君への贈り物を
冬休み初日。朝のニュース番組を見ていたら、今週の天気予報を伝えていた。目前に迫ったクリスマスについて触れつつ、その来たる二十五日の天気を喜々として話す。どうやら、今日から数日かけてまた一気に冷え込むらしく、クリスマス当日は雪の可能性があるとのこと。そのことを聞いた僕の反応としては───
「……良いのか悪いのか」
どっちつかずだった。この地域において、冬になれば雪が降ること自体は珍しくはないらしいが、僕としては特にこれといった感慨はない。クリスマスにおいて雰囲気を盛り上げる一因になると思う反面、足元が滑りやすくなったり、交通機関への影響が出るかもしれないことを考えると喜んでばかりもいられない。
だけど、そんな僕の考えなんて吹き飛ばしてしまうかのように、彼女のことが頭を過る。もし、積もるほどに降った場合、きっと彼女は大はしゃぎするのだろう。そして、それに僕も付き合わされる。
なんて、直接話してもいないのに、彼女のことを考え、彼女の反応を予想してしまう。実に彼女らしい、僕の頭の中にすら入りこんでくるなんて。
第一に彼女のことを考えてしまっている自分に、微かに笑みが零れる。どうしてか、当然のようにそうしていた。
そう考えた意図、理由については、これ以上掘り下げないことにした。今はただ、来たる二十五日が穏やかに過ぎることを願う。…まぁ、彼女がいると、それは難しいかもしれないけど。
……
その日は、朝早くに目が醒め、今日を自覚して心が落ち着かなくなった。生まれてから一番と言っていいほどに逸る気持ちを抑えながら、僕はいつもより早い朝食を摂った。これといって特別でもない、ごくありふれた朝食。だけど、今日これからのことを考えると、ほんの少しだけ違って見えた。
待ち合わせの午後まで、早く目覚めたこともあってまだたっぷりと時間がある。それだけ時間があったにもかかわらず、家を出る時の僕の足取りは少し早かった。これに関しては、気持ちが逸っていたからではない。余裕があったはずの時間が、いつの間にやら無くなっていたからだ。
ではなぜ、そうも時間に追われることとなったかと言えば、偏に服選びに難儀したからと言うほかない。家のクローゼットには、外に着ていくのに困らないくらいには服が並んでいる。でも、その中に、デートに着ていくような洒落た服などほとんどなかった。それ故に、上の服はどれにしようか、下の服はどれにしようか、これとこれの組み合わせはどうだろうか、あれとあれの組み合わせの方がいいだろうか。などと頭を悩ませていたら、約束の時間が迫っていた。
そこで、ようやく僕は一番近くにあった組み合わせを視界に捉える。灯台下暗し、最近買った服を候補から外していた。そしてそれは、僕が考えるよりも機能的且つ、お洒落と言える服装。
いつかの日に、着せ替え人形のようにさせられ、その一部を買うこととなった服。今になって、あの時の苦労が報われる時がきた。そして何より、トレンドを知っている女性意見の組み込まれた服装。まるで、この時のために用意されていたかのような偶然。
ベットの上に放り出された服たちを無視して、僕は一番手前の最も新しい服に袖を通す。普段、自分で選ぶことのない類の服だからか、なんとも気慣れない。身体全体が服ではない別の何かに覆われているような感覚があるが、姿見で確認しても着ているのはれっきとした服だ。ただ、なんとも滑稽に見えるのは、服のサイズが大きいわけでも、組み合わせが悪いわけでもない。僕自身が纏う、服に着られている感、これの所為だろう。
それでも、これ以上の選択肢も時間もないので、僕は弾かれるように家を後にした。
……
集合場所は、お互いの家からそう変わらない距離にある最寄り駅。そこで一旦集まって、それから電車に乗って普段の生活圏から少し離れた場所にあるデパートに向かう手筈になっている。
小走りで駅に着く頃には、集合時間の五分前。ぎりぎり遅刻は免れた。ただ、駅に集合と言っただけなので、肝心の相手がどこにいるのか分からない。クリスマスだからなのか、普段よりも人の多さが目立つのも見つけられない要因の一つではある。
もう着いているだろうと思い、辺りを見回してみるが、見えるのは関係のない人ばかり。顔を見てもその二秒後に忘れてしまう人たちばかりで、ただ唯一の一人が見つけられない。
何度も頭を振り回して、ようやく頭が回る。こういう時にこそ、現代の通信機器が役に立つ。今使わないで、一体いつ使うというのか。僕はすぐさま、ポケットからスマホを取り出す。アプリを開き、彼女との交信の記録が現れるが、それを見るより先にメッセージを一つ送る。自身の場所と、相手の場所を訊ねる文言を合わせて。
「後ろにいるよ。私の方が見つけるの早かったね」
と思ったら、電波にのせたはずのメッセージの返信は、後ろから直接耳に届いた。
驚いて振り返ると、僕と同じようにスマホを片手に笑顔の彼女がいた。
「おはよ…って、今はこんにちは、かな?」
「あ、うん。そうだね、お昼回ってるし…」
声こそ上げなかったものの、内心は相当に驚いた。それは、思わぬ形で声をかけられたから、という理由もある。でも、それだけじゃない。
振り返る僕を、一歩引いて待つ彼女の姿が僕の心を惹きつけたから。彼女の私服姿は何度か見たことがある。そのはずなのに、どうしてか今の彼女から目が離せなくなった。どこか、特別な点があるのかは分からない。なのに、適当な相槌を打っただけで、それ以上は何も言えなかった。
「ん?どうしたの?……あ」
黙りこくる僕を訝しんだかと思ったら、今度は微かな笑みを浮かべ、もう一歩引いて両手を広げて魅せる。そして、その場でゆっくりと一回転してから、再度、質問を投げ掛ける。
「これ、どうかな?私の精一杯のお洒落なんだけど…。それと、君と一緒に買いに行ったシュシュも使ってみた」
「……」
「あ、あれ?やっぱり、変だったかな?」
一つに纏められた髪を揺らし、僕の方に結われた部分を見せる。でも、僕の反応があまりにもなかったせいで、困ったように、そして少し寂し気に眉尻を下げる彼女の顔を見て、僕の頭は、口はようやく動く。一拍置いた、不格好な言葉を紡ぐ。この特別な日に、似合わない顔をさせてしまったことを償うように。
「いや、変じゃない。全然…変なわけがない」
「ほんとに…?」
「うん。僕が何も言えなかったのは、なんというか…その…驚いたっていうか…」
「驚いた?」
「いつもと違って見えたから。だから、その…何が言いたいかっていうと……神原さんにとても似合ってる…」
「つまり、可愛い?」
「まぁ、うん…」
きっと、クリスマスの所為だ。僕がこんなことを口走ってしまったのも、彼女がより魅力的に見えたのも、全部このクリスマスの所為だ。
そうやって言い訳を立てて、自分の中に生まれたものから目を背けないと、これ以上彼女といられなくなる気がした。逃げ出したくなる気がした。だけど、そんな僕の考えなんて知る由もない彼女は追い打ちをかけるように、二歩、僕に近づく。
「大崎くんも、格好いいよ?それ、私と美月で選んだやつでしょ?嬉しいなぁ、ちゃんと着てくれたんだ」
「これくらいしか、今日に相応しい服装がなかったから」
「じゃあ、あの時選んで正解だったね。ちなみにね、私の服は秋希とお母さんと一緒に選んだの。あれでもない、これでもないって」
「僕もだよ。一人でこっちがいい、あっちがいいって散々悩んでた」
お互い、同じようなことをしていたのかと思うと、自然と笑いが零れる。いつものように笑う彼女を見て、肩に入っていた力がいくら抜ける。
そんな僕の様子を知ってか知らずか、彼女は僕の手を取り歩き出す。
「行こう!そろそろ電車来ちゃう」
僕は手を引かれ、彼女ともに聖夜へと近づきつつある街へと駆け出した。
……
人の熱と電車内の暖房により蒸し返されるような暑さの中を、十数分揺られて目的地に着いた。駅に着き、扉が開くと同時に追い出されるように人の波に押され、外へと出る。誰彼構わず押し進む人の雪崩を避けきれなかった神原さんが、前のめりになる。壁へと向かう手を、かわりに僕が掴む。
「あ、ありがとう…。意外と人多いね」
「そうだね。少しここで待って、人の流れが落ち着いてから行こう」
「うん…、えへへ…」
咄嗟のことで掴んだ掌だったが、どうしてか周囲から人がいなくなった今も繋がったままになっている。この状況を理解できていないわけではなさそうだが、神原さんは手を放そうとしない。
「いいでしょ?クリスマスだし」
「いや、でも……」
言いかけた僕だったが、何を言ったところで強引な彼女が放すことはないだろう。それは、今までも散々してきた。彼女は僕の意見なんか聞き入れない、そう言って諦めてきた。でも、もしかしたら、彼女を言い訳に使っているだけで、僕も望んでいたのかもしれない。だから、今日のところはこう言い訳しておこう。
「クリスマスの所為…か」
……
目的地に着いて早々、些事が起こったものの、そんなことに屈する彼女ではない。というか、彼女に至っては些事とも捉えていなさそうだ。僕にとっては、些かとは捉えられないけど。
繋いだ掌から、熱いくらいに熱を伝えてしまっているのではないかと思ってしまう。だけど、僕を引っ張って歩く彼女は、そんな気も知らないようにこの場所について楽しそうに話している。
「ここのデパートってね、すっっごく大きいんだよ!それで、ここに来たら何でも揃うの。色んなお店がいっぱいあるからね」
「詳しいんだね。もしかして、前に来たことある?」
「あるよ。前に来たのは、秋希の誕生日の時だね」
「秋希ちゃんの誕生日?それっていつ?」
「十月の十日。その帰りに、君とたまたま会ったよね?」
「…あぁ、そういえば会ったね。あの日が秋希ちゃんの誕生日だったのか」
初めて秋希ちゃんと会った日。あの日が誕生日だったらしい。となると、あの目つきはやはり睨んでいたのではないだろうか。本人は目が悪かったからと言っていたけど、得体の知れない僕の元に姉が行ってしまったから。充分にあり得ると思う。
「あ!そういえば、私知りたいことがあったんだよ!」
突然、話の矛先が秋希ちゃんから僕に向く。
「なに?」
「君の誕生日だよ!秋希の話で思い出した。まさか、もう過ぎてたりしないよね?」
「しないね。僕の誕生日は一ヶ月後、一月三十日だから」
「よかった~。一月三十日ね、もう覚えたから!今年の誕生日は盛大になるから覚悟しておいてね!」
「まぁ、今年じゃなくて来年だけどね」
「細かいことはいいの!」
僕の指摘を叩き落として、彼女の足取りはなぜか上機嫌になる。そのついでか、『プレゼント選ばなきゃ!あ、クリスマスの方が先か!』なんて言い出すものだから、それは引き留めつつ、少し遅い昼食を済ませることにした。
……
「ちなみに、神原さんの誕生日はいつ?」
「私は四月二十日。そうやって聞くってことは、期待していいってことかな?」
「いや、期待はしないでほしいかな。そんな大層なことはできないから」
「そっか~、期待して待ってるね!」
「僕の話聞いてた?」
確かに伝わったと思ったら、期待値は変わらずだった。どうやら、僕は彼女の誕生日にその期待値に見合うだけのことをしなけらばならなさそうだ。
そんな先のことに気が滅入ってもいられないと思い、僕は包みを大きく開いたハンバーガーを一口齧る。包みの底で中身が飛び出た気がするけど、そんなものに構っていられる心境じゃない。
そして、僕の対面では、人の気なんか知らないように、嬉しそうにハンバーガーに齧り付く神原さん。彼女が店を選んだだけあって、昼食にありつけたのが嬉しいのだろう。決して、まだまだ先の誕生日のことで顔を綻ばせているわけではないと思いたい。
それにしても、普段来ないような賑やかな街に来たと言うのに、食べるものはごくありふれた全国チェーンのハンバーガー。僕としては一切の文句はないのだけど、彼女はこれで満足しているのだろうか。
「ん~!いつも食べてるけど、ここだと何か違う気がするね!」
大変満足そうだ。その証拠が、口元につけたソースで窺い知れる。ちなみに、僕からすれば場所の違いによる味の変化は感じられない。それは僕が情緒というものに疎いからなのか、それとも彼女が甚だしい勘違いをしているのか。可能性としては前者の方が高いだろう。
特に代わり映えのしない昼食を済ませ、僕たちは再び人で溢れかえる建物内を歩き出す。そしてやはり、どこかしこで目に付くのはクリスマスの装飾。サンタやトナカイ、冬ということで雪だるまなんかも併せられている。
実に華やかに彩られた建物内を、僕は神原さんの横を付いて歩く。正直、これだけ大きく広い建物だと、案内無しではすぐに迷ってしまう自信がある。そして、迷ってしまったが最後、僕は彼女と合流できなくなる気がする。そもそも、合流しようにも建物の構造も分からなければ、目的地も知らない。さも当然のように今日の日を約束し、流されるままにこの場所に来たが、一体何が目的で来たのかは聞かされていないし、聞いてもいなかった。
なので、今更ながら聞くことにしてみた。たとえ今更でも、聞いておけばはぐれた時にも動きやすい。とはいえ、はぐれないに越したことはないけど。
「神原さん、ここに来た目的って聞いてもいいかな?」
「目的?」
「うん、何かあるんじゃないの?例えば、来たいお店があるとか。ここにしかない限定品が欲しいとか」
「あー…まぁ、なくはないけど…。目的って言うなら、場所じゃなくて人の方が重要かな」
「会いたい人でもいるの?」
「……まぁ、そんなとこ」
どうにも歯切れの悪い返しをされたものの、僕としてはそれ以上の追及はしないでおいた。どこかに行くにしても、今日は僕も連れていかれるだろうから、知っていようと知っていまいと特に変わらない。ただ少し、彼女の会いたいという人物について気にはなる。
「さて!そんなことより、目的っていうならしたいことがあります!」
「なに?」
「とりあえず、上の階に行こっか?」
なんて、満面の笑みで言う彼女に、のこのこと付いていってしまった僕は、きっとこの先も教訓として活かすことはできないのだろう。あの顔をしている彼女が、僕に対して何もしないわけがない。そのことに気が付いたのは、もはや逃げ場など無くなってからだった。
「さぁさぁ!迷える大崎くんに、私が春コーデを選んであげよう!」
「またするんだ…。というか、春服を選ぶには早くない?」
「ノンノン!こういうのは先取りしないとダメなんだよ?ほら、分かったら試着してきて。私は、その間に次の服選んどくから」
「え、いや、僕は別に欲しいとは…」
という僕の声は、神原さんに届かない。それを聞くより先に、彼女は店内へと駆けて行ったから。既にいくつかの服が僕の両手にはのっているというのに、当然のように次を用意しようとする。おそらく、次も次の次もあって、そして持ってくる量はいずれも変わらず多いのだろう。
仕方ない、とため息を吐きながら、僕は試着室へと足を踏み入れる。こうなってしまっては僕は抗いようもなく、彼女もまた、僕が着るまで終わりにはしないだろう。
だから、仕方なく僕は付き合う。そう、仕方なくだ。閉まったカーテンの向こう、鏡に映る僕の口元が微かに上がっていたとしても、それはクリスマスの所為。きっと、僕が何かを想ったわけではないだろう。
……
「いや~、よかったね!いっぱい春服買えて」
「……そうだね、これで着る服には困らないかな」
着させられた服を全部…というわけではないけど、そこそこな量を買うこととなった。最初なんて、全部買おう!、とか言っていたのだから驚きだ。いくら何でもそれは多すぎるということで、いくつか絞ってもらった。それでも、僕が一人ではまず買うことのない量を購入した。とはいえ、ファッションについての知識が乏しい僕から見ても、様になる服たちを選んでくれたのは幸いなことだろう。
「ありがとう、神原さん」
「どしたの、急に」
「いや、素直にお礼を言っておこうと思って」
「そうかいそうかい!いいってことよ。次は夏服も買いに行こうね。その時は、美月も呼ぶから」
「…あぁ、うん。まぁ、よろしく…」
素直にお礼なんて言うものじゃないな、と思った。まさか、次の季節も着せ替え人形にさせられる約束をするなんて。…ただまぁ、楽しみにして嬉しそうに笑う彼女を見れば、やっぱり言ってよかったかな、とも思う。
そうして、僕の着せ替え遊びが終わり、早くも日が沈みかけてきた頃、神原さんから改めての提案をされる。
「では、今日のメインイベントをします!」
「メインイベント?」
「そう!クリスマスといえば~?」
「あー…サンタさんとか?」
「はい、ぶー!正解はプレゼントでした!」
「それ、出題者によって答え変わるよね?」
「じゃあ、私という出題者のことも考えるべきだったね」
問題の理不尽さに不満が募るが、それは一旦置いておく。というか、そうせざるを得ない。なぜなら、彼女は僕の気なんか知らずに物事を進めるから。
「というわけで、お互いにプレゼントを選びに行こう!」
「それ、一緒に選ぶの?よく知らないけど、こういう時ってサプライズとかあるんじゃない?」
「もちろんあるよ!だから、一度ここで別れて、プレゼントを選んだら再集合する。で、交換会といこうよ」
「…僕としては、神原さんとは離れたくないんだけど」
「えっ!?」
「いや、迷ったら困るっていう意味ね?」
何かロマンチックなことでも期待されたのか、一気に頬が赤くなったが、そんな考えを否定しておく。
「それなら大丈夫。この階にもお店はたくさんあるから、この中から選ぶといいよ。それで、集合はそこの休憩スペースってことで」
「まぁ、それなら」
「よーし!それじゃあ…何分後に集合する?」
「色々と見て回りたいから、三十分後は?」
「わかった。もし、時間が足りないって思ったら連絡してね」
時間を決めると、彼女はそそくさと僕から離れ、瞬く間に人の波へと消えていった。その背中を見送り、いざ僕も行こうと思った途端に、周囲の音が何倍にも増幅されて聞こえる。ついさっきまでは彼女の声しか聞こえていなかったのに、いなくなった途端に何かを紛らわすように音で埋め尽くされる。
なぜ、彼女といた時は周囲の音が聞こえなかったのか。なぜ、彼女がいない時は周囲の音が聞こえるのか。ふと、一つの可能性が思い浮かぶものの、僕は即座に頭の中で否定する。そんなわけがない、あり得るのだろうか。
僕が、隣で彼女の声だけを聞いていたいと思ったから、なんて。
……
なんとなく、候補を絞ろうと店の軒先を眺めながら歩いていたら、そういえばと思い、足を止める。既に服の詰まった紙袋を両手に抱える僕だったが、足を止めたのはまたしても服屋だった。ただ、今回は服を買いに来たわけではない。であれば何を見ているかというと…
「マフラー…、どの色がいいんだろうか…」
この時期において、最も必要なものと言ってもいい防寒具。その一つであるマフラー。以前、彼女がマフラーを持っていないと言っていたのを思い出した。それに、今日も首元を曝け出して寒そうである。だからこそ、プレゼントを贈るというならこれほど適したものもないと思う。
が、候補を決めただけで、僕はそれ以上進めないでいる。というのも、物は決まり、質もそこそこ高い物を選べばいい。でも、色に関しては僕には分かりかねる。僕の好みで選ぼうものなら、彼女の好みに反する…と思う。
そうこう悩んでいると、気づけば持ち時間の三十分が迫っていた。その間、僕は店のマフラーコーナーの前から一歩も動けないでいた。どうしたって、色の好みなんて分かるはずもなく、足踏みを余儀なくされていた。それでも、刻一刻と過ぎる時間に焦りを感じ始めた頃、以前にしたもう一つの会話を思い出す。
「そういえば、白色がいいって言っていたような…」
目の前に並ぶマフラーたちの中には、当然、白色もある。ただ、安直にこの色を買った場合、彼女の持っているシュシュと被ってしまうことが気になる。となると…
「いや、やっぱりこっちか…」
結局、彼女に似合う色といえば、選択肢なんて決まっている。僕はそれをレジに持っていき、会計を済ませた。レジに映った値段に関しては、一切触れないことにしよう。色ばかり気にして、値段を度外視にしたのだから当然ではある。
値札を外してもらって証拠隠滅を図り、クリスマスらしい包装をされた後、受け取った。
……
制限時間ギリギリ、早足で向かった集合場所には、既に神原さんの姿があった。誰と話しているわけでもないのに、なぜか彼女は笑顔だった。傍から見ると、中々に近寄りがたい光景である。
そんな彼女が僕を見つけ、変わらず笑顔で手招きする。そんな意図はないだろうけど、どうしてか拒否しがたい圧を感じる。僕としても、ここで拒否するような真似はしないけど。
「時間ぴったりだね。もしかして、そんなに悩んでくれたり~?私のために~?」
「まぁ、間違ってないかな。悩んだのは事実だから」
「あら、それは素直に嬉しいよ」
ニコニコと、より一層頬を上げて笑顔を見せる。僕が悩んだことの何がそんなにも嬉しいのか。頭を悩ませていたことを想像して面白がっているのだろうか。そうかもしれない、そう言われた方が納得できる。
「神原さんの方は…そうでもなさそうだね」
見てみれば、傍らにはどこかで買って来た飲み物はあるものの、僕のようにどこかの店の袋はない。一体、何を買ったのだろうか。
「私は何も買ってないからね。三十分ずーっと待ってた」
「え、三十分ずっと?なんで?ていうか、言ってよ。そうしたら、もっと急いだのに」
「いいの。私が待ちたいから何も言わなかったの。私はね、三十分でも一時間でも、もっともーっと長い時間でも待てたよ?君のことを考えて、君が何を用意してくれるのか、君が何を想って選んでくれているのか。私はそれを考えていたあの時間がとっても楽しかったよ?」
「そう…なんだ。変わった趣味だね」
「ひひ、そうかもね。それじゃあ、交換会といこうか!」
と、意気込んだのだから、てっきりこの場で交換するものと思ったけど、どうやら外へと出るらしい。わざわざこんな寒い中、外へ出る理由については…
「たぶん、周りの人の迷惑になっちゃうから」
「迷惑?」
「そう。君からのプレゼントって初めてだから、嬉しくって舞い上がっちゃうと思うの。でもでも、お店の中でそんなことしたら迷惑でしょ?だから、外に出たの」
加えて、『寒いんだけどね?』なんて言うものだから、今はまだ僕の手にあるこの贈り物を買ってよかったと思う。こうもすぐに使い時が来るのであれば、こいつも本望だろう。
「じゃあ、これ。早速使ってよ」
だからだろう。何の躊躇いもなく、羞恥すらなく渡せたのは。きっと、他のものを選んでいたら僕からは渡さなかったと思う。手を引いてくれる彼女に続いて、その後に僕の番。
だけど、今だけは違う。悴んだ手を擦り合わせて寒さを凌ごうとする彼女を見れば、後ろ向きな感情なんてかなぐり捨てられる。
「おぉ…!君からなんて珍しいね。でも、ありがとう。開けていい?」
「どうぞ」
「ひっひ~。なにかな、なにかな~」
周囲の雰囲気に溶け込むように、クリスマスの包装がされた袋を解いていく。決して複雑ではないはずの包みを、時間をかけ、ゆっくりと。そして、包装が外され、彼女へのプレゼントが姿を現す。
「わぁ!これって…!」
「その…前にマフラー持ってないって言ってたから。でも、色に関しては好みとか分からなくて。だから、神原さんのイメージというか。その…似合う色っていったら、これかなって思って…」
「そっか~、私に似合う色っていったらこの色か~。にひひ~」
そう言うと、神原さんは僕の贈った淡いピンク色のマフラーを抱きしめ、恐ろしいほどに口角を上げて笑う。
「ね、着けていい?」
「どうぞ。すぐ使うと思って、値札とかは取ってもらったから」
「ありがとう」
もう一度、一層の笑顔を見せた後、寒さ故か、他の理由からか、赤くなった頬を隠すように首元にマフラーを巻き、鼻筋まで覆った。
「これ、すっごく暖かいよ。高かったんじゃない?」
「いや…まぁ。値段については聞かないで」
「その反応は察しが付いちゃうよ。これじゃあ、私のプレゼントが見劣りしちゃうかも…」
そんなことを言うけど、きっと見劣りなんてしない。何を用意したのかも知らないけど、僕の渡したものよりも価値がある。何の確証もなく、そう思う。
「そんなことない思う。誰かからプレゼントを貰うなんて滅多にないから楽しみだよ」
「うぅ…、あんまり期待しないでね。その…出来が良くないかもしれないから」
「出来…?」
一体何の出来なのかと考えるよりも先に、彼女もクリスマス仕様になった包みを取り出す。綺麗に包装された小さな包み。両の掌に収まるくらいの大きさしかないそれでは、中に入るものなんて限りがある。…のだが、僕にはその中身の予想がまるでできない。
「はい、どうぞ。ほ、ほんと期待しないでね!私、お母さんほど上手に出来ないから」
「ありがとう。ここで開けていい?」
「だ、だめ…」
「ダメなの!?」
「うそ。いい」
「本当に?」
小さく、こくりと頷く。それっきり、俯いてしまって何もものを言わなくなる。
なぜか僕は急かされるように、柔く結ばれたリボンを解き、中にある柔らかな感触の物を取り出す。真四角に折り畳まれたそれを広げた瞬間、鼓動が速まるのを感じる。
「神原さん、これって…」
「……ハンカチ」
それは、いつかに見たことのあるものと同じだった。僕にとって、神原さんにとっても思い入れのあるもの。角に小さく、でも確かに存在感のある綺麗な刺繍が施されたハンカチ。
ただ、いつか見たものと少しだけ違って見える。柄や色が違うのだから当然ではあるけれど、そういった部分とは別の何かが違って見える。
その正体は、彼女の口から直接聞けた。
「それ、私が刺繍したの。お母さんに教えてもらいながら。でも、変でしょ。全然綺麗じゃない」
「あぁ…いや、変じゃないよ。確かに、少し不格好かもしれない。でも、どんな出来であれ、僕は嬉しいよ。あの綺麗だと思った刺繍を、神原さんが僕のためにしてくれたんだから変なんて思わないよ」
「べ、別に、そんなに褒めてもハンカチは増えないから!」
「それは残念。だけど、ありがとう。大切に使うよ」
「私も、マフラー…ありがとう。これ、暖かい」
ニコリと笑顔を浮かべてから、もう一度マフラーに顔を埋める。そんなに寒いのか、鼻の先まで覆ってしまう。でも、きっとそうなのだろう。頬が赤くあるくらいに寒さを感じている。だから、マフラーを重宝している。そういうことにしておこう。
……
寒さが一層強くなってきた頃。陽の光は建物の影に沈み、地平線の向こうへと消える。横切る人たちが皆一様に白い息を吐く街を、僕たちも同様に息を白くしながら歩く。
隣を歩く彼女も寒そうに息を吐いているが、その口元にはさっきからずっと笑みが浮かんでいる。そんな様子を盗み見ていた僕に気づくと、慌てるようにマフラーで隠してしまう。淡いピンク色が春を思わせる。ほんの少しだけ、心がざわついたものの、彼女の満足そうな表情を見れば暗い気持ちなんて奥底へと押し込まれてしまう。
そして、そんな僕の背中を後押しするように…というより、このクリスマスという日を祝福するように、空からゆっくりと白いものが降って来る。
「わぁ…!大崎くん、雪だよ雪!すごいすごい!ホワイトクリスマスだ!」
彼女が歓喜の声を上げるように、周囲からも同様に騒めく声が聞こえる。皆が皆、操り人形のように一斉に視線が空へと吸い込まれる。そして、それは僕だって例外じゃない。冬休み初日に見たニュースは、どうやら正確だったらしい。
「そうだ、写真撮ろう!あ、このクリスマスツリーも一緒に…」
少し先に駆けていった彼女は、これまた周囲の人たち同様にスマホを取り出し、次々にシャッターを切っていく。それに倣って…というわけではないけど、僕もスマホを取り出して画面を操作する。
「大崎くん!良い写真撮れた?私のも見てよ!」
「いや、僕は撮ってないよ」
「でもでも、スマホ出してるじゃん。なにしてたの?」
「この雪がどれくらい降るのかなって。あんまり降るようなら、電車が止まりかねないから早く帰るべきだと思って」
「……はぁ。まったく、君は現実的だなぁ。今日くらいはもっと浮かれてもいいと思うよ?」
「じゃあ、僕の分まで神原さんが浮かれればいいよ」
「それじゃあ、私が空に飛んでっちゃうよ。この雪みたいに」
「雪は降ってきてるけどね」
僕の正論に、『細かいな~』と頬を膨らませる。それでも、すぐに笑顔になって、僕を手招きする。一体、何の手招きなのか、それに対して全く警戒をしていなかった僕は、いとも簡単に腕を掴まれて引き寄せられる。
唐突に身体のバランスが崩れ、足を縺れされる僕なんて構わずに、彼女はいつかと同じようにスマホの撮影ボタンをタップする。短い機械音の後、彼女のスマホに一枚の写真が記録される。いつかのものと比べるとマシではあるものの、やはり間抜けな顔をしている。
「はい、この写真もあげる。今日の思い出にね」
ぶるぶると、手に持ったスマホが彼女からの贈り物を知らせる。それをタップすれば、つい先ほど撮られた間抜けな僕と、雪にもクリスマスツリーにも負けないくらいに綺麗な神原さんが映る。
「それで、雪はどうなるの?やっぱり、すぐ止んじゃう?」
「ああ、えっと…」
僕はすぐに、画面にでかでかと映る写真から、ネットの気象情報へと画面を切り替え、今後の雪の情報を伝える。
「止まないみたいだけど、そこまで強くもならないみたい。これなら電車も止まらないかな」
「そっか。それじゃあ、もう少しだけこの雰囲気を楽しもう?」
「そうだね。でも、その前に何か温かい飲み物を買ってくるよ。一応、何か飲みたいものとかある?」
「一緒に行く!」
写真を撮ることには満足したのか、それっきりにして僕の隣へと並ぶ。
「どこのお店にする?あの辺?」
「僕には違いがよく分からない」
「じゃあ、とりあえず行ってみよう。見てから決めればいいし」
そう言って、ごく当たり前のように僕の手を取る。こちらを振り返ることなんてせず僕の手を引く。迷子になんてならないよ、そう言いかけたものの、口にはしなかった。そんなことを言っては、じんわりと広がるこの温もりを手放してしまうような気がしたから。
……
「ちなみになんだけど、プレゼントにハンカチを選んだのは何か理由があったりする?」
「うん、あるよ」
その後、温かい飲み物から伝わる熱を存分に感じながら、クリスマス模様へとライトアップされた街を少し練り歩いた。ただ、この少しというのはあくまでも体感時間であって、実際は思ったよりも時間が過ぎていた。
だけど、そのことに気づいても焦ったりはしなかった。自分でも不思議なことに、この時間がもう少し長く続けばいいのに、なんて考えた。
でも、それを親は許してはくれない。神原さんのお母さんから電話があったのは、駅から少し離れたところまで歩いた頃だった。ここで引き返せ、そう言うかのように彼女のスマホが鳴る。画面を見て、顔をしかめる彼女はそれだけで用件を察したのだろう。僕も、そろそろ気づかないふりは止めにしようと思った。
そんな駅まで戻る道の途中、プレゼントのことについて聞いてみた。どうして、僕にハンカチを贈ろうと思ったのか。そのことが少し気になった。
「ほら、大崎くんって、ちゃんとハンカチ持ち歩くでしょ?だから、使わないものでもないし、ちょうどいいかなって。それに君は、綺麗だって言ってくれたから。刺繍のことも、お母さんのことも褒めてくれたから」
ポケットに仕舞っておいた彼女のくれたハンカチを取り出す。彼女のお母さんほどではないにしても、何度も練習したことが窺える綺麗さがある。一朝一夕では、こんなことはできないはず。そんな話は欠片もしていなかったけど、きっと何度も失敗して、何度もやり直したのだろう。彼女は何も言わないけど、そう感じさせるほどにこの刺繍の出来は良い。そして、そう思うと僕の心は温かくなる。
「ありがとう、本当に。大切にするよ」
「……うん」
雪が降り続く街を、僕たち歩く。隅の方では既に少しだけ雪が積もり始め、見える景色が白く染まりつつある。それを見ているであろう隣を歩く彼女の頬は、また赤く染まっていた。
駅に着き、電車で見慣れた場所へと帰っても、変わらず雪は降っていた。駅から彼女の家まで向かう帰路、彼女は今日のことを振り返り、心底楽しそうに話す。そのほとんどを僕も知っている。なのに、どうしてか飽きもせずに聞き続けた。それはおそらく、僕が感じたものと彼女が感じたものが違って見えていたからだと思う。僕にとっては過ぎる時間の一部分であっても、彼女にとってはそれも言葉に表したくなる思い出となる。
そんな絶えない話を、彼女の家に着くまで聞いた。着いてからも、家の中に入ろうとせずに話し続けた。数分、数十分、もしかしたら一時間が経っていたかもしれない。それでも、僕は話を遮って止めようとは思わなかった。寒くなかったわけじゃない、彼女の話を聞きたいと思った。止めなければ、いつまでも続くであろう彼女の話を。
でも、流石にいつまでも、というわけにもいかない。家の前で話しているのだから、彼女の家族がそれに気づかないわけがない。おずおずと顔を覗かせたのは、なぜかサンタ帽を被った秋希ちゃんだった。彼女は、いい加減に中に入れ、という母のお達しを伝えると、僕まで招こうとした。
ただ、それは丁重にお断りした。神原母がいることが確定しているこの状況において、のこのことついていくような真似はしない。あの秋希ちゃんがサンタ帽を被っているのを見れば、家の中がお祭り状態なのは察しがつく。きっと、あの帽子もお母さんに被らされたのだろう。
そんなわけで、神原さんまで僕を家に引き入れようとする魔の手を逃れ、僕は神原家を後にする。姉妹に揃って見送られ、僕は一人で帰路に着く。
その道中、彼女の話の続きを思い出してみる。何があったか、何をしたか。そういった出来事は鮮明に思い出せる。だから、想像してみる。もしも、彼女が話の続きを語るなら、どういう風に話すのだろうか、と。
でも、上手くいかない。僕は彼女ほど、この記憶を思い出に昇華できていない。だけど、少しずつでも想像する。僕なりに、彼女を想って。
そうして、一つ思いつく。
きっと、プレゼントを渡せてよかった、そう思うと。
小野さんの呼び方を変更しました。
大崎くん→大崎