キモオタ陰キャとラブホテル
「え……ねえ、あの……ちょ……そ、それ……?」
薄暗いホテルの、薄暗い一室。
少女は、ソファの隣に座る少年の股間を見て言った。
「え? なにが?」
少年は、なにかありましたか? という顔で答えたが……。
なにもないワケがなかった。
「ちょ……う、うそ、うそうそうそなんで勃起してんのアンタ信じらんない!」
紙のように薄いバスローブに覆われた尻にロケットエンジンでも搭載しているのかという速度で少女――白鷺エリス、十七歳は飛び上がり、叫ぶ。そうかと思えば横にあったクッションを掴むと、鈍重そうな体に似合わない機敏さで、ぼすぼすぼすぼすっ! と勢いよく少年の頭に叩きつける。
「変態変態変態変態! なんっ……なんなのアンタまじで! みっっ、見損なった変態! アンタはそういうヤツじゃないって思ってたのに!」
頭を叩かれる少年――黒丸景虎、同じく十七歳は、少女とよく似て鈍重そうな体に似合わない小器用な動きでクッションを躱し、防ぎ、叫ぶ。
「しかた、仕方ねえんだよこういうもんなんだから! こういう状況ならそうなんの!」
二人がいるのは、世界の果てのようなラブホテル。平日一泊四千五百円という都内の駅前にしては破格に安い部屋は、入ってみればその価格に納得がいく具合だったが――これが生まれて初めて入るラブホテルだ、という二人にはあまり関係がなかった。
深夜一時。生まれて初めての、異性との外泊。十七歳の少年少女が、ラブホテルのベッド脇、狭苦しいソファに、身を寄せ合いながら座っていたのだ。二人きり、風呂上がりの互いの匂いと体温がわかる距離で……。
……生まれて初めて行った、総スペース五千のオールジャンル同人誌即売会の帰り、五月とはいえ夏日の太陽に照らされ、どろどろに疲れ切った体を休めながら、今日買ったばかりの同人誌を読みあさっていたのだ。
「あっ、ちょっ……し、仕方っ、仕方ない、ってっ、どういうことっ!?」
小器用に、時には人間とは思えない奇妙な体のくねらせ方をしながらクッション殴打を躱す景虎にますます腹が立ったらしく、エリスはさらに激しくクッションを振り回す。それに合わせ薄いバスローブ越し、豊かな胸が震える。
思わず景虎はそこに視線を惹きつけられ、同時、先ほど聞いたエリスの言葉が蘇る。
……身長百五十センチでも胸はGカップあるもんね~うっひょ~私ってば巨乳JK~……くそ! だからなんだってんだ! こいつみたいな女の胸が何カップだろうがブラジルの天気ぐらい俺と関係ねえ!
「だから! これ、この、これ、ちん……勃起は! 汗かくとか! 鳥肌たつとか! それみたいなもんなの! 勝手になんの!」
まあ……否定はできないが……と、陰茎を持って生まれ育った人間なら思う言葉を並べると、エリスは少し訝しげな顔になり、景虎の股間と、顔を、三往復ほどしながら見つめる。
「へ……あ……え、そう……そうなの?」
「そうなの! だ、だから、うおおおおエロいことしたいからこれから勃起するぜ! とかそういうこと思って勃起するんじゃないの! 勝手になんの! オマエは保健体育の時間に何を習ってたんだよ!」
「う、うそ、だ、だって勃起って、だから、あの、え、エロいこと考えると、勃起するんでしょ、勃起は」
「勃起勃起言ってんじゃねーよ! だから、オマエ、オマエだってそうじゃねえのかよ!? 男二人いたら自動的にカップリング妄想するんだろ!? それみたいに、こういう状況で、女の子が近くにいたら自動的に、なんの男は! だから! 別に、オマエとそういうこととか、そういうことじゃないの! わかる!? あのな、こっちだって辛いんだよあてどない勃起は!」
そう叫ぶモノの、妙に及び腰になって股間を隠す景虎。それを見て、あっ、という顔になって、勢いを削がれるエリス。
「え、あ、う……ご、ごめん……じゃ、じゃあ……その……あー……えと……」
一挙に毒気を抜かれた様子のエリスを、景虎が訝しむと、彼女は鼻の頭をぽりぽりとかき――。
「あー、えと……あはは、じゃあ、あの、一人に、した方が、いいよね……? えと、あ、もう一回、私、お風呂……入って、こようか……?」
「……はあ? ……なんで?」
「だ、だって、アレでしょ、わた、私だって知ってるよ、男の人って、そうなったら、あの、だから、な、治らないんでしょ、そ……その……だっ……だす、まで……だっ、だからっ!」
景虎はしばらく、エリスの顔を見つめた。
フレームの太い黒縁眼鏡を見つめ、珍しく艶々としている風呂上がりの長い黒髪を見つめ、白い肌の、太い首を見つめ、胸は見ないように最大限に努力し、そして言った。
「白鷺さん。白鷺エリスさん」
「……な、なにさ」
景虎は叫ぶ。
「エロマンガの読み過ぎだクソキモ陰キャオタ女!」
「え、違うの?」
きょとん、と、するエリスに景虎はたたみかける。面と向かった相手にぶつけるには酷すぎる言葉だったけれど……二人の間では日常茶飯事で、景虎もエリスも今更気にしなかった。
「ほっときゃおさまんだよこんなのは! オマエはアレか、エロマンガみたいなセックスが現実にあると思ってんのか!? いいですか、尻の穴は勝手に濡れないんですよ!? わかってますか!? 男性は妊娠しないんですよ!?」
そこまで言われると自分の、男性同士の恋愛を描いた漫画を愛好する趣味を煽られていると気付いたのか、エリスは耳まで赤くなる。
「なっ! なにっ、をっ! あ、そ、そんなのアンタもでしょ! 媚薬も催眠も時間停止も『ですわ』って語尾につけるツインテのお嬢様もいないんだからね現実世界には! だっ、大体っ! ただでさえアンタなんかとラ、ラブホに、泊まる、って……っっ! も、もう一回言っとくけど、たとえ世界最後の一人でも、アンタみたいな眼鏡デブのクソキモ陰キャオタクくんと付き合うのとかは、絶対ないからね!」
眼鏡デブのクソキモ陰キャオタクくん。
黒丸景虎、高校二年生、十七歳の男子。
彼を表す際、それ以上に文字数のかからない表現は存在しない。
「そりゃあこっちの台詞だ! オマエみたいな眼鏡デブのクソキモ陰キャオタクちゃん相手に童貞喪失するぐらいならちんちん切り落として肥沃な大地に植えて育てて出荷するって~~の!」
眼鏡デブのクソキモ陰キャオタクちゃん。
同上。
「なっ……! なっ、なんでっ、一足飛びにえっ……えっ…………セッ……クスの話してるわけッッ!? やっぱりそういうこと考えてんじゃん変態変態変態ッッ!」
「あ~~~うるせ~~~~~~~っ! ああもう……いいからもう、寝るぞ! 俺は寝る! 寝るからな! 勝手にしてろ眼鏡ブタ!」
高校二年間、何回もしたようなやりとりをまた繰り返すと景虎はだすだすっ、と鈍い足音を響かせながらベッドに入る。
「なっ、なにさっ! 私だって寝るから! ピザデブ眼鏡!」
エリスも叫ぶと、ベッドの逆側に入って体をもぞもぞさせる。
それからしばらく、二人は黙りこくっていたけれど……。
「……くそ、誰がピザなんか喰うか……シャンプーの匂いさせてんじゃねえよ眼鏡ブタのくせしやがって……」
「……そっちは眼鏡ウシだろ……クソキモ陰キャのくせにボディソープの匂いさせやがって……」
と、眠りに落ちるまではそんな口げんかを続けていた。景虎の股間はまだ、きんッきんッ、と音が聞こえてきそうなほど堅いままだったけれど、鉄の意志で無視を決め込み、鋼の意思でふて寝した。
本作品はフィクションです。作中で未成年がラブホテルに宿泊していますが、一般的に、ラブホテルは風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律、または民法第五条によって、十八歳未満のみでの利用はできません。決して真似しないでください。