私たちだけの文化祭(その一)
彼女と出会った一週間が過ぎ、週の明けた朝。いつものように登校した学校は、いつものような雰囲気ではなかった。
妙にざわつき、浮足立っている。もちろん、それは僕が登校したからじゃない。いくらなんでも、学校中を騒がせるほどの存在ではない。精々、クラスを騒がせるのが関の山だ。
では、一体何が原因かと言うと。
「中間テストも終わったこの時期、待ちに待った文化祭の季節が近づいてきました」
帰りのHRで知る。そういえば、そんな時期だったと。雰囲気が妙だったのは、ほとんどの生徒にとっては一大イベントだからだ。高校生活において年に一回のお祭り。色恋が爆発する大事な行事というわけだ。
僕としては嫌悪するほどのことではないが、好んで参加しようとも思わない。長い準備期間も、そのほとんどは裏方にでも回りたいところだ。
「というわけで、文化祭の実行委員を決めたいと思います。一クラスから男女一人ずつ選びます。誰か立候補はいますか?」
生徒の自主性を重んじているのか、立候補なんてものを募っているが、こんな面倒だと分かりきっている仕事を進んでしようと思う人間なんているのだろうか。誰もが楽しみだとは言いつつも、それはあくまで文化祭の空気や雰囲気であって、準備やら責任やらを楽しみにしている人は一人たりともいない。
もし、そんな人がいるとしたら、それは奉仕精神に目覚めた奇特な人間か、ただの目立ちたがりのどちらかだと思う。そしてこのクラスには、どちらの人間もいないと僕は思っている。
「はいはい!私、やりたいです」
が、隠れていた、もしくは僕が見つけられなかっただけでいるらしい。彼女に似た元気のある声と共に、手が上がる。
「おお!小野さん、やってくれるの?じゃあ、他にいないなら女子の実行委員は小野さんでいいですか?」
先生の問いかけに反応する者はいない。つまり、同意ということだ。自ら志願する者を止めることはない。面倒が消えるのだから、それに越したことはない。
さて、残る問題としては男子の実行委員だけど、このまま決まらなければくじ引きだの何だので、無作為に選ばれてしまう。やり方としては文句はないが、万が一にでも選ばれたくはない。誰かやる気のある人が立候補してほしいものだ。
「じゃあ、女子は決定です。次は男子。誰かいない?いないなら、くじ引きとかになっちゃうけど~?」
軽い脅しにクラスの男子連中はざわめく。そこかしこで、押し付け合う声が聞こえる。
段々と騒がしくなっていく中、それを切り裂く声が同じ場所から上がる。
「あの!誰もいないなら私から推薦…みたいな感じでもいいですか?」
ついさっき立候補した小野さんとやらがそんな提案をする。これは願ってもない好都合な展開だ。
友達のいない僕が選ばれることはない。彼女と話したことすらない僕は、その推薦の候補にいない。これで最大の面倒事は避けられる。
───そう、思っていた。
「う~ん、そうねぇ。このまま待ってても立候補はいないだろうし。とりあえず、誰かだけ教えてもらってもいい?」
「ん!」
迷いなく、最初から決めていたかのように、その指は一人の人物を捉える。
まっすぐ伸びた綺麗な指が示す先にいたのは───
「……え?」
──僕だった。
……
放課後。安堵と嫉妬、その他諸々ごちゃ混ぜの感情を向けてきた男子たちを含む全員が去った教室に僕の姿はあった。それも、一人ではなく二人で。
そのもう一人はもちろん、僕を指名してきた小野さん。
「じゃあ、文化祭が終わるまでよろしくね」
黒板に書かれた文化祭実行委員の文字の横には、『小野』『大崎』の二つが並んでいる。
当然断ろうとした。だが、クラスの雰囲気、小野さんの強引さ、先生の嘆願、何より僕の性格上、成す術がなかった。あの状況から逃げ出すことなど出来なかった。
まるで分からない。小野さん自身が委員に立候補するのは自由だ。でも、その相方に僕を指名した理由は、まったく分からない。
それに、正直言って僕はこの人に苦手意識がある。クラスでの立ち位置もそうだが、何よりその見た目に気後れしてしまう。
以前に脱色した名残なのか、毛先の色が少し抜けている髪。他の人とは違う印象を抱く化粧、耳にはイヤリングだかピアスだかもぶら下がっている。いわゆる、ギャルという人種に僕には見える。
その学校において目を引く派手さ、クラスの中心たりえる性格、あらゆる要素に僕は睨まれたかのように怯えてしまう。
ただ、それと同じくらい女子と二人きりという状況に緊張もしている。最近は慣れてきたかと思っていたが、ただの思い込みだったらしい。
いくら緊張状態にあろうとも、この二人きりの場で無視するのはよろしくない。これから一ヶ月近く同じ文化祭実行委員という立場になるのだから。
「よろしく。小野さん、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「なに~?」
「僕を実行委員に選んだ理由は?」
「ん~、色々あるよ。…そんなに気になる?」
「気になるよ。今まで一切関わりがなかったのに、いきなり同じ委員に、しかもこんな大役に指名してくるなんて」
「教えてもいいんだけど~」
そんなことを言いつつも、ニマニマと楽し気な表情を浮かべて渋るだけ。なんとなく、これは教えてはくれないと察する。以前に、似たような顔をする人を見た気がする。
「まぁ、そのうち分かるからさ。じゃあ、私帰るね。委員会は明後日からだから、よろしくー!」
案の定、何も答えぬまま小野さんは去っていった。最後に見えたその姿は、拳を握りしめガッツポーズをしているように見えた。
「はぁ、面倒なことになってしまった…」
危惧していた中でも最悪の展開だ。まさか、裏方なんてものではなく、しっかりと表舞台に立つ羽目になるとは。
文化祭までのこの期間、僕はどれだけ苦労するのだろうか。それを思うだけで、始まってもいないのに疲れてくる。
……
二日経った放課後。
初めての文化祭実行委員の会議があるとのことで、一年から三年の実行委員全員に召集がかけられた。
小野さんと向かった、会議室へと姿を変えた教室にて、どうして僕が実行委員に選ばれたのか、それについて知ることになる。
「中に入ったら学年ごとに別れて、クラス別に並んでください」
教室に入ると、既に委員長でも決まっているのか、指揮を執る人物がいる。
選ばれた中から、また選ばれる人物。それはまさしく、人を従えるに相応しい者だろう。
「一年生はあっちみたい。適当に座ろっか」
ちらほらと集まっているが、一年では僕たちが一番乗りらしい。一年生用に用意された場所には誰もいない。
こういう場が初めての僕は、どうにも落ち着かない。そわそわとして居心地が悪い。隣に座る小野さんは、慣れているのか手入れが行き届いた綺麗な爪を弄って、そんな素振りは見えない。
「ん?なに?私の顔に何かついてる?」
僕の視線に気づくと、今度は僕が覗き込まれる。当然だが、こうも他人のことを見ていれば気づかれる。体ごと近づいてきたその顔には、生まれた時からある整ったパーツしかついていない。
「いや、そうじゃなくて。小野さんって、こういうのに慣れてる感じがして。僕はどうにも落ち着かないんだ」
「あーね。でも、私も実行委員とか初めてだよ?これから何するとか全然わかんない」
「そう…なんだ」
慣れているから立候補したわけではなかったのか。じゃあ、一体どうして?やはり、急に何かの精神に目覚めたのだろうか。
そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれる。反射的に振り向くと、頬に何かが当たる。
「あっは!二人とも引っ掛かった~!」
そこには、愉快そうに人差し指を伸ばした神原さんがいた。
「は~る~?あんたの言う事聞いてやった私に対する仕打ちがこれかー!」
ちらりと横目で見ると、僕と同じことをされている小野さんが映る。悪戯の仕返しをしようと取っ組み合いが始まった。
「それに関しては、この前奢ったじゃ~ん」
つつかれたままの体勢で、僕は固まってしまう。一体、どういうことなのか理解できていない。
この二人は別のクラスでありながら知り合いなのか。じゃれ合う二人から聞くに聞けないので、完全に蚊帳の外だ。
「大崎くんも実行委員になれたんだね。よはっはよ……っていはいいはい」
仕返しとばかりに、これでもかと頬を伸ばされている。それでも、怒ることなく笑顔なのが、彼女たちの仲の良さを表している。
「なれた、というよりはほとんど強制だったけどね。小野さんが妙な事を言うから」
「そのことで文句があるなら、この子に言ってよ?私は頼まれたからやっただけ」
「頼まれた?」
どうにもきな臭くなってきた。小野さんが立候補したのも、神原さんがここにいるのも、僕が指名されたのも、まさか偶然ではないのか?
「えへへ~、私が美月に頼んで大崎くんを実行委員にしてもらったの。これで文化祭も楽しくなるね!」
「えぇ…」
裏で糸を引いていたのは神原さんだったのか。僕を実行委員にすべく、小野さんに頼んでいたとは。真犯人はこんなにも近くにいたらしい。どうして、彼女が僕を実行委員にしたがったのか、それは分からないままだけど。
「小野さん、利用されたみたいだけどいいの?」
「別にいいよ~。それについては、ご褒美貰ったし。それに、春留がいるなら、こういうのも悪くないかなってさ」
「そうなんだ」
どうやら満更でもないらしい。そして、僕はまんまと彼女たちに嵌められたということだ。
と、全てを理解したつもりの僕の肩が再び叩かれる。
叩いた人物は神原さんではない。今も、小野さんとじゃれている。では、一体誰なのか。悪戯などないと思いつつ、叩かれた肩とは別の方向から振り向く。
「よっ!なんか大変そうだな」
「……誰?」
そこには、全く知らない男がいた。笑顔で手を上げて挨拶してくるが、なんとも馴れ馴れしい。あと、見た目と雰囲気がチャラい。
「おっと。そっか、俺が一方的に知ってるんだったな」
こほん、と一つ咳払いをして立ち上がる。それと同時に、こちらに手が伸びてくる。
「俺は坂下 基弥。神原と同じクラスで、今は実行委員も同じ」
「そう。僕は───」
「大崎だろ?知ってるって。うちの人気者に何かされたみたいだな」
「まぁ、色々と」
伸ばされた手を無視していたら、なぜか寂し気な顔をしてから引っ込んでいった。でもまさか、僕の顔と名前が別のクラスにまで知られているとは思わなかった。いや、あれだけ彼女が騒いでいれば知っていてもおかしくはないか。
「で、なに?神原と付き合ってんの?そんなことしたら、敵が増えるぞ~」
「付き合ってない。僕と神原さんはただの……友達、なんじゃないかな」
彼女との、憶測でつけられた関係を否定し、肯定できる関係性を表す言葉を探してしまう。これで合っているのかは分からないが、そう言って問題ないはず。彼女もそう言うだろう。
「そうか。何にしても、これからよろしくな。同じ実行委員として」
「よろしく」
話が区切られると、周囲が騒がしくなる。ぞろぞろと集まっていた実行委員が、全員席へと座る。どうやら、これから会議が始めるようだ。
「よし、全員…集まってるな。抜けはなしっと。それでは、これから文化祭実行員の説明を行う」
担当の先生から、おおまかな実行委員の役割と仕事が説明された。内容としては、大方僕の予想通りだった。ただ、だからこそ苦労するのが目に見えている。
それに、僕は人の三倍増しで苦労しそうだ。
「ねぇ、大崎」
初めての会議が終わり、解散となった後、帰ろうとする僕の肩を小野さんがつつく。
「さっきの説明会、先生が何言ってるかよく分かんなかった。詳しく教えてくれない?」
「それ、私も分かんなかった!私にも教えて!」
「俺も俺も!後半、頭が追いつかなかった」
疑問を放置しない勤勉な小野さんに便乗する形で、他に二人増える。
「小野さんはともかく、他のクラスの二人にまで教えなきゃいけない理由はないんだけど?」
「そんなけち臭いこと言ってないで教えてよ~」
「そうだそうだ。友達が困ってるのを見過ごす気か?」
なんだか寒気のしそうなことを言っているが、坂下とは友達になった覚えなどない。こういう人間は、たった一言話すだけで友達扱いしてくるのだろうか。
「わかったよ。はぁ…、この先が思いやられる」
神原さんがいる以上、問答を繰り返しても意味はないと思い、ため息を吐く僕。そんな僕とは対照的にガッツポーズをする二人。彼女たちのクラスは、これで大丈夫なのだろうか。今からでも、人選を改めた方が良い気がする。
……
「……最後に。これは知ってると思うけど、文化祭は二日間開催される、休日の二日を使ってね。その後に振り替え休日はあるから、そんながっかりした顔しなくていいよ。……はい、これで説明は終わり。あと、文化祭実行委員長は三年の鈴木先輩になってる。覚えておいて」
場所を僕たちの教室に移し、黒板まで使った説明がようやく終わる。今までこんなに喋ることがなかったため、終わると同時に一気に疲れが押し寄せてくる。
彼女たちが真面目に聞いていれば、僕がこんなに疲れるこはなかったというのに。
「次からはちゃんと聞いといてね。もう一回は、こりごりだから」
「ありがとね。大崎が同じクラスでよかったよ」
「ありがと!ほんっとに助かったよ」
「さんきゅー、大崎!これからも頼りにしてるからな」
思い思いに感謝の言葉を口にするが、どうにも嬉しくはない。この感謝よりも、疲れの方が勝っているからだろう。
「それにしてもいいなー。大崎くんと同じクラスなのズルいなー。来年は同じクラスになれるといいね?」
「僕としてはお断りしたいところだね」
「なぁーんでさぁ~」
「面倒が近くなる」
「私の扱いひどくない!?」
何をそんなに驚くことがあろうか。彼女は自分のしてきたことを忘れてしまったらしい。事あるごとに、彼女に振り回されているのだから、同じクラスなんて賄賂を払ってでも回避したい。
「とりあえず終わったことだし。春留、どっか遊び行こ?」
「いいね!今日は美月の奢りね。二人ともバイバイ!」
「いや、普通に割り勘でしょ」
これから遊びに行くらしい二人は、手を振って教室を後にした。残っているのは、ついさっき知り合った僕と坂下の二人だけ。
「俺たちもどっか行くか!なんなら、あの二人と一緒にダブルデートってのもアリだな!」
「じゃあ、また委員会の時にでも」
「おぉい!乗ってこないのかよ!」
乗るわけがない。そもそも、どうしてそんなに遊ぶだけの体力が残っているんだ。いや、あの三人は話を聞いていないかなったのだから当然か。疲れたのは、二重に説明をした僕一人だけ。
というか、さっき知り合った人と二人きりで何をするのか。そもそも、ダブルデートってなんだ。どこがどうダブルで、デートなんだ。
そんな意味の分からないことはしたくない。
初めての連続で疲れた今日はもう、帰って寝たい。
……
実行委員の初会議があった翌日。校内は、来たる文化祭に向けて早くも活気づいていた。ここから月を跨いだ長い準備期間を経て、文化祭当日を迎える。
ほとんど参加するつもりのなかった僕にとって、この準備期間は長いものと思っていた。だが、神原さんに嵌められ、実行委員になった今の僕にとってのこの約一ヶ月は、あまりにも短い。
やること、決めることが多すぎる。クラスでの催し物を決めなければならないし、それを実行委員長に許可取りをしなければならない。それに、クラスのことだけでなく、文化祭全体の実行委員でもあるため、一方に集中することもできない。
あまりに忙しい。聞いていた話と全然違う。
あと、やっぱり僕はこういう前に出る役割は向いていない。
「それじゃあ、一組の出し物について何か案がある人~?」
一クラスを纏めることも僕にはできない。隣に立つ小野さんに任せっきりになっている。
「はいはーい!色んな所巡りたいから、うちは無しってのは~?」
「それは…どうだっけ?」
「ダメ、だね。どのクラスも何かしないといけない」
「だ、そうです」
補佐。その役職がこれ以上なく似合うのが、今の僕だ。僕の出来ないことを小野さんがやるが、小野さんの出来ないことは僕にも出来ない。
ただ、文化祭の細かな決まりは、話を聞いていた僕の方が詳しいらしい。なので、僕が出来ることといえば、小野さんの説明に手を加えることくらいだ。
男として多少の不甲斐なさはあるが、適材適所というやつだ。
「なーにかないの~?時間に余裕を持ちたいから、今日中に決めたいんだけど」
僕が自己嫌悪に陥っている間に、クラスは静かになっていた。案が煮詰まったというよりは、挙げていいものかと悩んでいる、そんな気がする。
「じゃあ、定番のメイド喫茶とかは?」
勇敢な一人の戦士が、この冷え切った状況に熱を入れる。が──
「却下。女子の負担でかすぎ」
「いやいや、そんなことないって。仕事は接客くらいだし」
「とか言って、男子に料理できんの?まともにできないんじゃあ、結局私たちが大変な目に遭うだけじゃん」
「ぐっ…」
ぐうの音も出ないとは正にこのこと。ぐの一文字くらいは出てるけど。でもまさか、メイド喫茶と言いながら、料理を一つも出さないのはマズイ。それでは体裁が保てない。
「他にない?もっとマシなやつ」
クラスの中心的存在の小野さんは、そのリーダーシップを遺憾なく発揮している。ただ意見に流されるだけではなく、その先も見据えている。
今の小野さんは普段とは少し違い、ヒリついてる。そんな状態の小野さんに話しかけるのは気後れするけど───
「小野さん」
「なに?大崎」
「メイドがダメなら、そこに執事も加えればいいじゃないかな」
「男子も接客に…ってことだろうけど、それ単純に接客の割合が増えるだけじゃない?意味なくない?」
「いや、意味ならあるよ。まず、これでクラスを半分に分けられる。前に出る人、出てもいい人。それと、裏方がいい人、裏方でもいい人。これを男女で半分ずつにする」
今日中に決めたいのなら、これ以上候補を絞っている余裕はないと思う。ならば、この喫茶店という案を最大限活かす。そのために、多少の仕様変更を提案する。
「でも、それってさ。結局、裏方の女子が苦労しない?男子が料理できないのには変わらないんだから」
「そうとも限らない。男子にも多少は料理が出来る人がいるはず。まさか、一人もいないわけがない」
「まぁ、ね。それって例えば誰?」
「え、あ、いや……」
例えば。
小野さんは分かっていないらしい、僕がそんなことを知る由もないことを。友達なんていないのだから。
でも、一人だけなら上げられる。こんな僕でも一人だけは。
「その……僕、とか?」
「マジ!?大崎、料理できるの?」
「まぁ、一応…」
「いや、でも一人だけって。あんま変わんないよ」
「お、俺も!少しくらいなら」
「俺も。自信はないけど」
二人、手が挙がった。程度は分からないものの、経験はあるのだろう。もしくは、接客が嫌なのか。
「ねぇ、美月。私、料理なんて全然だからさ、接客の方がいいんだけど。メイド服は恥ずいけど」
「いや、まだ決まったわけじゃないから」
「ダメ…なのか…」
あまりに悲痛すぎる男子たちの声が聞こえてくる。あまりの過剰反応に女子も引いている。
「わかった。じゃあ、とりあえず接客と調理でやりたい方に分かれて、人数を見て判断するってことで」
手際よく、どっちがどっちと教室を使って棲み分ける。
どっちに行くか、決めかねている人がちらほらいるけど、概ね半分ずつなのではないだろうか。
「大崎、ちょっと」
「どうしたの?」
そんな中、小野さんが声を潜めて顔が近くなる。
「本当に料理できるの?女子のメイド姿が見たいからって嘘ついてないよね?」
「証明なら神原さんに聞いてみて。あと、僕はメイド姿なんてどうでもいい」
そう、どうでもいい。クラスの出し物を早急に決めたいだけだ。
「なんで春留が知ってんの?」
「……それも神原さんに聞いて」
そりゃそうだ。どうして、このタイミングで彼女の名前が出るのか疑問に思っても不思議はない。
でも、その説明も彼女に任せよう。
……
結局、男子たちの奮闘の末、僕たち一組の出し物は『執事・メイド喫茶』に決まった。
最後まで嫌な顔をしている人は、男子にも女子にもいた。それでも、小野さんが納得したこと、その小野さんの説得もあり、一応の賛同は得られた。
まだ問題はいくつか残っているものの、取り急ぎのものはなくなった。かと思ったが、決まったら決まったで今度は新しい仕事に追われる。
それは喫茶店を開くにあたって必要なものの用意。衣装はもちろん、テーブルや食器類、料理の腕もまた必要である。
「作り方は料理の出来る人から教わるとして。…ねぇ、調理担当、元の半分にしてよかったの?過半数が接客だけど」
「その方がいいよ。この人数で順番に回していけば、自由時間も休憩時間も確保できる。接客の方も同じことがいえる」
「まぁ、調理担当のリーダーがそう言うならいいけど」
そう、いつの間にやら僕は調理担当のリーダーなんて立ち位置に置かれていた。僕が料理をできると言ってしまったばっかりに。ちなみに、小野さんは接客担当のリーダーである。実行委員がそれぞれ別れる形になった。
「それはそうと、衣装が一番の問題なんだけど。小野さん、なにか当てがあったりする?」
「うーん…、なくもない…かな。もし、ダメだったらまた相談する」
「じゃあ、そっちはよろしく。僕も、一応探しておくよ」
備えがあるに越したことはない。もし、使わなければ予備として置いていけばいい。見つけられるかは分からないけど。
「美月ー!大崎くーん!一緒にかっえろー!」
実行委員二人の真面目な会議の途中で、思わぬ妨害者が現れる。
「春留、今忙しいから一人で帰って」
「やーだよぅ。終わるまで待つもんね~」
座して待つ。その言葉通り、机を挟んで向かい合う僕らの真ん中に椅子を持ってきた。にこやかに鎮座して、引き下がる気はなそうだ。
「二人のクラスは何するか決まった?私のとこは縁日で出すようなお店をいっぱいやろっかなって感じ」
「私たちは喫茶店に決まり。コンセプトはメイドと執事」
「執事!それって大崎くんの執事姿が見られるってこと!?」
「いや、僕は調理担当だから衣装は着ないよ」
「なぁ~んだ。じゃあ、美月の執事姿で我慢しとこ」
「じゃあって何?我慢て何?ていうか私、執事服着るの?…でも、それはそれでアリか?」
早々に小野さんが迷走し始めているが、話題性を考えれば悪くないかもしれない。
もし、僕が執事の恰好をしていたら彼女が来たのかと考えると、心底調理担当でよかった思う。
「小野さん、今日はこのくらいで切り上げよう。雲行きが怪しくなってきてる」
「そうかな?まぁ、そうだね。一日で決め切らなくてもいっか」
「終わった?終わったよね!じゃあ、帰ろう!すぐ帰ろう!そして、遊びに行こう!」
「はいはい、今日はどこ行きたいの?」
「今日はね~───」
話し合いの疲れなどないような元気さの彼女たちは、早速どこへ行こうかと目的地について話している。
そんな会話を右から左へと聞き流しながら、机に広げていた物を鞄に放り込んでいく。
片づけが終わり、教室を出ようとしたところで、後ろから何者かに鞄を引っ張られる。突然の出来事に、声を上げそうになるのを何とか堪える。
「大崎くん!どこ行くの?」
「どこって、帰るんだよ。もう学校に残る用事はないからね」
「なぁ~んで。大崎くんも一緒に行こうよ!」
「いや、それは…ちょっと」
仲のいい二人の空間に割り込むことはしたくない。二人であれば楽しいことも、僕という異分子がいたら全く違うものに変わってしまうかもしれない。
そんな空気になったら僕は耐えられないし、したくもない。彼女たちもそれは嫌がるだろう。
「ねぇ、美月もいいよね?」
「いいんじゃない?春留がそうしたいなら」
「けど、僕がいたら…」
「ほら、行くよ!私、新しい冬服が欲しいんだ~」
「それ、この前も買ったでしょ」
僕の意見などお構いなしに話が終わる。その横暴さに、何も言い返せないのを分かっているのか、それとも誰に対してもこういう接し方なのか。
「諦めた方がいいよ。春留が強引なのは今に始まったことじゃないしさ」
後者なのだろう。そうと決めたら、それを貫く。そして、僕はそれに振り回される。
分かっていたさ。その証拠は僕の記憶にも、スマホの記録にも残っている。
「二人とも行くよ~?私の悪口はそのへんにしてよ~?」
「よくわかったね」
「そんな!?ほんとに言ってたの!ひどいよ、大崎くん!」
「え、僕?僕は何も…」
「にひひ~」
冗談、なのだろう。口には出さずとも、笑って先を歩くその表情から、そう思う。
これが彼女たちの普段の距離感。僕には特殊に見えるだけで、僕が初めて会った彼女も、料理を振る舞った彼女も、冗談を言う彼女も、等しく彼女なのだろう。
僕は今、その一端を見つけただけ。
「ね、私と美月で大崎くんをコーディネートしようよ。どっちの方が気に入ってもらえるか勝負ね」
「いいよ。負けた方は何か奢りだから」
「いや、僕の意見は…?」
またしても僕の意見は組み込まれず、どこまでも僕を振り回す。
これもまた、彼女なのだろう。これからも彼女と関わり続ける限り、僕は新しい彼女の一面を見つけるのだろう。百面相のようにコロコロと表情を変える彼女に、僕は付いていけるだろうか。