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09 お買い物 Pt.01

「…………できれば……その……」


 スーパー入り口の駐輪場に拡がった火を踏んで消し終え、放置された自転車の椅子に座っていたエリスの元に景虎が戻ってきたのは、それから数分後だった。




 ……きっと、あだ名がつく。




 景虎は思った。




 たぶん……ギーとか虫くんとかそういうヤツが。

 たった一人の友達が、これからは俺を、見下すようになる。




 後先を考えない自分の行動でそんな結果を招いてしまった、と思うと、ぐちゃぐちゃにされてしまったバッグよりも酷く、自分をぐちゃぐちゃにしてしまいたくなった。


 できれば、その、今の行動については、忘れてもらえるとありがたい……そんなことを言おうとしたけれど、へなへな、自分の中であらゆる気力が萎えていって、満足に言葉にできなかった。


 景虎は顔も体もあちこち煤けさせ、これ以上ない、というぐらい気まずそうな顔で、エリスの右斜め下辺りを見つめながら、もごもごと何か、言っている。その様子があまりにも、悪いことをしたとわかっている犬のようで、エリスは思わず吹き出してしまった。


「言わないよ、別になんも。追っ払えたんだし、上出来じゃん」


 エリスが吹き出した途端、上半身の半ばまで真っ赤になった景虎だったけれど……その言葉を聞いて、虚を突かれたような顔になった。けれど、エリスが口を開いて身を固くする。


「でもさ……ねえ、あの、一個だけ、いい……?」

「…………な…………ん、だよ……」


 心底不思議そうな顔のエリスは続ける。


「あの、ぎー! ってどうやって出してんの……? アンタ、口の中になんか入れてる? 笛的な……?」


 その表情になんの含みもなく、疑問しか含まれていないことは、さすがの景虎でもわかって、逆にまごついてしまう。


「な……ちが、違うよ、あれは、こう……歯を食いしばって……奥歯のところから、息を思い切り、押し出す……クセなんだよ……」


 エリスは説明された通りにやってみるが、ぶびるー、と、奇妙な音しか鳴らないので諦め、自転車から飛び降りた。


「むずーい……まーでも……服とリュックから、だね!」


 笑って言う。


 景虎はまったく、狐か狸に化かされているような、そんな気分だった。


 エリスのことだから、あんな自分を見たらきっと、死ぬまでからかってくるはず、と思っていたのだけれど……彼女はただ、上機嫌で建物のフロアガイドを読んでいる。


「あ……そ……う、そう、だな……」

「……やっぱ……あれ、大事なものだったり、したの……?」


 目を合わせず、フロアガイドを読み込んだまま言うエリス。


「い、いや……別に……特に、そういうものじゃ、ないが……」

「…………え、じゃあ……あはは、アンタ、正解してたんじゃん。獣相手は本気になって殺すって思って、相手をビビらせたら勝ちなんだよ、言うの忘れたけど」

「そういう……もん、なのか……?」

「そうそう……あ、すご、ここ無印とユニ入ってんじゃん! 行こ行こ!」


 からかわれるのではなくて、気をつかわれている……? と、不安になってしまった景虎だったけれど……そんな空気は一歩、建物の中に入ると吹き飛んだ。




 暗闇。




「…………やば~……」


 エリスが呟き、懐中電灯のスイッチを入れる。景虎も慌てて、回収した懐中電灯をつけ、辺りを照らす。


 奥に進めば進むほど、液体のように濃い暗闇がどっぷり、辺りを浸している。漂うカビと埃の臭いはまるで、駅前のスーパーではなく山奥の廃墟に不法侵入しているようにしか思えない。漂う空気はじっとり重く、ヘドロのようになった暗闇が肌にまとわりついてくるように思えた。


 そんなヘドロを切り裂き、懐中電灯が照らし出す、商品の数々。


 三枚二千四百八十円のクルーネックTシャツ、シンプルでいてしっかりテフロンコーティングされたフライパン、素っ気ない缶コーヒーにずらりと並ぶレトルトのカレー。


 今朝入ったコンビニにはまだ、窓から差し込む明かりがあった。それに照らされる煤けた商品の数々はまだどこか、作り物のような、現実感のなさがあった。


 けれど、ここは違う。


 真っ暗闇で、カビと埃の臭いの中、てくてく、自分たちの足音だけが響く中、懐中電灯の明かりを通して見る商品タグに商品棚、かつてのPOPやマネキンがある。それはもはやホラーだった。自分たちの知っている風景が、まったく知らない風景に変わり果て、成り果ててしまっている。ひょっとしたらあの通路の影から、POPの裏から、得体の知れない不定形の怪物が飛び出してきてもおかしくはない……が……。




 とは、いえ。




「…………百%、OFFか……」




 景虎は呟く。すると恐怖もなにも薄れ、顔に自然と笑みが拡がっていった。




「……百%、OFFだね……」




 並んで歩く二人は、マネキンの前に立ち、顔を見合わせた。




 この時の開放感は、どんなものとも違った。




 夏休み前日よりわくわくして、お年玉をもらったときよりうきうきして、数日間家に一人きりの時よりどきどきした。


「…………先に言っとくが……上の中古屋は、全部いろいろ、準備ができてからだぞ……」


 ようやく笑顔と、いつもの皮肉っぽい口調の戻ってきた景虎を見て、エリス自然、にやにや、笑う。


「あはは、やっぱ景虎も思ってた」

「そりゃ……そうだろオマエ、水と食料さえ貯め込めたら、一生ゲームだけして暮らせるかもしれねえんだぜ」

「うーん、私たちを観戦してる人たち、超がっかりしそう」

「そしたらなんかテコ入れしてくるだろ、ゾンビ出したり」

「あははは、テコ入れなんだそれ!」


 暗闇の中に、エリスの楽しそうな声が響き……ようやく景虎は、息をつけた気がした。そして、気付いた。




 ……こいつは……そうか、そうだ、そうだった。

 こいつは、俺と、同じなんだ。




 笑う方じゃなくて、笑われる方。

 笑ってきた方じゃなくて、笑われてきた方。




 だから……それだから、せめて……。




 一緒にいる時は、二人で笑ってたんだ。




 そう思うと、すとん、と、からかわれなかったことが腑に落ちて、その場に座り込みたくなるほど安堵した。




 そして二人はああでもないこうでもないと言いつつ、店の中に入っていく。


「前々から思ってたけどさ、アンタ、なんで黒しか着ないの?」

「うるせえなぁ、実用性を考えたら黒が一番だろ」

「いやオタクっぽいの嫌いなクセに、オタクっぽい服しか着ないよね」

「じゃあなんだ、俺に、韓国系モードに身を包めってか」

「あはは、包んでみたらいーじゃん」

「へん、俺は用の美を重視するんだ」

「それがオタクっぽいんだって」


 衣服類を探し。


「俺も前々から思ってたけどさ、オマエ、ワンピースならオシャレだと思ってない?」

「ラクなの、一番」

「あと……絶対リボンをつけるよな、どっかに……」

「私だって女子っぽい雰囲気を味わいたいの」

「だったらいっそもっとガーリーにすりゃいいのに」

「そんな……え、あ、あ、あああああ! できるんだ! 私! 今!」

「どれだけ痩せても、脳みそは太ったままだな俺たち……」


 リュックを探し。


「ねえねえ、今気付いたんだけどさ……他にも犬、いたら、どうする……?」

「一応、さっき、レジの中に殺虫剤あったから持ってきてる」

「え、なんであるわけ……?」

「そりゃオマエ、飲食店ある建物に入ってるなら必須だろ」

「はぁ……でも、犬に、効くぅ……?」

「ないよりマシだ。それにまだジッポオイルあるから……今度は、服以外を燃やすよ。ってか自衛グッズとして持ち歩いてた方がいいな」

「あはは、そーして。でも……あんた、意外といい体してたね」

「な。俺もビビった。イケメン細マッチョのモテ男になってしまったゼ」

「ばーか、あんたがイケメン細マッチョなら、私は巨乳美少女JKだっつー……あ、アタシの体想像してるでしょ今どんな風になったかなって!」

「したが?」

「あははは、堂々言うな」

「さて、服とリュックはこんなもんか」

「さらりと流すな」

「うるせえなあ、さっき試着室で自分で見たろ、どうだったんだよ」

「やっぱおっぱいちょっとちっちゃくなってた~」

「なあ、その……わかんないんだけど、それって、どういう気持ちになるん……?」

「うーん……なんだろね、男の人だと……身長低くなった、って感じじゃない……?」

「ああ……それはちょっと……寂しい、ってか……悲しいか……」


 暗闇の中、明かりは懐中電灯二つだけ、という状況にも関わらず、まるで休日に二人で遊んでいるかのように盛り上がり、服を着替え、下着類を調達した。サイズの合う服に着替えてみると……なんだか、不思議なぐらい、ワクワクした。


 景虎はネイビーブルーのTシャツに、上からカーキ色のワークシャツ。下はデニム素材に見えて、よく伸びるストレッチスキニーパンツ。もちろん黒。新しいリュックサックも黒。Tシャツはコラボ商品らしく、彼が昔ハマっていたゲームのロゴがプリントされている。サイズは今の体にぴったり。裾上げもしなくて済んだ。


 エリスは涼しげなネイビーブルーの半袖ロングワンピースの上から、クリーム色のショート丈カーディガン。ワンピースの腰にビッグサイズのリボンがついて、彼女の新たな体型を見せつけるように締め付けている。動きやすさも考慮し中には細身のチノパン。コーディネートは少しとれていないけれど、背中には黒いリュック。


 そして二人とも、新品のスニーカー。


 あれこれぶつくさ言いながらも、二人とも、自分の新たな体を楽しんでいた。この後走るタイプのゾンビが出てきたとしても、別にかまわない、そんなことさえ思えた。棚の中央に堂々と位置しているMやSサイズに、なんのためらいもなく手を伸ばせる今の自分の体型と引き換えなら、小指一本ぐらいは捧げられそうな気がする。


 なにより……百%OFF。

 不思議な気分だった。


 足を踏み入れるまではあんなに怖かった暗闇に満ちたこの建物が、今は……まるで、子どもの頃に入った、押し入れのように思えた。どこかほっとして、でも少し、どきどきする。こんな気分になれるのなら……こんな状況になってしまったのも、少しは、悪くない。そう思えた。

※今日から使える防災知識※


避難用品として意外に忘れがちなのが、服です。三日間同じ服でも平気だゼ!という方でも、寒いと死にますし、熱くても死ねます。夏冬に合わせた非常持ち出し衣類袋を作っておくのもいいですし、そこまではちょっと、という方でも、靴下を含めた下着類は最低限、備えておきましょう。

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