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03 すぐ戻ります

 朝食を片付けると、二人は会議の後、外に出ることにした。目的は誰かの携帯電話、スマートフォン。




 情報が欲しい。

 この世界に何があったのか。

 それが知りたい。




 あの、机の上に置かれていた謎の紙切れを持っていくか持っていかないか、で少し揉めたが結局、折りたたんで景虎のポーチの中に収めて持っていくことにした。エリスの発案でホテルの入り口に紙を貼る。


『外出しています。すぐ戻ります』


 そうして外に出てみると、昨日とは打って変わっての曇り空。空気が少し湿っていて、何やら一雨来そうな気配。


「予報は……って……え……ちょっとまって、天気予報って、人類にとって、メチャクチャ重要だった……?」


 曇り空と湿った空気を感じ、反射的にスマホで天気予報を確認しようとしたエリスは、我が身の間抜けさに少し笑いながらも呟いた。相も変わらずスマートフォンは、電卓とメモ帳のついたデジカメ程度の役割しか果たせない。それでも携帯してしまうのだけれど。


「だなぁ……ま、雨降ってきたらぱっぱと帰ろう。急ぐことでもないし、風邪引いたら最悪だ」

「うん、だね。あ、帰りさ、時間あったらちょっとドラッグストア寄ろうよ、鎮痛剤とか解熱剤とか、役立ちそうじゃない?」

「あ、そうか、くそ、忘れてたな、絆創膏とか、ガーゼにテープもだ」



 そんな会話をしながら、ちらちら、空の様子を確認しながら、最も手近のマンションへと移動する。タワマン、というほどでもないが、十階建て程度の、築十年程度に見える、そこそこ新しい建物。道路から、住居の玄関が並ぶ通路が見え……。




 その半分以上、ドアが開きっぱなし。




「改めて見ると……ほんと、なんでなんだろね……?」


 マンションを見上げながらエリスが呟く。日本のどこにでもあるような建物なのに、その扉が半分以上、開けっぱなしというだけでまるで、異世界から紛れ込んだ正体不明の謎の建物じみている。


「さて……しかし……中々、見物だな……」


 景虎は小声で呟く。


 無人の街中に向け玄関戸を開け放っているマンションは、なにか、生き物が自らの内臓を晒しているような、そんな異常さを感じさせる。不吉だし、恐ろしかった。もちろん、エリスの前でそんな怖じ気を見せるわけにはいかなかったから言葉にしないようにはしたけれど……。


「ちょっと……なんか……怖いね」


 と、エリスが代わりに言葉にしてくれて、少し安心する。


「……まあ、なんか……不吉な感じ、するよな……」

「…………自動ドアも開いてるの、ほんと、なんなの……?」


 マンションの一階部分が見えてきて、エリスが更に言う。


 オートロックらしい構造は見えるのだが……それで締め切られているべき自動ドアは、がばぁ、と全開。奥の管理人室らしい窓硝子さえ、開きっぱなしなのがかすかに見える。




 まるで、二人を誘っているかのように。




「…………なあ……よくよく考えてみたんだが……」


 景虎は、少し狼狽のわかる声で言った。


「スマホより……コンビニの事務室とかの方が、情報は、ありそうじゃないか……?」

「なんで?」

「ほら、絶対、バイト同士の、引き継ぎの、連絡ノートとか、あるだろ、ああいうとこには。だとしたら……絶対、この状況に対するなんらかのリアクションが、あるはずじゃないか」

「あ~~~~……」


 エリスは納得するのと同時。


「ビビってるんスか?」

「は? ビビってないが?」

「私はかなりビビっています」

「私もです」


 二人は顔を見合わせて、笑おうとして……できなかった。




 マンションには、生活の痕跡が溢れていた。




 ぺろり、と少し端のめくれたマットに、黒く汚れた足跡の欠片が散らばる古めかしいタイル。壁に並ぶところどころがさび始めているポストの群れのあちこちで、でろり、ダイレクトメールや茶封筒がはみ出ている。その横には薄汚れたライトブルーのゴミ箱に、埃のたまった消火器。その向かいを見れば掲示板に、地肌が見えなくなるほど何かの通知が張られ、開け放たれたドアから吹き込む風に揺れていた。




 生活が、ここにあった。


 大勢がここで、暮らしていた。


 けれど、今はもうない。


 誰もいない。




 …………本当に?




 商店に踏み入った時の百倍、その商品を持ち出した時の千倍、心が震えた。人が、人間が、家族が、一人暮らしが、単身赴任がここにはいて、それぞれに生活があって……。


 ある日突然。

 断ち切られた。




 ……いや本当は断ち切られていないのかもしれない……。




「な……なんか……え……なんで、だろ……」

「なんつうか……んぁ……なんだろ、な……」


 二人はどうして自分たちがここにきて、突如として恐怖に襲われているのか、はっきりとは言葉にできないままだった。たしかに建物は薄暗い。エレベーターの明かりは消えているし、横の階段には埃が積もっている。とはいえ、地下のスーパーよりははるかに明るいし、危険そうな野犬がいるわけでもない。なのに。


「あは……あはは……うん、怖いね、なんか……その……」

「ん……ま、まあ……そうだな……」


 顔を見合わせ、互いに不安げな視線を交わす。


 言葉にできないまでも、ようやく、二人は気付いたのだ。




 かつてここで生活していた住人たちと同様に。

 自分たちが突如消えても、おかしくないのだ、と。




 生々しさを傷跡のように晒しているマンションの玄関は、二人にそれを、無言のまま伝えていた。あるいはそれは、二人の被害妄想、十七歳の少年少女らしい豊かな想像力の成せる技で、子どもが電柱の影を恐ろしい化け物だと思い込むようなものだったのかもしれないが……一つだけ、はっきりしていた。




 自分たちは、まだ、何一つ、わかっていない。




「……行こう。誰かいたら……いや、いたら、いいじゃねえか、生の情報だ」


 玄関前に立ち尽くす景虎とエリス。だがやがて、意を決したように景虎は言った。びくんっ、と大きく身を跳ねさせたエリスは、大きく息をつき答える。


「そ……そう、だよね、うん」

「いや……うん、そうだぜ、なあ」

「…………よし、うん」

「ああ……」


 だが、足は前に進まなかった。


 互いの顔をちらちらと見合い、気まずそうな苦笑いと、自分の恐怖が相手にバレているという照れ笑いを混ぜた、なんとも表現しづらい顔。


「ね、ねえ、か、景虎、あの……」

「な、なんだよ……」

「その、な、中で、脅かしたりしたら、ま、マジで、ぶっ殺す、からね……って、てか、そんなのしたら、私もう、一人で生活するから」

「しねえよ! ……しねえってば! なんなら、アレだ、ははっ、手、繋いでてやろーか?」

「なっ……! なに言ってんのアンタバカじゃないの!? バカみたい、バカ、ホントは、アレでしょ、アンタが、手、繋いでてほしいだけでしょ? あはは、ママ~怖いよ~! って感じで」

「なっ、何言ってんだばーか!」


 と、いつものような口げんかも始まるが、それはどこか精細に欠けていたし、口ごもり気味で、つっかえがちだったし……二人の足は一向に、進まなかった。


「ふっ、ふんっ、じゃあ、感謝しなさい、手、繋いでてあげるから、ほ、ほら、行くよっ!」

「なっ、あっ、こっ……こっちの、セリフだバカ!」


 と、エリスが勢いよく景虎の手を取り、引っ張るようにしてマンションのドアをくぐり、中に足を、踏み入れた。


 二人ともこれが、生まれて初めて、家族以外の異性と手を繋いだ経験で、その際の脳内、ムカシのツンデレかよ、から始まる思考を文章にして書き起こせば優に原稿用紙百枚は埋め尽くせるような勢いではあったが……それはすべて、誰もいなくなった無人のマンションの不気味さに吸い取られ、そしてやがて、別の意味にすり替わっていった。




 二人は、互いの手を堅く握る。

 その温かさだけが、恐怖を薄れさせてくれる気がして。




「お邪魔……しまーす……」

「お邪魔、しますー……」




 ぅぅ……。




 声は玄関ロビーに吸い込まれていく。開いている片手で懐中電灯をつけ、薄暗い中に明かりが灯る。赤いレンガ調をベースにしたロビーはどこかレトロな雰囲気だったが、エレベーターやオートロックはいかにも最新式で、そのギャップが少し、おかしかった。横長で、結構広々としている。景虎は少し、唾を飲む。エリスはその広大さで、想像する。かつて、きっと、ここを通り、広さにはしゃぐ子どもをなだめていた両親とか、散歩が始まることにはしゃいでた犬とか、いたんだろうな……。

 

「…………よし。ぱっぱと、近いとこ、探そう」

「う、うん、だね……」


 二人ともどうしてか、小声になってしまう。まるで今にも、通路の影から、エレベーターから、謎の怪物があらわれ襲われるのではないか、と思っているようだった。とはいえ……。


 世界がこの有様だ。

 謎の怪物に襲われるなら、まだ、マシな方なんじゃないか?


 景虎は思った。最悪なのは……最悪なのは、なんだろう。一番怖いのは……自分が決定的に変わってしまうことだ。たとえばムカシにマジでやってたっていうロボトミー手術。あれは怖い。金玉が潰れたりするのも怖い。ホルモンバランスが変わってまるで別人になってしまうって何かの本で読んだ。それに比べれば、謎の怪物に襲われる、なんてのは……。


 歩みを進めながら、しかし、気付く。




 今まで見てきた場所のどこにも、争った形跡はなかった。ということは……全員が一瞬でいなくなったか……あるいは……。




「ちょ……ちょっと、景虎……?」


 思わず、歩みを止めてしまった。




 ……全員が一瞬でいなくなったか。

 あるいは。

 全員が望んで、どこかに行ったか。

 それはつまり……全員、変わってしまった……?

 いや……変えられてしまった、のでは……?




「あ、いや、ご、ごめん、ちょ、ちょっと、考え事、してた」


 エリスが痛い程手を握ってきて、ようやく我に返り、慌てて言う。


「なっ……ふっ、ふんっ、どーせ、ビビったんでしょ。あはは、ちょっとこれ、ホラーだもんね」

「そっ、んな、こたぁ……いや、でも……似たようなゲーム、なんかで見た気がするな……」

「……えぇ~? 都会のマンションで進行するホラーなんて、ある?」

「結構あるよ……なんだ、人間が一番怖い系の話に繋げやすい……ほら、配信で見てない? 深夜のマンションに配達しにいくゲームとか」

「ああ……でも、そっち系は私大丈夫かな……」

「……えぇ~? ゾンビより幽霊より、俺は、隣の部屋の人の頭がおかしい方が、ホラーだと思うがなぁ……」


 景虎はゆっくり、エリスと歩調を合わせつつ、一階の廊下に歩みを進めながら思う。他愛ない会話でなんとか、余計なことを考えないように沈黙を埋めながら。


「そぉ? だって、結局どれだけ頭のおかしい人だって、人でしょ……あははは、あんたみたいに」

「俺の頭のおかしさなんて、まだまだカワイイほうだゼ……」

「かもね。だけど……」


 エリスは思う。こんな状況、こんな場所、物陰からいつ……巨大な昆虫があらわれて自分の上半身を食いちぎったって、不思議はない……いや十二分に不思議だけれど……巨大な昆虫なら一瞬で噛み千切って殺してくれそうだし、きっと恐怖を感じる時間もない。では逆に、小さい昆虫数万匹だったら……かなりイヤだけどムカつくだけだ。東京都内のJKで一番、昆虫を殺してきた自信はある。それに都会のゴキブリどもののどかさ、のんきさと来たら、ちょっと心配になるほど。イージーモードでやってくれているのか、と思うほど鈍い。そもそも……山で死体となっている動物たちがどうなっていくのか、なんて、飽きるほど見た。自然の摂理に恐怖の忍び込む隙間はない。




 けれど……けど。




 祖父の言葉が蘇る。




『まあ結局生き物は、殺せば死ぬなあ』




 熊に怯える自分を勇気づけるために言ったのだろうけれど……幼いエリスは思ったのだ。




 じゃあ、殺しても死なない相手に襲われたら? きっと……この世には殺しても死なないなにかが、いるんだ。つまり……そういうものに狙われてしまったら、どうしようもないんだ。抵抗できないんだ。なにも、できないんだ……そんなの、そんなのは、きっと……。




「…………エリス?」


 黙り込んでしまったエリスに、景虎がなんとも味のある表情をしながら呼びかける。エリスはぶるぶる首を振ってイヤな考えを追い払うと、大げさに肩をふるわせる。


「あ、ご、ごめん、なんか……ヘンな考えが、浮かんで……」

「な、なんだよ」

「いや、別に……」

「き、気になるじゃねえか」

「だからその……アレ……手、繋いでるなぁ、って」

「はっ……はぁっ!? ……ま、そ…………そう、だな」




 互いの掌が、少し、しっとりしている。




 言いたいことは山ほどあったけれど……何も言わなかった。代わりに、少しだけ強く、ノックするように、景虎がエリスの手を握った。少しびくついた後に、きゅっ、と一度、返事をするようにノックが帰ってくる。雨の日のスニーカーのように恐怖が染み始めた二人の心に、ぽっ、と暖かな火が灯った。




「よし……ここにするか……」

「うん……」


 手近の、一番近くの玄関の開け放たれたドアの前に、二人して立つ。

 懐中電灯で、部屋の中を照らす……。


「ねえ、あのさ……靴……脱ぐ……?」

「………………迷う、な……」




 部屋の中は、まったく。


 料理の最中、なにかの材料が切れていることに気付いて、どこかに買いに行った……そんな部屋だった。埃は積もっているし、まな板の上にあるのは元がなんだったかわからない、黒くて茶色の何かだったけれど……。


 けれど、ワンルームの部屋には濃厚な生活があった。


 壁の本棚には几帳面に漫画本と参考書が並び、部屋の隅に置かれたスタンドには、かなり高価そうなエレキベース。バイオリンを模したような形のそれは、たっぷりの埃をまとっていても、懐中電灯の明かりに輝きを見せる。壁にかけられている、モッズ風のコートやジャケットと合わせるとバンドマンかなにかだったのだろうか。それもかなり昔風(オールドスクール)の。


 積もりにつもった埃以外、ゴミらしきものは見えない。


 本棚とは反対側にあるベッドも、きっちり、掛け布団が畳まれて整えられている。枕元には合皮らしきボディバッグ。そして、充電台に置きっぱなしのスマートフォン。


 部屋の中のものすべてに、きっちりと定位置が決められていて、厳格にそれを守っている……というより、そうしないと気持ち悪い、そんな人が暮らしている部屋なのだろう。見るだけで、それがわかった。




「だ……大学生、とか、かね、この部屋は……」

「それっぽいね……」


 部屋の中央に座椅子と、小さなテーブル。脇に寄せられたノートパソコンと、使い込んでいる様子のコルクのコースター。きっと今から、作った料理を食べながら、ノートパソコンで動画でも見るつもりだったのだろうか。


「…………スマホと、ノートパソコンも回収する、か……?」

「ノート、イケるの? 充電器とか……使える?」

「将来的に……家電量販店とか行ければ、ポータブル電源にソーラーパネル、とってこれるだろ、そしたらまあイケる……靴は……」


 景虎は大きくため息をついて、大きく、頭を下げ、言った。




「すいません、靴のまま失礼します」

「…………失礼します、お邪魔します」




 エリスもそれに習って、そっと、靴のまま部屋に上がった。


「ああ……学生の、一人暮らし、とかかな……」


 ゆっくりキッチンを過ぎ、リビングに歩みを進めながら、景虎は呟く。


「かな……ああ、大学生か……いいな……」

「……へっ、きっとバンドマンでロクなヤツじゃないさ、しかもベースだろ、ド変態だ絶対」

「あはは、ピュア偏見~」

「…………いや、いい人だな」

「いきなり、なんで」

「本棚の漫画、手塚治虫ばっかりだ」

「……ああ……それは…………いい人だね、きっと……」


 景虎とエリスは大きくため息をついた。


 手塚治虫の横には教育系の参考書も並んでいる。となると、都内の教育学部に通う、手塚治虫好きの、バンドマンの……見れば見るほど、今はもういない部屋の主を、想像してしまう。バンドメンバーに手塚治虫の偉大さを力説していただろうか? 教育実習に行った先の生徒に、火の鳥やブラックジャックを勧めたりしただろうか?


 部屋の中にいればいるほど、そこからモノを持ち出すのがまるで、卒塔婆に火をつけ、墓石をなぎ倒し、骨壺を割って回るような、とんでもない悪事に思えてきてしまう。


「……ああ、くそっ!」


 景虎は頭を振り、繋いだ手をようやく離し、乱暴に枕元のスマホと、机の上のノートパソコンを掴み、自分のリュックにしまい込む。


「ぱぱっと帰ろう、くそ、なんで、こんな……」




 盗んでいる。




 人のものを、盗っている。




 明白に、そんな意識があった。誰もいなくなった商店からタダで商品を持っていくのはなんとも思わなかった。むしろ爽快感さえあったのに、誰もいなくなった誰かの部屋からモノを持っていくのは、なにかが明らかに違った。


 本棚の上に置かれた写真立ての、埃の向こうに掠れて見えない写真に、睨まれているような、ため息をつかれているような、そんな気がして仕方なかった。


 二人とも、部屋に入って真っ先に見つけたけれど、話題にはあげられなかった、写真立て。


「なんか……不思議、だね、なんで……」


 エリスはリュックに屈む景虎の背中に手を置き、呟く。


「…………くそっ、なんだってんだ、くそっ……あと一軒か、二軒は、やるぞ、一台二台じゃきっと、足りない……」


 出かける前は、マンション一棟分丸々、あされるだけあさってやる、なんて思っていたのに。


「か……景虎、ムリ、しない方が、いいよ……」

「…………いや、しなきゃ、ダメだ。なんにも、わかんないままだ。それに……次は、俺たちが、こうなるかもしれない。俺たちの次のヤツが、俺たちの痕跡をあさって、なんか言うのかもしれない。俺はそんなの、ごめんだ」

「それは……そうだけど……じゃあ…………じゃあ、さ、次は、私がやるよ」


 一瞬、エリスが何を言っているのかわからなくて、彼女の顔を見上げる。


「こ……こうなったら私たち、運命共同体でしょ。それに、二人で泥棒なんて……あはは、ちょっと、なんか、ほら……ロマンチック……? じゃない……?」


 あからさまに強がってそう言う彼女の顔を見ていると、なんだか、無性に胸が切なくなった。そんなことやらなくていい、と、そうしてもらえるとありがたい、と、返事が二つ、両方、同時に喉から出てきて、ぶつかって、結局何も言えなかった。喉でぶつかった言葉が胸の中に落ちて、ぐるぐる、渦をまく。自分がどういう気持ちになっているのか、さっぱりわからない。顔が赤くなっているからきっと、なにかしら、恥ずかしいのだと思うけれど……人間二年生には難しい。


「……オマエ、なんか……結構そういうの、好きなんだな」

「あはは……セクシー女スパイに憧れてたもん、子どもの頃。お爺ちゃん、昭和のアニメが好きでさ、よく一緒に見てた」


 そう言うと、いかにもな顔をして囁く。


「ねえ……一緒に、墜ちましょう……? ふふっ……あなたとなら、きっと地獄でも、楽しめるわ……」


 仕上げにはぁっ……と、吐息まで耳に吹きかける。


「ぃひっ……だっ……! だからっ! そういうのっ! やめろって!」


 暖かな吐息が耳に纏わり付き、びりびり、電流のような何かが背骨をつたって尻の方まで響き、肺の空気が押し出され妙な声が出て……思わず手を振り払い、立ち上がり、叫んでしまう。自分でもその勢いにびっくりしてしまったほど。至近距離から大声に撃たれたエリスはびくんっ! と体を震わせ……みるみるうちに、しゅん、とする。セクシー女スパイが一転、普通に落ち込む十七歳の少女になって、景虎の心に罪悪感がむくむく、入道雲のように沸く。


「……ご……ごめん……」

「あっ、いっ、いやっ、その……く、くすぐったかったから、ご、ごめん……そ、そんなに大声で、言うつもりは……あ、ご、ごめん……ごめん、ホント……」

「う、ううん! い、いいって! そ、そんなに、気にして、ないし……その……あはは、それに、ほら、景虎を、誘惑しちゃったら、まずいし? あはは、ごめんね、もう、やんないように、するから……うん……」

「あ、いや、その……ん…………と、とりあえず、出るか、うん」

「そ……そう、だね…………あは、あはは……で、でも、景虎、普通に、ごめん、って言ってるね」

「そ……れは、そうだろ、こういう時は、そうするんだろ、なんか……」

「あはは……そうだろう、けど……ふふっ」

「な、なんだよ……」

「ううん。でも……うん、また、手繋いでくれて、良かった」

「それは……だから…………その、この後に繋がなかったら、なんか……なんか、気まずくなるだろ……最初は、繋いでたんだから……」

「…………あはは、そうかもね。うん……よし、じゃあ……お邪魔、しました!」

「お邪魔、しましたー!」


 誰もいなくなった部屋にそう声をかけると、二人は大きく頭を下げ、次の部屋に向かった。

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