事件
七月初旬、梅雨も終わりに近づいたある日、直樹は拓海とウノというカードゲームをしていた。
普通は手持ちのカードを持つのだが、タクミは自分の周りに放射状に伏せて並べておくのである。
タクミはそれらのカードの絵を記憶している。
ゲームが中盤に差し掛かった頃、部屋で追いかけっこをしていた三年生の男の子達が、直樹とタクミの周りを走り始めた。
そしてはしゃいだ数人が、カードの積んである上を飛び越えていったのだ。タクミの放射状に整えられていたカードがその風圧でバラバラになった。
「・・・・・・サツイがわいてきた」
そんなタクミがぽつりと言った。
「え? タクミ、今なんて・・・・・・」
「どいつもこいつも、むかつくなー」
直樹の言葉など耳に届いていないかのように、立ち上がり、直樹に背を向けて部屋を出て行こうとする。
走り出すより先に、前傾姿勢を取って、走り出した。
廊下では、さっきのタクミのカードを蹴散らした男の子達が走り回っている。その他の年少の子達も空ペットボトルをピンに見立ててボーリングごっこをしていて、騒然としていた。
「どいつもこいつも!」
拓海の声は奇声に聞こえた。
直樹は危険を感じ、どんなことになるか直樹は考えた。とりあえず、拓海の両肩を後ろから力任せに押さえつけた。
ガラス越しに見える廊下の子ども達はこちらの異変に気づく様子もなく楽しそうに遊んでいる。
目の届くところに他の大人はいない。
自分がこのまま力を抜いたら拓海が何をするか分からない。
周囲にそれを止められる者もいそうにない。大声で誰かを呼んでも拓海をさらに追い込み興奮させるだけだ。物が壊れるか、誰かが怪我をする。
そうしたらきっと、拓海はここに居場所を失う―フラッシュのように直樹の頭に思いが浮かんだ。
「おい! 拓海、どうした? おさえろ」
「・・・・・・」
「どうした? 俺が注意してくるから、おまえはここで待ってろ。な、な」
一度腰を落としてしゃがむような格好になった拓海を後ろから引き上げようとわきの下から手を入れてて立たせた。
少し落ち着いたのか、拓海は直樹のメッセージを受け止めたかのように思えた。
一瞬安堵した直樹に拓海は無言の「No」を突きつけた。
直樹の手を払って拓海は廊下に出て行こうとする。
その力にはやはり抑えきれない怒りが込められている。
廊下の子ども達の歓声が聞こえにくいほど雨音が激しくなっている。近くに雷が落ちたのか、轟音が響く。
「おい、拓海、だめだ」
仕方なく羽交い絞めにして引き戻す。
「またさっきの続きをしようぜ」
拓海は不意に力を抜いた。
そのまま前に屈むような体勢になる。直樹もそれに合わせて力をゆるめた。
拓海の心はどんな様子なのだろう。数秒ごとに変化する拓海の反応に、その次の動きが計りきれない。
どんな言葉が拓海の気をおち落ち着きを取り戻すことができるのだろう。
今は一まず、元の場所に戻りさえすれば問題はない、直樹がそう思った時だった。
視界の下の方に見えていた拓海の後頭部が突如として大きく見えたかと思うと、鼻に打ち付けられた。
鼻に走った激痛に、くぐもった声を出し、直樹はうずくまる。
顔を上げ、ぼやける視界の中に小さくなる拓海の背中を見ていた。
動こうにも痛みと諦めとが強い力で一瞬にして自分を拓海から遠ざけていくのがわかった。
つづく




