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夕立の詩(うた)  作者: 富永真一
18/26

青天の霹靂(一部加筆5/28)

退院した翌日から直樹は学童に出た。体が鈍っているので動きたいという気持ちと、もう少しゆっくりしていたいという、直樹のいつもの半熟卵のような心持ちだった。

「とりあえず今日は行きます」とラインをすると、すぐに近藤から電話が入りいつにも増して明るい声で喜びを伝えられた。


自転車で向かいながらまだ固まらない扱いに迷う気持ちのまま今日はやはり軽く顔を出すだけにしようと思っていたが、学童の門が見える辺りまで来ると、直樹を見つけた子ども達が歓声を上げて駆けて来た。それを見て直樹は今日も終業の時まで働こうと決めた。


子ども達やスタッフと過ごす時間は予想以上に充実していて、あっという間に子ども達に親や年長の兄姉が迎えに来る時刻になった。大方の子ども達が帰ったころ、直樹は近藤から事務室に呼び出された。事務室とは職員室の隣にある小さな部屋で一人分のデスクと椅子しか置かれていない。


棚にも殆ど物は置かれておらず簡素すぎる様子から一種異様さ感じたが、ここはパニックを起こした子をクールダウンさせておく部屋としても使うと聞いていた。


部屋に入ると近藤が飲んでいた温かいコーヒーの香りが充満していた。そこに入るのは直樹は初めてだったが、ふと落ち着ける空気が漂っているのだ。実家のコンビ二のバックヤードを思い出した。


「小河くんさ」


他の部屋から運んできた椅子に直樹が座ると、近藤は手元にあったコーヒーを一口飲んだのを合図にしたように直樹を見据えた。こんなに硬さを感じさせる近藤を見たことがあったろうか。

近藤のただならぬ表情と声の響きが直樹には分かった。


「はい」


近藤の強ばりは恐怖や不安ではなく、大切な何かを伝えようとしているものだと、直樹はその数秒のうちに感じることができ、少し安堵した。


でも、その何かが想像できなかった。雰囲気から察するに謝罪ではない。


「こんなこと始めてみてはどうかな?」


近藤はデスクにある薄いリーフレットを差し出した。淡い黄色が目に心地よかった。


「ま、目を通してみて」


また近藤の緊張の色が濃くなった気がした。何かを抑えている。


表紙には、「小学校サポート職員募集」という文字。中を開いてみる。小学校での授業中の補助、児童の登校時のサポート、教材の印刷や児童の提出物などのまるつけなどをする仕事であることが書かれている。


「退院してきたら、くびっすか?」


直樹は、近藤の意図が汲みきれずにそう聞いてみた。近藤は慌てたように左右の掌を胸の前で振って、「ちがうちがう」と苦笑いで返す。


「いや、わかってます。そんなんじゃないって。急にでもどうしてですか?」


「まあね・・・・・・」


 直樹は入院費用が自腹だったことがすぐに思い出された。確かにそれが契機になって、父も母も直樹の学童保育での勤務に対してこれまで見せなかった後ろ向きな態度を窺わせている。まさか、父母のどちらかが近藤に苦情を入れたか、他の職への斡旋を依頼したのか・・・・・・。


そんなことをする二人でもあるまい。直樹はすぐにその予感を打ち消した。では、近藤はなぜこんなことを言ってくるのだろうか。


「どうしてですか? 復帰早々、あの時のぼくの対応が事件を起こしたからですか?」


「そうじゃない、そうじゃないんだ」


「“まほろば”だって働く人が少なくて困ってるのはおれも知ってます・・・・・」


直樹は近藤からの返答を待ちきれなくて、早口でまくしたてた。


「まあまあ、そう慌てないで聞いてくれよ。そうなんだけどさ。でも小河くんはウチで続けていくべき人じゃないさ」


「どういう意味ですか?」さらにわからない。急に近藤が視界の真ん中に小さく遠ざかっていく錯覚にとらわれる。声も心なしか小さく聞こえる。


「意味が分からないんですけど」


近藤は、コーヒーをもう一度口に運んだ。そして眉間に皴を寄せて、さも自分も辛いんだという表情を浮かべ、何度か深めの息を吸って吐いた。


「面会に行った時に思ったんだよ。拓海のことをかばったじゃないか。そして、拓海のことをよく理解してくれていた。あんな大怪我して、それでも子どものことをかばう。そんなこと、私にはできないね。そして拓海がキレるまでのプロセスまで理路整然っていうの? はっきりと再現できる。そんなことも私にはできない。いろいろな意味で“まほろば”のスケールを越えてるよ」


近藤は窓の方に視線を移し、ガラスを叩く子どもに手を振って応えた。

男の子二人が直樹と近藤に手を振る。親の迎えが遅い小学一年生の二人だ。大人二人に手を振られたことが嬉しかったらしく同時に笑う。


「前歯が抜けている子どもの笑顔はどうしてこんなにもかわいんでしょうね」


防音設備の施されたその部屋にはほとんど音は聞こえてこなかったが、強化ガラス越に二人の笑い声が聞こえてくるようだ。


「そりゃ、確かに小河くんがここにいてくれたら助かるさ」


小学生に向けた笑顔そのままに直樹に向って続ける。


「でも、ここは大丈夫、他のみんなで何とかまわしていく。小河くんは、新しいところでガンバッテ。もちろんはっきりとは分かんないんだけど、この先いろいろなことにチャレンジできるステージに進んだほうがいいと思う」


近藤の紅潮した顔が何かを物語っている。その何かが何なのかは分からない。自分も近藤も。しかし今の直樹には、近藤の熱意の先に自分にとって目標とすべき何かがあるという気がしてしまうのだ。とにかく、速くこの“まほろば”を出て行かなければならない。


「追い出されるわけではないんですね」


 直樹は念をおす。


「そんな怖い顔するなよ」


「すみません。わかってます。でも、つい力んでしまいました」


「そりゃいきなり退職を促されたら驚くよな。もちろん、追い出すなんてそんなつもりじゃない。むしろその反対だよ。もう“まほろば”は卒業……ここへはいつでも遊びにおいでよ」

 

嬉しさと寂しさが、どっと押し寄せてきて、直樹は目頭が熱くなるのを感じた。



               つづく



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