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01 謝罪は重要だ

「人を……人をナメた話もあったもんだぜ、なあ!」


 あからさま、声に怒りを込めた景虎が言う。


「…………はぁぇ……?」


 エリスは、ぽかん、と口を開け景虎を見つめるしかできなかった。




 一体全体何に怒っているのか、どうしてこの状況で怒れるのか、いやそもそも二人きりだったはずなのに、誰がなぜどうやってこんな紙を置いたのか、書いてある意味は一体、と、同時並行で複数の疑問が頭を占領し、その疑問を恐怖が覆い、けれど目の前の男の意味不明さの恐怖が上回り……。


 ……結果、いちゃもんとさえ言えない意味不明のクレームをつけられたアルバイト店員じみた声しか出ない。




「誰がヌーブだよクソが! 俺が、俺たちが今までどれだけ……クソが!」




 これが景虎の、いつもの、自分を、変わり者の鬼才のタダのオタクくんとはひと味違うオトコ、を演出する何かなのだ、とエリスは瞬間で思ったけれど……違う。




 本当に、怒っている。




「ちょ、ちょと、ちょっと待って景虎、あの、あのヌーブって、ヌーブって、なに?」


 ひょっとしたら自分が知らないだけで、とんでもない差別用語なのかもしれない、と慌てたエリスは言う。


 が……。


「初心者ってことだよ! 見たことあるだろどっかでFPSのランクマとかでクソ下手なヤツに言うわけだよテメエみたいなnoob(ヌーブ)は初心者クンは回線切って首吊っとけみてえなヤツ!」


 だんっ、だんっ、足踏みさえする景虎。


 それを見ながら、エリスの頭に言葉が染み込んでいき……。


 そして、思った。




 ああ、やっぱり。

 世界最後の一人でも、こいつは、ない。




「俺たちが何万匹のゾンビを始末してきたと思ってんだクソが! 俺たちが何百個のポストアポカリプスを生き延びてきたと思ってんだクソが!」




 こっちが考えてる十倍、マジで頭がおかしい。




「か、景虎? あの、景虎?」


 もはや恐怖だった。自分の知っている景虎が、今まさに失われた、狂ってしまった。そんなことさえ思った。自分たちはただ、ちょくちょく、世界崩壊後の世界で生き抜いていくようなゲームを一緒にプレイしていただけだ。それを、それを……。


 自分が知っていると思っていたのは、自分に都合良く解釈した景虎の影のようなもので、本当の彼はずっと、こんな人間だったのかもしれない。そう考えると恐怖の余り、涙さえ出そうになった。




 だが。




「…………さて! 黒丸くんの怒りはさておき、この紙について真剣に考えてみましょ~ッ!」




 がらりっ。




 効果音さえ聞こえそうなほどに、表情と口調が明るくなった景虎が言う。エリスはしばらく、潤んだ目のまま、その意味を探り……。




「……あ…………あの……白鷺、さん……?」




 恐る恐る、自分の顔を探るように覗き込む景虎の顔を見ると、バカバカしさのあまり、何も言えなかった。




「…………次……同じこ、と、やった、ら……」




 震える声で、喉から絞り出すように言うけれど、言葉の最後は声にならなかった。




 悔しかった。かつがれた。景虎がよくやる、マジで頭のおかしい人のマネ、だった。こんな状況で、そんなことができるなんて、景虎はマジで、マネする頭のおかしい人よりずっと、頭がおかしい。だいたいなんなんだその演技のうまさは。


 けれどそれより、続くはずの言葉が言葉にならないことが、何よりもイヤだった。こんな状況でそんな風に意味のわからないふざけ方をするようなヤツと一緒にやっていくなんて到底できっこないから、それぞれ一人でやっていこう。そう言いたかった。




 けど、できなかった。




 言葉が形を結んでいく前。




 彼なりに、場を和ませようとしてやったのだ、と気付いた。




 正体不明の誰かが、寝ている自分たちの側にいた。それに気付いた自分が、恐怖していたのに気付いた、彼が、わざわざ。


 そして同時に思いいたった。


 景虎が本当に狂ってしまった、いや、最初からこいつは狂っていたんだ、そう考えるのは、考えてしまったのは、何よりも怖かった。知らない誰かが自分たちの側にいてこの紙を置いていったと想像するより、遥かに。怖かったし、悲しかった。悲しかったし、寂しかった。


 本当に、一人ぼっちなんだ。

 景虎を失ったら、私は、これから、ずっと。


 ずぅん、と音がして、体が床にめり込んで、二度と這い上がれなくなって、同時に、世界の全てが自分から遠ざかっていくような気がした。


 自分は、人生でただ一人の友達さえ、失ってしまうんだ。




 うつむいたエリスの瞳から涙が一滴落ちると、景虎は真顔になり、ゆっくりと膝をつき……しかし、立ち上がり、ゆっくり、腰を九十度曲げ、頭を下げ、言った。


「申し訳ありませんでした」

 

 その行動の意味も、エリスにはもうわからなかった。


「その……白鷺さんが、その、紙を見て、怖がっていると思ったので、その、場を、和ませようと……けれど、その、間違えました。申し訳ありません」


 一度顔を上げ、エリスの顔を見て、もう一度頭を下げる。膝に口づけてしまいそうなほどの頭の下げっぷりに、ようやく、彼の心の動きが伝わってきて少し、ほっとする。


 ……コイツがこういう口調になってるのは、本当に、マジの時だ。


「…………一回、膝、ついたの、なに」


 少し予想はできたけれど、尋ねてしまう。


「その……土下座しようかと思ったのですが、あー、その、ふざけていると、思われるかもしれない、と、思い、やめました。ですがその……ご所望でしたら……」


 と、改めて膝をつこうとしたので、ため息が出てしまう。


「いいから、別に。だから、その……」


 はぁぁぁぁ……と、特別に深いため息。


「あの……本当に、申し訳ありませんでした。今後は、その……こういったことは、しないように、努力します」


 見れば景虎の瞳も、潤んでいる。顔は真っ白で、肩がぷるぷると震え、拳も真っ白になるほど堅く、握り締めている。


「その……お詫びにはなりませんが……」


 そう言うと景虎は、両手を開き、何度かため息をつく。左の小指を立て、右手で握り……。


 瞬時、エリスの脳裏にいつかの言葉が蘇る。




『頭を下げろ、なんてそんなのまだ、切腹しろ、小指を折れ、って言われた方が納得できる』




 瞬間、確信した。




 こいつは本当にやる。




 なぜならコイツは、この男は、景虎は。




 本当に頭がおかしいから。




「バカやめろバカ!」




 全身でタックルして、彼の両腕に飛びつき、そのままソファに押し倒し、腕を縫うように、ふんわりとしたソファに張りつけた。




「……なっ、もっ……あ……アンタ、アンタは、ど、どこまで……」




 ぽたり。

 景虎の頬に、眼鏡からはみ出たエリスの涙が落ちる。




「……ほ……他に、どうすりゃ、いいんだよ……わかんねえよ……」


 ようやくいつもの口調に戻った景虎が、居心地悪そうに言う。


「ば……っ……ばかっ……アンタ、ほんと、どんだけ、ばか……!?」


 ばちんっ、と彼の頬をかなり強めに一つ張って体を起こし、頬をぬぐって彼の上から体を離す。景虎の眼鏡が斜めにかしいだけど、知るもんか。


「その……だ、だから……ご…………ごめん……」


 上体を起こした景虎が、ちらちら、眼鏡を上げぐしぐし、顔をぬぐうエリスを見ながら、ぼそり、呟く。その言葉を聞いてようやく、ふふっ、と笑えた。


「…………ほら、必要でしょ、謝罪は」

「………………かも、な……」

「……かもじゃないでしょ、ったく……最初は申し訳ありません申し訳ありませんって言ってた癖して……自分を罰したいなら、頭をごちんとやるとか、他にいろいろ、あるでしょ……!?」

「……その、だから……ごめん」

「二度と……二度と、しないで、ああいう……なに……変な人のマネ……なんなの、ほんと……なに……おかしい状況に頭のおかしい人をぶつけたら、差し引きでプラマイゼロになるとか、思ってんのアンタ……?」

「……な……ならない、のか……?」

「なるわけないでしょバカ地震が起きた時に火事が起きたら何にも起きてないことになるわけ? 強盗にあった後に詐欺に遭ったら財産元通り?」

「そりゃ……違うけど……」

「はぁ……ったく……大体、なんなのよアンタ、ちょっとマジでそういう演技うまいの……」

「だから……その、だから……勉強、だよ……」

「勉強ってなに? じゃアンタ、アレなの? こういう時に普通の人間はこうするからそれをマネしようって、そういうので日常全部過ごしてるワケ?」

「全部じゃないけど……大体、六割、七割は……」


 また冗談を言われていると思って、きっ、と彼を睨み付けた。


 けれど、そこにあるのは変わらない、心底居心地悪そうな顔だけだった。そしてまた、気付いた。本当、なんだ。




 本当に、彼は、本当の本当に、わからないんだ。

 家族のことだけじゃなくて、きっと。

 人間の感情とか、コミュニケーションとか、そういうこと、本当に。




「…………じゃあ、ちょっと、だから……」


 手をぐるぐる回して、言いたいこと、言うべきことを探す。


「そ、その……ごめん。だからその……俺が、間違えたんだ。だから……こういう時は、ふざければ、なんとかなるって、思ったから……」

「……うん、間違えてたね、すっごく」


 もう一度ぐしぐしと顔をぬぐい、眼鏡を戻し、ぱちん、と軽く頬を張る。




 コイツが、こういうヤツだなんて、自分は知ってたはずだ。

 自分がこの状況で必死になっているように、景虎だって、必死になっているんだ。




「はい! じゃあ最初から!」

「…………最初から?」

「だから……」


 そう言うとエリスは勢いよくソファに寝転がり、目を瞑り、わざとらしく、はっきり発声した。


「ぐーぐー! ぐーぐー! むにゃむにゃぁ~!」


 口をむにゅむにゅと動かしながら、いかにもイイ夢を見ながら間抜けに寝こけている人、かのように。今度は景虎が、エリスがイカれてしまった……? と不安になったけれど、やがて気付き、同じようにソファに寝転がり、言った。


「ぐう……ぐう~……も、もう食べられな~い~……」


 エリスのマネをして、寝たふりに勤しむ。そうしながら、思う。




 ああ、こいつ……なんて、いいやつなんだろう。




「ぐーぐー! ぐーぐー…………あ~~よく寝た~~! ん~……あれ、なんだろうこの紙……?」


 エリスは、やり直している。

 さっきの流れを、もう一度。

 景虎が間違ったことを。

 やり直させて、くれている。


 それでもあまりにも滑稽すぎて、意味がわからなさすぎて、ばかばかしすぎて、景虎はソファに顔を埋めながら、ぶふっ、と吹き出してしまう。罪悪感で押しつぶされていた胸がそこでようやく、すっ、と軽くなっていくのがわかった。そして、思った。




 隣にいるのがエリスで、自分は、なんて幸運なんだろうか、と。




「うそ……? なにこれ……!? ね、ねえ、景虎くん!?」

「ん~……? なんだよ朝っぱらからぁ……」

「これ! これ見てよ!」

「ったく、騒々しいヤツだなあ………………おい、これ……!?」

「……これ……!?」


 紙を挟んで、顔を見合わせ。


 そして……ぶふーっ、と互いに吹き出した。けらけら、十秒近く笑いこけてから、呆れたように景虎は言った。




「いやなんなんだこれ」

「コントの導入かな」

「ったく、よくわかんねえヤツだよオマエはホント」

「オマエが言うな」

「それはそうだね」

「自覚あんの?」

「多少は」

「多少か」

百%(ひゃくぱー)だったら怖いだろぉ」

「それもそうか」

「何これ?」

「人間二年生の授業」

「進級できてたの俺?」

「一応ね」

「謝罪は重要だな」

「わかったか、ばか」

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