06 わかっていないのは
ほとんど無言のまま屋上で塔を見つめ、言葉少なに拠点に戻った二人。少し息をつくと、あさってきたスマホを片っ端から充電器に繋ぎ、情報収集に入った。
そして目にしたのは、かつての人々の混乱の欠片。
「超常確定か……」
五台目のスマホを放り投げ、景虎がソファに沈み込みながら天井を見上げ呟く。スマホの代わりにもう一度、今朝出現していたあの紙を手にとって眺めてみる。
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【シナリオ名】
はじめてのポストアポカリプス
【難易度】
Noob
【シナリオ開始時期】
滅亡後1年:2026年5月5日
【クリア条件】
原因解明
【失敗条件】
死亡
【報酬】 1つ
normal すごい車
hard すごい武器
insane すごい異能
nightmare すごいNPC
【備考】
まずはポストアポカリプスの基本を学ぼう!
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「…………だね……」
エリスは向かいのソファで手にしていたスマホを机に起き、ため息交じりにそう答えた。
「まあ俺たちの状況からしてそうだったんだから、別に驚くこたぁねえけど……とにかく……全員、あの塔へ行った……塔かどうかもわかんねえけど……」
景虎が言うと、エリスの心の中に改めてその事実が染み込んでくる。
ここにはもう、誰もいない。
そう思うと途端、冬のアスファルトに座っているような冷たさが尻の辺りから忍び込んできて、ぶるぶる、体を震わせてしまう。その震えを体から打ち払うかのように、明るい声でエリスは言う。
「問題は……どれか、ってことじゃない?」
「どれか……って……?」
「宇宙人か、テロリストか、ウィルスか、はたまた……異世界帰りのチート主人公のざまあが暴走した、とか……」
「…………オマエ、ノンキだなあ」
景虎は視線をエリスに戻し、呆れたような顔で彼女を見つめた。が、すぐにそれが強がりだとわかる。唇が少し青ざめていて、右手が何かにすがりつくように、左肩を抑えている。
「あは、まあ、関係ないか、そんなこと」
「……いや、あるとは、思うぜ。ただ……たぶん、ここでどうやってても、わからんだろ。スマホをあさった限りじゃ、去年の五月十日以降の意識的な活動はない……」
両手を頭の上で組み、目をつぶって考える。
突如、人々がまともな意識をなくし、一点に向かって歩き始めた。その原因がなにか、なんてのは……。
「しかも東京だけじゃなく日本中、世界中っぽい。各国、各都道府県に一本ずつあの塔があんのかな? で……今、この地球上に生きて動いてる人間は、俺たちだけ。その原因なんてのは……」
あの塔を見た瞬間から、頭の中にくっきりとその言葉はあったけれど、口には出せずにいた。今度も言い淀んでしまう景虎。
怖かった。
今まではどこか、浮かれていたように思う。
ただ、本当にもう、あの世界は、暮らしは戻ってこないんだ、とわかってしまった。
来週のジャンプは永遠に出ないし、ゲームの続編も新作も永久に出ない。どれだけ待とうが来クールのアニメも始まらない。それどころかゲームクリエイターも漫画家も、アニメーターも作家も一人もいない。
もうこの世界には、自分とエリスしかいない。
そう思うと、がくんっ、と床に倒れ込みそうなほど、体が重くなった。人類の歴史の最終章の最終節の、最後の台詞の最後の読点。それを打つ役目を、背負わされてしまった。体育の時間の余りにやらされたドッジボールで、残りたくもないのに誰からも狙ってもらえなくて結局、最後の一人になってしまったような気分を、百倍も千倍も酷くしたような、曰く言いがたい気持ちだった。
ただ、それでも。
自分の心がまだ少し、浮かれているのがわかる。
最後の役目を負わされたところで、それを完遂してやる気はさらさらない。どうして自分に何もしてくれなかった人類や世界などというもののために、何かしてやらなければいけないのか。
せっかく誰もいなくなったんだ。
好き放題に生きてやる。
新作が出ないからなんだってんだ? ってことはつまり、この世に残ってるゲームを全部、クリアできるってことだ。認証いるやつはキツいけど、幸いまだ、コンシューマーゲームはパッケージ販売が基本。アニメも漫画も本も同じ。新作が出なくなれば残りの人生を全部使って、コンプリートできるかもしれない。
おいおい……こいつは、忙しくなってきやがった……!
そう思うと、心が軽くなる。
けれど。
「……こうなった原因は……まあ、あそこ……あの、でっかい黒いのにでも行かんと、わからんだろな……まあ、行ったところで確証があるかどうかは……」
景虎がため息交じりにそう言うと、エリスの顔がくしゃり、歪む。
「だ……だよ、ね……」
鎖骨のラインをなぞるように、エリスの右手が意味も無く動く。屋上から見たあの光景を思い出す。
建物だとわからないほど巨大な、黒いなにか。どこまで拡がり、どこまで聳えているのかもわからないほど大きな黒い塔。
エリスは塔を認識した瞬間、思ってしまった。
ああ、ここで終わりだ。
楽しい時間は、もう、終わりだ。
ここからはきっと、地獄が始まるんだ。
スマホで見つけた映像が、頭の中でずっと流れている。
ゾンビのように歩く人々。その顔の虚ろさ。状況の意味不明さ。映像の、現実なのにB級映画、大学生がサークル活動で作った低予算映像よりも嘘くさいチープさ、だからこその、真実っぽさ。
きっと自分も景虎も、いつか、ああなってしまうんだ。
「ま……まあ、別に、行かなくてもいいんじゃないか?」
景虎がどうしてか、慌てたように言う。
「い……行かなくても、いいわけ、ないじゃん……」
「いや……だって、行ったらわかる、って保証はないぜ」
「でも、行かなかったら絶対わかんないよ」
「まあ……そうだな。けど、わかったところでなんかなんのか、って根本的なヤツもある」
「わ……私は…………」
エリスの両手が忙しなく動く。
「…………ねえ、景虎は……戻れるなら、元の世界に、なってほしい? それとも、このままでいい? 選べるなら、どっちがいい? っていうか…………わか……わかんなく、なっちゃって、さ……」
あはは…………と、力ない笑いが、膝の間に零れていく。
「わかんない、って……何が……?」
「なんか……なんか、ね……あの……私、アンタとこんな状況に、なったこと……その…………心のどっかで……」
ぎゅっ、と堅くを目を瞑り、しばらく黙り込むエリス。
「…………どっか、で……?」
緊張に耐えきれず、尋ねてしまう景虎。
やがて諦めたように息をつき、目を開けるエリス。
「どっかで……ちょっと、浮かれてたと思う。その……だって、こんなの……ヤバいじゃん、イベントじゃん、もう、異世界転生みたいなもんじゃん。アンタ、なんか、異常に頼りになるし……でも……あれ……あの、マンション、塔、見たら……ひ………………人が……」
ひぐっ、と、しゃくり上げるエリス。
「人が……みんな、みんな……いなくなった、って、あの塔に吸い込まれちゃったんだ、って、わかって……だ、だから……こ、怖く、て……こ、怖いよ、あんな、あんなの、怖いよ、景虎、こんな、こんな状況で、浮かれてた、バチが、当たるって……思って……怖い、怖いよ、景虎……っ……」
ぽろぽろと涙を零すエリスを見て、景虎は僅かに、息を呑んだ。そして、思った。それは思考の中でさえ、うまく言葉にならなかったけれど……ならなかったからこそ、口に出して言った。
「オマエは…………なんか……」
「…………な、なによぅ……」
「………………ちゃんと、人間なんだなぁ……」
「……は、はぁ……?」
「俺は……その、思わなかったんだ。そういうの、なんも。こんな、こんな時になってまで……なったからこそか……俺とオマエのことしか、思わなかった。塔を見ても、スマホあさっても、いなくなった人たちのことなんて……なんも……」
言葉にするたびに、なぜか、喉が引き攣れた。
それでも、どうしてかやめられなかった。
「……なんか、なんか俺、そういう機能、ついてないみたいだな。なんか……自分でも薄々わかってたけど……」
「あは……あはは……やめてよ、こんな時まで、変人、鬼才、オタクくんの変わり者アピールチキンレース……今度はなに、俺ってば感情ないんだゼ、ってこと……?」
「ハハ、そうかもな……なあ、でもさ……それでも…………」
ああ、そうか。
景虎は気付いて、はっきり言った。
「そんなヤツが、こんな状況になって……でも俺、オマエのことは、ちゃんと考えられた」
それに気付くと、かちゃり、何かのピースがはまったかのように、言葉がはっきりと出てきた。
「ハハ、どうだよ、俺にしちゃ上出来だろ。オマエのこと、考えられてるんだ、俺。ハハハハ、マジか、すげえな、スゲえ、俺、他人のこと考えてる! ハハハハハ! マジか、すげえ!」
おかしくて、おかしすぎて、笑いが出てきた。エリスが目を丸くして、口をぽかんと開けて見つめているけれど、止まらなかった。蛇口みたいに笑いが出っぱなしだった。
「俺が!? 一生ゲームしてりゃいいやって思ってるキモオタ陰キャくんが、オマエのこと、ちゃんと考えてるんだ! ハハハハハ! オマエが、オマエが不安になんないように、とか、オマエが笑ってられるように、とか、そんなこと考えてんの! スゲえ、スゲえぞオイ!」
「な……なに……な、なんなの……?」
エリスの表情が、喜怒哀楽の迷宮を超高速で迷い、伴って表情は百面相どころか千面相のような有様。
「いやあ、すまん、なんか、アレだ、だから……」
まだおさまりきらない笑いをむりやり、腹の奥底に呑み込みながら、景虎は続けた。
「だから、別に……別に怖かったら……アレだよ、あの塔の見えないとこまで旅して、そこで楽しく暮らせばいいさ。俺は別に、それでも全然いいぜ、道中でゲームに漫画にブルーレイ、死ぬほど集めてよ、そうだオマエ、スマブラとイカに自信ネキだったよな? スイッチ、スイッチどっかでパクろうぜ! そうだヨドバシ行こう! こんな状況じゃ約束の地だぜオイ!」
「………………へ、ほ?」
エリスの千面相は結局、オマエ、マジ、なんなの? という顔に落ち着いた。それを見ると景虎はくつくつ、喉で笑った。
「あ、別に、オマエに判断を預けるってわけじゃねえぞ。俺としちゃ……まあヒマんなったら行くか、程度だよ、あの塔は。だからまあ、別に、行きたくないなら行きたくないで、別に、って」
「ア……アンタ、さ……あの……自分たちも、ああなるかも、って、思わなかった? ほら、あの、映像みたいに」
「んで、死ぬかもって?」
「そ、そうだよ」
エリスが問いかける。
けれど、景虎は小首をかしげて、言う。
「それは、こうなる前も、別に一緒じゃなかったか?」
きょとん、とした顔で言う景虎。
「い、いっしょ、な、わけ……」
絶句するエリスに、景虎は続ける。
「いやだって、人間、いつ死ぬかなんてわかんねえんだし」
取り立てて、何かをアピールする顔ではなかった。エリスにはわかった。そう言った景虎の顔は、まるで、雨に降られたら濡れる、風呂に入らないと臭くなる、そういう、当たり前のことを言っている顔で。
そしてエリスは気付いた。
……ああ、そうか。
この状況より、コイツの方が、おかしいんだ。
それはなんとも……なんとも……。
……なんて……。
おかしいんだろう!
そう思うと、エリスの腹の奥からも笑いが湧き出てきて、やがて、それが破裂した。蛇口みたいに笑いが出っぱなしだった。だからもう、何も気にならなくなった。いや、気にしても、無駄だ、と思った。
世界が狂ってるなら……自分がどれだけ狂ってったって、きっと、正常だ。
そんなことを思って、エリスは言った。
「じゃあ……じゃあさ、あはは、報酬、報酬のこと考えようよ、とりあえず。いつかあの塔行って、謎を解明するとして……今は、ねえねえ、どれにする?」
「な……なんだよいきなり……」
「なんでも。ただ……あはは、この状況は頭がおかしいけど、ふふ、あんたはそれ以上に頭がおかしいんだから、私もそんぐらい頭がおかしくならないと、って思っただけ」
「…………それは、褒めてるのか、けなしてるのか……?」
「褒めてる褒めてる。で、どれがいい? 私はやっぱ異能がほしーんだよねー」
エリスが机に身を乗り出して言うと、景虎は少しだけ肩をすくめ……かなり、わくわくした。もし異能を使えるとしたら、なんて、今まで何千回考えただろう。
「……なに系?」
とはいえ、ここは距離感をはかりたい。質問で返して時間を稼ぐ。
「なんかこー、直接攻撃系じゃないやつ。絵に描いたモノを現実に出せる、とか、写真に撮った対象を編集できる、とか?」
……おおう、こいつ、全力じゃねーか……。
恥ずかしい、だとか、中二病、だとか、そういうことを一切考えていない顔のエリスを見て、景虎の中でもスイッチが入る。
「……ダッシュ・ア・スケッチと……クリエイターズ・スタジオ……かな」
「お、なかなか……漢字は?」
「カタカナだろ」
「え~、そっかなぁ~? あんたは? どんな異能使いたい?」
「そうだなあ、俺も直接攻撃系は、あんま……ん~……」
「あはは、当ててあげよっか。あんたがほしいのは……割とメタ系、概念いじり系で……ジンクスを現実にする、とか、読み上げた四文字熟語の力を纏うとか、それ系」
「…………なかなか滾るなそれは」
「ジンクスの方は、そうだなー、やったか!?って書いて、『やったか!?』、四文字熟語の方は、天上天下四字独尊って書いて、『天上天下四字独尊』!」
「ん~~~~……惹かれるが……この状況だとなあ……誰と戦うんだって話だし……単純な治癒系異能が一番だな」
「え~? ポーション役でいいの~? それこそ、誰とも戦わないのになんで必要なのさ」
「体の怪我に病気、異常を全部直す異能、なんてあったらオマエ……ちょっとしたにきび、深爪、ささくれ、睡眠不足、栄養の偏りから来る肌荒れ、便秘、肩こり、冷え、PMS、食中毒……全部解消できると思うが? おまけに、いつゾンビやらクリーチャーやらに襲われても安心だ」
「PMSってなに?」
「……はっ、はぁ!? なっ、なんで知らねえんだよ……?」
「え、なんかそれ病名ついてたんだ、みたいなヤツ?」
「…………月経前症候群」
「……よしそれでいこう、名前は……」
「オマエなぁ……異能と名前考えるより、もっと考えることがあるだろ……」
「うっさい、異能の名前を考えるより重要なことなんてこの世に存在しないでしょ! うーんと……うーん……触って直す系と、なにか物質を媒介して直す系、もしくはー……あ! あははははっ、どうしよ、思いついちゃった、ハイド・アウト・スプリングってどう?」
「ハイドアウトって……ぶわははははっ、隠し湯じゃねえか! たぶん文法違うし!」
「こういうのは日本語のテンション優先! それに、なんかこー、ちょっとした体の異常ってお風呂入ったら全部治る気するじゃん!」
「ああ、ぶふっ、いいかも、なっ、ポストアポカリプスには、最高の異能だ、怪我も病気もニキビも肌荒れも全部治る温泉を出せる異能、ぶははははっ」
「いいじゃんいいじゃん、ハイド・アウト・スプリングのアンタと、ダッシュ・ア・スケッチの私、攻守のバランスとれてんじゃん? 異能を使うときの声はどうする? 叫ぶ系? それとも囁く系?」
「んー、あ、治癒系だけど叫んだらオモロいかもな。こう……顕現せよッ! ハイド・アウト・スプリングッッ! って叫んで……足下に温泉出てじゃぼーーん、的な」
「あははははははっ! バトルする気も失せちゃうね」
「オマエは?」
「囁く系でしょー、こう……天地万物我が筆と成り、一切万象我が墨と化す……あ、だめだこれカタカナ名前じゃないな和服系だな……」
かくして。
二人の異能談義は深夜にまで及んだ。終わる頃にはもうすっかり景虎は、思っていた。こいつは、エリスとなら、大丈夫だ。一方、エリスは思っていた。
こいつになら……大丈夫、かもしれない。