表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

ハル、訪れた一週間(その二)


 ハルとの邂逅から今日で三日。今日も彼女は、その名の通りの暖かさを周囲に振りまいている。


 機械的に靴の入れ替えを行っている僕にも、その熱はやって来る。


大崎(おおさき)くんも、おっはよ!」

「おはよう、神原(かんばら)さん。神原さんって本当に……」


 誰でも抱くであろう今の彼女の印象。それを口にしようとしたが、そうはしなかった。というのも、彼女が連れてきたのは何も春のような暖かさだけではなかったから。


「じゃあ、また放課後にでも」

「え?ちょっと、大崎くん?!」


 あまりにも短い挨拶だけをして、僕は彼女から離れる。


 僕にとって彼女は特別だ、様々な意味で。でも、彼女からしてみれば僕は数多くいる友人の一人…いや、それにすらなれていないかもしれない。


 さっさと教室へ向かう僕の後ろ、彼女の周りには多くの友人が挨拶を返している。そんな輪の中に僕の居場所はない。僕が混ざろうものなら、その輪はたちまち崩れてしまうだろう。


 僕という異質を本来であれば誰も招かない。だけど、彼女だけは違った。こんな崩壊因子のような僕を、彼女は呼んだ。それに甘んじて輪に入り壊してしまったら、その報いは彼女だけでなく僕にも及ぶだろう。


 そんなのは御免だ。彼女が自分で蒔いた種で彼女自身がどうこうなるのは勝手だが、僕まで面倒を被るなんて絶対にお断りだ。


 彼女が一人であれば、その心配もない。だから、挨拶も何もかも放課後にでもすればいい。それであれば、彼女の隣に並ぶ者たちから鋭い視線を向けられることもない。


 ないのだが、邂逅とは得てして自身ではどうにもできないものだ。


 ……


 彼女の吹く風で多少の砂埃が舞った朝を超え、昼休みを迎えるまで僕は真面目に勉強と向き合った。


 そのため、僕の体は四限目の授業の終了を告げるチャイムと同時に空腹を知らせる。


 運動で体を動かしたわけではないが、その分を脳のリソースに割いているため、こうしてお腹は空く。意識して脳を働かせてはいないけど。


 そんなわけで、持参したお弁当を取り出してから、あることに気づく。


「飲み物がない…」


 用意してくるのを忘れていた。いつもなら水筒を持ち歩いているが、今日はそれがない。思えば、いつもより少しばかり鞄が軽かったのはその所為か。


 仕方ない、と心の中で今朝の自分に呆れつつ、水筒の替わりに財布を取り出し、学校備え付けの自販機の元へと向かう。


 財布を片手に何を買おうか考えながら歩いていると、特別教室のある別棟から会いたくなかった人物が走ってくる。この季節に、分かりやすく頬に汗を浮かべながら。


 いくら走ってきたとはいえ、それだけでこんな状態になるのだろうか。よほど代謝が良いのか、それとも他に何か理由でもあるのか。仮にあるのだとしても、僕にはそれを知る由もなければ、興味もない。


「ぁ……」

「……」


 授業終わりなのだろう、教科書やノートを胸に抱えた神原さんは、僕を見定めると短く声を上げる。立ち止まったかと思えば、心底ばつの悪そうな顔をする。


「あー…えへへ…」


 彼女のことだ、僕から聞かずとも勝手に何があったと話すと思っていた。でも、どういう意図なのか全く理解できない曖昧な微笑みを一つ残して、彼女は僕の前から駆け足で去っていった。


 あの微笑みの意味も、彼女が一人でいる理由も、何も分からないまま、彼女の背中は階段へと消えた。


「よほど、お腹が空いているのか」


 分からないから、あり得そうな理由を考えて納得しておく。今の僕にとっては、今日のお弁当に合わせる飲み物のほうが大事だ。


 ……


 無難にお茶を選び、それと共に綺麗に弁当を完食し、午後の授業も無事に受け、迎えた放課後。


 部活やら遊びやらで教室を出ていく大勢を見送りながら、のろのろと使った教科書たちを鞄に詰め込む。


 教室に残るのが駄弁る人たちだけになった頃合いを見て、僕は席を立つ。昨日とは違い、神原さんが教室に押しかけてこないのは僕の注意が効いたのか、それとも他に何か理由があるのか。できれば前者であってほしい。


 そんな彼女を僕が甲斐甲斐しく待つわけもなく、今日も一人で図書室を訪れる。


 人の流れが落ち着いてから席をたったのもあって、既にいくつかの席は埋まっていた。皆一様に勉強をしているというわけではなく、借りた本を読む者、何やら作業の場にしている者、用途は様々だ。


 揃っていることといえば、全員が行儀よく静かにしていること。もちろん、僕もその例には漏れない。図書室では静かに、これは壁に貼られている注意書きにも書いてある。


 ただし、僕の目の前に座る彼女は例外だ。この場合は悪い意味で、彼女は期待を裏切らない。


「いや~、参ったよ。私はすぐにでも図書室に行きたかったんだけどね、皆して行かしてくれないの。やっとのことで解放されたら大崎くんは教室にいないし。ちょ~っとくらいは私を待ってくれてもいいんじゃないかな?」

「……」

「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてない」

「聞いてるじゃーん!」


 今更ながら少し後悔している。どうしてあの時の僕は、彼女の申し出を断らなかったのか。いや、こんな未来を知っていたら断っていた。でも、未来なんて知り得ないのだから、断ることなんてできない。後悔先に立たずとはこのこと。


「はぁ……見ての通り、僕は今勉強をしてる。神原さんもそうするならともかく、しないなら僕の邪魔をしないでくれないかな」

「えぇ~、私はぁ~?勉強よりぃ~、大崎くんとお喋りがしたいなぁ~?」

「……」


 僕は始めたばかりの勉強もそこそこに教科書からノートまで広げていた一切を閉じる。出していたペンケースも全て、鞄に放り込んで席を立つ。


 いつもの態度ならまだしも、バカみたいにぶりっ子した別人の彼女に嫌気がさした。故意に上擦らせた声に、身の毛がよだつほどの寒気を感じた。


「あ、あれ?どこ行くの?」

「いつまでも邪魔が入るようだから、今日のところは止めにする」


 できる限り会話のボリュームを下げながら、音を立てないように静かに図書室を出る。


 その後を、彼女もついてくる。開いたままのドアに、勢いよくぶつかり奇声を上げるというお茶目を見せながら。


「待って!なんで置いてくの~」

「待つ理由がないからね」

「どっか行くんでしょ?じゃあ、一緒に行こうよ」

「どこにも行かない。家に帰るだけ」

「でもでも、勉強勉強って言ってる大崎くんが勉強しないのなら、遊びにでも行くんじゃないの?」

「……」


 その発言に僕は足を止める。それに遅れて反応した彼女は、数歩前に進む。


「ん?どうしたの?行かないの?」

「神原さんは、どうして僕が図書室を出たか分かる?」

「遊びに行くんでしょ?」

「そんなわけないだろ…」


 冗談であってほしいけど、絶対に冗談ではない。本当に本気で、僕が突然遊びに行く気になったと思っている。やっぱり、彼女の頭のネジは抜けているようだ。


「じゃあ、戻るの?せっかく、ここまで来たならもう行こうよ。私が連れて行ってあげるから。たまには息抜きも必要だと思うよ、ね?」


 彼女の言い分はもっともだ。効率的に物事を進めるなら、ある程度の休息は必要だと思う。


 でもだからって、どうして二人で行こうという考えになるのか。さっきから僕は勉強したいと口にしているにも関わらず、彼女の察しの悪さ…というよりは、頭の悪さが遺憾なく発揮されている。


「息抜きが必要なのはその通りだと思う」

「だよね!じゃあ──」

「でも、僕は僕で個人的な用事を思い出したから。じゃあ、また」


 少し先で振り返っていた彼女を追い越し、そのまま昇降口を通過し、校門を出て、いつもの帰り道に入る。


 だが、いつもとは明らかに違う要素が僕の後ろからついてきている。


「神原さん、帰り道こっちなの?」

「ううん。逆ってほどでもないけど、違うかな」

「じゃあ、素直に帰りなよ。今日はもう勉強しようなんて言わないから」

「でもでも、用事があるんでしょ?私も付き合うよ」


 頼んでいない、頼もうともしていない。それなのに、まるでそうするのが当然のような態度でついてこようとする。


()()()()用事って言ったよね?神原さんには関係ないんだけど」

「まぁまぁ、そうつれないこと言わないで。邪魔はしないから」

「……」


 絶対に嘘だ。彼女が大人しくしているとは思えない。そもそも、ついてくる時点で大人しくない。この二日の彼女の言動を見ていれば、どうなるかくらいの予想はつく。


 だが、僕がどれだけ言っても、彼女は引き下がらない。


 結局、僕の用事、それを果たす場所までついてきた。


「用事ってスーパー?ここでバイトでもしてるの?」

「まさか。バイトは別の場所だよ。スーパーに来る理由なんて、一つくらいでしょ」


 スーパーに来て、始めに出てくるのがバイトとは。その可能性もあり得るけど、一番は買い物ではないだろうか。


「買い物するの?大崎くんが?」

「そりゃあするよ。しなきゃ食べる物がないからね」

「へぇ~」

「僕の用事が何か分かったなら、もう帰ったら?これ以上ついてきても、面白いことなんてないよ」

「まぁまぁ、そう言わずに。一人より二人の方が楽しいでしょ?」

「僕はスーパーに楽しさを求めてないけどね」


 アミューズメント施設じゃないんだから、楽しさなんていう曖昧のものではなく、もっと形のあるものを求めてる。遊ぶ場所なんてないんだし。


「はいはい、行くよ~。かご持って~」


 なぜか、用のないはずの彼女が先導して店の中へと入っていく。浮かれているように見えるのは気のせいだろうか。彼女が浮かれる理由なんてないと思うけど。


 店に入って、まず初めに見えてきたのはお惣菜コーナー。既に出来上がった料理たちがこれでもかと並んでいる。


 そんな惣菜の羅列に、目を輝かせている者が一人。


「わぁ~、どれもおいしそうだね~。大崎くん、どれ買うの?あ、私のおすすめはこれ!」


 と、聞いてもいない彼女の好みを聞かされる。何やら揚げ物の内の一つを指している。まぁ、定番といえば定番かもしれないけど、揚げ物コーナーを含め惣菜には足を止めない。


「あれ?買わないの?晩ご飯を買いに来たんじゃないの?」

「そうだよ。だから、向こうに行く」


 僕はさらに奥、精肉コーナーへと向かう。


「もしかして…自分で作るの?」

「そうだけど。そんなに意外?」

「まぁ、あんまり想像つかないかな」


 彼女の想像がどうであれ、僕は料理を作る。惣菜に頼ることがないわけではないが、どうしてか今日は早く学校を出たため時間がある。本当にどうしてなんだろうか。その理由は僕の隣を歩く人にある気がする。


「ちなみに、なに作るの?もう決まってる?」


 これでもかと並ぶ肉たちを眺めながら献立について考えるも、これといって具体的なものは浮かばない。


「決まってないかな。冷蔵庫に余ってる野菜を朧気にしか覚えてないから」

「じゃあじゃあ!私がリクエストしてもいーい?」

「……どういうこと?」

「どういうって、そのままの意味だけど?」

「だから、なんで神原さんがリクエストを?それって神原さんも食べるってこと?」

「……あ、そうだね」


 何拍かの後、その事実に思い至りつつ肯定した。いや、肯定したらダメだろ。


「そうだね、じゃないよ。その警戒心のなさは危ういと思うよ」

「他の人にはこんなこと言ったりしないよ。皆、自分で料理なんてしないから、私も含めて」


 僕のような人間が少数ということか。普通は、親に作ってもらうのだろう。僕は自分でするしかないからだけど。


「他の人は関係ない。神原さん的に、他人の家に上がるのはいいのかって話」

「もちろん!大崎くんはダメなの?」

「……」


 彼女には本当に警戒心というものがないのか。もしくは、日常的に友人宅へとお邪魔しているから、感覚が僕とは違うのかもしれない。


「お願い!今回だけだから。あと、材料費は割り勘にするから」

「……はぁ、わかったよ。でも、どうなろうとも文句は言わないでほしい」

「大丈夫!好き嫌いはないから!」


 僕が言いたいのはそういうことではないのだが…。彼女の食い下がる態度、余りがちな食材を消費できるうえに費用は折半。まぁ、ぎりぎり許容範囲内か。


「それでそれで?なに作るの?」

「何にしようか…。帰ってから考えてもいいんだけど」

「あ、割り勘って言っても私のお小遣いはそんなに多くないから、あんまり高いのは~…」

「分かってるよ。別に、この機に高級食材に手を出したりはしない。それに、僕は生活に困るほど切羽詰まってないから」


 僕の言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろしている。僕はそんなにがめつく見えるだろうか。むしろ、彼女とは距離を置いている。そうは見えないはずだけど。


「そういえば、さっきバイトしてるって言ってたっけ?どこでしてるの?この近く?」

「ここから少し行ったところにある弁当屋」

「ほへぇ~、偉いね。あ、だから料理もできるんだ。そこで教えてもらってるんでしょ?」

「そんな感じ」


 バイト先様様だ。その教えをありがたく享受している。もはや、料理の腕に関しては困ることはない。


「神原さん、オムライスは好き?」


 そんな鍛えた腕前を活かせるように、作ったことのあるものにしよう。せっかく振る舞うのなら、美味しいものを作りたい。そのついでに彼女の好きなものであれば、なおいいだろう。


「オムライス!作ってくれるの!?好き好き!大好きだよ!オムライスは皆好きでしょ!」

「じゃあ、それにしよう。ちょうど、冷蔵庫に卵があるのを思い出したし」

「やった!楽しみにしてるね」


 今晩の献立が決まったところで、それに必要な分と数日分の食料を買い、()()()は家に向かった。


 スーパーを出た帰り道。漫才師のようにしゃべり続ける彼女の話に聞き耳を立てながら、時折相槌を打った。それでも、隣を歩く人の存在にいつまでも慣れず、どこまでも居心地が悪かった。


 ……


「はえ~、すごいね。大崎くんってこんなマンションに住んでるんだ。意外とお金持ち?」

「貧乏ではないだろうね」


 セキュリティ、利便性、あらゆる点で優れているこの賃貸マンションの一室を借りられているのだから、両親には感謝しないと。


「ちなみに、何階?もしかして最上階だったりする?」


 エレベーターに乗り込むなり、ずらっと並んだ階数ボタンに手を伸ばしている。エレベーターくらい乗ったことあるだろうに、何をそんなに興奮しているのか。


「残念だけど、その五階下。十階だよ」

「う~ん、一番上じゃないのはちょっと残念だけど、でも上の方だね」


 10のボタンが点灯して、エレベーターが動きだす。やはり、なぜか彼女の背中はわくわくしている。


「そういえば、一つ聞いておきたいんだけど」


 そろそろ十階に着く頃、彼女が興奮は治まった様子で口を開く。


「大崎くんのご両親って、怖い人だったりする?」

「そんなことはないと思うけど、なんで?」


 どうして、ここへきて僕の両親のことを聞いてくるのか。今から会う訳でもないというのに、気になることでもあるのか。


「ほら、挨拶に失敗して、その後気まずくなったら嫌だからさぁ。第一印象って大事でしょ?」

「僕の親はそんなことを気にするタイプじゃないと思うよ。まぁ、そもそも挨拶も何もないけどね」

「どうして?挨拶はしなきゃ」


 ポケットから家の鍵を取り出し、鍵穴を回す。ドアノブを捻り、重み以外の抵抗がなくなったドアを開く。そこで、僕にとっては改めて、という気持ちで口にする。


「僕、一人暮らしだし」

「……え?」

「え?」


 すっとんきょうな顔をして、全ての動きが止まる。


 ドアを開く動作も、浮足立っていたその体も、思考と共に全てが停止する。


「一人…暮らし…?」

「言ってなかったっけ?」

「言ってないよ!初めて聞いた!え、じゃあ、家の中には……誰も?」

「いないね。誰も」

「……」


 彼女の目が泳ぐ。これ以上ないくらいにはっきりと。何か言葉を返そうと考えを巡らせるが、ほとんど形にはならず、僅かに漏れるだけ。


 スーパーでの彼女の食い下がる態度に、今になって納得する。彼女は、僕が一人暮らしとは知らなかったから親がいると思い込んでいた。だから、いくら僕が確認しても引き下がらなかったわけだ。


 警戒心がなかったわけじゃない、警戒しなくていいと思っていたんだ。まさか、今から向かう家に誰もいないとは思っていなかったから。二人きりになるとは思っていなかったから。


「これに関しては僕が悪かった。本当にごめん」

「あ、いや…別に…全然…」

「さすがに男が一人暮らししている家には入れないだろうし、家まで送るよ。今回のお詫びってわけじゃないけど」


 せっかく買って来た食材が無駄になるかもしれないのは残念だけど、彼女が警戒心のない人じゃないようでよかった。僕の勘違いに、彼女を巻き込んでしまっただけらしい。


「お、お、お……」

「お?」

「お詫び…なら、い…今からオムライス…作ってください…」


 聞き間違いだろうか。じゃないとしたら、今聞いたことを理解していないのか?ここには僕一人だって言ったのに。それを教えていなかったお詫びに、その家で料理を作って欲しいって。どうして、そうなるんだ…。あまりに矛盾している。


 顔を真っ赤にして言ってるあたり、自分の発言を理解している。だとしたら、本当になんで…


「だから、それがマズイって話をしたつもりなんだけど」

「あ!い、急いで中に入って!」

「え?ちょっ!」


 そんな問答を始めようとしたところで、彼女がいきなり自分ごと玄関へと押し込む。


 あまりに唐突なことだったため、僕はバランスを保てず床に尻もちをつく。


「いって……急になにして…」

「ご、ごめんね?でも、エレベーターから人が来て」

「そりゃあ、人くらい来るよ。他にも住んでる人はいるんだから」


 至極当たり前なことを言うと、僕の正面、つまり彼女の背後で「カチャリ」と、おそらく鍵の締まる音がする。


「今、なにした?」

「鍵締めた」

「いや、なんで?そもそも、中に入る必要ないでしょ」

「いつまでも通路で話してたら迷惑だから」

「はぁ……そんなことして、困るのは神原さんの方だと思うけど?」


 僕は座ったままの姿勢で、この状況を変えられないかと、懇々と説いてみる。


「この状況で僕がなにかするかもしれない、それくらいの想像はつくよね?そうなったら、神原さんは大声を出して助けを呼べる?」


 僕は何も追い返そうと思っているわけではない。ただ、この状況が良くないから変えたいだけ。僕の勘違いが招いたとはいえ、それでもなおこうして立ち入る彼女の考えが分からず、危ういと思った。


 だから、その可能性はないと思うけど万が一の時、彼女が行動に移せるのかを確認しておきたい。


「き…きゃぁー……ぁぁぁ……」


 と思ったのだが、聞こえてきたのは悲鳴…とは言い難い、なんとも気の抜けた小さな声。これでは、隣の部屋はおろか、すぐ後ろの通路にすら届かないだろう。


 その全く危機感を感じない声を聞いて、僕の頭は急速に冷える。冷えたことで自分の行動を改めて認識する。


「はぁ……、なんか気が抜けた」

「あれ…?なんか…ごめんね?」

「いや、謝るのは僕の方だ。ごめん、熱くなってたとはいえ言い過ぎた」

「大崎くんは、私を襲ったりしないってこと?」

「そんな度胸も甲斐性もないよ。あれば、僕は一人で図書室にいないだろうから」

「そっか。よかったね…?」


 なにがいいのか、そしてなぜ言った本人が首を傾げているのか。


 頭の熱が冷め、改めて彼女の問うてみる。


「それで、どうする?食べてく?」

「もちろん!でも、襲ったりしないでね?今度は本当におっきな声出すから!」

「しないって。できるわけがない…」


 結局、当初の予定通り、彼女にご飯を作ることとなった。


 ……


 作ることになったはいいものの、当の僕はというと…ついさっきの出来事をまだ引きずっていて、料理に集中できていない。


 それに加えて、作るところを間近で見たいと、キッチンには僕の他に神原さんまで立っている。彼女の中では過ぎたことなのか、にこやかな様子で作業を見ている。


「こんなの見てて楽しい?テレビでも見て、ゆっくりくつろいでくれたらいいんだけど」

「大丈夫。私が見たいから見てるの。それに、覚えれば私も作れるかもしれない」

「まぁ、そんなに難しくないから覚えれば……そういえば、オムライスのライスの部分はどうする?ケチャップライスか、バターライスって選択肢もあるけど」


 それを聞いて、目を瞬かせたかと思えば、今度は盛大にため息を吐いた。


「大崎くん」

「なに?」

「オムライスといえば、ケチャップライスでしょうが!それ以外はナンセンスだよ!ケチャップ一択!」


 鼻息まで荒くして熱く語っている。まさか、オムライスにそんな拘りがあったとは。彼女の中では譲れないものらしい。


「とは言っても、作るのは僕だけどね」

「まさか…大崎くん…そんなひどいこと……しないよね…?」

「しないよ。僕としても、ケチャップライスの方が好きだから」

「なーんだ、よかった」


 一瞬だけ絶望したかのように表情が暗くなったけど、本当に瞬きの内に元の明るい笑顔へと戻った。これだけ速いと幻だったのかと錯覚してしまう。


「あの、一ついいかな」

「なに?」

「見るのはいいんだけど、せめてカウンター越しにしてくれない?」

「ここじゃダメなの?」

「なんというか、ちょっと邪魔かな」

「!?」


 心外かのように驚いているけど、ここのキッチンは決して広くない。そんなところに二人も並んで立ったら、体がぶつかりそうだし、何かあった時に対処しきれないかもしれない。


「…わかった。じゃあ、こっちから見てる」


 ぐるりと、キッチンを回ってカウンターに頬杖をつく。見るからに不機嫌そうだけど、こればかりは仕方ない。この部屋のキッチンがもう少し広ければ、とは思う。


「それじゃあ作り始めるけど、工程を説明しながら作った方がいい?」

「う~ん、いいや。この一回では覚えられないと思うから、またお浚いしながら教えて?」

「まぁ、機会があれば」


 また、か。彼女が意識して言ったかは分からないけど、これでは二度目の料理を教える機会があるみたいに聞こえる。それだと、またこうして僕の家に彼女が来るわけで。それは、いい…のか?


 ……


 ここまで色々と問題があったものの、キッチンに立ち、いざ作り始めてしまえば、そう時間はかからなかった。


 何度か作ったことのある料理ということもあり、慣れた手つきで二人分のオムライスを完成させた。


 いい感じに半熟の卵のベールに包まれ、それを見た彼女は出会ってからこれまでで一番目を輝かせている。そんな見た目は完璧なオムライスに加え、それだけでは寂しいと思い、サラダとコンソメスープも追加で作ると、テーブルは意外と華やかに見える。


 そして、いざ実食。他人に振る舞うのは初めてで、やや緊張したが、その緊張の甲斐あってか見た目はとても良い。あとは味だが、オムライスマイスターである彼女のお眼鏡にかなうのか。


 とろとろの卵に包まったケチャップライスをスプーンにのせ、真剣な面持ちのまま口へと運ぶ。


 何も言わぬまま、咀嚼し飲み込む。


 あまりにも反応が薄い。僕の作ったオムライスはマイスター的には不満だったのかもしれない。


「大崎くん」

「はい」

「すっっっっっっごくおいしいよ!!本当に、本当においしい!!!」


 と、思ったのだが、どうやらお気に召してもらえたようだ。一転して、笑顔を咲かせながら二口、三口とスプーンを進める。


 これだけおいしそうに、嬉しそうに食べてもらえたら作った甲斐があったというもの。


「それはよかった。喜んでもらえてなによりだよ」


 喜ぶ彼女を横目に、僕も一口頬張る。


 うん、会心の出来と言っていいだろう。これには作った本人も満足だ。


 そんな過去一番の出来のオムライスたちを食べ進めながら、僕たちは話し続けた。僕たちといっても、ほとんど彼女が喋っていた。


 少し前までの気まずい空気も、この料理と彼女の話ですっかり忘れてしまった。


 食べ終わった後は、僕が食器を洗い、神原さんが水気をタオルで拭き取るという、なんともむず痒いことをした。片づけまでが僕の仕事だと思っていたが、されるがままなのを彼女が許さなかった。


 それからは、食後の小休憩としてお茶をゆっくりと啜りながら時間が流れた。その間も、彼女は喋り続けた。よく話題が尽きないものだな、と感心するほどに彼女の話は続く。それに加えて、話す話題全部を楽しそうに語る。まるで、彼女の人生を表すかのように。


 そうして時間は過ぎ、気がつくと部屋の外は暗くなっていた。いつもより早い時間に食べたとはいえ、段々と冬に向かっているこの季節、やはり日が沈むのも早くなっている。


「そろそろ帰ろうかな。こんな時間だし」


 手に持っていたコップの中身がなくなった頃合いで、彼女はそう言った。


「そうだね。あんまり遅くなっても親御さんが心配するだろうし」

「それは大丈夫だよ。ちゃんと友達と食べてくるって言ってあるから」

「その言い方だと、まるでどこかお店で食べるみたいな感じになるね」

「あ~…あはは…」


 事実として、そう受け取られるように伝えたのか。この誤魔化すような笑いはそういう意味だろう。


「じゃあ、家の近くまで送ってくよ。それなりに遠いんだよね?」

「え!?いいよいいよ!本当に遠いから往復なんてしたら大変だよ!」


 そう言うだろうとは思ったけど、こればかりは引き下がれない。友達のいない僕でも分かる、これは彼女を一人で帰してはいけないと。


「外、見える?」


 彼女を納得させるためなら、僕はどれだけでも言葉を尽くそう。僕の中では、彼女が拒もうとも見送る気でいる。その場合、僕はストーカーみたいになってしまうけど。


「見える、けど?」

「既に外は真っ暗。そんな中、遠いと自覚している距離を女子高生が一人で帰るつもり?それに、何かあっては僕の責任でもある。だから、その何かをなくすために僕は神原さんを家まで送る。これだけ言っても、まだ一人で帰るって言わないよね?」


 未だかつてないほどに、僕は言葉を捲し立てた。彼女との会話で、ここまで喋ったのは初めてだ。あまりの言葉の多さに、少し舌に痺れを感じる。でも、それだけ僕も譲れないということ。


「わ、わかったよぉ…。じゃあ、お願いします」


 ここは彼女が折れる形で、僕たちは家を出た。


 マンションのエントランスを出てからは、学校までの道のりを戻ることとなった。そこから、彼女の家に向かう。


 その道中、やはり話し始めるのは彼女の方で、僕はそれに短く答えるだけ。


「さすがに十月の夜ともなると寒いね~。大崎くん、帰りに風邪引かないように気を付けてね?」

「大丈夫だよ。神原さんこそ寒かったりしない?」

「私も大丈夫。今は心が暖かいからね!」

「心と体は別だと思うよ」


 その理論でいくと、僕の体は冷えてしまう気がする。彼女とは違い、僕の心はどれだけ着込んでも暖かくはならないだろうから。


「あ、大崎くん。コンビニあるよ!ちょっと寄ってかない?こういう日には温かいものが恋しくなるでしょ?」

「寄り道はしない。さっさと帰る」


 どこにでもあるコンビニを見つけてはしゃいでいるが、どうしてそんなに浮かれているのか分からないし、そんなことをしている時間も惜しい。


 いくら連絡してあるといっても、早く帰るに越したことはない。遅くなれば、親御さんも心配するだろう。


「ちぇ~、仕方ないかぁ」


 彼女にしては、珍しく物分かりがいい。普段からこうであったら今頃は勉強を……と思ったが、そんな彼女でなければ教えることもなければ、そもそも話すことすらなかったかもしれない。


 それから、彼女の家に着くまでの間、彼女の話はまたしても僕の作った料理の話になったり、最近の学校のトレンドだったりと、実に話題に絶えなかった。


 これも彼女の交友関係の広さ故だろう。人と話す機会の多い彼女であれば、その分だけ話題も貯まっていく。他の人の場合、その中から興味をそそられて、且つ知らない話題だったり、逆に共通の話題を選ぶ必要がある。だけど、相手が僕であればその必要がない。


 特に誰とも話さない僕であれば、ほとんどの話に新鮮味がある。あまり快い反応ができているとは言い難いが、それでも彼女の話は止まらない。正直、止める隙なんてものはない。ずっと彼女のターンというわけだ。


 それだけ話していれば、当然目的地は見えてくる。そのことに気づいた彼女は、この時間の終わりを感じ取る。


「あ~…いつの間にか着いちゃったね。早いな~、こんなに近かったんだね」

「そうでもないよ。神原さんはずっと話してたから、そう感じただけで」


 隣で聞いていた僕として、時間の流れはいたって正常だった。ただ、その時間は僕が一人でいるよりも、ずっと有意義な時間だったと思う。


「じゃあ、今日はありがとう。オムライス、とってもおいしかったよ!」

「そう。それなら作った甲斐があったよ」

「…また、明日。学校で…ね?」

「じゃあ、また。おやすみ」

「…うん。バイバイ」


 小さく手を振る彼女に応えるように、軽く手を上げて別れる。


 家に入るその最後に、もう一度振り返って手を振った彼女を見送ってから、僕は来た道を帰る。その道のりはとても静かだ。僕の隣には誰も、彼女もおらず、ただただ夜の静けさだけがあった。


 今日を振り返れば、また彼女のことでいっぱいだ。最初から最後までそうだったように思う。


 朝の挨拶も彼女から。昼休みも偶然だけど彼女に会った、ちょっと様子はおかしかったけど。そして、夕方から夜にかけても彼女がいた。


 でもまさか、知り合って三日目の人を、しかも女子を家にあげて、料理まで振る舞うとは思っても見なかった。結果的に、終始彼女が喜んでくれたからよかったけど、一時はどうなるかと。


 とはいえ、あれは僕の勘違いが招いた失態。彼女に非ははない。


 長かったような、短かったような、そんな一日の記憶にずっと彼女がいる。


「このままじゃあ、勉強に支障が出るな。帰ったら、復習してから寝よ」


 今日の記憶を勉強で上書きしてから、休むことにする。


 明日こそは、ゆっくりとあの場所で勉強できることを願う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ