第40話:家庭教師
「ふあぁあー……」
ゲーム内で眠りに落ちた俺は、現実世界で目覚めた。
朝だ。ゲームをやりすぎて学校に遅刻するなんていう最悪なミスはどうやら避けられたらしい。
脳に一番良いとされる、VR環境下で眠ってのログアウト、俗にいう寝落ちというやつを狙ってやってみたわけだが……寝起きは最悪だ。すっかり失念していたが、俺はいつもコードオールギアをかぶってゲームをスタートする時、椅子に座り机に突っ伏している。
そんな状態だというのに、ゲーム内では横になり、そのまま寝たがために俺はベッドで寝転んでいるつもりで一晩机に突っ伏していたのだ。
全身が痛い……
「最悪だ……」
とりあえず立ち上がり、椅子直す。
今度からは普通にログアウトしよう。
俺はそう心に決めて、部屋を後にした。
顔を洗い、歯を洗い、さっさと着替えてリビングへと向かう。すでに朝食は作られており、テーブルの上に並べられている。
椅子にはいつも通りの母さん、そしてまだ寝間着のままで目をこするいつもとは違う様子の妹、さくらが座っている。
「眠そうだな?」
「うん……ちょっと寝不足」
勉強でも頑張ったのか、そろそろ受験だからな。
最近は、俺と同じ高校に行きたいと思っているらしい。まぁ、俺が直接さくらから聞いたわけじゃなく、母さんに言ったのを俺が母さんから聞いたのだ。
超難関……というほどではないけど、俺の言っている高校はこのあたりじゃ難しい部類に入る高校だ。あっさりと受かったが偏差値は65だったか、それなりの学力が必要だったはずだ。
「がんばれよ」
さくらの頭をぽんぽんと撫でる。するとさくらは首を僅かに縦に動かして「うん」と呟くように返事した。これは相当眠いらしいな。
俺もテーブルにつき、朝食を食べ始める。ご飯に味噌汁、焼き魚、昨日の晩御飯の残り物の肉じゃが。さくさく食べ進めていく。
俺は食べるのが速い。家族全員これは分かっている。昔は「良く噛め」などと言われて怒られたりしたが、俺はしっかりと噛んでいる。しっかり噛めば、背が伸びる、体が成長する。脳も活性化して良いことだらけだ。
「あんたの顎は、超高速で動いてる」
「は?」
「ゆっくりに見えるのに早いってことは、つまりそういうことか」
「母さんも寝不足なのか?」
「動き自体はのんびりなのに、早い。これは謎だと思わない?」
「謎でも何でもねぇよ……」
俺は考える時間が短い、ただそれだけのこと……だと思うんだ。無理に早く食べようとしているわけじゃないし、噛む回数は現代人としては多い方のはず。
これはもしかしたら、VR環境下で戦う上での重要な技能の一つなのかもしれない。人は脳で考えて、体を動かす。
俺は運動神経が良いわけじゃないから、別に運動能力は高くないが、神経の反応速度はVR環境で鍛えられたし、もともとある程度は鋭かったのかもしれない。
考えて、考えを電気信号として発信、運動神経で受信し、実行する。俺はこの過程の中で、考え、電子信号を発信させるまでの過程が人より速いのかもしれない。
そうなれば、運動能力をシステムに依存するVR環境下では抜群のパフォーマンスを発揮できる……気がする。
と、説明がてら即席の持論を展開しようと思ってみたが、それを感じ取ったか母さんが強引に話題を転換する。
「まぁ、それは良いとして、そろそろ期末テストじゃないの?」
「もうテスト週間には入ってる」
「……進、勉強してんの? 私が部屋除く時はいっつもあの変なのを頭にかぶって机に突っ伏してるけど」
「それは大丈夫、VR環境下でも勉強は出来るし」
フェアリーラビリンスには結構いろいろな機能が付いている。
その中には『ノート』という機能がある。真っ白な紙を生成する機能だ。手書きでいろいろ書いたりすることは当然のようにできるし、形が紙のようであるから紙飛行機にしてみたというプレイヤーまでいるそうだ。
なんと、VR空間で見事に空を飛んだらしい。
ちなみにこのノート、無料で何枚も生成できるわけではない。使うためにはノートをNPCのショップで買う必要がある。
100枚が最低の単位となり、100枚でも一番安い回復薬と同程度の価格設定だ。ほとんどのプレイヤーが一度買えば、その後滅多に買い直すことは無い。俺も最初のほうで一度買ったが、多分90枚近く余っている。
――勉強は、できるというだけでしたことは無い。
「出来てもしてないんじゃ一緒でしょうが」
見事に確信を突かれたので俺は微妙な笑いを作る羽目となる。
「まぁ、そうだけど……ちゃんと数字は取ってるだろ」
「ま、そうか」
どうも納得してくれたようだ。
「さくらはどうなの?」
そしてターゲットがさくらに移る。
「えっと……微妙かな……」
いまだに眠そうにしながらもさくらが答える。まぁ、中学3年の夏休み直前。そろそろ勉強も難しくなって……来るのだろうか、よく分からないな。
俺も一応受験生はやったけど……
「微妙か……まぁ、せっかく秀才の兄貴が居ることなんだし、勉強でも教えて貰ったら?」
「えっ?」
完全に人事な提案な気がしてならない。あんたが教えてやれよ、というのは無駄だ。俺の母さんはきっと、中学の時にやった範囲の勉強なんか憶えちゃいないだろう。
まぁ、志望校が俺の行ってる高校と同じってのもあるし、俺が家庭教師をするというのも悪い提案では……無いのだろうか。正直俺は誰かに何かを教えるのは下手なほうだと思うけど。
「い、いいよ……お兄ちゃんもテスト期間だし……」
「まぁ確かにそうだな」
俺のテスト期間であって、本来誰かの勉強を見ている暇なんか全く無い。自分のことで精いっぱいという状況であるべきなのだが……
俺は毎日毎日家ではゲームに専念しているわけだ。まぁ授業さえちゃんと聞いてれば、テストでは点数取れるからだ。
つまり、俺にしてみれば授業を真面目に受ける以外の勉強はしないから、テスト一週間前だろうが、ようやくテストが終わった日であろうが関係ないのだ。
「でも、どうせゲームしてるから、テスト範囲を見るくらいはかまわないぞ?」
「えっ、いいの?」
俺が言うと、さくらがこちらを見る。目が合う、まぁ特別なことではないのだけど……真正面からさくらの顔を見るのは久しぶりだ。いや、久しぶりであるはずなのだけど……なんだろう、どこかでこの感覚を感じた覚えがある。
まぁいいか。
「あぁ、いいぞ」
「じゃあ、お願いしようかな……」
と、さくらが言う。母さんの思い付きから、妹の家庭教師をすることになった。なんだか母さんが嬉しそうだ。別にいいけど、俺は教師としては多分無能だぞ? あんまり期待されても困る。
まぁ妹が高校受験で滑る方が困るから、精一杯教えることは教えるけど。
「ご馳走様」
「はやっ」
「いや、いつもよりはゆっくりじゃないか?」
「そりゃいつもより喋ってたからね……それを踏まえてもやっぱり早いわね……」
俺は立ち上がり、椅子を戻す。
そしてリビングから出て歯を洗い、適当に髪の毛をいじくった後、カバンを持って玄関へと向かう。
日差しが熱い……地球温暖化は止まるところを知らないな。朝だというのに今日は恐ろしく日差しが強い。原付にキーを差し、カバンを乗せる。
「よし、行くか」
原付でいつもより飛ばし気味で、俺は学校に向かって走り出した。