第12話:小休憩、家族団らん?
数値的なHPやMPといったものは、回復魔法や回復アイテムを用いることで、簡単に最大値まで回復する。それが、ゲームというものでそうでなくては困るのだが、この黒神というプレイヤーの体は、極限まで感覚を同期しているとはいえ、俺自身ではない。
俺はこの仮想の体を、頭に電極をくっつけて操作しているに過ぎない。
いくらマシンが修復されようが、操縦士である俺の体に蓄積された疲労感は、どうにも抜き去ることはできない。俺は運ばれたどこかのベッドで横になり、体を起こすどころか、口を開くこともおっくうに感じる。
この、VRMMORPG、フェアリーラビリンスと俺をつなぐ『コードオールギア』は常に俺の脳波を感じ取り、この世界に送り続けるとともに、この世界で黒神が受けたあらゆる信号を受信し続ける。
俺の体が、睡眠状態へと落ちれば、自然とログアウトする。
――丁度いいな。
メニュー画面を操作するのもめんどくさかったことだ、このまま寝てしまおう。
俺の意識は徐々に闇に落ちていった。
※
「もう10時かぁ……」
シャープペンシルを机の上に置く。
開いていた英語のテキストも閉じ、ノートを片付ける。
受験生というのは、忙しい。毎日毎日、ゲームをしているお兄ちゃんはどうやって高校に受かったんだろうか、やっぱり生まれつき脳のでき方が違うのだろうか……
思えば昔から何でもできる兄だった。
頭はいい。それはもちろん学力的なこともそうなんだけど、なんというか、昔から天才的だった。運動も、できないわけじゃない。何か1つを続ける事はなかったけど、何をやっても平均より上だった。
そして、ゲームやパソコンに関しては、もう、お兄ちゃんの言っている言葉なんて何一つ理解できない。
「はぁ……お腹空いた」
夜食は太る、とか、美容によくないとか、そんなの知らない。とにかくお腹空いた。
立ち上がり、椅子から降りる。
部屋のドアノブに手を掛けて廊下に出る。そして電気をつける。
廊下を歩いて階段まで向かう。その途中、お兄ちゃんの部屋。そこで私は足を止めた。
実は、お兄ちゃんに隠していることが1つある。できれば話したい、というか話したくてうずうずしているというのもあるんだけど、やっぱり秘密にしておきたい。
でも、やっぱり言うのは恥ずかしいような気もする。
……何やってんだろ。
部屋の前を通り過ぎようとした時、お兄ちゃんの部屋の中から「ドン」と何か大きな音が聞こえた。
「え?」
お兄ちゃんは、コードオールギアを頭にかぶり、VRMMORPGの世界に行っているはず。でもそうならば、脳から体への信号は、全てゲームの中のプレイヤーに飛んで、体は動かせないはずだ。
だってそうじゃないのなら、ゲームをするたびに、お兄ちゃんは部屋の中で暴れまわることになる。じゃあ今の音はなんだろう。
入っていいものなのか、最近、この部屋に入った事はない。
別に、緊急事態だから、仕方ない、よね。
私は自分に言い聞かせながら、ドアノブを掴んで回した。
部屋の中は電気がつけられていないため、真っ暗だ。とにかく音の正体を確かめないといけない、私は部屋の電気をつける。部屋の中が明るくなり、まず兄の机が目に飛び込んできた。
そして正面の机の壁には、賞状が掛けられている。
なにかゲームの大会で優勝した時のものらしいけど、それについては詳しく知らない。
それよりも、
「お兄ちゃん……?」
机の下、地面に倒れているお兄ちゃんがいる。頭につけられていたであろう、コードオールギアは床に転がっている。
多分倒れた時に外れたのだろう。椅子が飛び出しているから、椅子から落ちたんだろうけど……
コードオールギアとの通信が行われている限り、寝返りを打つこともできない。安定して座っていれば、椅子からも転げ落ちる事はないはず。
どうしたんだろう。
「お兄ちゃん」
声をかけるが返答はない。
とりあえず顔に近づくと、すーすーと、寝息が聞こえてきた。
「……ゲームしながら、寝てるの?」
思わず吹き出しそうだった。
お兄ちゃんがゲーム狂なのは知ってるけど、まさかゲームをしながら寝てしまうほどだとは……
なんだか安心する、この寝顔は昔から変わらない。
でも、まだ寝るには早い。
――お兄ちゃん、ゲームの中で何してたんだろう……
とにかくベッドの上に移動させないと。多分風なんか引いたりしないと思うけど、床で寝転がっている兄を放っておいて、夜食にありつけるほど図太い妹ではない。
脇の下から手を入れて、体を持ち上げる。
お兄ちゃんは軽い、私でも簡単に引きずれるくらいに。多分60キロは無いな。
ずるずると足を引きずりながらも、何とかベッドの上に兄を乗せる。そして、足をベッドの上に乗せるために、私が動こうとした丁度そのタイミングで、兄が自らベッドに体を乗せた。
多分普段も寝そうで寝てないような状態でベッドに動いていたんだろう、この動きは体に染み付いているのかもしれない。
……でも、ベッドに私が乗ってることを想定はしていないよね……
恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
私は今、お兄ちゃんに上に乗られる形で身動きが取れない。
「ど、どどどうしよう……」
完全に熟睡していて、起きる気配も無い。持ち上げるにも、完全に力が抜けた人1人を、持ち上げるだけの腕力は無い。
まずい、かなりまずい状況で、お兄ちゃんが万が一目を覚ましたら、ものすごく気まずいことになる予感。
でもちょっと落ち着いてしまう。
……あ、寝そうだ。まぶたがくっついて……
※
「んん……」
まぶたとまぶたの隙間から、光が差し込む。
眩しい。これは蛍光灯の光だと思われるが、なぜだ。俺は、全ての明かりを消してカーテンも締めたまま、コードオールギアを被ったまま眠ったはず。
それに、なにか鼻先に触れてくすぐったい。
あと俺の部屋からするはずのない、何かの花みたいな甘い匂いがする。
俺は完全に目を開け、今この部屋の状況を確認する。
まず、電気がつけっぱなしだ、理由は不明だが、電気代がもったいない。
そして、なぜ俺はベッドで寝ているんだ?
さらに、これが一番の謎だが、俺はなぜ妹を押し倒す形で寝ている?
……これは、状況を整理すると、結構まずい状況なのでは……?
俺はベッドから、というより妹のさくらから飛び退いた。
着地に失敗し、床で尻餅をつく。その時にドン、と大きな音を立ててしまったがこれも失敗で、階段を誰かが上ってくる音がする。
――間違いなく、母さん……
ガチャリ、と俺の部屋のドアが開けられる。
「……あらあら、あらあら進さん」
なぜかニヤニヤと笑う母さん。なんなんだその笑いは。
「ん……ふあぁー……はわぁっ!」
目を覚ましたかと思うと、欠伸をし、直後に叫んでベッドの上でさくらは飛び跳ねる。
そしてしばらく口をパクパクさせて、何かを言い出すのかと思えば、そうでもなく、俺の横を走り抜けて廊下へと出て行った。
俺と母さんは、しばらく俺の部屋で無言で固まっていたが、とりあえずリビングに下りることとした。
階段をのんびり下りて、リビングの戸を開けて部屋に入る。
さくらはこっちを見ようとはせずに、椅子に座ってずっと窓の外を眺めている。まぁあまり気にすることもないので、俺は冷蔵庫の扉を開けて、牛乳を取り出す。
そしてコップに注いで、一気に飲み干す。
渇いた喉を、冷えた牛乳が流れていく。うむ、朝はこれだな。
「背よ伸びろ……」
思いっきり伸びをする。ゲームばっかりやっていると、筋肉が固まってしまうからいけない。
「進のその、背よ伸びろ、ってなんなの?」
母さんが俺に突っ込む。
「そのままだよ。背が伸びるようにって」
説明しながら椅子に座る。
「進ってそういう非科学的というか、お祈りみたいなことは信じてないんじゃなかった?」
「あぁ、これはそういうのじゃないよ。常にそう自分に暗示を掛けていれば実際に伸びるんだって」
「そういうものかねぇ」
母さんも、椅子に座る。
「父さんは?」
「仕事、今日は速かったわねぇ」
「ふーん」
俺の父は、かなり忙しい、らしい。
小さな会社の社長だそうだが、具体的にどんな仕事をしているのかはしらない。ただ何か、インターネットを使ったサービスをやってるとかやっていないとか。
忙しいからあまり家にいない、だから話す機会もあまりないのだ。まぁ積極的にわざわざ話したいとも思わないからどっちでもいいんだけど。
「……ねぇ、お兄ちゃん」
「なに?」
「今日の午後から……ううん、やっぱりいい」
……なんなんだろう。
まぁ、本人がいいと言っているから追求しないでおこう。
「進、今日もゲームするの?」
「あーどうだろ。まぁするかな」
「はぁー、あんたもたまには外で遊べばいいのに」
「母さん、俺は別に外に出ないわけじゃない」
「まぁ引き篭もってはいないけど」
母さんは息を1つ吐き出すと、立ち上がりキッチンに歩いていった。
まあ母さんの言うことも分からないではない。確かに俺はあまり外に出て遊んだりはしない。平日に、友達に誘われたら行くけど、自分からわざわざ外で遊びたいとも思わない。
しばらくすると、キッチンから朝食の匂いがしてくる、
「いただきます」
俺はそれをちゃっちゃといただく。
昔はよくかんで食えと怒られたものだが、最近はそんなこともない、というか俺は事実飯はしっかり噛んでその上で早く食べ終わる。
食べてることが早いだけであって、噛んでいないわけじゃない、と昔に言い争いになり、わざわざ俺が食べるところを見せて解説までした覚えがある。
「ご馳走様」
「相変わらず早いわねぇ、味分かってるの?」
「昔説明した」
「そんなこともあったわね」
俺はリビングから出て、自分の部屋に戻った。
だが今すぐVRMMORPGの世界に入るわけではない。服を着替えて、財布を持つ。母さんに指摘されたことだし、久しぶりに外で遊んでみよう。
洗面所で髪を整えて、顔を洗い、歯をガシガシ磨く。
鏡に映る俺の顔は、フェアリーラビリンス内の黒神とは似ても似つかない。ヒョロっとした、勢いの無い顔だ。体の線も細いため、ものすごく弱そうに見える。
少し前までは、さくらと並んでいると姉妹に見られることがあったくらいで、とにかく男らしさが欠如しているのだ。
用意を済ませて、もう一度リビングに顔を出す。
「じゃあ、出かける」
「えぇ!?」
「いや、そんなに驚かなくても」
「お兄ちゃん……え?」
「お前等失礼じゃないか?」
どうも本気で驚いているらしい、心外だ。
「俺だってたまには外に出る」
まぁ行く場所のあてなんてあまり無いんだけど、実は俺はあるところでは有名人だから行くあてはあることはある。
最近行ってないし、もしかしたら面白いことになってるかもしれない。
俺は家から出ると、原付のキーをさし、颯爽とガレージを飛び出した。目的地は、そう遠くはない。
※
10分ほどで目的地にたどり着いた。
『ツイスター』というゲームセンターだ。
そんなに大きいわけではないが、固定の客が多い。
あと特徴があるとすれば、世間一般に言うゲームセンターとはちょっと違うかもしれない。まずUFOキャッチャーとか、そういった商品を狙うようなゲームはほぼゼロだ。
あるのは、お金を払って遊ぶゲーム。それも、主に人と対戦するような。
まぁそんな店だ。ちなみに2階建てで、上の階は雀荘になっている。
駐輪場に原付を止めて、キーを抜き、店内に入る。
時間が時間であまり人はいないと思っていたのだが、それでも10人くらいが奥のほうで集まっている。
「……おぉ? 黒神じゃねぇ?」
1人が俺に気付き声を上げる。
それにつられて他のメンバーも俺を見る。
「久しぶり」
軽く挨拶し、格闘ゲームの筐体の椅子に座る。
「誰か勝負しない?」
俺が言うと、向かいの椅子に1人の男が座ってコインを投入した。
それにあわせ、俺もコインを投入する。
キャラクターセレクト画面に画面が移り変わる。俺はそこでマッチョで厳つい男のキャラを選ぶ。一撃は強いが、かなりのろいキャラだ。
そして向こうは、バランスのいい、スピードもパワーもそこそこあるキャラだ。
画面が戦闘画面に移り、『FIGHT』の文字が表示される。
――じゃあ、久しぶりにやるか。