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夕立の詩(うた)  作者: 富永真一
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幸男


 近藤は二つの学童を運営しているNPOの副代表を務めていて、常に現場に顔を出す世話好きな人柄で、直樹達学童に勤める人々に心遣いを欠かさない温厚な人物らしい温かく軟らかい物腰で、直樹にその心配は要らないと諭すように教えてくれた。


そのやり取りから、近藤の日ごろの仕事の一端に触れ、これまで以上に近藤に対する信頼と敬意を抱いた。


普段は行政との打ち合わせや地域からの苦情への対応、保護者同士のトラブルの仲裁、小学校との折衝などに負われているが、直樹は近藤から愚痴一つ聞いたことはなかった。


落ち着いて見てみると、これまでの疲労の蓄積が深く表情に出ているのがわかった。


「小河くん、もう一つ謝らないといけないことがあるんだ」


「なんすか?」


近藤が言うには、学童での怪我には、労災認定が下り、治療費は全額保障されるのだが、入院費用については保障の範囲外だという。


学童で保険に入る際、傷害は入院するほどの大怪我は想定していなかった。


したがって保険外になってしまう。申し訳なさそうに話す。近藤に直樹は、黙って頷く。「気にしないでください」と笑顔で伝える。


近藤は帰りしな、学童と近藤個人から見舞金の入った封筒を置いていった。中を確かめると一万円札が三枚入っていた。


近藤の面会の趣旨を聞いた母の登美子は、直樹の勤める学童への不満を初めてこぼした。


「そろそろ定職に就かないとね。」という登美子の一言は、直樹のすることに一つも否定的な姿勢を示さなかった分、直樹には重く響いた。


十日もすると傷の痛みも癒え、鼻周辺に広がった紫色の痣も薄れてきた。退院を翌日に控えた日の午後、直樹の病室を父の幸男が訪れた。


「よお」


「父ちゃん、どうした? 面会なんて」


「なんかな・・・・・・」


「明日退院だぞ」


三人しかいなくなり閑とした直樹の部屋に顔を見せた父親の居心地の悪そうな表情に、病室を出てテラスへ案内した。


改築したばかりの市民病院のテラスは地上五階にあった。大きなガラス窓からは陽光が降り注ぐ街並みが一望できた。


広々としたテラスにはオレンジ色のソファが壁沿いに並べてあり、フロアの中央にはテーブルも十個ほど用意されていた。


病室から出てこられる患者や面談者の談笑がテラスのあちこちから響いてきている。


 幸男は直樹が鼻を折ったと聞いた当初は、すぐに行こうと思っていたが、バイトが休んだり、停電があったりでなかなか時間が作れなかった。登美子に店を任せて今日、ようやく来ることができたと言った。

それにはたしかに弁解するような響きがあった。

「最近どうなんだ?」


自分達父子が、改めて時間を共にすることなど、これまではなかったのではないか。

直樹からのそんな振りに、幸男も頷いた。ともに特定の目的のない雑談が苦手なタイプである。


共通の話題などプロ野球の話くらいではなかったか、そう思っても直樹は最近プロ野球の動向すら知らない。最近メジャーリーグの試合ばかり見ているからだ。探せば探すほど話題がないことだけが明らかになるようで、二人の間に沈黙が居すわる。耐えかねたように、幸男が話し始めた。


「うちの家系はよ、金儲けには向かない血筋よ」


「かもね」


「じいちゃんの酒屋はもちろん商売だったけど実直というか誠実そのままのやり方で地元のお得意さんをたくさん抱えてひいきにしてもらってた。もっと儲けに徹することができれば蓄えもできただろうに。じいちゃんは全然そういうのに興味を持たなかったな。俺が店を継いだ時はびっくりしたよ。近所の催し物があると、酒だのジュースだのつまみだの菓子だのをよ全部サービスしてたってのが分かった」


「じいちゃんらしいじゃん」


「今の時代じゃ信じられないけどよ、昔はそれでまわってたんだからな。その分ご近所さんはみんなうちから買ってくれてた。酒、もタバコも灯油もさ。コンビニになってからはそうはいかねえからさ、ご近所さんとの付き合いも薄くなる一方だよな。新しく越してきた人とは、最初から全然付き合いなんかないしな」


 直樹は窓外の街並みを眺めながら、唐突に語り始めた普段は無口な父親の話に耳を傾けつづけた。


「父ちゃんが酒屋を潰してコンビニ始めた頃は、そりゃ憎まれ口もたたかれたよ。でもいちいち他人の言うことに振り回されてちゃ商売はできねえ。時代においてかれちゃ家族ごと食いっぱくれるだろ。昔みたいに地域密着一本やりのやり方じゃもう限界だ。郊外から若い連中が越してきてな、縁故だけで商売やってりゃあそういう連中を客にできなくなる」


じんじんと鼓動を打った心臓から血液が体を循環しているのを感じた。鼻の患部にまだ残る痛みが微かに疼いく。 


「もうよ、直樹よ、コンビニももう時代じゃねえよ」


喉に渇きを覚え、直樹は幸男が持って来たペットボトルのコーラの蓋を回した。カチッと音がして、放出される炭酸とともにコーラの香りが鼻孔に広がる。ペットボトルはうっすらと汗をかいたように細かい水滴をまとわせている。温くなったコーラが、上あごを打ちつけて喉の奥に流れていく。


「どういう意味だ、父ちゃん? コンビニ全盛期じゃねえか」


父親を元気付けるつもりで、言葉を遮ってみる。


「それだからだよ。こんだけどこ行ってもコンビニだらけ。ネコも杓子も競ってコンビニ始めちゃ儲かるのは看板かしてる本社だけだ。こっちは売り上げは年々下がる一方で人件費削るのももう限界に来てるな。向居町の靖男んとこも来月で店閉める」


幸男は近隣の知り合いが経営するコンビニの閉店を告げた。確かに、近頃コンビ二の閉店は決して珍しいことではない。しかし、知り合いの店が閉店するとなると急に現実味が帯びる。


 その後、けだるくソファに座る直樹を見て、幸男は続ける会話を見つけられなかった。


直樹が幸男に面会の礼を言うと、それを別れの合図のようにして、片手を肩まで挙げてくるりと背中を向けて幸男はロビーを後にした。


幸男の背中を見ながら、直樹はポテトチップで、塩辛くなった口の中に、ぬるいコーラを流し込む。

塩からさと甘く弾ける炭酸が鼻孔から抜けてゆく。

幸男の背中がエレベーターの中に消えた。ふと、幸男は登美子に背中を押されるようにして、ここまで足を運んだのではないかと思った。息子に今後について再考することを促すために。


               つづく

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