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三度の珍しい出来事


 忙しなく感じた冬休みが終わり、進級が目前にまで迫った三学期が始まる。およそ二週間ぶりの学校は、どこか様変わりした雰囲気を感じる。その要因の一つは、まだ休みの空気を引き摺っている生徒が多くいるからだろう。そこかしこに見える彼らの顔には、一様に無気力さが張り付けられていた。


 だけど、そんな彼らとは正反対な様子で彼女は現れる。休みが明けの鬱屈とした空気を、暖かく包み込むように元気な挨拶をする彼女の声が、離れた場所で視線を向ける僕にも聞こえる。そして、それは当たり前のように僕の元へも届けられる。


「おはよう、大崎(おおさき)くん!昨日はありがとう、ほんとに助かったよ」

「おはよう、神原(かんばら)さん。元気に登校できたようで何よりだよ」


 本当に、誰よりも元気で実に彼女らしい。けど、ここに終わっていない宿題があったら、この元気はどうなっていたのだろうか。想像しづらいけど、愉快なことになっていたのではないかと思うと見てみたい気はする。


 とはいえ、今の彼女は宿題を無事に終わらせた無敵状態。そんな様子を見ることは叶わないだろう。もし、その機会があるとすれば、きっと夏休みの方が可能性は高いと思う。


「……」


 どうして、僕は今、当然のように彼女と夏休みを過ぎても共にいると考えたのだろうか。以前までの僕であればあり得ない考えだ。僕が、自分から彼女といることを望んでいるとでも言うのか。そんなことはあり得ない……と、一蹴することができないのは、なぜなのか。


 僕の中で何かが変わっている。そんな不明瞭で困惑する事実が、頭の隅から離れなくなる。確かに何かが変化している。でも、その正体は分からない。雲をつかむような、判然としないものだけが残る。


「大丈夫?大崎くん」


 突然に黙り込んだからだろう、神原さんが心配の声と共に僕の顔を覗き込んでくる。僕を見上げるその瞳に捉えられると、心臓は微かに跳ね、脳の奥がぴりぴりと刺激を訴えてくる。


 一体、それが何なのか分からないけど、僕は慌てて視線を逸らす。このまま視線を交わらせようものなら、僕がどうなるか分からない。でも、どうにかなってしまいそうな予感だけはある。


「なに?何か疚しいことでもあるの?怪しいぞ~?」

「いや、別に…何も。何もない…から、あんまり見ないでほしい…」

「………へぇ~?なになに、なにぃ~?どうしたの~、ねぇねぇ?どうして、目合わせてくれないの?ね~え~」


 僕がらしくもない反応をしてしまったからだろう、これみよがしにニヤニヤとした表情を張り付けたまま、僕の顔を覗き込もうとしてくる。身体ごと逸らして視線を動かす僕と、どうにかして目を合わせようと周りをぐるぐると回る神原さん。とても面倒なことに、このままではいつまでも引き下がってはくれなさそうだ。


「何やってんの?お前ら」


 と思ったそこに、一筋の救いの光が差し込む。現れたのは、終業式以来の坂下(さかもと)である。しばらく見ないうちに、後光が差すようになったらしい。なにやら、神々しいもののように光って見える。


「ちょっと見てよ、坂下くん!大崎くんが珍しく…って、あー!」


 なんて、坂下に構っている間に僕は全速力でこの場を離脱する。まさか五十メートル走以外でここまで全力で走ることがあるとは思わなかった。でも、今の僕はその時よりも速く走っている気がする。なりふり構わずに、好奇の目を向けられることも厭わずに走る。


 今はただ、逃げたかった。でも、この逃げた感情の中に、嫌なものを欠片も感じなかった。それどころか、それは僅かながら僕を浮つかせた。


 ……


 学期の始まりを告げる始業式のため、全校生徒が体育館に集められ、これまた長く退屈な先生の言葉が述べられた。体育館の床から這いあがって来るように寒さに、多くの生徒が身体を震わせていた。内容の入ってこない長い話と底冷えする寒さの二重苦により、館内には辟易とした空気が混ざり合っていた。


 そんないつまでも続きそうな有難い言葉を右から左へと受け流しながら、僕は今朝のことを考えていた。


 一体、僕の中で何が変わり始めているのだろうか。どうして、彼女といる未来を想像したのか。どうして、嫌な気持ちにならなかったのか。


 先生の長ったらしい話が終わっても、僕は結論を出せていない。教室へと戻る時も、周りの話し声が聞こえなくなるくらいに考えても、答えが見つからない。


 だから、ほとんど始業式だけの短い日程が終わって放課後になり、僕の前に人が立っていても、名前を呼ばれるまで気づかなかった。


「大崎、大崎ってば。おーい、聞こえてる?」

「え、あ…小野(おの)さん?」

「やっと気づいた」


 いつの間にやら、僕の前には小野さんが来ていた。それどころか、教室にいたはずの半数近くが姿を消していた。まるで、タイムスリップをしたかのよう。でも、小野さんの反応をみるに決してそんなことはなく、ただ単に僕の時間感覚が狂っていただけ。


「これから暇?ちょっと、お昼でも一緒にどう?」

「いい…けど、なんでまた僕なんかを?」

「それはまぁ、色々事情があるの、私にも」

「そうなんだ…?」


 その事情についてはやんわりと追及を拒まれたので、これ以上は聞かないでおく。気にならないわけでもないけど、小野さんであれば悪いことはしないと思う。見た目の派手さで勘違いしがちだけど、これまでで人柄が良いことは分かっている。きっと、人の嫌がることはしないはず。僕で面白がることはあるかもしれないけど。


「っと、その前に。春留(はる)に連絡しとかないと」

「神原さんも来るの?」

「いや、来ないよ」

「じゃあ、連絡する意味ある?」

「もちろんある。私、春留と友達辞めるつもりないから」

「それ、どう繋がるんだ…?」


 神原さんに連絡しないことと、友達を辞めることの繋がりが分からないけど、どうやら小野さんにとってはすごく大事なことらしい。


「はい、おっけー。渋々、許可取れた」

「渋々なんだ…。というか、神原さんが許可を出すものなのかな?」

「まったく…。これじゃあ、この先も苦労するだろうさ、きっと」


 僕に一体、何の苦労が降りかかるのか。それは分からないけど、小野さんはそうなることが目に見えているらしい。未来の僕に幸あれ、そう思ってしまう。


 ……


 お昼ご飯を一緒に、というのを僕はてっきりファストフードでも食べに行くものだと思っていた。だけど、何の疑いも持たぬまま後ろをついていったら、電車に乗り、いくつかの駅を過ぎ、普段の生活圏から離れた繁華街へと向かうなんて、誰が予想できただろうか。僕はもっと、気軽な気持ちでいた。


 なのに、目的地に着いたと告げられた時に目の前にあった店は、そんな気軽さでは突っぱねられそうなほどに瀟洒な店構えのカフェだった。およそこの人生において、僕が一人で立ち入ることは一度たりともないような雰囲気。入らなくともわかる、僕のような人間は絶対に似合わない。店の中で、僕一人が浮いた存在になることだろう。


 そんな怯える僕とは違い、小野さんは躊躇うことなく店の扉を開く。ちりんちりんと備え付けられた鈴が音を立て、来店を知らせる。再び閉ざされようとしている扉に対し、僕は滑り込むようにして後に続く。もし、扉が完全に閉まってしまったら、僕は店に入る機会を失っていただろう。


 とはいえ、入ってしまえば、そこは他の店とそう変わらない。店員に案内され、席に着けば、後は注文するだけ。ただ、メニューの内容が少しだけ眩しく見えたのは違う点の一つではある。


 メニューの聞き慣れない単語や見慣れない写真に四苦八苦していると、ようやっと小野さんの口からここへ来た目的を聞かされる。


「ここ、良い雰囲気だと思わない?」

「お洒落で綺麗な店だとは思う。でも、ちょっと入りづらいかな。今日みたいに小野さんがいればいいけど、一人だとまず入らないと思う」

「なんか…卑屈過ぎない?もうちょっと自信持ちなって。で、そんな卑屈くんは何頼む?」


 再び、メニューへと視線を落とすが、どうにも料理の内容を掴めない。聞いたことのないカタカナを並べられては、何を使ったどういう味付けの料理かなんて分かるはずもない。ただ、麺類であれば、おおよその想像とかけ離れたものが出てきたりはしないだろう。


「パスタにしようかな」

「んじゃ、私も。どれにする?」

「この、一番上のやつでいいかな。正直、どういったものか分からないから」

「写真見て決めればいいよ。ほら、これとか美味しそうじゃない?私はこれにする。…すみませーん!」


 決まったとなれば、すぐに注文を済ませた。思い思いのもの頼み、僕はコーヒーも追加で頼んだ。それを聞いた小野さんも、便乗してコーヒーを頼んだ。一通りの注文が終わり、店員が下がった所で先ほどの話の続きが語られる。


「ここのお店、最近オープンしてさ、来てみたかったの。でも、一人で行くのは気が引けたから、大崎が一緒で助かったよ」

「助けになったならよかったけど、どうして僕?どうせなら、神原さんとか他の人を誘えばよかったのに」

「まぁ、それもそうなんだけど、時期が時期だから」

「時期?」


 一体、何の時期だというのか。それを過ぎれば、僕と来る意味はなくなるということだろうけど、今だから生まれる理由なんて一つも思いつかない。が、それを追求するより先に、話題がすり替わる。


「んなことより。コーヒー、まだ飲んでるんだ?」

「まぁ…うん、そうだね。まだっていうか、コーヒードリッパーを買うくらいには嵌ってるかな」

「ほほう?自分で淹れるんだ?インスタントとかでもなく」

「そう。流石に豆を挽いたりはしないけどね」

「なるほど~」


 と、そんな他愛もない僕の話を聞いて、何か納得したように頷く小野さん。この何の実もない会話のどこに頷ける要素があったのだろうか。僕が気づかないだけで、何かあったのだと納得しておく。


 それからは、運ばれてきたパスタのお洒落な見た目に驚き、至福な美味しさに舌鼓を打ち、食後のコーヒーで最後を締めくくった。


「そういえば、小野さんって…」

「なに?」


 最後の一滴までコーヒーを飲み干し、視線を正面に戻して、今更ながら気づく。僕の正面に座る彼女の見た目の変化について。


「髪、黒く染めた?前は、もうちょっと明るかった気がする」

「あー…これ?染めたんじゃなく、戻っただけ。ブリーチしてたから。でもまぁ、まさか大崎が気づくとはねぇ~。じゃあそのついでに、他にも変わった点があるんだけど、分かる?」

「え、他に……?」


 改めて、失礼かなと思いつつ、じっくりと観察してみる。むこうから聞いてきたのだから、見たところで文句は言われないだろう。


 ただ、テーブルの位置的に上半身しか見えないのだが、髪色が戻ったこと以外に変わった点なんて見つけられない。制服を着崩しているわけでもなさそうだし、何やらアクセサリーが増えているわけでもなさそう。


「えっと、爪…とか?ネイルしたとか」

「はい、残念違いまーす。ネイルはいつもしてまーす」


 外からの光に反射して煌めく手元に目を引かれ、そのまま答えとしてみたけど、どうやら違うらしい。小野さんは、普段からこんなネイルをしていただろうか。


「まぁでも、気づかないと思うよ?むしろ、気づかれたら困るっていうか。目立たないから、普通にしてたら」

「目立たない……ピアスとか?髪で隠れてるし」

「それも違う。私、ピアスを開けてないんだよね。ほら、綺麗な耳してるでしょ?」


 そう言って髪をかき上げて、耳を露出させる。言った通り、爪のように光るものはついていない。けど、僕はそのお蔭で気づく。


「もしかして、髪染めてる?なんか…その、内側?」


 それを指摘してみると、気づかれたと言うように「あ…」と声を漏らした。どうやら、僕に気づかせるためにわざと髪に触ったわけではないらしい。


「そ、正解。これ、インナーカラーって言うの。気づかないでしょ?」


 今度は見せるように、襟足を持ち上げる。すると、黒色だったはずの髪が、どうしてか濃い青色へと変化する。手を放し、髪が重力に引かれ下を向けば、また黒へと戻る。


「それ、すごいね。どうなってるの?」

「これは…なんか、光の当たり方で色が変わるの。隠れてれば黒で、光に当たると青くなる。よくない!?」

「良いとは思うけど、染める意味ある?」

「もちろん。ふとした時に見えるのがいいし、だからこそ先生にはバレない。だけど、染めてるっていう実感はある。最高の組み合わせだと思わない?」


 得意げな顔をして毛先を遊ばせているけど、髪を染めたことなんてない僕には、その良さがイマイチ理解できない。それでも、何か嬉しそうに顔を綻ばせているのだから、良い事があるのだろう。


「ちなみに、このことに春留はまだ気づいてないんだよね。いや~、まさか大崎が先に気づくとは思わなかったな。春留はいつ気づくかな~」


 僕が気づいたのは小野さんが聞いてきたから、と思ったけど口にはしなかった。もしかすると誰かに気づいてほしかったのでは、なんて考えが過ったから。だとしたら、ここでそれを指摘するのは野暮というもの。それは勝手な思い込みだとして仕舞っておこう。


 そんな小野さんの変化について知ったところで、僕たちは店を出る。時刻は昼過ぎ、当初の予定通りの昼食が済んだわけだけど、これからは何かあるのだろうか。


「小野さん、お昼ご飯は食べたけど、まだ何かあったりする?」

「ん~…いや、ないかな。もう充分に候補は決まったから」

「候補…って何か、聞いても答えてくれないよね、きっと」

「私のことよく分かってるじゃん」


 ケラケラと愉快そうに笑う小野さんの一方、僕は何の事だかさっぱりなのでこれっぽっちも面白くはない。ただ、この隠し事に悪意を感じないのが幸いな点ではある。でも、それはそれで何かあるのかと怖くなる。


「じゃあ、今日は早く帰って、明日からの授業に備えるってことで。まったね~」

「うん、また明日」


 食べ終わった店の前、僕たちは別れる。小走りで離れていく背中を見送って、僕は反対方向にある駅へと向かう。どうやら、小野さんの方はこれから買い物にでも行くのだろう。誘われてもいなければ、そんな関係でもない僕には付き添おうなんて考えはない。それに、僕がいても何の足しにもなりはしない。精々、できて荷物持ちくらいだと思う。


 だから、僕は一人歩いて、今日のことを少し考えてみる。どうして今日、小野さんはいきなり僕を誘ってきたのだろう。何か目的があったように見えたけど、小野さんに何かされるようなことをした覚えはない。


 一体、何だったのだろうか。電車に揺られても、その答えは見つけられそうになかった。


 ……


 それから少しして、またしても珍しい出来事があった。昼休みに、坂下が僕を訪ねて一組の教室へとやって来た。そしてそれだけにとどまらず、まさかのお昼まで一緒に食べようなんて言い出した。


 これまでになかった行動に、僕は訝しむ視線を向ける。何かしら企みがあるのかもしれない、体育館裏の人気の少ない場所へと連れていかれるかのしれない、なんて考えたのだけど、どうやらその気はなさそうだ。本人も呆れながら否定した。


「密かにいじめるでもなく、金品を要求するでもないなら、どうしてこんなことを?僕を誘う理由ってある?」

「ほら、俺たちって友達になったはいいけど、それらしいことってしてないなって思って。この機会に、色々聞いておこうかと」

「へぇ、僕たちって友達だったんだ」

「そう思ってたのは俺だけか!?」


 よほど驚くことだったのだろう、ちょうど齧った総菜パンは口から零れ、手に持っていた残りも危うく落としそうになる。


「冗談だよ。今は友達と思ってる」

「今はってなんだよ、今はって」

「それはまぁ…馴れ馴れしかったから」

「マジか…って、どこが?割と普通だったろ」


 坂下にとっては、あの距離感が普通なのだろう。でも、僕からすれば近すぎる。その差異が生まれたのは、偏に僕の方に問題があったからだと思う。坂下の距離感が近いのは確かだけど、それ以上に僕が友人としての第一歩を知らなかったのが理由だ。


「僕って…その、友達と呼べる人がいなかったから。だから、なんだろ…友達っていうのがどういうのか分からなかったんだよ」

「一人もいなかったのか?小学校にも中学にも?」

「いた、っていうのが正しいかな。もういない。まぁ、色々あって仲違い…というより絶交かな、この場合は。だから、友達なんて一人もいないし、そもそもここは地元じゃないから知ってる人もいない」

「ほーん、なんか大変だったんだな。ただの根暗かと思ってた」

「ひどい言いようだね」


 でも、それも間違ってはいないのだろう。他人から見れば、僕は誰とも関わろうとしない根暗な人間に思われていたはずだ。事実、誰にも話しかけられないように、暗い雰囲気を纏わせていたから。


 それでも、そんなことには構わず、僕に話しかける人がいるんだから不思議なものだ。高校に入学したばかりの僕には、きっと想像もつかないだろう。僕を呼ぶ人がいて、僕を友達と言ってくれる人たちがいる。この現実を過去の僕に教えても、あり得ないと吐き捨てるだろう。それほどまでに、ここ数ヶ月の変化は大きなものだ。


「聞かないんだね?僕に何があったか、とか」

「聞いてほしいなら聞くけど?ま、言っちまえば、そんな興味ねぇ。お前がここに来るまでに何があろうと、知ったことじゃあねぇよ。俺が知ってんのは、突如として神原に気に入られた根暗野郎ってこと。で、今は俺の友達でもある。そんなけあれば充分だろ?」

「そう…だね。やっぱり、坂下は光り輝いてるね」

「んだよ、それ。意味分かんねー」


 僕にしか分からないことを、坂下は笑って受け流す。こんな他愛もないやり取りで、僕は彼と友達なれたという実感を持つ。そして、彼であれば、僕が過ちを繰り返すことはないだろうとも思う。


「てか、んなことより!俺は…ほら、聞きたいことがあんだよ、色々と」

「今、話したと思うけど」

「いや、辛気臭い話じゃなくてな。もっとこう…なんだ?お前の趣味とか、特技とか」

「なにそれ、僕のこと狙ってる?」

「真顔で気持ち悪いこと言うな。俺が狙うなら…っぱ、小野だろ!」


 この教室内に小野さんがいればよかったのに。なんて思うけど、いないものは仕方ない。それにしても、冬休み前にこっぴどく振られていたのに、まだ諦めていなかったらしい。


「じゃなくて!何かないのか?」

「特技を強いてあげるなら、料理とか?」


 この前、似たようなことを神原さんにも聞かれた時に、僕のプロフィールには特技が料理と書かれた。彼女があれだけ褒めてくれたのだから、ここで言っても問題はないはず。


「料理…か。それって、晩飯とかのやつだよな。お菓子とかは作らないのか?」

「お菓子は基本的に作らないかな。器具もなければ、作り方の本とかもないし。かといって、調べてまで作ろうとは思わないかな」

「そうか。料理するっていっても、そこまではしないのな」

「それに、一人だとどうしても余らせそうだし。そうなったら勿体ないから」

「んじゃあ、レシピ本とかがあって、作ったものも余らせないなら作るってことか?」

「どうだろう。作ってみてもいい、くらいには思うかもね」

「なるほど」


 一体何に納得したのか。坂下がパンを齧り始めてしまい、それについて聞きそびれる。そもそも、どうしてこの話をここまで広げたのか。それ以前に、どうして僕のことを聞きたいなんて言い出したのか。不可解な点がいくつも残ったまま、昼休みは過ぎていった。


 ……


 それからまたしばらく。今度は秋希(あき)ちゃんから呼び出しをくらう。文面を読むに、どうやら例の噂のことで会っておきたいとのこと。そして、集合場所はまたしても彼女の通う中学校。なにやら、委員会の仕事があるらしく少し遅くなるらしい。その間に、僕が中学校へと赴けば時間の効率が良いとのこと。体よく誘われているだけな気もしないけど、彼女を遠くまで来させるよりはマシだろう。


 遅くなるということで、僕の方も向かう足取りは少しゆっくりになる。途中、冷える指先を温めるためにコンビニに寄って缶コーヒーを買ったりした。それでも、僕の方が早かったらしい。一言、着いた旨を知らせればすぐに、あと五分、という返事が送られてきた。まるで微睡みながら送った返事のようだけど、そんなわけもない。


 あと五分、それくらいであれば温かな缶コーヒーをお供にすれば待てるのだけど、どうにも場所がよくない。集合場所が中学校であるがゆえに、どうしても校門の前で待つ形になる。そうなれば当然、今から下校しようという中学生たちに見られる。高校生が中学校に何の用なのか、そう問う視線がほぼ全員から向けられる。


 この仕打ちにあと五分耐えなければならない。居た堪れない心を落ち着かせるために、適温のコーヒーを一気に煽る。そこに集中させる苦味が喉を通り、空を向いていた視線が戻ると、目の前には知らない女の子が立っていた。


「あの!あなたは神原さんとどういう関係なんですか!?」

「え…?」


 なんて驚いていたら、神原さんとの関係を聞いてくるものだからさらに驚いた。まさか、僕に話しかけてくる中学生がいるとは思ってもみなかった。どうして、神原さんとのことを聞いてくるのか。そもそも、この子と神原さんはどういう関係なのか。僕の方にも疑問が湧いてくる。


「えっと、僕と神原さんは……」


 と、そこで、僕は一つの勘違いに気が付く。もしかして、この子の言う神原さんと、僕の思う神原さんは違うのではないか、と。この子が言っているのは妹の方で、僕が考えているのは姉の方だとすると、多少答えが変わってくる。


「秋希ちゃんとは───」


 と、口を開きかけたその時、またしても僕の目の前に人が現れる。というより、遮ると言った方が正しいかもしれない。現れたのは、走って来たらしく息を切らした秋希ちゃんだった。


「あ、神原さん。委員会の仕事終わったの?早かったね」

「ちぃちゃんこそ、どうして大崎くんと話しているのですか?」

「変わった人がいるなーって思ってたら、まさかの神原さんと噂になってる人では!?ってなって。気づいたら話しかけてたよ~」

「大崎くんだからよかったですけど、危ないので今後は知らない人に声をかけたりしないでください」

「わかってるよー。ね、ね、それより。今、大崎…さん?が神原さんのこと名前で呼ばなかった?呼んだよね!?やっぱり二人って…!」

「その話はまた今度します。行きましょう、大崎くん」

「あ!逃げないでよ~、もっといっぱい話そうよ~、神原さ~ん…」


 追い縋るような悲壮な声をあげる女の子。でも、秋希ちゃんの方には取り付く島もない。それどころか、猛スピードでその場を後にする。むこうもむこうでそれほど追いかける気もないのか、大袈裟な声だけで動こうとしなかった。


 そして、そこに挟まれた僕はといえば、秋希ちゃんに腕を引かれるままされるがままに、膝をつく勢いで崩れるお友達を見ているだけだった。


 そこから場所を移し、僕たちは少し離れた公園に来ていた。頬を突き刺す風こそ吹いていないものの、一月の気温はどうしたって低く、外にいれば当然寒い。なんとなく座ったブランコも、冷え切っていてその寒さを人体へと移してくる。


 そんな中にもかかわらず、秋希ちゃんは緩やかにブランコを漕いでいる。今日、呼び出された理由については分かっているものの、それに関しては充分に事を起こしたと思う。それでも、こうして公園に立ち寄ったあたり、まだ何かあるのだろうか。


「大崎くん…は、普段、本を読みますか?」


 なんて思っていると、ようやく秋希ちゃんの口が開かれる。が、その内容は僕の考えていたものとは違った。


「そんなに読まないかな、時間がないってのもあって。そういう秋希ちゃんは?」

「私は、よく読みます。今も、こうして鞄に一冊持ち歩いています」


 取り出して見せてくれた本のタイトルには当然というべきか、見覚えがない。普段から読書をする人からすれば、名が知れているものだったりするのだろうか。


「じゃあ、もし。もしも本を買ったとしても、読むことをありませんか?」

「いや、どうだろう。買ったのなら、さすがに読むかな。せっかく買ったのに読まないのも勿体ないと思うし」

「そうですか。読む…のなら、うん」


 何やらデジャブを感じる。ここ最近、会話の終わりに妙に納得したように頷かれる。小野さんに始まり、坂下、秋希ちゃんまで。みんなして示し合わせたかのような反応。もしかすると、僕の知らない裏のグループでもあるのだろうか。そこでは僕の悪口が言われていたり……なんて。そんなことは、きっとない。なにより、神原さんがそれを許さない気がする。これは、僕の願望かもしれないけど。


「ところで、さっきの子…大丈夫なの?放ったらかしにしたけど」

「……大丈夫です。明日、色々と聞いてくるとは思いますけど」

「それにしても、少し安心したよ」

「安心…ですか?」

「秋希ちゃんにも、ちゃんと友達っていたんだなって」

「それ、大崎くんにだけは言われたくありません。学校ではいつも一人だって、お姉ちゃんが言ってました」

「確かに。人のこと言えないか」


 自分のことを鑑みれば、他人に口を出す余裕がないことなんてすぐに分かる。およそ、友達と言える人が三人しかいないのに、上から物を言うなんて。僕は、この数ヶ月でずいぶんと偉くなったらしい。


「あの子はちぃちゃん。市井(いちい) 千夏(ちか)さんです。私と同じクラスで…その、お友達です」

「なるほど。だから、ずいぶんと仲が良いんだね」

「あれは…彼女が迫って来るからです」

「でも、嫌ではないんでしょ?」

「まぁ、偶然とはいえ、同じように名前に季節が入ってますから。私は秋で、彼女は夏。そういった理由から、彼女は私に声をかけたみたいです」


 つんけんとした態度をとっているけど、それは好意の裏返しなのだろう。普段からそういう接し方で、だからこそ、かのちぃちゃんも怒った様子がなかったのだと思う。年相応ではない、丁寧な話し方から近寄りがたい雰囲気を感じるけど、接すれば優しい一面が見えることをあの子は知っているのだろう。


「いい友達だね」

「…でも、ちょっと距離感が近いです。もう少し自重してほしい節はあります」


 これもまた、好意の裏返し…だと思う。表情の変化が小さい秋希ちゃんでは、これがどの程度本気なのか察することが難しい。どうか、破局しないこと願う。


「それより。冷えてきましたし、もう帰りましょう」

「いいの?何か、他に用があった風に思ったんだけど」

「大丈夫です。今日の目的は達成済みですから」

「それなら、いいんだけど」


 市井さんが口にしていたように、噂に関しては順調のようだ。でも、何やら他にも意図があったようだけど、それも無事に済んでいるらしい。そう長くもない会話に、一体なにを見出したのか。それについては語られないので、適当に納得しておくしかない。


 それにしても、こうも立て続けに数少ない知り合いに呼び出されるなんて、珍しいこともあるものだ。この調子でいけば、数日後には神原さんからも呼び出される気がする。


 なんて考える僕だけど、それをもはや違和感も持たずに当たり前のように感じている。また、あり得ない、とは思えなかった。どうしてか、心のどこかで望んでいる僕がいるようにすら感じる。


 そんな未来を、僕は思い描いていた。


 ……


 一月も終わりが近づいてきた頃。神原さんからの誘いがあると考えてから、数日が経っていた。その間、そういった誘いはおろか、ろくに話してすらいない。朝、昇降口で会えば挨拶する程度。それ以降は、休み時間も放課後であっても何もない。


 妙な違和感を覚えながら、僕はここ最近、疎かになりつつあった勉強に多くの時間を割くことにした。ほぼ毎日、予習復習は欠かしていないけど、冬休み前、テスト前と比べるとその勢いは落ちていた。およそ一ヶ月後には一年で最後のテストが控えている。そのことも踏まえて、今から少しずつ準備を重ねていく。


 そう思い、久しぶりに感じる図書室へと足を踏み入れた。微かに暖房の暖かさを感じる室内には、数人の勤勉な生徒の姿があった。もちろん、そこに例の彼女の姿はない。


 が、こと今日に限っては、居なければならなかった。その理由は、聞いてもいないのに司書の先生が説明してくれた。


「大崎くん。ちょっといいかしら?」

「はい。何ですか」


 鞄から、今から使う教科書の類を一式取り出したところで、声がかかる。声音こそそう感じないものの、いつも以上に視線が鋭く見えるのは気のせいだろうか。この様子では、きっと何かがあったに違いない。


「神原さんは、ここに来る予定ある?」

「いえ、そういった約束はしてません。…なにか、あったんですか?」

「えーっとね…困ったことに、今日は彼女が図書委員の当番なの。でも、見ての通り来てなくて」

「それで、僕に連絡をとって欲しいと?」

「話が早くて助かるわ。そういうこと、私は連絡先とか知らないから」

「まぁ、それくらいならいくらでも」


 彼女のせいで僕にまで飛び火した、と思わなくもないけど、これくらいは煙が鼻を掠めた程度のことだ。まさか、ここから大惨事には至るまい。


 とりあえず、スマホを取り出してメッセージを一つ、送ってみる。あえて、司書の先生や図書委員のことは伏せて、何気なくやり取りを始めた風を装う。もしかすると、用件を伝えるだけではしらばっくれる可能性がある。そうなっては、彼女の居場所を知らない僕ではどうしようもない。そう考えて、返信の有無を確かめる。


 が、一向に音沙汰がない。いつもの彼女であれば、五分以内には必ず返信が来るのに、五分を超過しても既読にすらならない。


 何か非常事態に陥っているのではないか、そんな不安が頭を過る。その不安は、どうやっても大きくなるばかりで。気づけば、僕は彼女との通話を試みていた。


 だけど、スマホの画面が表示するのは、ずっと変わらず応答待ちの画面だけ。耳に届く音も、一定のリズムで鳴り続けるコール音しかない。元気な彼女の声が帰ってくることはない。


 コール音が耳障りに感じ始めた頃、僕はもう一人の人物に連絡をとる選択を思い出す。彼女本人が無理ならば、その近くにいる人物をあたればいい。画面を少し動かし、再度、発信のボタンを押す。


 また、聞き飽きたコール音が耳に届く。三度、心をざわつかせる音が続き、途切れる。その代わりに、いつもと変わらない声が聞こえる。


『もしもし、大崎?どしたの」

「小野さん。神原さんが、今どこにいるか知っている?」

『え、は、春留?いや、えっと…それは…』

「神原さんにメッセージを送っても、電話をしても反応がないんだ。もしかしたら、何かあったんじゃないかって」

『あ、そゆこと?なら、大丈夫。あの子が怪我してるとか、そういうことはないから』

「そっか…ならいいんだけど。でも…どうして、小野さんはそれを知ってるの?もしかして、一緒にいる?」

『いやいや、一緒にはいないから!その…ほら、用事があるっての聞いていたから』


 何か、小野さんの受け答えに違和感を感じる。神原さんについて訊ねるたびに、焦っているような、困っているような、そんな感じがする。


「その用事って、どこに行ってるの?」

『それは…ちょっと…あ、私も知らないかな~…』

「今から学校に戻ってきたりは出来なさそう?」

『えっと、まぁ…難しいんじゃないかな…たぶん。何か、あったの?』

「神原さん、今日が図書委員の仕事だって忘れてるらしくて。司書の先生が…怒ってる、んだよ。もし会ったら、伝えておいてくれないかな。あ、あと、明日の朝一で図書室に来るように、とも」

『おっけー…、私からもメッセ送っとく…』

「じゃあ、よろしく」


 通話が切れ、顔を上げると、そこには明確に呆れを纏った人がいた。


「ちゃんと伝えてくれた?というより、彼女来れそう?」

「いえ、何か他の用事に掛かりきりのようです。あと、友達には伝えるよう言っておきました」

「それならまぁ、お説教は明日かな。ごめんね、大崎くん。邪魔しちゃったね」

「大丈夫です。このくらいは」


 僕に謝罪を一つ残して、司書の先生はカウンターの方へと戻っていった。その間、何やら愚痴を垂れていたけど、あれは誰に対してのものなのか。それは、言うまでもなさそうだ。


 怖い怖い司書の先生の眼差しから解放されたのと同時に、彼女の安否がおそらく確認できたというのも相まって、身体から力が抜ける。へなへなと背もたれに寄りかかり、神原さんの不通と、小野さんの態度、この二つのこと考える。


 何かあったのかと思ったけど、小野さんが言うには大丈夫とのこと。であれば、なぜ僕の連絡が返されないのか。小野さんの態度もそうだ。いつもは、もっとはっきりとした物言いなのに、さっきはまるで違った。何かを誤魔化そうというような、隠そうとしている風に見えた。


 ただ、彼女たちが僕に対して、何かを隠そうとする目的も理由もあるとは思えない。本当に、何をしているのか気になるところだ。明日の朝は、僕も図書室に行ってやろうか。なんて考えるけど、もしも彼女の尊厳に関わることだったら、居た堪れないでは済まないので大人しくしておく。いつか、知る日が来ればいいけど。

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