テスト後、冬休みへ
さて、僕の中で何かが変わり始めたという僅かな実感を握る、ある日。学生において、とても重要な期末テストまで残り一週間ほどとなった。カレンダーを見れば、目前まで迫っているのが視覚情報としても認識できるようになってきた頃。僕の手には鞭が…もとい、ペンがしっかりと握られている。そして、向かいには、もはや座るという体勢を保てていない人物が一人。
「おーおーさーきーく~ん。もう無理だよぉ~。私の頭はこれ以上の知識を受け付けないよぉ~」
「大丈夫、人間の脳はそれほどやわじゃないから」
「む~り~」
いつものように、僕たちは図書室の大きなテーブルを挟んで向かい合っている。十二月が直前に迫ってから追い上げに掛かったのだが、ここへ来て音を上げることとなった。
「ほら、頑張って神原さん。これさえ乗り切ったら、大好きな休みが待ってるから」
「む~り~だよ~。もう待てないよぉ~」
ここまで、どうにかこうにか倒れないように支えてきたけど、とうとう限界が来た。もはや、支えがあったところで形を保てなくなったようだ。さきほどから姿勢が崩れているのがその証拠だろう。
「ね~え~、どこか遊びに行こうよ~」
「このタイミングでは行かないよ。それに、冬休みになったら一緒に出掛けるって約束しなかったっけ?」
「はっ!?そうだった!そういえば、君とクリスマスデートするんだった!」
デート、と呼べるほど華やかなものになるかは分からないけど、そうなればいいとは思う。今は少し、約束したあの日とは違い少しだけ、その日を楽しみに思っている僕がいる。
そんな僕の考えを察したのか、それとも単にイベント事を思い出しやる気になったのか、崩れ落ちそうだった姿勢は見違えるほどに真っ直ぐに戻った。瞳は生気に満ち、爛々とした輝きを取り戻す。
「ひひ~、どんなことをしようか?今から楽しみだね?」
「そうだね。でも、それより先にテストを頑張ろうか」
「まったく、君は現実的だなぁ。少しは夢を見ようよ」
「テストも約束も現実のことだからね。それに、あの約束を夢で終わらせたくないし」
「……」
不意に、お喋りな彼女の口が何もものを言わなくなる。何か異常があったのかとノートから視線を外し顔を上げると、そこには開いた口が塞がらない神原さんがいた。この場合、慣用句の意味も含めて、実際に口は塞がっていない。
「どうかした?口が開いてるけど」
「え…?あ、いや、意外と君も楽しみにしてるんだなって思って。それが嬉しくって、ついね」
「そんな風に聞こえた?」
「うん、聞こえたよ。……にひひ、楽しみだね?」
「…どうかな」
自然と口角が上がり、堪えきれずに声が漏れている彼女に同意するのがどこか気恥ずかしく思え、高まる心とは裏腹の素気無い反応を返す。それでも、気を悪くした様子もなく、もしろ一層嬉しそうに漏らす声は、口元に手をあてただけでは抑えられない。
いつまでも笑みを浮かべる彼女に、鞭を打つべくペンを握らせノートに向かわせても、意にも介さない様子でにこやかなままだった。
……
冬の冷え切った風が窓を揺らし、ガタガタと音を鳴らす今日。僕は懸命にペンを走らせ、それは向かいに座る彼女も倣ってくれている。おかげで、聞こえてくるのはノートに文字が書き込まれる音がほとんどだ。
この人の多くない広い空間、街の図書館はとても勉強に適した環境にある。教科書とノートを広げて並べられる大きな机、外との寒さを隔絶し身体に暖かさを届けてくれる暖房、マナーを守り全ての人が静かに自身と対峙する空気、今までここに来なかったのが悔やまれるくらいだ。
「大崎くん、問題を解き終わりました。一通りの確認も済んでいます」
「うん、じゃあ採点するよ」
でも、それも仕方ない。こんな機会でもない限りは、こうしてわざわざ遠くにある図書館なんて利用しようとは思わない。ここほどではないものの、学校の図書室でも充分に快適なのだから。
そう考えているのもかかわらず、どうして今日という日は外へと出向いたかと言えば、その理由は偏に彼女にある。
「うん、うん…。すごいね、かなりの高得点だよ。これなら、僕が教えるまでもないと思うけど?」
びっしりと回答が書き込まれた用紙のほとんどに丸を付け、ささやかながら得点を記載する。平均点なんて軽く超えているであろう点数を見て、僕は自身の必要性に疑問を感じる。
「そんなことはありません。なにも、私は一問も間違えない天才ではありません。なので、こうして間違いを懇切丁寧に教えてくれる先生が必要というわけです」
「先生ねぇ…。姉妹揃って僕を先生に仕立て上げるなんて…」
本当に似ている。意図して頼んできたわけではないと思うけど、姉の影響を色濃く受けているのだろう。だから、こうして同じように面倒を見ることになる。
とはいえ、今目の前にいる彼女は、姉とは違い最初から真面目な分マシ…というより、教え甲斐がある。どうか、姉の方は見習って欲しいものである。
「それにしても、どうしてテストが明後日に迫った今になって、僕に勉強を教えてほしいなんて言ってきたの?秋希ちゃん」
僕の向かいに座り、満足気に答案用紙を眺める彼女、神原 秋希に今に至る経緯を問う。こうして図書館に来て、仮作成のテストを行い、その採点までしておいて、どうして彼女が僕に教えを乞うことにしたのか知らない。この疑問は一番最初に掲げるべきだっただろうと、過去の自分を叱責したくなる。まぁ、順序がどうであれ、相手が神原家の人間であれば僕が逃れることはなかったように思う。
「お姉ちゃんから聞いていましたから。大崎くんは勉強を教えるのが上手と。将来は学校の先生になるとも」
「褒めてくれるのは素直に嬉しいけど、僕の将来はまだ決まってないかな」
「先生にはならないのですか?」
「……どうだろう」
前にもこういう話をした気がするけど、たぶん同様に僕の中に答えはない。まだ高校一年生というのもあるかもしれないけど、僕は彼女たちほど物事に意欲がない。それゆえに、将来の夢も、この先の進路も決めかねている。
「まぁ、候補の一つくらいに考えておくよ」
「ちなみにですが、ここまで話した今日お呼び立てした理由ですが、ただの口実です」
「えぇ…」
唐突に、秋希ちゃんの口から暴露される真実。どうやら、僕はまんまと騙されたらしい。これと言って実害はないから怒るようなこともないけど、そうなるとどうして僕は呼び出されたのかが気になる。
勉強を見てほしいからではないとすると、僕には思い当たる節がない。まさか、僕の勉強の邪魔をしようなんて魂胆はないはず。そんなことをしても、秋希ちゃんに得なんてないだろうし。
「本当の目的は、私の後ろにあります」
「後ろ…?」
文字通りに後方のことと捉え彼女の後ろを見るが、僕には何のことを言っているのか分からない。後ろには、同じように机と椅子が並び、いくつかの席が疎らに埋まっているだけ。そのさらに後ろは、背丈よりも随分と高い書架が立ち並んでいる。
視線を彷徨わせて後ろを観察してみるが、やはり分からない。そもそも、座っている人を言っているのか、本を探し求めて見上げている人を言っているのか、それとも人ではなく物についてなのか。それすらも分からない。
「前に言ったじゃないですか、私が流した噂の信憑性を高めると」
「あぁ…、そういえばそんなことも…」
それを聞いた途端に、僕は秋希ちゃんが言った後ろの意味を理解する。さっきまでまるで視界に入っていなかったけど、後ろの席に座る人の数人が秋希ちゃんと同じ中学の制服であることが分かる。
つまり、この図書館に来た目的は、同じ学校の生徒に僕といるところを目撃させるため。テスト目前のこの時期であれば、ここに人がいるのを知っていたのだろう。だから、わざわざファミレスや喫茶店ではなく、中学生でも利用しやすいこの場所を選んだというわけだ。
恐るべし計画性。テスト前でありながらこの余裕、本当に僕に教わるのは口実だったらしい。となると、これからの進路について改めて考える必要がありそうだ。
「とはいえ、勉強するに越したことはないので、このまま教えてください。手始めに、今間違えたこの箇所を」
「はいはい…」
口実とはいえ、実際に行っても無駄にはならないので、秋希ちゃんは意欲的に僕の説明に耳を傾けてくれた。あまり教わることを必要としていない彼女ですらこうして励んでくれるというのに、一方の姉はどうしてすぐに遊びたがるのか。今度、秋希ちゃんのことを引き合いに出してみるのもいいかもしれない。
……
「今日はありがとうございました」
「どういたしまして。秋希ちゃんの方が先にテストあるみたいだし、頑張って」
「はい、教えてもらえたので大丈夫です。きっと、いつも以上の出来になると思います」
淡々と自信を語る秋希ちゃんは、コンビニで買ったココアをちびちびと飲んでいる。湯気を立て、包み込む指先を温めながら、甘い味わいと共に身体の内側に熱を灯す。
同じものを買った僕も、プルタブを引いて一口飲む。
「あっつ!?」
熱いことなんて分かりきっているから、買ってからしばらくは冷ましていたつもりだったが、どうやら不十分だったらしい。缶の小さな口から流れ込んできたココアは、容赦なく僕の口内を襲う。
熱すぎて、思わず声が出てしまった。隣を歩く秋希ちゃんを含め、通行人の何人かが僕の方を振り向く。その視線をすぐに消えるものの、僕の中には羞恥が残り続ける。人に見られることに慣れていない僕は、日常のたったこれだけのことでも落ち着かなくなる。
「びっくりしました。…大丈夫ですか?」
「ああ、ごめん。大丈夫、思った以上に熱くて」
おそらく、一番驚いたのは僕でもなければ通行人でもない、一番近くにいて全く予想していなかった秋希ちゃんだろう。事実、いつもは落ち着きを張り付けたような表情だけど、僕を心配する言葉と共に彼女は微かに目を丸くしている。
早くなった鼓動を落ち着かせるように、もう一度ココアを口に含む。変わらず熱いままだけど、熱いと分かっているのだから驚きはしない。さっきは感じなかった甘さが広がり、いくらか落ち着きを取り戻す。鼓動は静まり、噴き出た冷や汗も引いていく。
僕が平静を取り戻すのに合わせて、隣の秋希ちゃんの顔からも驚きの色が抜けていく。一口ココアを飲み、ふっと短く息を吐いていつもの彼女に戻る。
「大崎くんでも、大きな声を出したりするのですね」
「それを言えば、秋希ちゃんの方も驚いてたね。いつになく感情が表に出てた」
「まぁ、びっくりしましたから」
そう言って、静かに口角を上げ、小さく笑い声を漏らす。神原さんに似て、とても絵になる表情をする秋希ちゃんにつられて僕も笑う。決して大袈裟に笑いはしないけど、細める目元や口元に手をあてる癖、所々に姉妹であることを感じさせる。
そんな当たり前のことで神原さんを意識し、僕はまた笑う。
ハッとする。どうして、僕は今、彼女のことを考えたのだろうか。その理由は、隣にいる秋希ちゃんと重なったから──そう思えなくもない。でも、どうにも腑に落ちない、すっきりとしない。思考が終わらず、納得してくれない。
微笑む秋希ちゃんを他所に、僕の思考は底なし沼にはまったように答えを見つけられなかった。
……
「秋希ちゃん、テストの手応えがあったみたいだよ」
「……どうして、秋希がテストの手応えを大崎くんに報告するの?」
僕たち高校生にもテストが迫る中、これまでにないくらいに集中していた神原さんの手からペンが落ちる。どうやら、僕は言ってはいけないこと言ったらしい。この話をするにしても、あの驚くほどの集中力が続く間にするべきではなかった。
「この前、勉強を教えてほしいって言われて教えたから、かな」
褒める文言を打ち込み、返事を送信する。ついでに、返信が遅れたことも謝罪しておいた。昼頃にテストが終わり、すぐに送ってくれたようだけど、僕は気づけなかった。なので、こうして放課後になって返信し、神原さんの前でこの話が出てしまった
「なんか…秋希と仲いいね…」
「そうかな?神原さんほどじゃないと思うよ」
「………え?」
「え?」
突然、神原さんの動きが全て止まる。雷に打たれたかのような衝撃を受けた、そんな慣用句がぴったりとあてはまるように。
僕が何かおかしなことを言ったかと自分の発言を顧みてみるが、そうは思えない。どの言葉がそうさせたのかは見当がつく。でも、やっぱりおかしいとは思えない。
知り合って間もないとはいえ、確かに秋希ちゃんは好意的に接してくれている。だけど、だからって以前から知り合っていた神原さんよりも仲がいいかと問われれば、それは否定する。僕の主観になるけれど、神原さんの方が仲がいいと思う。
どれだけ考えても答えが出なさそうなので、直接彼女に聞いてみることにする。まぁ、驚いている本人に聞いても、すんなりと答えが返ってくるかは怪しいけど。
「僕、何かおかしなことを言ったかな?」
「……いや、…えっと、ちょっと、びっくりしただけ…で、大丈夫…と思う…」
彼女らしくない、いやにはっきりとしない物言い。これでは、大丈夫と否定されてもこちらは肯けない。
「えへへ…えへへへ…」
と思ったら、今度は不気味に聞こえる笑い声が漏れ出てくる。目を見開いていた先ほどまでとは違い、今度は口角が限界まで上がり頬まで紅潮しはじめる。
驚いていると思ったらおろおろする。終いには、頬を赤らめて笑みまで浮かべている。この一分くらいで、彼女の感情は激しく揺れ動いている。まるで、独りでにジェットコースターに乗っているようだ。
「はっ!?ちょ、ちょっと!あんまりこっち見ないで!ダメダメ!ダメだから!」
そして、そのジェットコースターはまだ終わっていなかったらしい。一縷の理性を取り戻したらしく、見られたくないとわたわたと手を振って僕を遠ざけようとする。でも、その行為には大して意味がない。元々、僕たちは向かい合って座っているのだから、そんなことをしなくても遠くにいる。
手を動かすことの意味のなさを理解したのか、今度は両手いっぱいで顔を隠してしまう。でも、やっぱり赤くなっていることは隠せない。頬は隠せても、耳まで赤く染まっているのだから当然だ。
どうしてか、僕の一言で神原さんが立ち行かなくなったので、今日の勉強はお開きとした。
学校を出て、いつもの別れ道に着いても、彼女は顔を俯き、頬も耳も赤いままだった。
……
あの日浮かんだ疑問が解消されることなく、僕の中で泡のようになって消えてから数日。いつまでも赤くなっていた神原さんを見た翌日からの彼女は、至って普通に見えた。だから、僕もこれまでと同じように不束な教鞭を振るった。嫌々と駄々をこねられたが、成績が落ちるかもしれないことをチラつかせたら真面目に取り組んでくれた。どうやら、彼女も成績に関しては惜しいらしい。
そんな、僕には長く感じた日々が過ぎ去り、肝要なテスト当日を迎えた。
いつも通りの時間に起きて、いつも通りに身支度を整え、いつも通りの時間に学校へと向かった。テスト当日だからと言って、輪っかで束ねたメモ用紙に英単語を書いて繰り返し捲るようなことはしない。
全てがいつも通りで、テストの結果すら、おおよそ変わることはないと思っていた。でも、テストの結果は変わらなくても、他人の行動は変わる。
「はい、これ。私の奢り。これ飲んでテスト頑張って」
「あ、ありがとう…」
そう言って缶コーヒーを渡してきたのは小野さんだった。朝一番、学校に登校してすぐに、昇降口で渡された。どうして、僕にコーヒーをくれるのかは分からないけど、この場所で渡してきたのは偶然だと思う。購買から歩いてきた彼女と、登校してきた僕が偶然、鉢合わせただけ。
「それは、私からのお礼というか。良いものを見れたから」
「良いもの?」
「春留のこと」
そう言って、何のことかと理解できない僕を置いて、小野さんは先に行ってしまう。一体、神原さんのどんなところを見れたのかは知らないけど、どうして、それに僕が関わっているのだろうか。関わっているとしても、どうして、僕はお礼をされるのだろうか。
さっぱり分からないものの、僕の掌にある缶コーヒーは適温にまで温くなっていて、僕はすぐにプルタブを引き、中身を煽った。甘味の一切ない、香り高い苦みだけが口の中に広がる。寝ぼけ気味だった頭が瞬時に冴えわたるが、でもやっぱり、僕にコーヒーをくれた理由は分からない。
……
テスト初日の一番初め、数多の数式との睨めっこから始まり、大半の生徒にとっての地獄の四日間が幕を開けた。
大半の生徒にとって、というのは、何も全校生徒に向けてアンケートをとって結果を集計したわけではない。大半の生徒に含まれていない僕。そして、僕がいるのだから他にも何人かいてもおかしくはないだろうという考えの元、こういう言い方をしてみた。
そして、一日目の行程を終えて、生真面目な僕と神原さんは図書室に集まり、明日に向けて最後の勉強をしている。さすがにテスト当日ともなると、図書室にはいつもは見ない顔ぶれが多くいる。それでも、皆一様に静かに机と向き合っている。普段から図書室にいない人たちであれば、不快になるほど騒々しくなると思っていたけど、案外そうでもないらしい。
意外といえば、僕の前にいる彼女もそうだ。一日目が終わり、図書室に来た彼女は、お喋り人形になるかと思ったら、いきなり突っ伏してしまった。何かうわ言を呟いているが、あまりに小さいその声はすぐ向かいに座る僕にすら届かない。
一日目にして、この有り様。頭から煙が出そうなほど、脳を酷使したらしい。あと三日あるというのに、これで乗り切れるのか、と早々に心配になる。
それでも、かつて類を見ないほどにやる気があるらしく、図書室が閉まるギリギリの時間までみっちりと勉強した。この感じだと、まるで一夜漬けのように見えなくもないが、実際は今までの復習が主で、新しく頭に叩き込んだことなんてほとんどない。それは、今まで文句を言いながらも地道に積み重ねてきたからだろう。
テストが終わった暁には、何かご褒美でも与えるべきかもしれない。───と、思ったけど、それは既に約束されていた。冬休みに入ってすぐの二十五日、つまりクリスマスにデートをするということになっている。ただ、彼女はデートと言っていたけど、果たして、そう言っていいものかと疑問に思う。
とはいえ、僕もそう呼ぶべきなのだろう。爆発寸前の神原さんにご褒美について言及したら、デート楽しみにしてる、そう言ったのだから。郷に入れば郷に従え、ではないけれど、彼女に振り回されるしかない僕には別の呼び方なんてできない。
そんなご褒美を仄めかしたのが効果的だったのか、二日目となる次の日の朝に会った彼女は、昨日の別れ際とは打って変わって元気そうだった。と思ったが、後から来た小野さんに空元気であることを指摘され、それを否定しなかった。どうやら図星らしい。
それでも体調は悪くないと言う彼女だが、小野さんは訝しむ視線を送り続けた。疑いの晴れない彼女だが、僕からしてみればいつもとの違いが分からない。そんな彼女の機微が分かる小野さんに、付き合いの長さを感じる。彼女のことを僕より多く分かる小野さんに、胸の奥が少しざわつく。
二日目の行程も終わり、再び図書室に集まった僕たち。やはり、今までにないやる気をみせる彼女に、これまた今までにない行動を僕がする。
気になっていた今朝のこと、本当に体調は悪くないのか、空元気でいたのはなぜなのか、そういう勉強とは関係のない話を僕から振った。それに対して彼女は、単に勉強のしすぎ、と答えた。加えて、病は気から、とも。つまり、気の持ちようでどうにかする気だったらしい。
今日は休みにしてもいい、と柄にもない提案をした僕に、彼女は驚いたように掌を僕の額へと当てる。どうやら、熱の有無を確かめたようだけど、考えとは違ったらしく首を傾げていた。だけど、それも当然だろう。今の僕は、彼女と違って体調が悪いわけでもなければ、空元気でもない。高熱になどうなされてはいない。
そんな彼女に、もう一度休みの提案をしてみても、それをそのまま飲み込むことはなかった。どうしても、少しくらいは勉強しておきたいらしい。ただ、これ以上の心配をかけるのはよくないと思ったのか、今日は早めに切り上げよう、と間を取ったような提案をしてきた。
僕としては、少しばかり彼女の体調面が心配ではあるが、自分自身のことが分からないほど子供でもないとして、その提案はそのまま飲み込んだ。
そして、そこからの残りの二日間は、滞りなく過ぎていった。二日目にみた空元気の彼女はそれ以降は鳴りを潜め、いつも通りの元気な彼女だった。小野さんもいつも通りだと言っていたから、おそらく間違いはないだろう。もしくは、この機会に親友を騙せるほどに演技力が高まったか。
とにかく、期末テスト全日程が終了し、僕たちに限らず、学校全体が最大級の束縛から解放された。
そこから冬休みを迎えるまでは、光のように速く過ぎていった。気づけばテストは採点が終わり返却され、その結果でクラス中に一喜一憂する声が上がり、そしてそれは彼女も同様だった。ただ、彼女の場合は喜びのほうが多いようだ。笑顔で結果を報告してくる彼女に、僕は自分の答案を見せびらかして現実を突き付けた。それに対して、彼女は無慈悲だと怒っていたけど、またすぐに笑顔に戻り賞賛の声に変わったのが気恥ずかしく、少し情けなくなった。
僕たちがテスト結果について言い合っているということは、当然ながら僕が教えたもう一人の神原さんも結果が出ているということ。
終業式の前日、僕は彼女の通う中学校にまた呼び出された。いつかと同じように、メッセージの一つでも送ってくれればいいという趣旨を伝えたが、噂があるので、と直接会うこととなった。
テストの結果については概ね予想通りで、僕の助力なんていらなかったと思えるほどの高得点だった。勉強に関してはただの口実で噂についてが本命だったと暴露されたけど、本当にその通りだった。とはいえ、そんな僕を気遣ってか、教えてもらった箇所がテストに出ました、なんて言うものだからどう受け取ればいいのか分からない。
そうして、僕の最も懸念していたテストの全行程が終わり、校長先生の有難くとても長いお話の後、僕たちに冬休みが訪れた。
「うおぉー!冬休みだぁー!!」
「そうだね~、いっぱい遊ぼうね~」
「うん、遊ぶ!大崎くんもね!」
「僕もなんだ…」
「待て待て!俺は!?俺は仲間外れか!?」
終業式が終わり、教室に戻った僕はすぐにでも帰ろうとしたのだが、それを予期していたのか、自分のクラスには戻らず真っ先に僕に釘を刺しに来た神原さんによって、教室へと留められた。
そんな言葉なんて無視して帰ろうかと思ったが、それを彼女の味方で親友である小野さんが許さなかった。というより、彼女から僕の監視を頼まれていたらしい。あっけなく、僕は逃げ道を失った。
ちなみに、強引な女子二人に捕まっているところを坂下に目撃され、これまた強引に会話に入り込んできた。そんな坂下を二人は歓迎せず、剰え追い出そうとしていたが、どうやら坂下はそういうキャラらしい。本人が本気で嫌がっていない…むしろ、喜んでいるようにみえる。
そんなわけで、僕たち四人は教室に残り、駄弁る。
駄弁ると言っても、当然、僕はほとんど話さない。聞き手に回ることが多く、話すのは神原さんと小野さんがほとんどだ。
そんなお喋りな彼女たちだから、神原さんの口から約束のことが滑り出るのは必至だったと言える。だけど、それ自体は問題ない。ただ、この場においてというのが悪かった。約二名が、それぞれ違った様子で話に食いつく。
「なるほどね~?クリスマスに皆で集まろうかって話になった時、一人だけ渋い顔してたのはそういうことか~」
「てめぇ、大崎!一人だけ抜け駆けしやがって!ていうか、相手は神原かよ!怖いもの知らずだな…」
小野さんは神原さんにニヤニヤとした顔を、坂下は僕に怒ったかと思えば恐ろしいものを見た顔をする。
「ち、違うの!これはね、大崎くんが勉強を頑張ったご褒美をくれるっていうから…」
「いや、何も違わないじゃん。そっか~、今年は春留はいないのか~」
「いるってば!それに、大崎くんとの約束はクリスマスの日であって、イブは皆と過ごすでしょ」
「そっかそっか、私たちと別れた後によろしくやるんだね~」
「ちょっと!?変な言い方しないでよ!」
何かあらぬ言い方をされている気がするけど、今の僕にそれを訂正することはできない。なぜなら、こちらはこちらで面倒な相手がいるから。
「大崎、お前…文化祭の時から思ってたけど、ガチで神原のこと狙ってんだな。尊敬するぜ、学年の男子全員を相手にする覚悟があるとは」
「そんな覚悟なんてないから。あと、別に僕は神原さんのこと狙ってない。あの約束もむこうから言ってきたんだし」
「だとしてもだろ。クリスマスに何の予定もない奴だっているんだぞ?お前は血涙を流しながらクリスマスの相手を探す奴のことなんて知らないんだろうな」
「まぁ、テスト勉強で忙しかったから。というか、坂下にその相手はいないの?」
「いたらもっと心穏やかだっつーの!……いや、待てよ?」
と、僕の両肩を鷲掴みにしていた坂下が、何やら悪いことを思い付いたような顔をする。なぜ僕が悪いことと決めつけたかというと、彼の表情が全てを物語り、そこに加わえていやらしい視線まで浮かんでいる。これであれば、誰でもその下心を見抜けるだろう。そして、その視線の先にいるのは───
「小野!俺とクリスマスデートしないか!」
「は?するわけないでしょ。頭、大丈夫?」
「辛辣だな!?」
僕でも見抜けるその下心を、小野さんが見抜けないわけがない。一考の余地もなく、反射的に断られる。それでもなお、諦めようとしない坂下だが、この勝負の行方は分かりきっているだろう。小野さんのあからさまな表情を見れば、一目瞭然だ。
「いいじゃねえか~、お互い暇なんだし」
「いいわけないでしょ。あんたとクリスマスを過ごすくらいなら、この二人の間に割り込むわ」
どうやったって取り合ってはくれない小野さんだが、その発言に隣にいる神原さんは微妙な顔をしている。何かの気まずさと、はっきりとは拒めない様子やらが綯い交ぜになって複雑そうだ。
「冗談冗談、邪魔したりしないって。だから、そんな変な顔しないでさ」
「だって~、美月が一緒なのは嬉しいけど、それだとな~…」
「だから、邪魔しないってば」
「う~ん…でもでも、本当に困ったら来てもいいからね?」
「はいはい、ありがとね~。そうならないことを願ってるよ」
そう言って、ちらりと坂下の方を見る小野さんの視線の意味は、言わずとも分かってしまう。これは、明確にこれ以上誘うな、そう言っている。
坂下も分かったようで、両手を上げて降伏の意を示している。どこかほんのり哀愁が漂っているが、それについて救いの手を差し出す人はいない。
こうして、坂下の玉砕から冬休みの幕が上がった。