春
春は嫌いだ。虫が増え始める季節だから。
「なんだぁお前ぇ」
あったかいお天道様の木漏れ日が照らす旧街道の脇で、『獲物』を狙っていたオレの後ろから、歯切れの悪い声が聞こえてきた。
もう一度言う。春は嫌いだ。身の程知らずの馬鹿どもが寄ってくるから。
「ここは俺様の縄張りだって知らねえみてぇだなあ。ここは五年前から俺様が仕切ってんだ。居座るなら金寄越せよ」
「うるせえなあ。んじゃ五年と一秒前からいるオレに金寄越せよ」
オレより少し背の高い、贅肉のよくついた男は、イラついたように鼻息を鳴らす。
「くだらねえ事言ってんじゃねえよクソアマぁ。そんなボロっちい身なりのクズは、俺様の役に立ってナンボだろうが」
「誰がクズだって? オレだけってわけじゃあねえよなあ?」
対して金目のもんも持ってねえし、着物だってただの布。オレもお前も五十歩百歩じゃねえか。しゃらくせえ、今日は稼ぎもなくてイラついてたところだ。【両手】で手っ取り早くやっちまうか。
相手もやる気になったようで、腰にさげていた刀に手を掛ける。
「クズは殺してもいいって知ってるか? 知らねえなら今日教えてやるよぉ」
「気に入らねえが奇遇だな。その意見はオレも同じだ」
人なんてクズばっかだ。だから殺してもいいんだよ。
「そうかぁ、じゃあ死ねぇ!」
ぶよぶよと重そうな足取りで刀を振りかぶると、一瞬の間を置いて地面へと振り下ろされる。
「よっと」
予備動作が見え見えだっつの。避けるとか言う次元でもねえ。
「じゃあな」
体勢を立て直そうとするデブ男の顔面を、両手で引っ掴んで力を入れる。
「う、うあああぁぁぁ……」
叫びをあげるのは、あげられるのは一瞬だ。オレの手が触れている部分から、徐々に男は死んでいく。
息が無くなったことを確認して、脂でべったりの両手を払った。
「首飾りと……財布にまぁまぁの金があるな」
服は……今のボロ雑巾じみた着物も交換したいが、こいつの着物には着替えたくねえ。どうにか布を買って体に巻いとくか。ボサボサ頭は伸ばしといても死にはしねえし、いいだろう。
足を使って身包みを剥いでいく。両手を使えねえのが不便でならねえが仕方ない。
なんたってオレの両手は……
「そこのあなた、そこで何をしているのです!」
「あ」
しまった。旧街道でもまだ警察がいやがったのか。てか、この真昼間に行灯なんか持って何してんだ? しかも女の警官だ。白髪……いや銀髪か? まるで蛇の尾っぽみたいに長く伸ばしてやがる。黄色の目ってのも珍しいな。
まぁいい。とりあえずはごまかさねえと。
「ここで死んでるやつを見つけたから、どんな状態かと思って見てたんだ。身柄も荒らされてねえし、犯人は近くにいるんじゃねえかな。助かったぜ。警察に行く手間が省けた」
近づいてきた警官は死体の顔を一瞥して顔を歪めると、襟を口に寄せてこちらに向き直った。
「この方の顔は人の手による犯行とは思えない形になっていますが、これが他殺だと言いたいのですか?」
「犯人って言い方が悪かったか? そうカッカすんなよ。自殺や獣の仕業って線もあるが、この死に方はほぼアレが関わってる」
「これは誰がどう見ても、呪いの類でしょう」
「おいおい、あんま声に出さねえ方がいいぜ? 言霊に寄ってくるかも……」
「寄ってくると言うより、あなたがその呪いの所有者でしょう」
「へ?」
平然と話していた警官の矛先は、まっすぐにオレの方に向いてきた。
「いや、疑わしいのはわかるけど、真っ先にオレを疑うのは何でなんだよ」
「まず最初に、私のことを警官だと誤解した、常識のなさ」
「はぁ?」
「服の仕立てがいいからと警官と決めつけるのはおかしいです。次に呪いのことを知りながら言及を避けていたこと」
「だからそれは」
「言霊なんて、信じていないのでしょう。言葉が薄っぺらいです」
「てめぇ」
「つぎに……」
「その口きけなくしてやろうか警察もどき!」
駆け出して腕を伸ばす。口を封じるつもりでいったが、女はすっと身をひくとオレの腕を掴んだ。
次の瞬間、視界が天と地を2回まわって、背中の衝撃と共に空が見えた。
「かはっ」
「観念しなさい」
いつまでも続く高圧的な口調が気に入らねえ。
幸いまだ腕を掴まれている。つまり、オレも相手の腕を掴めるってことだ。
「観念するのはお前の方だ!」
腕さえ掴めばオレの勝ちだ、三途の川を片手で渡れ!
「いたっ!」
自分の目を疑った。女はオレの手を振り解いて、二、三歩あとずさりした。
生きたままで。
死にかけにもならず。
腕も動く状態で。
「お前、いったい……」
「あなたの呪い、死の呪いですか?」
「質問してるのはこっちだ」
「お願いです」
「人の話を聞け」
「私を殺してください」
「……は?」
人の話を聞かずに頭を下げるこの女は、自分のことを不老不死だと言った。
──*──*──*──
頭を下げられた後、気味が悪くて逃げようとしたが、どこまで走っても追いかけてくるこの女の執念に負けて、おとなしく家に連れていかれることとなった。
「これは……また豪勢な家に住んでんだな」
「大したことはありません。これは五十番目の別荘なので」
新街道沿いに建てられた、白い二階建ての豪邸。高給取りでも買うのがやっとであろう建物へ、そこらのほったて小屋と同じくらいぞんざいに招く。
中はがらんとしていて、生活感がまるでない。
「お前、本当にここに住んでるんだよな?」
「ええ、一時的に。あなたを探すため、この国の各地を飛び回っていましたので、荷物は最小限にしています。使用人を雇っているので、綺麗にはしていますよ」
おいおいすごいこと言ったぞこいつ。
「国中飛び回ってオレを探していた?」
「はい」
「殺してもらうために?」
「そうです」
「何のために死にたいんだ?」
「何のためにも、生きる理由がなくなったからです」
正直に、まっすぐとこちらの目を射抜いて発される言葉には、それなりの覚悟みたいなものを感じた。
「私の故郷は遠い昔になくなっており、両親も当然死にました。あとはもう、無限に続くだけの時間しかない。終わらせられるなら、もう終わりたい」
「贅沢な悩みだな。時間があるなら何だってできるのに」
「何かをやって、何の意味を見出すんです? 達人になれたとして、知識を満たして、前人未到の地へ行ったとして、そこに何があるんです? 生きられる時間に限りがあるから、『死ぬ前にやっておきたい』と思うんです。到達点へ行った喜びは一瞬で、その後の無限にかき消される」
「お前が、金儲けで成功したことも?」
「そうです。両親から受けた最後の言葉は、『身を立てる力と知識は腐らない』でした。近年になってからあなたの噂を聞いて、すぐに動けたのもそのおかげです。もう恩返しもできませんが」
「そうか」
返事と同時に、オレの腹が鳴いた。あれだけ長い時間おいかけっこをしたんだ。腹も空く。
「あなたは何か食べる必要があるのでしたね。すこし待っていてください」
不老不死女は台所へ行って、食材を吟味しだした。
「別にオレのことなんて気にすんな。外に生えてる草でも食える」
「そうはいきません。私のわがままで殺してもらうのですから。お礼はさせてもらいます。これも一つの契約ですので」
普通殺されてお礼はしないもんだろう、と思いつつ、自分が「普通」を語る滑稽さに笑えた。
不老不死女は簡単に野菜を切り、少しばかりの肉と調味料を加えて一品こしらえた。ホカホカのご飯も炊いて。
「さあ、どうぞ」
「どうぞ……って言われてもなあ」
後ろ頭をかくオレに、何が問題なのかわからずキョトンとした顔を見せる不老不死女。
「お前も知ってるだろ、オレの手は『何でも殺す』んだよ。だからこういうおかずとかご飯も、オレが手で触れた瞬間腐っちまう。もちろん食器類もな」
唯一の例外は、オレ自身の体だ。
「なるほど。では私が口へ運びます」
「は⁉︎」
なに平然と恥ずかしいこと言ってやがるんだこいつは⁉︎
「大丈夫です。熱くないよう冷ましてますから。ほら、口を開けて」
「いや、だから大丈夫だって」
「私が死ぬ前にあなたに死なれては困るんです。であれば、食事を支給するのは当然でしょう。さあ」
いくら拒んでも食い下がらない。口元に小さくすくったおかずを持ってくる。
地の果てまで追いかけてきたこいつのことだ。どうせここで食べなくても諦めずに食べさせようとしてくるだろう。
「……あぐっ」
オレが差し出されたおかずを頬張ると、不老不死女は一息ついた。ため息を吐きたいのはこっち側だっての。
口の中で、食べ物を咀嚼する。
遠い昔に少しの間だけ食べたことのある、野菜の味と、肉の味。
ごくん、と。
彼女は何かを気遣ってるのか言葉には出さないが、顔が「味どうだった?」と聞きたそうにしている。
「……うまい飯ってのがどんなのか分かんねえけど、マズくはなかった」
褒めてもないのに、不老不死女は少しだけ顔を綻ばせて、「よかった。まだまだあるから、どんどん食べてください」とすすめてくる。
今までこんなやつはいなかった。だからどうしていいか分からない。
けど。こいつの願いが死ぬことなら、それだけはせめて叶えてやろうと、密かに思った。