第5話:フリーダム
辺りは暗い、しかし夜だからといって完全な闇夜になるわけではない。自分の周りに関しては薄暗い程度だ。
しかし遠くを見ようと思うとそうはいかない。ほんの数10メートル先の木、その向こうは完全な闇だ。そこに100を超えるモンスターが待ち構えていたとしても、俺は数10メートルまで接近しない限りその事実に気付けない。
「帰る?」
「そうだな、町に戻るか」
「……黒神くん、今高校生?」
「……そうだ」
「私もだよ、もしかして3年生?」
「いや、1年だ」
「そっか……年下か」
俺は下手をすれば中学生かも、と思っていたのだが、まさか年上だとは予想もしていなかった。
ただ、ネットの付き合いであるからには年齢はさほど気にならない。ツールなんて35のおっさんだ。
「あっ、そこトラップ」
「よっと」
シャナに注意され、横に体をずらす。こういうダンジョンで、シャナのスキルは確かに重宝される。その上にあれほどの戦闘力も持っているから、パーティを組んで損は無い。
また少し進むと、数10メートルの狭い視界の中にモンスターが入ってきた。
それは2足歩行のモンスターだ。2メートルほどの背丈に、装備は剣。短い2本の角に、小さな羽根が生えた良く見るモンスター『ガーゴイル』だ。
俺は五月雨を鞘から抜き、ワンステップで距離を詰め、ガーゴイルの肩を斬りつける。
刃は肩を斬り裂き、そのまま斜めに体を両断――とはいかなかった。刃は肩を浅く切った位置で、ガーゴイルの手で止められている。
五月雨を強引に引き抜き、距離をとる。
ガーゴイルに五月雨を止められたのは初めてだ、やはり夜になるとモンスターの能力は上がる。
「『ファイアー・ボム』」
シャナのカーテナの先から火の玉が数発放たれ、ガーゴイルに直撃する。
HPバーが少し削られ、残り9割まで減ったか減っていないかというところだ。
ガーゴイルが俺に向かって直進してくる。そして距離が詰まると、剣を大振りで振るう。俺はそれをフットワークでかわす。
顔すれすれを通り過ぎる刃を、五月雨で弾く。
カァン、と金属のぶつかる甲高い音が響く。ガーゴイルの装備していた剣が宙を舞った。俺は、唯一の武器をなくしたガーゴイルの懐に飛び込み、連続で斬りつける。
ガーゴイルは後ろに飛び、地面に転がった。
起き上がろうとするガーゴイルを俺は観察する。
HPバー残量約7割、弱点は頭。
地面を蹴り、空にとんだ。そして孤を描きながら重力に身を任せ、五月雨を上からガーゴイルの頭に突き刺す。
『クリティカル』の表示と、赤いエフェクトが光り、ガーゴイルは悲鳴を上げた。五月雨を引き抜き、さらにもう一度、今度は前から突き剣技『刺突』で止めをさす。
五月雨がガーゴイルの眉間を貫き、HPバーを完全に消滅させる。
「やっぱりガーゴイルでも強いなあ」
「うん、時間掛かる。でももう町だよっ」
「実は、近かったんじゃねえか……?」
俺はツールの顔を思い浮かべ、この役立たずめと罵る。
町は街頭などがあるため、遠くまで見える。夜になると普段は過疎な町ほど人が増える。ダンジョンが危険なためプレイヤーが町に戻ってくるからだ。
今は特に行くところがあるわけではない。とりあえずギルドに向かう。
理由は単純に、人がいることが比較的多いからだ。
ギルドの扉を開けると、やはりそこにはプレイヤーが居た。
「おーっす黒神、今から狩りに行く?」
「いやパス、ちなみにキングガーゴイルなら倒したから」
「マジかよっ! さすが黒神せんせー」
男は金髪のツンツンの髪に、金色の鎧を装備している。金色の鎧の上からは、金色のマント、装備は『無幻槍』と、撃レア装備な上にやはり金色。
とことん金色にこだわる、俺に言わせてもらえば変な奴である。名前はフリーダム。当然ハンドルネームである。年齢は17で、俺よりも1つ年上だ。だが俺のことを先生と呼ぶのは、ツールがそう呼ぶのと同じ理由で、格ゲー大会3連覇によるものだ。
フリーダムはいつも最上級の笑顔だ。だがその笑顔が驚愕に染まる。
「誰!? その子誰!」
「シャナですっ!」
「何? 可愛いんだけど、フレンド登録してよ」
「喜んで!」
早速意気投合したフリーダムとシャナを俺は視界の端に置きつつ、ギルドの受付のNPCのところまで歩いていく。
一定以上近づき、NPCが自分に用件があるPCだと認識すると、決まって固定のメッセージを吐き出す。
「何か御用ですか?」
相変わらずの無機質な笑顔。直前にルナという存在に出会っているため、この受付のNPCは、もはや石像なんじゃないかと思ってしまうほどに、人間味が無い。
俺はNPCに特に用があったわけではない。
少しして俺は「なんでもない」と口にする。NPCは別段表情を変えるわけでもなく、そのままの笑顔で「またのご利用をお待ちしています」と固定メッセージを吐く。
「今日はもう落ちよっかな」
「マジで? これからじゃねえ?」
「疲れたんだって」
「そういや50層目のボス部屋に、プレイヤーのパーティが入ったらしいよ」
「そうか、どうだったんだ?」
「全滅だってさー。どんだけ強いんだって話だよ」
「いや、行ったのが弱い連中だったかもしれないじゃん」
「でも白銀剣士のとこの精鋭部隊だったらしいよ」
白銀剣士。実に恥ずかしいネーミングだと俺は思うが、一部のプレイヤーたちはカッコいいと信じて疑わない。だが実力はかなりのモノだと聞いている。
日々ギルドメンバー同士で戦闘の訓練を積み、入念に作戦を組み、数々のコンビネーション技を獲得したという。かなりのめり込んだプレイヤーの集まりだ、この連中はたかがゲームだがど真剣になっている。
この仮想空間での戦闘が楽しくてしょうがない俺が言えることでもなのだが。
戦闘狂の俺は、そんなこのゲームのプロフェッショナルたちが返り討ちにあったという50層目のボスモンスターはぜひ確認したい。しかし、それよりも優先して俺の精神は休息を求める。
「今はだるいから、また今度な」
「ええー? みんなビビっちまって、来てくれる人いないんだって」
「デスペナかー、あれって実際どうなるんだろ」
「黒神せんせー死んだことねぇの? マジで?」
「まあな」
「すげえや。死んだらアイテム没収されるわ、レベル下がるわで大変なんだな」
「フリーダムもそうそう死んだりしないだろ、1人でやれよ」
「ボスとソロでって! 無理に決まってんでしょ!」
俺の腕を掴もうとするフリーダムの手を、ゲーム内ならではの超反応で俺はさっとかわす。空を切ったフリーダムの手はむなしくその場に残る……ことは無い。さらに距離を詰めて俺の腕を掴みに掛かる。
俺もそれに合わせて後ろに飛び、さらにかわす。
そして拳技、『掌威』を使う。掌低を放つシンプルな技だが、結構な威力だ。
普段刀しか使わない俺だから、熟練度はさほど高くない。
だが俺の掌低は、フリーダムの胸の中心を捕らえた。俺の手のひらがフリーダムに触れた瞬間、七色のエフェクトが輝き、フリーダムが後ろによろける。
無敵のエフェクトが表示される理由は、ここが町の中だからだ。
町の中は非戦闘エリア。プレイヤーは町の中にいる限り、システムに認められた決闘以外でプレイヤーと戦闘を行うことはできない。しかしそれは、ダメージを与えられないというだけだ。
ふらふらと後退し、床に尻餅をついたフリーダムは目を鋭くし、俺の顔を睨みつける。
「ひでぇ! リアルだったら殺してる!」
「ここじゃあレベルの差がありすぎるってか? レベルが無くても、フリーダムに負ける気はしないな」
「ほー」と、意味不明な言葉を発し、フリーダムは立ち上がった。
目が据わっている。俺の何気ない一言はこの男にはなんと解釈されたのか。深まる謎もお構いなしに、フリーダムは慣れた手つきでメニュー画面を操作する。
しばらくの後、俺のメニュー画面が突然表示される。『決闘の申し込みが届きました』とのことだ。どうやら俺の言葉を、挑発ととり乗ってきたらしい。
――などと考えている気になってみるが、俺がどんなに疲れていても、戦闘を求めていたことは否定できないな。
俺は迷わず承認する。
「HPバーがレッドゾーンに入るか、クリティカルヒット1発で終わりだ」
「分かってる、とりあえず表に出よう」
俺とフリーダムは、ギルドの建物から出て、少し広い道まで歩いていった。
俺たちが向かい合って立ち、互いに武器を構えると、歩いていたプレイヤーたちは一斉に離れていき、そのままギャラリーになる。周りを無敵プレイヤーという壁で囲んだ即席のコロシアムが完成した。
シャナも期待に表情を輝かせながらギャラリーの1人になっている。
「どっちもがんばれー!」
シャナの声援と同時に俺とフリーダムは動いた。
俺の刀とフリーダムの槍がぶつかり、火花を散らす。ギャラリーが沸き、騒音が激しくなる。
五月雨を引き、槍から外す。そしてそのまますぐに五月雨を振り上げ、フリーダムを斬りつける。しかし槍の長い柄で止められる。
槍がフリーダムを中心に振り回される。
適当に振り回しているだけのようで、その威力は凄まじく、確実に俺の急所である頭を狙ってくる。振り回す動きの中で突如突き出された槍を俺は、僅かに顔を横に倒してかわす。
「どんな心臓してるんだ、ひるみもしねえ」
「はあぁっ!」
五月雨をフリーダムの頭めがけて突き出す。
フリーダムはそれをしゃがんで避けた後、槍を下から上に斬り上げる。槍技、『飛翔撃』だ。振るわれる槍の刃は、闘気を纏い、紙一重でかわすようでは、闘気の刃で身を裂かれる。
全力で俺は後ろに飛び距離をとる。しかし闘気の刃は俺を逃がさず、俺の腕は浅く斬られた。HPバーが僅かに減少する。
「どうだ!」
「ちょっと斬れただけだ」
自慢気になるフリーダム。僅かに斬られた腕は、痛みというほどでもない感覚がピリピリとする。
長い槍の弱点。それは長いリーチ故に密着した状態の超接戦になると弱い。
振り上げられている槍の長い柄の下を、地面すれすれをすべるようにして俺はフリーダムとの距離を詰める。フリーダムが慌てて槍を下ろそうとするが、時すでに遅い。
――はずだった、それが普通の槍ならば。ゼロ距離まで詰めたはずの俺の目の前に、唐突に刃物が出現する。俺はギリギリで体を捻り、それをかわす。
「あぶねっ!」
フリーダムの手には、元々のサイズとは明らかに違う、短い槍が握られている。
どうやら、無幻槍はその長さを変えるらしい。だが、あまり関係ない。一度身を逸らしはしたものの、いまだに距離はほぼゼロ。近接戦闘は俺の得意分野だ。
そのまま地面を蹴り、フリーダムに突っ込む。振り上げられた短い槍の刃が俺の目の前に出現するが、俺はそれを刀の柄の底で弾く。
「マジかよ!」
フリーダムは目を見開き、大口を開けて叫ぶ。フェアリーラビリンスでは、反射のスピードや、運動神経の高さはレベルによっても決定するが、本人の脳とゲームとの神経伝達の速度も大きく関わる。
これは動体視力や、通常の運動神経とは関係ない。俺は動体視力は常軌を逸していると言われるが、運動能力に関しては平均以下だ。
だがそれでも、この世界では常人離れした運動能力を手に入れている。
長い間、格ゲーで養われた無意味かと思われたコンボのリズムの感覚、それが現実のように機能するこの世界では何よりも大切だ。
五月雨を振り上げ、縦一文字斬り。五月雨がフリーダムの頭に直撃し、そのまま斬り裂く。
プレイヤー同士の戦闘で、体が切り裂かれても血が吹き出ることはない。当然だ。このゲームは一応、全年齢対象である。
顔には少しの間、斬撃による傷の跡が光の後で残り、クリティカルヒットのエフェクトが光る。
「うわああぁ! 死ぬかと思ったぁー!」
「現実なら死んでるって」
俺は五月雨を鞘に収める。短い戦闘だったためか、五月雨はいまだに攻撃補正+5を保っている。
地面にぺたりとしゃがみこんだフリーダムは、無幻槍を元の2メートル程の長さに戻し、クルクルと回したり、何もないところを突いたりしていた。
沸き立っていたギャラリーも、ぞろぞろと散り始め、周りは徐々に正常な静かさを取り戻していく。
せっかくの静けさなのだが、それを打ち壊すようにシャナは俺とフリーダムの前に割り込んでくる。
「お疲れ、ナイスバトルだったよ!」
「ありがとー、シャナちゃん。負けちまったよ……」
「大丈夫、そうなると思ってたよっ!」
「ひでぇっ!」
フリーダムはメニュー画面を開き、何か操作していた。少しして、フリーダムの前に2本の緑色の液体の入ったビンがオブジェクト化され出現する。色からしても、回復用ポーションといったところだろう。
フリーダムは1本を掴むと、俺に放り投げた。片手でそれを受け止める。
「俺ダメージ受けてないけど?」
「ちっ、そうだけど。飲んどけって」
「そうか」
なら遠慮なくと、俺はポーションのふたを開けて一気に飲み干す。
すると、体が淡い光に包まれほんの僅かに減っていたHPバーが全回復する。そして、直後に俺の喉を痛烈な痛みが襲った。
痛覚が調整されているこの世界ではありえない、リアルな痛みだ。
「うぐうう……なんだこれ……」
「引っ掛かったなー! それはポーションじゃ無いのさ! 『辛・ポーション』だ! なんとハバネロの10倍濃縮エキスが含まれてぎゃー!」
俺は容赦なく、五月雨をフリーダムの眼球に突き刺した。だが当然貫通などせずに弾かれる。しかし、刃が眼球すれすれまで近づくのだから、当然恐い。フリーダムは大げさなほどに叫びながら、後転した。
よく考えれば、リアルに味覚まで再現されているのだから、こんな攻撃も可能なわけだ。考えもしなかったな……
そのまま俺は五月雨を納めることはなく、第2ラウンドが始まった。