第21話:ある男と企業秘密
「さて、どうするかな……」
ディスプレイに映っているのは、仮想世界、フェアリーラビリンスの中央都市、『ターミナル』。
そしてそこのシステム運営ギルドには、あるプレイヤーの姿がある。
腕に残る鈍痛。
思えばあのプレイヤー――黒神は、初めて俺にダメージを与えたPCだな。正直驚いた。
「……命がけ、だな。まさかこんなことになるとはな……」
だが俺はやめる事はできない。
黒神が再びログインし、俺の前で障壁となるというのならば、何度でも倒さなければならない。どれだけ危険でも。
今のままでは、俺が負ける事は無いだろう。
だが、嫌な予感がする。
仮想世界で剣を交えた。
俺は一方的に勝利した。
それは、俺が何度も繰り返したこと。だが違った。あいつは現に俺にダメージを与えた。
レベルも条件も、何もかも違う、俺に。
もしあいつが、俺と同じ条件で挑んでくるようなことがあれば、覚悟はしなければならないかな……
俺か、黒神、どちらかが死ぬとしても。
ディスプレイの横、机の上には、写真が置いてある。
5年前だったか。それぐらいの頃の、俺と、妹の最後の写真。
「沙那……」
まだ中学生だが、今はもう高校生、それもそろそろ卒業というところか。
もう5年間1度も会っていない。
両親は……どうでもいいが、沙那にはもう一度会いたかった。一応兄として言いたいこともいくつかあった。けど、叶わない。
もう手遅れだ。
やりきるしかない……!
俺は咎人なのだから。
※
――フェアリーラビリンスの、現在の最下層である53層目。
まだプレイヤーは数えるほどしか入っていない未開の地だ。
熱帯雨林のような場所だ。じめじめしていて、毒々しいこのフロアには、毒々しい外見をした昆虫類のモンスターが多く生息する。
しばらくダンジョンを進むと、紫色の巨大な蜘蛛、『ポイズンスパイダー』が3匹現れた。
これを背中に差した大剣、『エグゼキューショナーズソード』を抜くと同時に振るい、3匹まとめてHPバーを奪い去る。
――悪いな。
心の中で謝罪しながら、剣をしまう。
蜘蛛は、爆散し、ポリゴンの破片として消えていった。
所詮プログラム。そんなことを思った奴から消えていく……まぁ、そんな危ない世界にいるのは俺だけだがな。
ともかく俺は、現実の存在も電脳の存在も、等しく命だと思っている。命を奪う所業を続けている俺は、まさに咎人ということだ。
「処刑人……違うな、ただの殺人鬼だ」
「自分が一番分かっているんじゃないか」
俺の独り言に、割り込んでくる不快な声が聞こえた。
ノイズが掛かっているような声で、どんな人物なのか想像もつかない。
顔にも変な仮面をつけていて、装備も実に質素。とりあえず、男のようだ。
「『管理プレイヤー』か。俺を消しに来たか」
「そうだ、お前を殺すことになったよ、ああああ。というか、イオリ」
「……」
『イオリ』。これは、俺の名。そしてもう1つの意味がある。正式な表現ではローマ字表記で『IORI』。フェアリーラビリンスのただの1管理プレイヤーが知っているはずの無い名前だ。
――まさか。
「フェアリーラビリンスの管理プレイヤーではないな」
「そういうことだ。あれだけ目立ってたんだ、こうなる事は予測できただろう?」
「いや。まさか組織の人間が出てくるとは思わなかったな」
「組織とか、そんな言い方止せよ。別に悪い事はしてないんだし」
俺は最後まで奴の言葉を聞くことなく、動き出した。
目の前にウインドウが現れる。
そこにIDとパスワードを打ち込んでいく。
「ほぅ、やはりアカウントは生きていたのか」
「システム、ID『IORI』、属性変更、属性『無敵』」
「それは、気休めにしかならない」
「たとえ首が千切れても、お前を噛み切ってやるさ」
「おぉ、怖い」
大剣を抜き、そのまま仮面をつけた男の顔面目掛けて振り下ろす。
システムの予期する範囲を超えたスピードでの斬撃は、剣のポリゴンの処理速度を超え、ポリゴンを僅かに歪ませる。
だが大剣は、直撃する寸前で高速移動した男に避けられた。
男の体を構成するポリゴンが僅かに欠けている。あいつも、俺と同じ条件、同じ土俵の上にいる。
まともな戦闘ではダメだな。
「システム、ジェネレート、オブジェクトID、現象『雷』」
システムの権限を使って、目の前に大自然の雷を発生させる。
雷は、そもそもプレイヤーが回避することなどが考えられていない自然現象だ。その威力は普通の攻撃とは次元が違うし、速さもいわば光速、かわせるはずもない。
だが男は、余裕だった。
本来なら、奴のHPバーは雷の一撃でゼロに、さらに雷という超高電圧に体を焼かれた激痛を体に受けて、ショックで最悪死に至る、はずなのだ。
だが男は立っていた。
「無敵か。お互いに無敵属性のゲームなどと、本当にふざけている」
「そうだ、これはゲームではない。舞台こそ、この電脳の仮想空間だが、行われているのは本気の命のやり取りだ」
男の周囲を凄まじい数の数字の羅列が飛び回り、その姿を覆い隠していく。
そして数秒後、男の体に半透明の全身を覆う鎧のようなものが装備された。
「なんだ、それは」
「知らないだろうな、そして、知る必要も無い」
――俺には今、システムに近い権限がある。
その気になれば、敵のステータス情報を参照する事は簡単だ。そこから装備されたあの半透明の鎧のIDを調べ、そのIDの先にある装備アイテム情報を参照するというだけの作業だ。
だが、それをやっている間に、確実に俺は消される。
やる事は、敵の属性情報『無敵』の解除のみだ。
「システム、ID「残念、遅かったな」
俺の言葉は敵に遮られた。
――遅かった?
直後に周りに生えていた木、そして地面の草。辺りにある全てのオブジェクトがエフェクトの破片となり、消え始めた。
バカな……
一体何が起こっている。仮想世界そのものが消え始めているだと?
「イオリ、お前がすべき事は、やはりこの謎としか言い様の無い、俺の装備の情報参照、そして解析だったんだ。お前ほどの男であれば、それは容易だっただろうに」
「どういうことだ……体が動かない」
「当たり前。世界が存在していないからね」
「ならば、お前も動けない」
「だーかーらー」
間延びした声で言う。呆れているように。
言い終わった直後、敵は何も無い空間で歩を進めた。
「それがこの鎧の存在理由そのもの。いわば管理プレイヤー専用壁抜けの鎧。何も配置していない、そもそもダンジョンが無い場所でさえも自由に動けるようになる。仕組みを説明……は、いらないだろう」
何も無い空間を、半透明の鎧を装備した男は悠々と歩き、こちらに近づいて来る。
今から、あの鎧を解析するか……?
いや、違う。俺のやる事は――
「つまり、なんだ。その鎧そのものが動く仮想世界のフィールドというわけか」
「お、さすが」
「ふざけた鎧だ」
「そうだろう。でも、お前の話に付き合う暇は無い。運がよければ、ショック死の前に脳の方が接続切るかもしれないけど、それは、無いかな……システムジェネレート、ウェポン、ID『レイヴァテイン』」
男が言い終わると、男の目の前に数字の羅列とともに、一本の剣が作られていく。
『レイヴァテイン』。全く、性質が悪い。よりによってあれが出てくるとはな……
敵もフェアリーラビリンスを知り尽くしている。ならば当然だが、『レイヴァテイン』は神話に出てくる神の剣の名を持つ武器だ。
ゲームの後半で出てくる、ゲーム内に一本しか存在しない究極の剣。だが、システムに介入できれば何本でも生み出せる。
あれは、神の怒りを形にしたもの。
というのは、まぁ設定で、切られた対象は、神の業火に身を焼かれる。
レイヴァテインの刃が、俺の眉間に突きつけられた。
そして容赦なく、それを持つ男の手がこちらに押し込まれた。
※
「うわぁああああああ!」
俺はベッドから飛び降りた。
そして頭に取り付けられていた、コードオールギアの次に開発されたフルダイブ式のVRゲームのデバイス、『シフトダイバー』を強引に外し、ベッドの横に置いた。
シフトダイバーは、コードオールギアと同じくヘッドギアを頭につけるものだが、少し小型だ。というのも、シフトダイバーは脳と仮想空間の自分とのシンクロ率を上げることを目的として、コードオールギアにはついている、リミッターのようなものを一切つけていないのだ。
そしてその分、転送速度を上げるための改良が多く施されている。
ただ欠点として、仮想世界での自分への感覚は、全て100パーセント脳に届くことになる。
背中は汗でべっとりとしている。
死ぬかと思った……
「何とか間に合ったが……」
俺はもしもの状況に備えて、シフトダイバーにいろいろな改造をしていた。
その1つが緊急ログアウトのための仕組みだ。
コードオールギア、そしてほとんどのシフトダイバーは、体への全ての信号を遮断する。
だが俺の改造したシフトダイバーは、左手首から先の信号だけは、遮断していない。
そして動く左手の先にはキーボード。
そのキーボードにある順番で文字を打ち込むと、シフトダイバーとの接続が切れ、意識が覚醒する。
「これは、まずいぞ」
俺の仮想世界でのプレイヤー、ああああはおそらく向こうで死んでいる。
だが、それで奴が俺を殺せたと考えるかというと……
それは無いだろうな。
多分、いや、これは間違いなくだが、俺が現実で住んでいる場所までは組織でも分からないはず。
それに、管理ID、『IORI』には誰も触れられない。
問題ない。最悪新しくプレイヤーを作ればいいんだ。
時刻は、夜9時ごろ。
体は汗でべとべとだ。とりあえず、シャワーを浴びることにしよう。