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テスト、ホワイトデー、そして春休みへ


 バレンタインデーに大量発生したチョコゾンビが消え去ってから数日。いよいよ、学校全体が残り二週間を切った学年末テストに向けて、本腰を入れ始めていた。職員室や図書室に出入りする人が増え、あちらこちらで聞こえる会話の内容がテストのことに染まりつつある。


 そして、それは僕も同じで、チョコで摂取した糖分を燃やし尽くすかのように、教科書を広げ、ノートと向かい合った。また、僕がこうするのと同様に、神原(かんばら)さんにも同じことをしてもらった。


 僕を頼ると言ったからには、容赦なく教え込んで、今までで一番の成績を取ってもらいたい。そして、何の憂いもなく、新学年を迎える。それが、今の目標と言ったところだろうか。


 だけど、普段から教科書と向き合い、勉強が嫌いというわけでもない僕と、授業も真面目に聞いていなさそうで、事あるごとにサボろうとする彼女では勉強における体力や気力に差があってもおかしくない。そして、僕が平気であれば、彼女も平気…なわけがない。それは、目の前で突っ伏す彼女を見れば一目瞭然だ。


「もう無理だよ~…休もうよ~。休憩、きゅーうーけーい~」

「はいはい、少し休もうか。といっても、すぐに再開するから」

「なんでよ~、今日は頑張ってるじゃーん」

「確かに、珍しく頑張ってるけど、テストまであと一週間しかないからね。今日から追い込まないと」

「じゃあ、卒業式ももうすぐってことだね。三年生がいなくなっちゃうのか~」

「三年生に知り合いでもいるの?」

「いや、いないよ。顔見知り程度なら何人かいるけど、別に寂しいとかはないかな。でもでも、先輩が卒業するってことは、私たちの卒業も近づいてるってことでしょ?それはちょっと…ううん、すごく寂しいって思うかな」

「大丈夫だよ。今の神原さんの成績なら、もしかすると卒業はおろか、進級すらできないかもしれないから。そうなれば、寂しい思いはしないで済む」

「ひどいよ!私を置いていくつもり!?そうならないために、こうして君に教えてもらってるんでしょ!私が進級も卒業もできなかったら君の所為だからね!」

「それなら、すぐにでも勉強を再開しようか。僕は、そんな責任を取らされるのは嫌だからね」

「あー、うそうそ!君の所為にしないから、もうちょっと休憩しよ?ね?」


 どうしても勉強はしたくないらしく、少し再開を仄めかすと前言を撤回してまで休もうとする。そんなお蔭で、僕に転嫁されようとしていた責任は、きっちりと彼女に返っていった。


 そんなやり取りを毎日のように繰り返していると、いつの間にか季節は三月を迎えていた。余寒に辟易としていた世間は、待ち侘びた春の訪れに歓喜を表した。三月という、人の作った月日を理解しているかのように、気温もここ数日とは見違えるほどに春へと近づいた。


 そして、それは別れの季節の到来でもある。三月一日、世間一般として同じ日に催される卒業式は、僕たちの通う高校も例外なく執り行われた。


 彼らを祝福する花びらは、舞うことはおろか、未だにその姿すら見せていないとはいえ、僕が見送られる卒業式でもなければ、在校生が参加するわけでもない。今の僕にとっては、花が咲かず舞わずだとしても何とも思わない。


 ただ少し、春が似合う彼女の喜ぶ姿が見られないのは残念に思う。きっと、彼女であれば、僕の分まで楽しんでくれるだろうから。


 そんなどこか寂しい卒業式も、これまた寂しく、次の日には三年生がいなくなったという事柄だけを残して、いつもの学校へと戻っていく。だけど、そうする他ないというのが現実である。在校生にとっては、卒業した先輩たちよりも、目前に迫る学年末テストの方が重要で重大だ。


 そして、ここにも一人、そんなテストに向けて死力を尽くして挑もうとする者がいる。


「ねぇ、大崎。春留(はる)に何したの?あれ大丈夫?今朝、登校中もずっとうわ言呟いてたけど」

「大丈夫だよ。僕なりに精一杯、勉強を教えただけだから」

「もはや拷問でも受けてきたかのような状態だったけど…」


 少し、鍛え過ぎたのかもしれない。彼女がテスト中に倒れないように、何か飲み物でも差し入れた方がいいだろうか。本番になって何も出来なければ、本末転倒だ。


 五日間かけて行われるテスト、その最後まで持ちこたえられることを切に願う。これが終わったら、何かご褒美になるものを用意しておいた方がいいかもしれない。前回も、それでやる気になったのだから。今日のテストが終わったら、何がいいか聞いてみよう。


 ……


 この一年の集大成ともいえる五日間が終わると、校内は一気に緊張感から解放され、話題は前日までの活気を忘れるかのように春休みへと移っていく。仮に、テストの結果が振るわなかったとしても、今更どうすることもできないと諦観している者もいる。そのうちの一人が、彼女である。


「ま、もう終わったからね!これ以上考えたって仕方ない!」

「復習は大事だけどね。今後は出されない内容とかでもない限りは」

「はい、そこ!春休み目前の楽しい気持ちを損なうようなこと言わない!ダメだよ、君もちゃーんと楽しむんだから」

「僕より神原さんだよ。前に言ったご褒美、何か考えた?まぁ、テストの結果次第では取り下げようかとも考えてるけど」

「ダーメ、もう引っ込められないよ!君とやりたいこと、いっぱいあるんだから」

「そのいっぱいの内の、一つだけだからね?全部しようとしたら、僕の身がいくつあっても足りないから」

「ケチだな~、分かったよぉ。でも、いっぱいあり過ぎて決められないから、この話はまた今度ね。その時になったら、無理やりにでも付き合ってもらうから」


 僕とやりたいこと、それが何なのか気になるけど、その答えを知るには僕の身体は一つでは圧倒的に足りない。きっと、十や二十は必要になるだろう。


 とはいえ、その一つのやりたいことですら、僕の身には余るかもしれない。僕ではなくもっと活発的な誰かだったら、そう考えるけど、考えたくもなくなる。そんなことは想像もしたくない。文化祭の時にも感じた嫌な気配、それがまた陰を覗かせる。


「大崎くん?どうしたの?」


 彼女の声で我に返る。すぐ後ろに立っていたはずの陰も、今は姿を消している。確かにあったはずなのに、彼女の声一つで安堵している。一体、なぜ安堵しているのか。どうして、嫌な気配を感じたのか。その正体は分からないけど、目の前に彼女がいることにすごく落ち着く。


「いや、ちょっと考え事をしてただけ。神原さんが突拍子もないことをするんじゃないかって」

「それは……ふふん、どうだろうね?」


 そう言って、どこか得意気に笑顔を見せる彼女を見て、やはり安心している自分がいる。どうしてそう思うのか、この気持ちは一体何なのか。彼女といれば、いつか答えを見つけられるだろうか。


 ……


 彼女へのご褒美を決められず、自分の気持ちの正体も見つけられないまま三月も中旬になり、僕にとって最も忙しくなるであろう日を迎える。


 少しの緊張を感じながら、いつも通りを装って登校した僕は、似た雰囲気を纏う男子生徒たちを見て、かえって緊張が和らぐ。


 ちょうど先月に発生したチョコゾンビたちは、今度は渡す側に回り、違う意味で顔色が青くなっていた。そう、今日は先月の勝者にとっては緊張の日、ホワイトデーである。


「あ…お、おはよう、大崎くん」


 そんな、勝者も敗者も入り混じった昇降口で、僕に挨拶をする声が聞こえる。それは、聞いたことがある声だけど、聞き馴染んだ声ではない。


「おはよう、高橋さん。ちょうどよかった、これ、渡しておくよ。先月のお返しに」

「え…ば、バレンタインの?ありがとう。まさか、お返しをくれるとは思ってなかった…」

「貰ったからには返すよ。嫌いじゃなかったら食べてみて」

「う、うん。これは…マカロン?すごいね、手作りしたの?」

「まぁ、買ってもよかったんだけど、作ることにした。その方が、お返しとしては相応しいかと思って」

「そっか……」


 ふと、困ったように眉尻を下げる。何か、失礼なことを言ってしまっただろうか。もしかして、マカロンは嫌いだっただろうか。それとも、手作りというのが気味悪がられたのだろうか。思い当たりそうなことが次々と浮かび上がってくる。


「ありがとう、後で食べるね」


 というのは、僕の勘違いだったのかもしれない。彼女は笑ったかと思うと、僕を置いて先に教室へと行ってしまった。足早に階段を昇る姿を目で追いながら、ゆっくりと僕も後ろに続いた。


 教室に入ると、高橋さんは既に友達たちとのお喋りをしていたけど、その話題の方向が僕にも向いているのは、ちらちらと窺ってくる視線で何となく察した。神原さんと出会った当初、何かと噂されていたからか、変な察知能力を身に着けてしまったかもしれない。


 そんな視線には何も応えず、席に着く前に教室内を見渡して、同じクラスにもう三人いるお返しを渡す相手、その内の二人を探す。すると、僕の意図を理解しているのか、その二人が手を上げて居場所を僕に示していた。


「これ、お返しに」

「まーじか。まさかの、あんなへぼいチョコに手作りで返してくるとは。なんか申し訳ないわ」

「てか、すごくない!?マカロン手作りって、マジ女子力。流石は調理くん」


 と、驚かれつつも、素直に受け取ってくれた。僕が戻ろうとした目の前で、早速ほおばる姿には今度は僕が驚いた。でも、美味しいと言葉を零したから、作った甲斐があったと思った。同時に、少し自信を持てた。これなら、彼女にも渡せると。


 そして、残りの一人にも渡しておこうかと思ったけど、それは叶わなかった。彼女は、遅刻ギリギリ、始業のチャイムが鳴ると同時に教室に滑り込んできた。寒さの和らいだこの季節に、一番に汗を浮かべながら。


 ……


小野(おの)さん、これ」


 長引いたHRから続けて一限目が始まったため、渡せたのは一限跨いだ休み時間となった。こうなっては放課後でもいいかとも思ったけど、放課後は神原さんと秋希(あき)ちゃん、市井(いちい)さんにも渡さなきゃいけない。それに、秋希ちゃんと市井さんにいたっては、むこうの中学校に僕が出向く約束になっている。すぐに終わるとはいえ、早く行けるに越したことはない。


「お、ありがとー。やっぱ手作りかぁ。めちゃ綺麗だし、なんかへこむわ~」

「綺麗なのは上手くできたのを選んだから。普通に失敗もしたよ」

「ほーん、意外だね。んで、なんでマカロン?何か理由でも?」

「………いや、別に」

「誤魔化すの下手かよ。どうせあれでしょ、春留がマカロン好きとか言ったんじゃないの?あの子お喋りだから。それに、あんたが自分からマカロンを選ぶとは思えないし」


 流石は親友。彼女を伝って僕の考えまで看破してきた。小野さんの言う通りだ。僕がマカロンを作ろうと思ったのは、以前に彼女が好きだと言っていたから。単純にも、僕はその言葉を鵜呑みにした。


 それに、奇しくも、彼女の読み通りにあの時の会話が今に繋がっている。何の役にも立たないと思っていたのに、僕の考えはまるで的外れだった。これでは、彼女にも何やら揶揄われてしまうかもしれない。ニヤニヤと頬を上げる姿が目に浮かぶ。


「で、その春留には渡したの?」

「いや、まだ。神原さんに倣って、僕も放課後に渡そうかと」

「拷問だね、そりゃ」

「どうして?」

「だって、あの子がどれだけ楽しみにしてるか知ってる?今頃、今か今かと待ちわびてるさ。きっと、授業にもほとんど集中できてないだろうね。元からかもしれないけど」

「そこまでかな?大したことでもないと思うけど」

「あんたにとってはそうでも、春留にとっては違う。ま、それはそれで楽しんでるんじゃない?本当に待てなかったら、飛び付いてきてるだろうし」


 確かに、彼女であればそれくらいはしそうなもの。であれば、今は別の楽しみ方を見出しているのだろう。


 ただ、本当に彼女は楽しみにしているのだろうか。僕がお返しを渡すだけなのに、一体、何をそんなに楽しみにしているのか。どうして、楽しみにしているのか。僕の持つ正体不明の逸る気持ちと同じものなのだろうか。


 どれだけ考えようとも答えが出ない。同じ疑問がぐるぐると繰り返されるだけ。だけど、同じであればいいな、とそう思う。


 頭を悩ませる僕を後目に、小野さんは早速一つ口に放り込む。食べやすいように小さめに作ったから、まるごと一つを口に入れてもいっぱいになることはないと思う。小さくするのには苦労したけど、その甲斐はあったと思う。何度かした失敗も、これなら報われるというもの。


 また一つ自信を持った僕は、いよいよ放課後へと挑む。例の如く、僕は先に昇降口を抜けた先で待つ。ほのかに暖かさを感じる風と共に何人もの人を見送っていると、一層の暖かさを纏った彼女が現れる。


 その名に相応しい笑顔の彼女が近づくにつれ、僕は体温が高くなるのを感じる。それは、彼女の放つ暖かさの所為か。それとも、僕が緊張しているのだろうか。


「お待たせ!君の方が早かったね」

「僕が呼び出したんだから当然だよ。じゃあ、これ、お返しに」

「早速だね。私としては、もうちょっと世間話でもって思ってたけど。君は、そういうタイプじゃないか」


 確かに、僕は人と話すのが得意ではない。できるなら、話す機会は少ない方がいいとまで思っている。だけど、今はそうじゃない。叶うなら、彼女とまだ話していたいと思う。でも、一体何を話せばいいのかが分からない。


 一瞬の内に、僕の考えの中で矛盾が生じる。


 誰とも話したくないと思う自分と、彼女とは話していたいと思う自分。相反する二つの思いは、どちらに寄ることもできずに居場所を見失ってしまう。


「ね、食べていい?君の作ったものって、オムライス以来だよね」

「どうぞ」

「やった!…っと、その前にちゃんと手拭かないと」


 そう言って取り出したのは、先月も見たお手拭きシート。今日のことを見越していたのか、それとも片づけ忘れていたのか。どちらにせよ、ここで食べる準備は万全のようだ。


「いただきまーす。……ん!やっぱり美味しい!」

「そっか、それならよかった」

「君はあれだね、将来は料理人もありだね!パティシエってのもいいかも」

「どっちも無理だよ。そこまでの自信はないから」

「いけると思うけどな~。少なくとも、私は毎日のように通うよ!」

「是非とも、迷惑になるからやめてほしいね」


 なんて、あり得ない未来について、饒舌に語ってしまう。そもそも、僕が料理人になったとしても、その時まで彼女と交流があるとは思えない。その未来もまた、想像できない。


 でも、隣でもう一つマカロンをつまむ彼女が、次に見せる表情であれば想像できる。


「もう一つたーべよ。…ん~!」


 目を輝かせ、頬を紅潮させ、緩み切った表情を見せる彼女に、自然と僕も頬が緩む。そのことに気づいたのは、彼女に指摘されてからだけど。


「あ!君が笑ってるとこ初めて見たかも。案外、尽くすして喜ぶタイプだったり?」

「……僕、笑ってたかな?」

「笑ってたよ!にひひ、私まで嬉しくなっちゃうよ」

「そう…なんだ」


 僕が笑うと彼女が嬉しくなるのは分からないけど、僕は笑っていたらしい。どうして、彼女を見ているだけで僕の頬も緩むのだろうか。


「じゃあ、僕は行くよ。また、明日」


 何も分からないけど、この場への居た堪れなさから、僕は逃げるように回れ右をする。


「一緒に帰ろうよ。それとも、何か用事でもあるの?」

「これから、秋希ちゃんにも渡しに行くから。むこうの中学校まで行くつもりで」

「じゃあ、私も行く」

「え、いや…でも、渡すだけだよ?それで終わり。わざわざ遠回りする必要はなくない?」

「…冗談。じゃ、私は美月(みつき)と帰るから。またね、大崎くん!」


 一体、何のための冗談だったのか。それもまた分からないまま、彼女は校舎の中へと再び消えていった。


 昇降口で脱いだ靴が下駄箱には入らずにそのままなのを見て、実に彼女らしいと思い、また口角が上がる。今度は、自分でもはっきりと分かった。


 僕はスマホを取り出して、今から行く旨を秋希ちゃんに伝えて、少し早歩きでその場を後にした。


 ……


 二十分弱かかって到着した中学校の校門は、当然ながら人の行き来は疎らだった。それでも、スマホを取り出し、再び秋希ちゃんに連絡を取る間も、好奇の視線はいくつも向けられた。高校生が一人、校門の前で立ち尽くしているのだから当然といえば当然である。


 人の視線を集めなくなって久しいので、この感覚はどうにも慣れない。数日続けば話は別だけど、数分では慣れようもない。神原さんと関わり始めた頃を思い出す。あの頃は、常に誰かしらから見られていた気がする。今となっては、何もなければ見られることはないけど。


 そんなことを思っていると、遠くから小走りでやって来る姿が二つ。その内の一つは、何とも元気そうに手を大きく振っている。それに合わせて小さく手を振り返すと、これまた一層大きく振り返される。周囲の何人かは、視線を行き来させている。


「お待たせしました」

「またまたお久しぶりです、大崎さん」

「僕の方こそ、待たせてごめんね。ちょっと、むこうを出るのが遅くなって」

「いえ、構いません。私たちより、お姉ちゃんとの時間の方が大事ですから」

「そうですよ!春留先輩の方が大事です。でも、秋希ちゃんも大事にしてあげてください!」

「ちぃちゃん、余計なこと言わないでください」


 いつものように…というべきか、二人は仲良く言い合いになってしまう。あの秋希ちゃんがここまで口数を多くするくらいに、市井さんとの仲が良いらしい。とはいえ、このまま続けられても困る。ここは一先ず、仲裁に入ろう。


「二人とも、ここじゃあ迷惑になるから移動しよう」


 僕の提案には大人しく従うものの、移動を始めても収まらず、近くの公園に着いてもなお、まだ続いていた。僕としては、一体何についてそんなに言い合っているのか、それが分からなかった。


 それは本人たちにも分かっていないのか、次第に話題は移ろいで、僕が二人を訪ねた理由へと戻る。


「ちぃちゃん、こんなことを言っている場合ではありません」

「そうだった。このままじゃあ、大崎さんに来てもらったのが無駄骨になっちゃう」

「最悪、物だけ置いて帰るからいいけど」

「ダメですよ。そんなことはあたしが許しません!」

「じゃあ、はい。そうなる前に渡しておくよ」


 市井さんがいらぬことを言って、また言い合いになる前に用事を済ませる。これであれば、話題が逸れて言い合いになることもないだろう。


「ありがとうございます」

「わぁ~!ありがとうございます!…って、これはまさか、マカロンですか?」

「そうだけど……何かダメだった?」

「あたし的にはダメですね。ちょっと重いです」

「重い…?」


 重いとはどういう意味だろうか。その年で胃もたれするわけでもなければ、その量で胸焼けするわけでもあるまい。単純な質量なわけもない。一体、何が重いのだろうか。


「花言葉のように、贈るお菓子にも意味があるんですよ。それが、あたしにとっては少し重いって話です」

「そうは言っても、どういう意味も何もないけどね。そもそも、知らずに作ったわけだし」

「あたし的にはって話です。他の人にとっては、嬉しいことかもしれません」

「まぁ、喜んでくれたらいいけど。ていうか、よく知ってるね、お菓子の意味なんて」

「女の子の嗜みですよ。誰でも知ってます」


 誰でも知っているということなので、本当なのかという視線を秋希ちゃんに送ってみると、首を横に振った。どうやら、女の子の嗜みではないらしい。


「ま、それはいいとして。早速一つ、いただきまーす!」


 肝心の意味は教えてくれないらしく、興味は僕の渡したお菓子そのものへと移っていった。封を開けて、一つ口へと放り込む。


「お!美味しいです、これ!秋希ちゃんも食べてみて!」

「え、うん…。じゃあ、いただきます」


 続けて秋希ちゃんも一つ。二つ目を食べる市井さんとは違い、ゆっくりと咀嚼する。元より表情の変化が穏やかなのもあって、喜んでくれているのかが分からない。そんな僕の心情は顔に出ていたのか、秋希ちゃんが汲み取ってくれたのか、ちゃんと言葉にしてくれる。


「美味しいです、とても。さすがは大崎くんです」

「ありがとう。そう言ってもらえて何よりだよ」


 最後の最後で不評を買ったらどうしようかと思っていたけど、そんなことはなかった。市井さんの言ったお菓子の意味はともかく、出来に関して問題はなかった。これで、僕にとっての難所はくぐり抜けられた。


 さて、後に残るのは、先日行われた学年末テストの結果のみ。それが返され、諸々の結果が出揃えば、晴れて春休みを迎えるだろう。あくまでも、結果が良い方に傾いていればの話だけど。


 ……


 それから数日。緊迫した空気が少しだけぶり返して来た頃。そんな空気を和らげるように、気温が高まり、上着を着ていると暑さを感じるほどに春が近づいていた。そして、その名を冠した彼女は、訪れる季節と同じかそれ以上に、とても彼女らしい楽し気な笑顔を浮かべていた。


 というのも、先日行われた学年末テストの結果が出たのだ。そして、その結果が予想以上に良かったらしい。どのくらい良かったかといえば、放課後になってすぐに僕の元を訪ねて報告に来るくらいには良かった。


 教室に入って来るなり、他に友達もいるであろうに、いの一番に僕に駆け寄って結果を見せてきた。確かに、前回よりも軒並み高得点なことは喜ばしいけど、わざわざそれを公衆の面前で晒すこともない。なにより、ほとんど消えていた僕への諸々の視線が再び刺さる。


 そんな周囲の様子なんて気にする素振りも見せず、彼女はテストの答案用紙を広げて、出来不出来について懇切丁寧に解説してくれる。だけど、このままでは何やら良くないことが起きそうな気がする。特に、なぜか女子の目が驚くほど怖い。


「神原さん、落ち着いて。復習するのは大事だけど、今はそんな場合じゃないと思う」

「……は!」


 僕の言葉の意味を汲み取ってくれたのか、素早く広げた答案用紙を纏めたかと思うと、今度は遠巻きに見ていた小野さんの方へと向かって行った。正確には、小野さんを含めた何人かの女子グループに。


「みんなー!見てみて、今までにない高得点だよ!」

「ちょ、なんでこっち来るわけ!?そういうのは、あいつに褒めてもらいなさいよ!」

「大崎くんにも、後でちゃーんと言うよ!今は皆に報告に来たの」

「はいはい、報告という名の自慢ね。えらいえらい、中学の時とは見違えて成長してる」

「ふっふっふ~。そうでしょう、そうでしょう!」


 なんとも鼻高々にしている彼女だけど、どうやらあれが終われば僕の元へと戻って来るらしい。でも、それは勘弁してほしい。この教室内において、今や僕は格好の餌食になりかねない。


 そうなる前に、僕は退散させてもらう。急いで鞄に必要なものを詰め込んで、足早に教室を後にする。彼女たちが話に夢中になっている間に、僕はこの窮地を脱する。僕にも自慢したがっていた彼女には悪いけど、その機会は今度に預けておいてほしい。今この場でなければ、その努力を褒め称えることは惜しまない。


 だけど、今はできない。高まった自意識が生み出す妄想のストーカーから逃げるように、僕は帰路を急行した。


 ……


「私は今、とても怒っています!」


 開口一番、神原さんが不満を露わにする。


 三年生の卒業式、在校生の学年末テスト。今年度における最後の行事が終わり、修了式までの無為な時間が流れ、校内に春休みを早く望む声が囁かれ始めた頃。


 彼女もそういった不満を口にするのかと思っていたら、出てきたのは僕に対するものだった。


「昨日、どうしてさっさと帰っちゃうかな!?私は君に用があったのに!」

「いやだって、神原さんは他の人と話してたし。なにより、あの場の空気に居た堪れなくて」

「それなら、違うところで待っててくれてもよかったじゃん!」

「そんな約束しなかったから…」

「むぅ~…」


 理解はしているけど納得はしていない、そんな顔で睨みつけてくる。多少、理不尽な物言いだとは思っているけど、事実として彼女はとても頑張った。おそらく、僕が見ていないところでも努力を怠らなかったのだと思う。


 だから、そんな彼女を称えつつ、かねてより約束していたご褒美について聞いてみよう。テストのことで頭がいっぱいだった時とは違い、今ならすんなりと思いつくかもしれない。


「神原さんが頑張ったのはよく分かった。でも、それはそうと、前も聞いたご褒美のこと、何か思いついた?」

「それね~…思いついたんだけど…」

「何か問題が?」


 彼女にしては、どうに歯切れが悪い。何かよからぬことでも言うつもりなのだろうか。いや、彼女に限ってそれはないか。


「問題っていうか…、まだ出来ないから困ってるって感じかな~」

「まだ出来ない…それって、なに?」

「言わなーいよ!言ったら面白くないもん。サプライズって大事でしょ?」

「いつくらいに出来るかは分かる?一応、僕にも予定があるから」

「私の予想では、修了式の日かな。だから、その日の放課後に一緒に行こうね?」

「それ、次の日から春休みだよね?休みになってからじゃダメなの?」

「ダメってわけじゃないけど、その日がいいなって。ちょうど、一番きれいな時だと思うから」


 なんとなく、僕の勘違いかもしれないけど、彼女のしたいことが分かった気がする。そしてそれは、僕には毒になりえるかもしれなくて、どうしても避けたいもの。


 だけど、そう思う気持ちとは逆に、見てみたいとも思った。それが僕一人ではなく、隣に彼女がいればどう思うのか。僕が積み重ねてきた感情を、彼女が変えてくれるのではないか。そんな期待のようなものがある。


 だから、それが僕にとって忌避したいものであっても、水を差すようなことは言わない。それにどうしてか、そうすることで僕の中にある気持ちの正体が分かる気がした。いつからか、彼女に向き始めた気持ち。最初に抱いたそれとは違って感じる気持ちの正体、それを知りたいと思った。


 まったくもって何の根拠もない気まぐれのような考え。そうすることで本当に分かるという保証なんてないのに。どうしてか、そんな確信めいたものがある。


「で、いいよね?よくないって言っても連れてくけど」

「いいよ。僕に拒否権がないのは知ってるし」


 何より、僕に拒否する気がない。彼女と出会う前の、十月以前の僕では考えられなかっただろう。今この時ですら、本当に自分のことなのかと疑いたくなる。でも、現実だ。現実で、事実で、嘘じゃない。


 僕は、ずっと踏み出せなかった一歩を踏み出そうとしている気がする。嫌っていたものに近づき、言いたくも聞かれたくもなかったことを伝える。そんな変化を遂げようとしている。出来るかどうかは分からない。けど、しようとしている自分に驚いている。


「じゃあ、約束ね。絶対、ぜーったいだから!」


 きっと、ハルのように強引な暖かさに絆されたのだろう。だから、僕は期待してしまう。彼女であれば僕を否定したりしないと。


 僕のことを知ってもなお、変わらずにいてくれると。

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