初詣に行こう!
あのクリスマスの日から数日。年末が近づき、思い立って家の大掃除に手を付け始めた。日頃からまめに掃除はしているため目立った汚れ等はないものの、普段は掃除しないような場所も綺麗にするのが大掃除である。
ホコリ取りを片手に、家中を練り歩く。玄関から下駄箱の中、廊下の隅やドア枠に溜まったホコリ、家具の裏や底、窓の溝から照明の上のホコリまで、気づける場所は全て掃除した。
その甲斐あってか、数時間後には家の中が新居同然のように輝いていた。興が乗って、雑巾がけまでしたのが効いているらしい。
そんな清々しい気持ちで大晦日を迎え、テレビに映った除夜の鐘を鳴らすお坊さんを眺めながら、年越しそばを啜った。一口目のそばを飲み込むと同時に、スマホが何やら受信する。二度の受信を知らせる音が鳴り、画面に表れたのは両親からの年越しの言葉だった。
そこで、初めて両親のいない年越しをしたことを思い出す。いつもは顔を合わせて年越しの挨拶をしていたものだけど、今年は高校に入学と同時に一人暮らしを始めたため、機械上での年越しのやり取りとなった。多少の感慨に耽りながらも挨拶を返して、二口目のそばを啜った。
……
元日である今日この日。適当な昼食を済ませ、自堕落な正月を過ごそうかと思っていた僕の元に、見抜いたかのようにそれを許さない人物が訪れる。
「大崎くん。初詣に行こう!」
インターホン越しに満面の笑みを浮かべながらそう誘う彼女に、僕が抗えるはずもない。言われるがままに、出掛ける支度を一分で済ませてエレベーターへと乗り込んだ。
エントランスへと下り自動ドアをくぐると、そこにいたのは僕を呼び出した彼女が一人…ではなかった。
「おっはよう!大崎くん。明けましておめでとう」
「うん、明けましておめでとう。…神原さん一人じゃなかったんだね」
「おはよ。終業式以来だね」
「おはようございます。明けましておめでとうございます」
「小野さんも秋希ちゃんも、明けましておめでとう」
「あけおめー。今年も…春留のこと、よろしくね」
「なんで私!?」
神原さんに秋希ちゃん、小野さんというに慣れない組み合わせにどこか落ち着かなくなる。そんな逸る気持ちを落ち着けようと思ったが、神原さんが首に巻くマフラーを見て、一層落ち着きを彼方へと放り投げてしまう。
あの日、クリスマスの日に渡したマフラーをちゃんと使ってくれていた。たったそれだけのことなのに、どうしてか心臓が高鳴るのが分かる。原因不明の動悸に、何故か彼女から目を離してしまい、それを小野さんに気取られた。
「大崎、さては、私たちが着物を着てこなかったことを残念に思っているね?」
「え、いや、そんなことは…」
と思ったけど、全然見当違いのことを言われた。ただ、言われてみれば確かに意外に感じる。小野さんや秋希ちゃんはともかく、神原さんはこういう時に真っ先に着物を着るかと思っていた。でも、彼女を始め、他の二人もいつもの私服姿だ。
「私は、せめて春留だけでも着るべきだと言ったんだけどさ~」
「私だって着たかったけど、そもそも着物ないし、着付けもできないし。あと、普通に寒そう。ここに来るまでに見た人たち皆、ちょっと寒そうにしてたから」
「でも、やっぱりお姉ちゃんだけでも着るべきだったと思う」
「秋希まで何言ってんの!?」
「残念だったね、大崎。春留の着物姿は来年に持ち越しとなったよ」
「僕は別に見たいとは…。というか、来年は着ること確定なんだね」
本音を言えば、全く見たいという気がないわけではないけど、何やら来年は見られそうなので、今言うこともないだろう。というより、僕が続けて何か言うより先に、されたい放題の彼女が会話を遮った。
「二人とも!初詣、行くんでしょ!」
「はいはい。ね~?春留が着物着てるとこ見たかったね~?秋希」
「はい。だからこそ、来年に期待しましょう、美月さん」
なんて話す二人を置いて、僕の手を引きどんどんと歩いていく神原さん。流石に置いていくのは気が引けると思ったが、僕が彼女に抗う術を持っているわけもなく、二人が気づくのを待つ他なかった。
……
先日、神原さんと行ったデパートがある方向とは逆方面の電車に乗り、そこそこ大きな神社へと向かう。一月一日、元日である今日は、当然ながら初詣をしようという参拝客で溢れかえっていた。それは、観光名所になるような神社でなくとも変わらない。
つまり、神社の最寄り駅へと向かう電車は、大変混んでいた。普段、通学に電車を使うことはないが、きっと満員電車とはこういう状態を指すのだろう。なんて考えるくらいには、電車内は人でごった返していた。
それは、神社の最寄り駅の一つ手前の駅が最も酷かった。既に電車という容器の中には、人という中身が溢れんばかりに詰まっているというのに、それでもまだ外から詰め込まれる。そうなれば当然、開いた車両のドアとは反対側にいた僕たちは、さらに隅へと押し込まれる。後ろと横から否応なしに押され、危うく目の前にいる人物を押し潰してしまいそうになる。ただ、それは意地でもしてはならないと思い、全身を使って壁に手をつき、どうにか堪える。
「大崎くん、大丈夫?」
「いや…うん、ぎりぎり…。神原さんこそ、大丈夫?」
「うん、大崎くんのおかげで私は大丈夫」
車両の壁と僕の間には、身を縮める神原さんがいる。だから、この全身に込めている力を少しでも抜こうものなら、たちまち彼女を守る僕という壁は崩れ、容赦なく僕もろとも押し潰されるだろう。それだけは、絶対に阻止しなけらばならない。今、背中に感じる重量を、こんな小さな体躯の彼女が耐えられるわけがない。
絶対にこの防衛線は死守する。そう思った僕だったが、その内側に二人ほど足りないことを思い出す。
「あれ?秋希と美月はどこ?まさか、潰されてたり……あ」
と、斥候のように辺りを見回す神原さんが、行方知れずとなった二人の隊員を探し始める。そして、その二人の姿はすぐに見つかる。
「いた。押し流されて離れたみたいだけど、無事っぽい。手を振る余裕があるくらいだから」
神原さんには見えているらしく、簡潔に二人の状況を報告すると共に、小さく手を振り返している。どうやら、こちらもいくらか余裕があるらしい。
「大崎くん、ほんとに大丈夫?腕プルプルだけど…」
「正直、かなりきつい…。でも、一駅くらいは耐えてみせるよ…」
普段から運動して体力があるわけでも、鍛えられた筋肉があるわけでもないが、五分くらいであれば耐えられるはず。実際は次の駅に着くまで、どのくらいかかるのかは分からないけど。
そんな僕を鼓舞でもしようとしたのか、神原さんが僕の耳元に顔を寄せる。だけど、今の僕にとって、それは防衛線を崩す刺激になりかねない。
「ありがとう。その、頼りにしてるから…」
「っ!?」
耳元で囁かれる言葉に、壁についた手の力が一瞬だけ抜ける。だけど、その一瞬が命取りになり得る。その隙を見逃すまいとするように、背中に感じる圧力が一層強まる。体勢を立て直そうにも、一度崩れてしまったものを戻すのは難しい。
押されるがまま成す術もなく、僕と神原さんとの距離が押し潰される。伸ばしていた腕は、今や肘が折り畳まれて壁についてしまっている。それでも、どうにか片腕だけは伸ばしたまま堪える。
耳元に顔を近づけたのと体勢が変わったのが相まって、さっきまでよりもさらに神原さんを近くに感じる。車内を充満する暖房の匂いよりも近く、僕の頬を微かに擽る髪から普段は決して知ることのない香りが漂う。甘く華やかで、でも嫌に残らず抜けていく香り。そんな感じたことのない嗅覚の刺激に、全身が酔ったようにくらくらとしながら熱を帯びる。
「大崎くん、ほんとに大丈夫!?なんだか、顔が赤いような」
意識の限界なのか何なのか、思考が溶けて形を保てなくなる。ふと、無意識のうちに彼女の髪に指を伸ばす。何の躊躇いもなく、ごく当然のように動く指を、電車の停車が待ったをかける。
僕たちがいる方とは反対のドアが開き、一斉に人の波が外へと流れ出る。急速に背中に感じていた質量が消え、それと同時に今の僕の状況を理解する思考が戻ってくる。
「ご、ごめん!なんか…その…」
急いで壁から手を離し、神原さんと距離を置く。そんな慌てる僕とは違い、当の彼女は何も知らないように僕の手を取り引っ張る。
「早く降りなきゃ。秋希と美月も待ってる」
もはやお馴染みとなりつつある。僕は彼女に手を引かれ、駅のホームへと降り立った。
瞼の裏に焼き付いた至近距離の彼女の横顔、鼻をくすぐった未知の香り、それらも共に引き連れて。
……
電車内の混雑状況からある程度は予想していたものの、それを上回る人の数が僕たちの前にはいた。境内へと続く一直線の道のりには、甘酒やおしるこ、その他の出店が所狭しと軒を連ねていた。
ここにいるほとんどの人の目的が参拝のはずだけど、両脇にある出店には誰しもが釣られてしまうらしい。全員が全員、境内に真っ直ぐに進み参拝し帰る。それだけならここまで混むこともなかっただろう。そして、その一因に彼女は自らなる。
「大崎くん、見てみて!おしるこ売ってるよ!あ、甘酒もある。飲もうよ、飲んでみようよ!」
後ろを歩く僕たちを置いてけぼりにするように、神原さんはのぼりを掲げた店へと走っていく。人の波をすり抜けるように進む彼女は、人込みを上手く進めない僕たちが追いつく頃には人数分を買い終わっていた。
「はい、おしること甘酒。二つずつ買ったんだけど、どれがいい?」
「じゃあ、私はおしるこ」
「秋希は?どっちがいい?」
「甘酒…かな」
「はい。じゃあ、大崎くんも甘酒ね。私、おしるこがいいから」
「僕に選択権はないんだね」
案の定、というべきなのか、僕が何か意見をする前に決まってしまう。否応なしに甘酒を手渡され、一方の彼女は実に満足気におしるこを啜っている。
「ねぇ、秋希さんや。甘酒、ちょっとくれない?私のおしるこもあげるからさ」
「…どうして私なのですか。大崎くんでも……あ」
と、小野さんの提案を渋ったかと思ったら、何かに気づいたらしく素直に交換を受け入れる。僕を見た途端に何かに気づいたらしいけど、一体何に気づいたのか。それを知る由もない僕にも、横から魔の手が伸びてくる。
「一口ちょーだい!私のもあげるから」
「え、あ…え?」
一縷の抵抗の余地もなく、僕の手から易々と紙コップが奪い去られる。さっきまで甘酒が入っていたコップは、今や小豆色をしたおしるこへと姿を変えた。
そして、僕の持っていた甘酒は既に彼女の口元へと運ばれていた。甘酒の存在を諦め、せめてこのおしるこだけでも堪能してやろうと思ったが、コップの縁についた淡いピンク色に僕の動きは止まる。
「神原さん、それ…」
「ん?これ、美味しいよ?甘酒って初めて飲んだんだけど、意外といけるね」
まるで、デジャブを見ているようだ。文化祭の記憶が蘇る。こうして何かを意識しているのは、どうやら僕だけらしい。きっと、彼女の中では特に気にするようなことではないのだろう。
「あれを無意識でやってんだからねぇ~」
「天然って怖いですねー」
なんて、後ろの二人が笑っているが、今の僕には何の事だが分からない。ただ、僕がおしるこに口を付けることはなかった。
……
今日ここへ来た目的である参拝を済ませようと拝殿に向かったのだが、そこにはおよそ見たことがないくらいに人の列ができていた。本殿はまだまだ遠くに見えるのに、参拝の最後尾という案内を持った巫女さんが立っていた。神様に会う前から気が滅入りそうではあるが、僕が文句を垂れることもなければ、そうしたところで何も変わらないので大人しく列の最後尾となる。
そんな僕とは違い、どうしてかこんなことにさえ浮足立っている神原姉妹が二人で話をしている。何を話しているのか聞き耳を立てることはしないが、普段見ることのない神原さんの姉としての一面。それが、秋希ちゃんと話している姿から垣間見れる。僕や小野さんに向けるものとは違った優しさ、その横顔をしばらく眺めてしまう。
「そんなに春留のこと見ちゃって。あ、それとも、秋希の方?どっちだ~?」
それだけ見ていれば当然、僕の横に並ぶ小野さんに気づかれる。彼女は煽るように、僕の視線の先の人物をあてようとする。
「いや、神原さんだよ」
「ほほぅ~?」
何やら興味あり気な視線を向けてくるけれど、僕の答えはその好奇心を満たせるようなものではないだろう。
「なんていうか、僕の知らない顔だなって思って」
「知らない顔?メイクの話?」
「そうじゃなくて。姉らしい一面って、僕は見たことないから」
「まぁ、そうだね。どちらかといえば、秋希の方がしっかりしてるから」
「それは…否定できないね。テストの成績とかも、秋希ちゃんの方が良いし」
「それ、春留が妬んでた。秋希にも先生したって」
「色々あってね」
まさか、男子を寄せ付けないようにするためだった、とは言えない。言ったところで問題ないとは思う。ここまで見てきた僕の主観ではあるけれど、小野さんと秋希ちゃんはそこそこ仲が良さそうだから。
「小野さんと秋希ちゃんって仲良いよね?」
「唐突だね」
「今日、初めて二人が話しているところを見たけど、なんというか…姉の友人とか、友人の妹って距離感ではないなって思って」
「そうだね。春留とは中学からの付き合いだから、あの子の家にも何度か遊びに行ったことがあって。それから、秋希とも話すようになったって感じ。最初だけだよ、友人の妹だったのは」
「そうなんだ」
やっぱり僕の思っていた通り、今の二人は仲が良い。それはとても良いことだけど、だからと言って秋希ちゃんのことをわざわざ話す必要もない。
「でもさ~、もう知り合ってから三年以上経つのに、未だにあの話し方なのはちょっと寂しいよね~」
三年…そんな、僕の知らない彼女たちの日々がありながらも、秋希ちゃんは話し方を変えていないらしい。あの丁寧な口調は相手が僕だからかとも思っていたけど、どうやら誰に対しても同じらしい。三年以上の付き合いがある小野さんですらそうなのだとしたら、同級生に対しても同じなのだろうか。僕が人のことを言えた義理ではないけれど、友達がいるのか心配になってしまう。
「まさかとは思うけど、神原さんに対してもあの話し方じゃないよね?」
「流石にそれはない。でも、春留とか家族くらいじゃないかな。秋希が砕けた話し方するのって」
家族だけ…となると、今まさに神原さんと話している彼女は、僕も小野さんですら知らない一面が見えているということだろうか。
「ねぇ~?二人でなに話してるの~?まさか、私の悪口か~?」
「残念なことに秋希の方。一体いつになったら、もっと砕けた話し方をしてくれるのかな~ってさ」
「…えっと…ぜ、善処します…」
「ちょっとー、うちの可愛い妹を困らせないで」
「いいじゃない。私は秋希ともっと仲良くなりたいだけなんだから。ねぇ、大崎?」
「僕はそのままでも良いと思うよ。丁寧なことは悪いことじゃないから」
なんて、秋希ちゃんを擁護した僕の横腹に、小野さんの素早い一撃が炸裂した理由について一切の説明がなかったのはなぜなのだろうか。秋希ちゃんを擁護したことの何がそんなに気に食わなかったのか。いいじゃないか、困った顔をしている秋希ちゃんに追い打ちをかけるのはよくない。
少し安堵したように息をつく彼女を見れば、僕が理不尽な攻撃をくらったことにも意味があると思う。いや、理不尽なのはどうかと思うけど。
……
そうこうしている内に、いつの間にやら拝殿が目の前へと迫っていた。あれだけ長いと思っていたはずの待ち時間なのに、時間の流れを感じるより先に順番が回ってきた。まるで時間を飛び越えたかのような感覚だけど、そんなことはない。この時間が退屈に感じなかったのは、偏に彼女たちと居たからだと思う。
退屈を感じる暇もなければ、欠伸をする隙もない。女子三人で会話が回されていたと思えば、僕にもその矛先は向いてくる。その他にも、僕の隣に立って話す人が次々に入れ代わっていたのも要因の一つだと思う。
そんな待ち時間のことを顧みていたら、僕たちの前の人の参拝が終わり、ようやく僕たちは賽銭箱の前に立つ。僕と小野さん、秋希ちゃんが五円玉を放り投げる中、神原さんだけは五百円を投じていた。明らかに、一人だけ硬貨の大きさと値段が違う。僕たちより百倍大きな願い事でもするつもりなのだろうか。賽銭の値段によって願いが叶うか否かが決まるのなら、今頃、賽銭箱の中身は一万円が積み重なっていることだろう。
が、生憎と、ちらりと見える賽銭箱の中に一万円札はおろか、紙幣の姿すら見えない。一般的に、そんな考えはないのだから当然だろうけど。だというのに、彼女が五百円を投じた理由については、いとも簡単に本人から聞くことができた。そして、その理由というのが、僕には想像もし得ない実に彼女らしい理由だった。
「五百円を投げた理由?別に大した理由じゃないよ」
「大した理由もなく投げるには、些か大きな額だけどね」
「ほら、神様もお小遣い多い方が嬉しいでしょ?それに、五円玉を投げ入れるのって、ご縁とかけてるって言うでしょ?でも、今の私はこれ以上の縁を必要としてないから。私は、今いる皆でとっても満足してるの。まぁ、高校に入学したての私だったら、五円玉投げたかもしれないけどね?」
その後に、『だから、それ以外のお願いを聞いてくれたら嬉しいなって』なんて言うのだから、やっぱり投げた額が願いの成就に直結すると思っているのかもしれない。
彼女は、今の交友関係に満足していると言った。小野さんを始めとした学校でのクラスの内外を問わない友人たち、その中に僕は入っているのだろうか。そんなことを考えてしまうけど、どうやっても僕には図れない。僕自身ですら、神原さんのことをどう思っているのか分からないのだから。
もう一度、目を瞑って手を合わせる彼女の横顔を見てしまっていた僕だから、順番を急かされてしまって出来た願い事といえば、いつか彼女の考えを、僕の気持ちを知りたい、そういうものだった。無病息災、学業成就、そういった事も願えればよかったけど、それは自分で何とかするとしよう。
……
「さぁ、おみくじを引こう!」
参拝が終わり帰るものかと思ったら、そうではないらしい。先を歩く神原さんの足は、近くの社務所へと向いていた。皆でおみくじを買って運試し、ということなのだろう。だけど、ここでも行列の餌食となってしまう。参拝同様、神社に来たのならおみくじも引こうという人たちが集まっている。
それでも、受付の多さからか、それほど時間はかからずにおみくじを引くことができた。受け取った人から内容を見てみれば、その結果は目を見開いてしまうほど驚くものだった。
「春留、どうだった?」
「私、大吉!日頃の行いのおかげだね!」
「それはないと思うけど、私も大吉だから否定し難いなぁ」
「秋希は?秋希って、意外とこういうの運悪いからな~」
「大吉…」
「おぉ!もしかして、みんな大吉!?いやでも、大崎くんは吉とか引いてそうだなぁ」
「驚くことに、僕も大吉」
「マジか…。これ、大吉しかないんじゃない…?」
そう疑ってしまうのも仕方がない。四人引いて、四人ともが大吉を引くなんてあり得るのだろうか。いや、現にここにあり得ているのだけど、にわかには信じがたい。
「それで?みんな、なんて書いてある?」
「私の見てよ。これ、『病、いずれ治る』だって。そもそも病気になってないのにさ」
「いいじゃんいいじゃん!病気になっても治るってことだよ、きっと」
「『出会いは既に訪れたり』って」
「なに!?秋希、まさか彼氏が!?」
「いないよ」
「ふむ、意外と当てにならないのかもね」
「そういう春留はどうなのさ?」
「私はね~『万事順調』だって。これ、勉強のことだよ!やっぱり私って頭良いから」
「その後ろに『努力怠らず』って書いてあるけどね」
「なぁ!?いつの間に私の見たのさ、大崎くん!」
「僕のにも同じことが書いてあるんだよ。ちゃんと冬休みの宿題やろうねってことでしょ」
「嫌なこと思い出させないでよ!それに、まだ時間はあるから大丈夫!」
「それ、暗にやってないって言ってるようなものじゃない…?」
……
などと宣っていた彼女だが、僕の予想を裏切ることなく冬休み最終日を迎えていた。
午前九時。眠りから覚め、微睡む意識の中、起き上がろうとする意識と布団に包まりたいという身体との葛藤に一本の着信が割って入る。寝ぼけ眼を精一杯開きながらも、画面を確認することなく通話のボタンを押した。
『大崎くん!大変だよ!!助けて!!!』
そして、後悔する。相手を確認するべきだった、電話に出なければよかった、そう思っても後の祭り。耳を劈く声は、僕の状態に関係なく聞こえてくる。
が、ここで思いつく。これは電話であって、今まさに彼女が隣にいるわけではない。であれば、もう一度スマホの画面をタップすればいい。通話終了の赤いボタンを。
『─────』
躊躇うことなく押せば、直前まで鳴り響いていた音声は沈黙する。真っ暗になったスマホを枕元に置き、再度布団に包まる。先ほどまであった、起きようという意思は一本の電話によって粉々に砕かれてしまった。今日という日はまだ冬休みなのだ。何時まで寝ていようとも、誰に怒られることもない。このまま昼まで惰眠を謳歌しよう───
という邪な僕の考えは、再びの着信が邪魔をする。相手が誰で、何を言ってくるのか分かりきっている。だというのに、わざわざ電話に出るような真似はしない。したくない…のだが、ここで無視を決め込んだが故に家にまで突貫されては敵わない。渋々、通話開始の緑のボタンを押す。
『なーーんで切るのさ!この薄情者!私が助けてって言ったのに!』
通話が始まった途端に聞こえてきたのは、理不尽にも僕を罵倒する声だった。ただ、確かに怒ってはいるものの、どこか楽し気に聞こえるのは気のせいだろうか。
「生憎と、僕に助ける義務はないから。じゃあ」
早急に電話を終わらせようとする僕を引き留める声が、スピーカーにしているわけでもないのに耳から離れても聞こえてくる。
「なに?僕はこれから二度寝を敢行するつもりなんだけど」
『そんなこと言わないで助けてよ~。冬休みの宿題が終わらないんだよ~』
「時間はあるから大丈夫とか言ってなかったっけ?」
『気づいたら無くなってたの~。たーすーけーて~』
……
このままではいつまでも泣きついてくると思い、とても苦い顔をしながら了承すると、まるで噓泣きをする赤ん坊のような変わり身の早さをみせ、集合場所とお礼を言って通話が切れた。全く気が向かないまま外へ出る用意を整え、指定された場所へと赴いた。
いつかの図書館、少し朧げな記憶を頼りにしたせいで着いたのは家を出てからそこそこ時間が経ってからだった。震えるような寒さの一月上旬、自動ドアをくぐった図書館の中はしっかりと暖められており、その熱に冷えた身体が反応して震える。
暖房の暖かさを感じながらきょろきょろと見回すと、大きく手招きする姿が目に映る。そして、大きなテーブルを陣取っているのは、一人ではなかった。
「大崎くん、こっちこっち!いや~、来てくれて助かるよ。これで提出物は安泰だね」
「まぁ、僕が代わりにするわけじゃないけどね。それより…」
なぜか胸を撫で下ろしている彼女の隣には、見覚えのある妹が鎮座していた。
「神原さんはともかく、まさか秋希ちゃんまで…?」
そして、その手元には何やらテキストが開かれている。神原さんのものではなさそうだし、秋希ちゃん自身のものだろう。まさか、姉妹揃って悲鳴を上げているのだろうか。
「本当にまさかです。お姉ちゃんと違って、私は初日からこつこつと終わらせてきたので、あと十分もあれば片づきます」
「そっか、そうだよね。よかった…」
今度は、僕が胸を撫で下ろした。あの秋希ちゃんがまさかとは思ったけど、どうやら計画通りだったらしい。流石は秋希ちゃんだ。
「……ほら」
「ほらって何さ!ほらって。秋希は賢くて可愛いんだから仕方ないじゃん!秋希はすごいもんね~、おーよしよし~」
「やめて、ぼさぼさになる。あと、お姉ちゃんは真面目にしないと終わらないよ」
頭を撫でられた秋希ちゃんだけど、本気で嫌がってはいないものの真正面から正論で姉の手を払いのける。乱れた髪を手櫛で整えて平然としている秋希ちゃんの一方、神原さんは拒まれたショックからか固まってしまう。
「でもでも、秋希って頭撫でられるの好きだよね?大崎くん、私のかわりに撫でてあげて」
「え、なんで僕?」
唐突に、僕に代役が回って来るが、どう考えても僕では役者不足だろう。それに、秋希ちゃんもまだ宿題の途中だ。邪魔するわけにはいかない。…というのは、言い訳だろうか。
「遠慮しておくよ。女の子に無暗に触れるのは気が引けるし」
「……」
「そっか。じゃあ、またの機会に持ち越しだね」
またの機会、というのがあるのか知らないけど、僕としては来ないこと願う。秋希ちゃんからしても、僕に撫でられたいなんて思わないだろうし。眉一つ動かさないその表情からは、明確な否定の意図を汲むことは出来ないけれど。
「大崎くん、大崎くん。ここ、教えてくれない?」
「いいよ。えっと、そこは…」
「あと、ついでにこっちのやつやってくれない?」
「うん、それは自分でしようか」
教えてもらうついでに、さらっと宿題を僕に押し付けようとしないでほしい。仮に、このまま宿題が終わらなくてもそれは彼女自身のせいだし、それで先生に怒られる結果になろうとも知ったことではない。秋希ちゃんのようにこつこつとやるわけでも、早々に終わらせることわけでもなかったのが悪い。
結局、神原さんの宿題が終わったのは、昼休憩を挟み、陽が傾いて街並みが夕暮れに染まり始めた頃だった。ここまで時間がかかったのは、偏に溜め込んだ宿題の多さ故だろう。そして、僕が呼ばれたのは、教えてもらう以上に監視という役割のためだと思う。途中、事あるごとにペンを投げ出したり、隣の秋希ちゃんにちょっかいを出していたのが良い証拠だ。そんな散漫な集中力を煩わしく思ったのだろう、最後には僕の隣に席が移っていた。自分の宿題が終わり、静かに読書に耽る姿を、姉の方には見習ってほしいものだ。
そんなこんなで、冬休み最終日は慌ただしく過ぎていった。図書館から出た神原さんの足取りの重さに、多少は同情しなくもないが、十割の自業自得なので呆れておくことにした。
「ありがと~、大崎くん。じゃあ、また明日ね~」
「うん、また明日。秋希ちゃんも」
力なくひらひらと手を振る神原さんを支えながら、秋希ちゃんも小さく手を振って別れを告げる。妹に支えられる姉という珍妙な姉妹の後ろ姿を見送って、僕も寒さ厳しい帰路へと着いた。