01 東京都青少年の健全な育成に関する条例
そもそもは、二人の見通しが甘すぎた。
互いに互いが高校で……いや、人生で唯一の友達の景虎とエリスは、小一時間電車に乗って、生まれて初めて行く即売会の予定を立てている時点で、互いに、吹き出た鼻血で空も飛べそうなほど興奮していた。
保護者は適当にだまくらかして、マンガ喫茶とかカラオケとかで一泊してしまおう……買った同人誌を即読んで、SNSに誰よりも早く感想を書き込もう……都心部にはちゃんと都条例とかあるらしーけど、きっとそんなの、どうせ受付の人はバイトの人だろうし気にしないって、だよなだよな……。
無論、そんなことはない。
あるかもしれないが、普通はない。
マンガ喫茶もカラオケも、受付の人はたしかにアルバイトだったが、この条例に違反すれば罰金を払うのは店でなく自分、としっかり分かっていたため「あ、ネットは使わないです」と会員登録を避ける浅知恵で言った二人に遠慮なく「生年月日の確認できる身分証のご提示お願いします」と疲れの滲む声で告げ、二人は顔を見合わせ、顔を真っ赤にしながら忘れたフリをしてその場を去った。どこのどんな店に行ってもその調子だった。まあ、当たり前といえば当たり前だ。
なにせ景虎と来たら、妙に老けた小学生のような顔。
ランドセルと一緒に住宅ローンも背負っていそうな、老けているのに妙に若い、珍妙な顔。高校生になってもそれは変わっていなかったし、黒いリュックサックと、小銭用に腰につけた工具入れのような黒い革ポーチ、さらに黒いジーンズ、よくわからない英字がでかでかプリントされた黒いTシャツを合わせると、これ以上はないというほど、とびきりに、太ったオタク高校生男子だった。似合ってはいたのだが。
さらにエリスと来たら、生まれて初めておしゃれしましたエヘヘ! という服装。
胸元に細い、黒いリボンをつけた、細かな刺繍の散らばる白いワンピースに麦わら帽子、華奢なサンダルを合わせ、藤のキャリーバッグを転がし……もしこれをアニメのヒロインが着ていたならば、間違いなく避暑地に出かける令嬢か何かだろうが……身長の代わりに体重を手に入れた彼女が着こなしていると、推しのイベントで張り切っている太ったオタク高校生女子、という風情でしかなかった。似合ってはいたのだが。
そんな二人が夜の街で行き場をなくし、途方に暮れ、道の向こう側に交番を見つけると焦り、飛び込んだ場所が……この、あまり普通の人が働いていない、受付も精算も機械式の古いラブホテルだった。
「…………ん……」
真っ暗な部屋に景虎の声がして、もそり、ベッドのシーツが動く。シーツから細い腕がにゅっと伸び、枕元を蠢き、ぱちぱちとスイッチ類をいじる。が、部屋は真っ暗なまま。
……くそ、なんなんだこのシステム……?
枕元のパネルから部屋のすべてを操作するラブホテルのシステムに内心で毒づきながら眼鏡をかけると、ゆっくりベッドから出て、窓に向かう。ぴったりと観音開きの扉で封じられてはいたモノの、その奥に窓があることは昨日の夜に確認済みだ。わずかに光も漏れている。
手探りで取っ手を掴み、妙に重たい扉を開け、部屋の中に明かりが差し込み――。
「……はぁ」
窓越しの光景にため息。隣のビルの、壊れかけの室外機しか見えない。
廃墟じみて煤け蔦が這っているのを見ると、未成年の自分たちがここに問題なく泊まれたことにも納得がいった。こういうところに来る大人は一体全体、どういう人なんだ? セックスできれば他のことはマジでどうでもいいのか……? と少し疑問にもなったけれど。
「……ぁ……ぅ……」
窓の明かりに照らされ、エリスが声をあげる。
「お……」
い、朝だぞ、と言おうとして、気付いた。
部屋の中がうっすら、埃に覆われている。
「……はぁ?」
ベッドから這い出て、窓を開けた自分の痕跡がわかるほどだった。日の光に照らされもうもうと埃の舞う様が見える。いくら一泊四千五百円でも、清掃だけはしっかりとしている風だったのだが……よくよく見てみれば、手には積もった埃がべっとりとついている上に、空気はかび臭い。
「うわっ」
「……ん~……朝ぁ……?」
エリスが身を起こす。昨晩は真っ白だったはずのシーツが、あちこち黄ばみ、黒ずみ、まるで廃墟にうち捨てられていたような有様になっている。そんな不吉なシーツの中で人がなまなましく蠢く様は、今から怪物が目覚めるとでもいうような、少し寒気の走る光景だった。
「ちょ、え、な、なぁ……? ふぁ、ふぇ、へぇぇ……っ?」
混乱のあまり景虎が妙な声を漏らすと、一拍遅れで異常に気がついたのか、エリスが身を起こし、がさがさと枕元をあさって眼鏡をかける。
「………………は?」
エリスは部屋の中を見回し、自分の手を見て、景虎を見て……。
景虎も部屋の中を見回し、自分の手を見て、エリスを見て……。
同時に言った。
「「はぁぁぁぁぁぁぁぁ?」」
痩せていた。
二人とも。
「へ……あ……か……かげ、とら……?」
「え……えりす、だよ、な……?」
互いに互いを、よくよく見つめ合う。
むっちりとしていた腕は柳のように細くなり。
ぷっくりとしていた頬はわずかに頬骨が見えるほど。
でっぷりとしていた胴は体本来の曲線を取り戻し。
そして。
景虎の股間は昨晩のように張り詰めていた。
「だっ! なんでまた勃起してんのよあんた!」
「だーーーっ! お約束やってる場合かアホ!」
埃舞う部屋の中、二人の叫び声が響いた。
私が漫画喫茶で夜勤していた時、コミケ前日の深夜一時、あからさまに未成年の少年四人組がやってきたことがありました。追い返そうとする前に、少年たちは全員、ネットを使うと申告。つまりは、会員登録して身分証を出します、という意味。へー若い大学生だなあ、と思って入会書書かせたら全員十六歳でもう逆に笑ったことがありました。しかも住所を見たら、電車だと半日コースな県。少年たちの一夏の冒険に甘酸っぱい気持ちになりましたが、きっちり追い返しました。よくよく考えると、深夜一時の繁華街に十六歳の少年四人を放り出すって、全然、青少年保護してなくない……?と不思議な気持ちになったものです……。