて……とっても、かわいく見えるから……迷惑だったかな。ごめん、あんまりにも……かわいいから」
そう言って至近距離で見つめる。そして、思う。
ああ、弱すぎ、チョロすぎ、雑魚すぎの、オタクくんです。ああ、そうです。それで、いいです。こんなかわいい子の、側にいられるなら。そもそも……エリスだって、ちょろっとかわいいって言われただけで腰砕けになってるし。
もう、景虎の心はすっかりと認めていた。
すっきりした頬はさながら、パティシエの手仕事で丁寧に作られた洋菓子のようで。差している朱はまるで、紅い粉砂糖。春を告げるようなその色合いは、視界に入るだけで心が浮き立つ。
眼鏡越しの大きな瞳は、理知の光に満ちて、けれど、少女の愛らしさを宿し。少し潤みながら、ぱっちりとしたまつげ越し、こちらを見つめ。瞳の色の深さと美しさは、吸い込まれてしまいそうで。
ふっくらとした唇は山林檎の果肉に似た薄朱色に潤い、彼女が喋るたびにきらきらとわずかな輝きを放つ。時折覗く薄桃色の舌には、どれだけ抗おうと視線を吸い付けられてしまう。
かわいい。かわいい、かわいい、かわいい。かわいくて仕方がない。頭が、体が、ちんちんが、心が、自分が、爆発してしまいそうだ。こんなかわいい子と、見てるだけで頭が融けそうな子と、近くにいるだけで下半身がぎゅんぎゅんする子と、こうして、二人して、とめどなく話ながら、時折こうして見つめ合って……ああ、俺は、どうしちまったんだ? 今なら、今ならきっと……リュックサックを誰かに壊されても、笑って許してしまうような気がする。俺は本当に、狂っちまったのか? そういう効果があるポストアポカリプスなのかこれは? こいつと、エリスと、痩せたところでキモオタ陰キャの、白鷺エリスと……まるで、まるで……デート、みたいに……。
「なっ……あっ……ず、ずりっ……ずりーっ……」
まばたきの音が聞こえてしまいそうな距離、景虎の顔が視界に大写しになり、かわいい、かわいい、と褒めそやされ慌てて目をそらすエリス。一方景虎も、羞恥のにじむ仕草の愛らしさに耐えられないのか、顔を赤くして目をそらす。
「っ、じゃ、じゃあ、持ってこ、これ……」
眼鏡越しの潤んだ瞳が、景虎を見つめ、言う。
……ああ、きっと、きっと。
私は狂っちゃったんだ。
エリスは思う。
景虎の一挙手一投足の軌跡に、きらきら、魔法の粉が散って、言葉の一つ一つに、ぽかぽか、胸が温かくなって、見つめられると、がんがん、頭が熱くなって、目を合わせていられない。どきどきって音が耳元で聞こえて、何も聞こえなくなりそうになる。あんな言葉は冗談だって、いつもの、キモオタジョークだってわかってるのに、いかにもイケメンが言っていそうなこと(と、キモオタの自分たちが思っていること)を言われると……かわいい、って言われると、もう、それだけで、全部、全部、いい。なんでも、いい。こんな、痩せてもむしろ、キモオタ陰キャっぷりが増してる、性格最悪の自称変わり者な冷笑野郎のコイツ、景虎が、黒丸景虎と……で、で……ででで…………みたいに、なって、それで、私、私が、私は、私…………。
「ぉ……教えて、ょ、どこが、好きか……」
話をそらすように本棚に手をかけ、景虎の手にしたカートに漫画を全巻、どさりと入れる。消え入るようなその言葉に、景虎の胸がきしんで、喉の辺りに甘酸っぱい気持ちが満ちて、いてもたってもいられなくて……だから、言った。
「……え、アレ? いいんスか? 白鷺さん、好みじゃないって言ってたじゃないスか? え、マジいいんスか? どーしちゃったんスか白鷺さん? 人の夢は終わらねえ! みたいに、漫画の好みは曲げられねえ! って言ってたじゃないスか? そういうとこ尊敬してたんスけど、イケメンの言うことにはホイホイ従っちゃうんスか?」
ここぞとばかりに景虎が言うと、ぽすぽすぽすぽす、細かな連撃が景虎の肩を襲って、二人とも笑った。
「ばーかばーかばーか! 舌かんで死ね!」
「うっせばーかばーか! 臍かんで死ね!」
けらけら笑いながら、棚を進んでいく二人。
「ねえ、景虎」
「なんだい」
「……楽しい、ね」
「そう……だな」
そして二人は生まれて初めて、心の底から満ち足りた気分になった。
ようやく一日を終え、学校から逃げ延びたと一息ついた時とは違う。
両親の喧嘩が収まり、ようやく家の中が静かになった時とも、違う。
凍える吹雪に晒され続けた旅路の途中、ようやく、暖かなランプの灯る、こぢんまりとした旅籠を見つけ、人好きのする笑顔を浮かべた店主に迎え入れられたような。たどり着いた暖炉の側、湯気の立つスープを差し出され、その一口目にありついたような。そんな、穏やかで、満ち足りた……救われた、気分。
「ふふっ……ヘンなの……あはは、なんだろ、これ、ねえ……」
くすくす、何がおかしいのか自分にもわからなかったけれど、エリスは笑ってしまった。
「ははっ、ん、そうだな……はははっ、ヘン、だな」
つられて景虎も笑った。がらがらと台車を転がし、その上には略奪最中の漫画やブルーレイがあるというのに。
「ねえ、お昼ご飯、おにぎりだったよね?」
「作ってきたからな」
「そっか、じゃあさ……晩ご飯はさ……」
「……なんか、やるか」
「そうそう、なんか、やっちゃおうよ」
「そうだなあ……どっかのホテルの最上階の……と、思ったが……」
「なんだよね……どんなホテルの高級ディナーも、階段でそこまで行くんじゃ……ねえ……かといって、ロビーでやるんじゃディナー感ないし……」
「だなあ……ん~……今しかできないこと、今しか行けない場所で、特別な晩飯ってなると……」
「ディ・ナ・アー」
「なんだ、こだわりがあったか」
「だってそうでしょ、だから、その……ほら、コレって、さ、なんか、あ、ほ、ほら、その、ほら、ね、デ……デー…………で、デー……」
これはごっこ遊びみたいなもの、いつもやってたイケメン美少女ごっこの延長線上、だからその単語を言っても、全然普通で、ちっとも恥ずかしくない……そう思って言おうとしたその言葉は、しかし、言えなかった。恥ずかしすぎた。こんな、こんなにひらひらした、かわいらしいお洋服ではなく、いつもの服を着ていたら、きっと言えたと思うのだけれど。
「……ト…………みたいなもんだからなってことか」
二人がかりでようやくその言葉を発すると、互いに顔を見合わせ、少し苦笑した。
「さてねえ、わからんな、俺たちは、その……素人すぎる……」
「だね……」
「普通はその……何をやるんだ?」
「なんだろ?」
「……なんかその、高級レストラン的な……?」
「高級レストランって、そもそも、なに……?」
「さあー……イタリアンとかフレンチとかって呼ぶようなレストランだろきっと、なんかほらアレ、あの、指を洗うボウルが出てくるんだろ」
「行ったことある?」
「ない。オマエは?」
「ナシ。ん~……そういうお店で、ろうそくとか並べたらきっと、ディナー感出ると思うけど……」
「……よし、発想を変えよう。チェス盤をひっくり返すんだ」
「は?」
「今しか行けない場所ならいいわけだろ」
「なんか猛烈にイヤな予感がするんだけど。国技館の先っちょの丸いところとか言ったら蹴るよ」
「そこで何を食うんだよ。いくら俺でもそこまで奇を衒わねえよ、こういうのは、アレ、ベタベタのベタをあえてやるぐらいがきっと、ちょうどいいんだろ? アレだ……遊園地のパレードの終盤の一番盛り上がるところで指輪を渡す……とか……」
「花火大会で三尺玉に照らされる浴衣の彼女に、キミのほうがキレイだよ、とか言う……みたいな?」
「…………あれこいつら飯食わねえな」
「あはは、ベタなデートのベタなディナー、っていうと……ああ、やっぱり高級ホテルの高級ディナー、ってなっちゃうな……ほら、夜景がマスト、みたいなとこない?」
「ああー、なるほど、そうか、眼下に広がる夜景を見ながら……ってのが、一番の鉄板か。か……もしくは、俺らの発想が貧困なだけか」
「あはは、後者の可能性は無視しとこー。夜景だよ、やっぱ夜景」
「くそ、なんだそりゃ無理じゃねえか」
「どーしよーねー」
と、二人はメディアだけで得てきた偏ったデート情報を披露し合い、首をひねり続け……そして景虎は、顔を輝かせた。
「思いついた」
「マジ?」
「夜景もばっちりだ」
「うそ、どうやって?」
そして、二人が出会ってからの二年で一番のドヤ顔をしつつ、言う。
「俺自身が夜景になることだ」
そのドヤ顔を見て、その言葉を聞いて。
エリスの中で渦巻いていた混乱が少し、落ち着いた。
あーやっぱりコイツ、どれだけカッコよくなろうが、れっきとした、ちゃんとした、どこに出しても恥ずかしくないキモオタ陰キャくんだったなー、と思い出した。自分の中に好感度メーターがあったとして、今の発言で十分の一ぐらいになったのは逆にすごいな……などとさえ思った。
けれど……それで落ち着いたからか、混乱が収まって、少しは理性的に考えられるようになったからか、思った。
あー……。
……きっと。
…………たぶん。
もう、むりだ。
私、むりだ。
コイツのこと……私……。
私、コイツのこと。
「…………あ、わかんなかった? ほら、結構ムカシの漫画でさ、くっそ長いけどすぐ読める、あ、たぶん棚にあるだろ、えーと……」
だが説明を始めてしまった景虎を見て、やっぱムリじゃないかも、とも思って、少し笑った。
「わかるってのバーカ!」
よかれと思ってやってくれているサービスが鬱陶しくなる瞬間、っていうのは、エンターテイメントを考える上で重要なのかもしれませんね……