08 二度目の朝
溺れる夢を見て慌てて起きてみると、豪快な寝息を立てるエリスの涎で、Tシャツの胸がびちょびちょだった。一瞬、驚いて身を起こしかけ、昨夜を思い出し、息をつく。けれど、エリスが起きるにはそれで十分だったらしく、んむ……と不明瞭な声をあげながら、目を開け……ばっちり、目があった。いつの間にか眼鏡は外していたようで、裸眼の彼女と。
「…………おはよう」
なんと言葉をかければいいのかわからなかった景虎は、とりあえず、挨拶でお茶を濁した。
「……………………なっっっ……あ…………」
叫んで立ちあがりバシバシとこちらを叩いてくるかと思って身構えるが……エリスは少し声を漏らした後、ふっ、と息を抜いて、再び自分の胸に頭を預け、言った。
「……おはよ」
「なんだ、殴られるかと思った」
「ばか、んなこと、しないよ」
「暴力ヒロインは流行らねえしな、今時」
「あほ」
「はいはい」
「今日、どうする?」
「ん~……飯食ったら、旅の準備だな。地図と……チャリ、どっかにねえかな」
「だね」
すっかり目覚めた声で二人は言うが……どちらも動かなかった。
「……んだよ、起きねえのかよ」
「ん……だって……ねえ、あの…………ごめんね、なんか」
「いや、別に、謝ることは何も、してないと思うぞ」
「私さ……その…………なんか、見捨てられた、って思うと、頭、わーーーってなっちゃって……」
「そりゃまあ……こんな状況だったら、誰でもなるんじゃないか?」
「……じゃあ、あんたはなんなのさ」
「俺は……慣れてんだよ。両親ともに俺が小学校の時にはもう、あっち側に御出立なさってたから」
「ねえ……軽々しく言ってると軽く思えちゃうからさ、あんまりそういう言い方、しない方がいいと思うよ」
「……軽くできる、ってことだろ……それに……事実は事実なんだからしょうがねえだろぉ……とっとと起きて、飯にしようぜ」
「…………」
「………………エリス?」
「一個、借りだね」
「…………何が?」
「私が、景虎に。助けてもらったから」
「……まあ、その内返してもらうんでいいよ」
「えっち一回とか?」
「………………」
「…………」
「……オマエなあ、耳まで赤くなるぐらい恥ずかしいなら、言うなよ、そういうこと」
「………………はい……」
「大体……なんなんだオマエのその……なんかこう……そういうことワタシ慣れてますよ、別に普通ですよ、セックスとかコミュニケーションじゃないですか、感を出そうとするのは……昨日なんて要するに、ホームシックになっちゃったから一緒にいて、ぐらいのことを……裸で来るし……」
「ぶ、分析禁止ッッッ! あ、あんただって似たようなもんでしょ! なにさ、つ、強がってさ、ちんちんばきばきだったくせにさ! い、今だって……!」
「んっ、ちょっ、やめっ、だ、だからっ! ……俺は少なくとも、そういうことは一回もしたことないから、そういうことは、特別なことで……とっ……特別だと、思っている。あと、それは朝立ち、英語でいうところのモーニングウッドであって別になんでもないッ」
「っ……や、やーいどーてー! 非モテ故の恋愛への幻想~~~っ!」
「おっ……オマエはその逆張りだろっ! 自称サバサバ女ッ!」
「………………」
「…………」
「………………モーニングウッドって、どういうこと……?」
「朝の木、だって」
そう言うと二人は顔を真っ赤にして見つめ合い……やがて気まずそうに目をそらし、互いに失笑を漏らした。
「朝っぱらから何やってんだ、ったく……」
「ん……だね……ん~~~~~~っ」
大きく伸びを一つして、エリスはようやく起き上がり、布団代わりに景虎が使っていたシーツを体に巻き付けた。それから大きく息をついて、まだ顔を朱に染めたまま、言う。
「あ……ありがと……ね……景虎……落ち着いた……うん……ありがと……あ………………アンタが……いて、良かった……だから……うん……あり……ありがと……っっ……」
俯きつつ。
少し潤んだ瞳で、寝乱れた黒髪をいじりつつ。
大きな瞳をこちらに向け、けれど、朱に染めた頬はそっぽを向きがちで。
真っ白な肌とシーツが、窓から差し込む朝日にきらきら、輝いているように見えて。
きつく体に巻き付けられたシーツは、二次元でしか見たことがなかったような美しい体の曲線を、むしろ飾り立てるようで。
「も……もう、大丈夫だからっっ……! 二人でがんばろーねっ! ありがとっ!」
言葉を終えると、にへへっ、と少し照れくさそうに笑い……そして、とたとた、小走りでカウンターの後ろに消えていく。
まるで熱帯魚の鰭のように軽やかに揺らめきながらホテルの奥へ消えていく、朝日に艶めく長い黒髪、白いシーツ、そしてかいま見えた、すらりと伸びる華奢な脚。
どくんっっっっっ。
一瞬景虎は、心臓がおかしくなった、病気になった、と思った。鼓動が高鳴りすぎて、跳ね上がりすぎて痛いほどで、心臓があばら骨を突き破って飛び出てきたのかとさえ思った。とうてい届きもしないのになぜか、腕が跳ね上がって彼女の背中を追っていた。
呼吸が苦しくて、浅くしか息が吸えなくなって、視線は彼女が引っ込んだカウンターの奥に、溶けて張りつけられたようになって。
おまけに頭が痺れて、熱くなって、どうしてか息が上がってきて……モーニングウッドがモーニングアイアンぐらいになって……思わず、口から言葉が、零れてしまった。
「…………しとく、べき、だったのか……?」
答は、果てしなく、わからなかった。
そして自分のモーニングダイヤモンドを見下ろし、とりあえずこれは……初期不良か設計ミスだよな回収騒ぎだろサポセンに電話だ電話……などと思いつつ、大きく息を吐いた。




