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オタ友に「世界最後の一人でもアンタ/オマエはない!」とか言ってたら世界最後の二人になっちゃったラブコメ。 ~特殊ツンデレ同士があほあほカップルになるまで~  作者: 阿野二万休
第2章 We are fighting alone

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04 イケるのでは?

 ワンフロアにつき、一部屋をあさる。


 どちらから言い出したわけでもなかったけれど、そう決めた二人は、言葉少なに作業を続行した。その方がまだ、精神的にラクだった。


 黙々と土足で上がり込み、黙々とスマホを探し、黙々とリュックに放り込んでいく。




 おそらく新婚らしい夫婦の部屋。

 単身赴任っぽいビジネスパーソンの部屋。

 一人暮らしに見える老人の部屋。

 会社のオフィス、何かの士業の事務所、小さなゲーム開発会社……。


 靴を履いたまま上がり込む部屋には、それぞれの生活の痕跡が、それぞれにあった。




 新婚らしい夫婦の部屋は、写真のプリントアウトでいっぱいだった。〈♥らぶらぶ新婚旅行の思い出♥〉とメモの張られた、いかにもな南の島のビーチで爆笑している男女は、見たこともないほど幸せそうだった。そんな写真に囲まれて生活したくなる精神は二人にはよく、わからなかったけれど。


 単身赴任らしいビジネスパーソンの部屋には、部屋中のあちこちに散らばった洗濯物とコンビニ袋にまとめてあるゴミ。エナジードリンクの空き缶と、濃厚な味をウリにするコンビニ弁当の山。部屋中の何を動かしても元の持ち主の、染みついたため息が聞こえてきそうだった。


 老人の独居らしい部屋のカレンダーに、几帳面に書かれたデイケアの日時とマンション自治会会議日程と病院の予約と年金の振り込み日。孫が来るらしい日についている日章旗のようなマーク。


 会社のオフィスに散らばっていた北海道土産の菓子、士業の事務所の壁で傾いていた免許、モデルガンと模造刀が転がるゲーム開発会社……。




 一部屋一部屋、あさるごとに二人は打ちのめされていた。




 誰かがSNSで書いていた、どこかの芸能人がインタビューかなにかで言っていたらしい言葉が、頭の中に蘇る。




 一万人が死んだ事故なんてない。

 たった一人の死んだ事件が、一万回あったんだ。




 部屋に土足で上がり込むたびに、じくじく、心が痛んだ。それでも二人はスマホやノートパソコン、時に日記帳らしきノートをリュックサックに放り込み続けた。自分たちが一万二人目にならないために。




「…………あ~……」


 最上階の角部屋から出た景虎は、魂が抜けたような声を出した。背中のリュックはスマホとノートPCで膨れ、パンパンになっている。


「う~……」


 エリスもエリスで、魂が潰れているような声を出した。彼女のリュックもパンパンだ。


「こんぐらいで……大丈夫、だよな……」

「だと…………いい、ね……」

「…………よし!」


 景虎は心も体も、へとへとになっていることを実感し……大きく一声叫ぶと、ぱちん、頬を張った。エリスが少し驚き、今度は何を言い始めるのか、と訝しげな目つきで彼を見る。が……。


「昼飯にしよう」


 意外にも、まっとうなことを言ったのでほっと息をつき賛成した。




 どこかの部屋で食べようとは二人とも考えなかった。持ち主がありありと想像できる部屋で昼食をとるぐらいなら、墓場でランチとしゃれ込む方が幾分かマシだ。


 とはいえ……階段に座って昼飯を食べる、というのも少し、学校生活を思い出すので避けたい。二人とも、昼休みを楽しみにするような学校生活は送っていない。


 それから、十二階分の階段を重い荷物を抱えたまま空きっ腹で降りる、というのもやめておきたい。


 なので。




「やあ……来てみる、もんだな……」

「……だね……」


 そういうわけで二人は屋上にたどり着いた。バーベキューやなにかがしかのイベントを屋上で催すタイプのマンションだったらしく、ドアは開け放たれていた上に、ビーチテーブルやクーラーボックスらしきものが散乱している。


「…………ぐへ~~~~っ……重っ……」

「ね~……」


 体の疲れに集中していれば、ささくれだった心をひとまずは、見ないで済む。十七年(プラス一年?)の短い人生経験ながらもそう体得していた二人は、重たいリュックをビーチテーブルの上に置き、砂や埃をはらいもせず、ライトブルーの椅子に腰を下ろした。ミヂッ、となにやらプラスチックのきしむ不吉な音がしたけれどとりあえず、割れも壊れもしなかったのでひとまずは安心。太ってたらヤバかったかもな、などとふと、思う。


「お腹すいたよ~……!」


 ぱたた、ぱらたたた……。


 エリスがどちゃり、上体をテーブルに投げ出し、指を踊らせる。それを見てようやく表情を緩ませた景虎は、いそいそ、リュックにつけていたサイドバッグと、ウェストポーチを開ける。




 中から出てくるのは、籐のランチボックスと水筒二つ、紙コップ。


 それから塗りの木椀に、小さなタッパー、そして割り箸に爪楊枝。




「さてさて……」


 景虎は呟きながら、椀にフリーズドライの味噌汁をあける。水筒に入れていたお湯を、とぽぽぽ……と注ぐ。カラカラに乾いたアスファルトと枯れきった雑草の匂いが混じる屋上に、新鮮な味噌汁の湯気が立つ。


「おっほ~っ……具、なんだっけ……?」

「なんだっけな……ああ、なめこだ」

「え、フリーズドライでもなめこってあんの?」

「技術の進歩に感謝だ」

「うっひょ~」

「……オマエなあ、おっほ~、に、うっひょ~、て……いくら我々オタクがオノマトペを口にする習性があるといっても、そういうのは実際に口に出して言わないと思うぞ」

「だってこんなの、うっひょ~、じゃん。ポストアポカリプスで熱々のお味噌汁と……」


 横に置いたタッパーには、やや黒ずんだたくあん……いやたくあんの燻製、いぶりがっこ。そしてテーブル中央、籐のバスケットを開けると。


「お漬物に、おにぎり~!」


 建物の中に入ってから始めて、喜びに満ちた声がエリスから。


 少し大きめの弁当箱程度のバスケットの中には、ちょこん、という言葉がぴったりの、可愛らしいサイズのおにぎりが、たっぷり詰め込まれていた。ラップで包まれたおにぎりには一つ一つ海苔が巻かれ、頂点にちょこん、と、中の具の欠片が散っている。


「あ、手」


 すぐさまおにぎりに手を伸ばそうとしたエリスを、景虎がウェットティッシュを差し出して遮る。


「……も~、お母さんかよ~」

「感染症パニックもののポストアポカリプスだったらどうすんだ、謎の病気で鼻からキノコ生えて溶けて死んでも知らねえからな、俺は」

「はいはいは~い」


 素直に手を拭き、そして再び。


「いただきま~す!」

「はい、いただきます」


 エリスは手近のおにぎりを勢いよく手に取ると、もどかしそうにラップを開け、大口でかぶりつく。


 一口目、口の中に、さっ、と海苔の風味。


 炊きたてご飯で握ったしっとりとしたおにぎりは、たっぷりとラップに汗をかき、その水分でほとびる寸前だった海苔は、あっけなく口の中に散っていく。むちむちっ、とでも表現したくなる食感の白飯の、舌に快い塩気と甘みに、(うしお)の香りが混ざる。がぶり、がぶり、米の塊を口の中でほぐせば、甘辛い醤油ダレがとろりと絡んだ、牛肉の大和煮が顔を出す。握っている最中、そんなに強く握ったらお餅になっちゃうじゃん! とクレームをつけた景虎のおにぎりの、力強い白飯の味と食感に、ばっちり合う。わずかに混ぜてある玄米にもち麦の、ぷちぷちした食感がそこに、気持ちのいいアクセントを加えている。


 海の面影を感じる海苔の風味の中、もぎゅもぎゅ、少し笑ってしまいそうなほどがっちり握られたおにぎりの白飯。そんな白飯を優しく(ほど)き包み込む、ふわふわ、とろとろ、甘辛い牛肉。缶の中にあってゼラチン状だった脂とタレは、ほのかに暖まり、飯粒一つ一つをコーティングするかのように絡んでいる。


「んっ、ふっ……!」


 固めのご飯と、甘辛い、トロリとした醤油だれの染み込んだほろほろの牛肉。


 あまりの相性の良さに、喉の限界も忘れて呑み込んでしまい、むせそうになったところで、味噌汁に手を伸ばす。ずずずっ、とすすれば、かなり強めのたれの味も、優しい味噌汁に洗い流されて口の中がさっぱりとする。喉を伝って絡み合いながら胃に落ちていく三者を感じると、何があってもまあ別にそこまでたいしたことじゃないな、なんて気分にさせられてしまう。


 そこで爪楊枝。

 漬物、いぶりがっこを刺す。




 っく、かしゅっ。




 心地よい手応えと共に爪楊枝が通る。ぱきり、と飛び散った微細な破片が、しっかり、くっきり、燻製された大根の漬物の、スモーキーな香りを空気に踊らせる。エリスはその音と香りでソーセージのCMを思い出した。


 まだ少し米と海苔、それから牛肉の欠片が残っている口の中、いぶりがっこを投げるように放り込んで……遠慮無く噛みしめる。ばりばり、がりり、こきり、くしゃり、おもちゃのような歯ごたえは、食事だっておもちゃのように楽しんでいい、と言われているようでなんだか爽快だ。薫る燻製の風味と大根の味は、おにぎりの具と対比が効いて、口の中に早朝の風が通り抜けているかのように爽やかだった。


「……オマエ、ホント、うまそうに喰うよなぁ……」


 もむもむ、自分もおにぎりを食べながら、景虎はエリスを見つめた。卵形のすっきりした顔が大口を開けておにぎりを頬張り、時に目を瞑って鼻に息を通し味わい、味噌汁を啜って豪快に飲み下し、ぽりぽり、いぶりがっこを摘まむ。まるで楽器の演奏か、はたまた、武道家の演舞のようだった。


「あはは、だって、ん、おいしいもん。ってか、アレ、だね、おにぎり、って……料理、だね……」

「そりゃあ……ちょっと大げさだけど、真理ではあるな」


 新たなおにぎりに手を伸ばしていくエリスを微笑みながら見つめ、景虎は満足げに息を漏らす。彼は、外食するぐらいならその金でゲームを買う性分だ。昼食代を浮かせるために今まで、百や二百ではきかないほどのおにぎりを握ってきた甲斐が、あったというものだ。


「んふ、鮭フレークも、ばっちり大丈夫だね、ちょっと心配だったけど」

「瓶詰めをナメんなって、保存食の原点にして頂点……は言い過ぎか……でもタダの鮭フレークじゃないぜ、それは」

「鮭…………え!? 鮭、じゃない、これ……!?」


 勢いよく二つ目のおにぎりに取りかかっていたエリスが、目を丸くした。口の中で拡がったのはなじみ深い鮭フレークの味だったはずなのだが……噛めば噛むほど、そこに別の味が混ざる。おまけに握り方まで変えてあるらしく、今度はふわふわ、お米がほどけていく。


「袋の塩昆布が大丈夫そうだったから混ぜてみた。イケるか? しょっぱすぎないか?」

「ん~~~っ!」


 百や二百のおにぎりを握っていると、どうしても具に飽きてくる。なので景虎が編み出したのは、おにぎりの具として売られているものの、ミックス。中でも鮭フレーク塩昆布は彼のお気に入りだ。しょっぱすぎないように調整するのが少し難しいのだが……。


 エリスは右手の親指を立て、にゅい、と景虎に突き出し、残りも口の中へ放り込む。すっかり元気を取り戻した彼女に、景虎は少し笑った。けれど、それは少し自嘲も含んでいた。さきほどまであんなに……あんなに、言葉にできない、数十億人の亡霊が言葉無く立ちすくんでいるのを見てしまったような、彼らの代弁をしなければいけないような、そんな重苦しい気分だったのに……。




 ……生きてるもんなあ、俺たち……。




 いなくなった人たちが生きていたとして、どこで、どんなものを食べているのだろう? ペースト状のディストピア飯だろうか?




 そんなことを思いながら自分も漬物をくきり、こきり、とやり、今度はツナおかかおにぎりに手を伸ばした。ツナ単品があまり好きではないと言ったエリスのためひねり出したレシピだったが、それなりにイケた。まあ、歯に挟まる度合いは倍増しているが。


「ってか、あれ、炊きたてのご飯でおにぎり、って、私、なんかもったいないって、思ってたけど、イケるんだね、なんか、むちむちぷちぷちーっ、てしてて、これ、好きかも、私……」

「なんか、あれだよな、餅とご飯の中間みたいな感じで、オモろいよな、強く握ると」

「うん、不思議ー……にしても……あー……落ち着く……」

「ま……なんか、さ、いろいろ、あるけど……」

「…………あるけど?」

「飯喰えりゃ大丈夫だ」

「あはは、そうだね、ん……あーでも、ふふ、ちょっと、意外かも」

「……なにが?」

「だって、あはは、アンタ、人の握ったおにぎり食べるの絶対いやがりそうなのに、自分の握ったおにぎりを人に食べさせるのはいいんだ、って思って。お弁当作ってくって今朝言い出した時、白飯と缶詰だけ、みたいなの、覚悟してたんだけど」

「え、オマエ、ダメな方?」

「ん~……人による?」

「い、一応……ラップかけて握ってたの、見たろ、握る前に、手、ちゃんと消毒したし……」

「あははは、何今さら不安になってんの? 大丈夫だよ別に。こうしておいしく食べてるでしょ。それに……あはは、ねえ、じゃあ私が握ったおにぎり、食べられる?」

「ラップかけて握ったおにぎりなら誰のでも食べるし、かけてなかったら少々イヤな顔をしつつ、ちゃんと手は消毒したかを確認してから食べる」

「食べるのかよ」

「ケガレ思考はよくわかんねえんだよ、俺は」

「……ケガレ……ってよく聞くけどさ、具体的になんなの?」

「だから……たとえば……死んだネズミとかを一度摘まんだ箸を、よくよくちゃんと洗って衛生上問題なくしたとしても、それで気分よく食事できるかどうか、っつったら、まあ、ほとんどの日本人はできないだろ、きっと」

「あ~~……アレだね、あの……不潔で虐められてる子に触るとその子の菌がうつる、的な」

「そんな昭和のイジメされてるやつ、いたのか?」

「小学校の時ね……でも……よくわかんないの?」

「俺はその宗教信じてないんだ」

「あはは、宗教じゃないでしょー」

「宗教だろ、理屈じゃないんだから。俺はバチとかケガレとかより、食中毒の方が怖い。避難所の皆さんにさし入れです、っつっておにぎり持ってったら集団食中毒なんてのは……神話的な悲劇じゃねえか?」

「……う~ん、気まずさは神話級かもね……」

「まあ、そういうのは大抵、ちょろっと洗っただけの素手で握ってから常温で半日放置してたとか、そんなだけどな」


 そんな会話をしつつ、二人は屋上で昼食をとった。牛肉大和煮、鮭フレーク塩昆布、ツナおかか、おにぎりは綺麗に二人の腹におさまり、木椀も空に。


「ふ~……やっぱ……お腹、いっぱいだ~……」

「だなぁ……」


 そこまで大きくはないおにぎり、たかだか三つ程度で満腹を告げる自分の腹を、ぽんぽん、と叩きながら、景虎は少し空を仰ぐ。少し曇りがちだった空は正午を回り、少しずつ青空を見せ始めていた。わずかに肌寒さを感じていた空気も、どこか、じんわり、ぽかぽかとし始めている。景虎は別の水筒を傾け、紙コップに冷えたお茶を注ぐ。


「あ~……これは、痩せた弊害かも……」

「なにが」

「もっと、食べたい……のに……食べられない、なんて……」

「……わあ、心がデブだこの人ぉ……」

「あは、アンタもでしょ、たぶん」

「いや? 経済的でいい体になったなあ、と」

「あ~梯子外された~」


 そう言うとエリスは、ん~、と呟きながら伸びをして、椅子から立ちあがる。


「ってか……ここ、なんか色々あるね」

「なんか、たぶん、使ってたんだろな」

「なんか使えるのあるかな?」

「どうかな、ないと思うけど」


 地面に転がっているビーチパラソルやクーラーボックスを物珍しげに眺めるエリス。その背中を見ながら……尻に、椅子からついたらしい白い粉のような、埃のような何かがついているのはいつ言おう、でも俺の尻にもきっとついているよな……と思いながら……けれど、それほど嫌な気分にはならなかったのが不思議だった。


 青くなり始めた空の下、腹ごなしに歩き回る彼女の姿……見ているとどうしてか、自分の心が、ほとびていくのがわかる。まるで濡れた海苔のように、あるいは、ちょうど暖かくなってきた五月の空気のように……あるいは……。


 首を振って、そんな考えを頭から追い払う。


 同時に、心の底から何かが湧き上がる。




 ……………………イケるのでは?




 心の奥底の声に、何が、と返すより先に、また頭を振ってそんな考えを追い払う。自分の心の奥底にそんな声があることに驚きつつも……けれど、どこか、納得してしまっている自分もいた。




 少し間抜けに、尻を汚しつつ。


 満ち足りた顔で、面白そうに、クーラーボックスをひっくり返しているエリス。


 少し黒ずんだ青空を背景にした彼女は、まるで、まるで……何かのPVの、ワンシーンのようで……。




 自分の中に浮かんだ、さらにばかばかしい考えに、少し笑いが出てしまう。けれど、何かがひっかかった。


 たしかに彼女は今……エリスは今……これで制服を着ていれば、アオハル系の音楽のPVのサムネ絵になりそうな有様だけれど……おかしい。いや、ほんとに、おかしい。いや……おかしい、か?




 いやおかしい。




 青空が、黒ずんでいる。




 地平線が見通せる高さに来て、初めて、気がついた。




 青空が……少し、黒い。




 背後の空を振り返ってみると、記憶の中にある青空と同じ色。五月の、少しだけ雲が散らばる空。


 だが、エリスの方の空を見てみると……なにか、黒ずんでいる。それはよくよく見てみないとわからないほどのかすかな違いだった。しかし……意識してみると、はっきりと違いがわかった。そして、気付いた。




 空が黒くなっているのでは、ない。




「ぁ…………ある、のか……」




 呟いた自分の言葉に、食後の平穏もなにもかも、吹き飛んだ。




「……景虎? なに?」


 何かを感じ取ったらしいエリスが急ぎ足でテーブルに戻ってくる。景虎の顔を見て視線の先を彼女も見てみるが……まだ、気付かないようだった。小首をかしげている。




「あるんだ」




 景虎はまた呟いた。

 呟いてみると、はっきりとそれが実感できた。




 五月の穏やかな青空の下。

 誰もいなくなった、沈黙の街。静寂の東京。

 景虎が見つめる先のどこかに。

 それが、ある。




 数百、数千……いや、数万キロにも及ぶ、黒い、何かが。


 巨大な、何かが。


 その存在を、物理的な存在だとは認識できないほど巨大な、もはや天文サイズの何かが。


 この視線の先に、建っている。




 東京の真ん中に、巨大な黒い塔が、無人となってしまった街を監視するように、(そび)えていた。雲を突き抜け、地平線を埋め尽くしていた。

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