ばあやはなんでもお見通し
バルトロマイとの面会から三日後――フェニーチェ修道院に向かわなければならない時間が迫りつつある。
今日はばあやが傍にいて、ル・バルに着るドレスの最終チェックをしてくれていた。
「ジュリエッタお嬢様、こんなすてきなドレスをル・バル・デビュタントで着られるなんて、世界一の幸せ者ですよお」
「そうですわね。お父様とお母様には、感謝しておりますわ」
適当な用意をばあやに命じて遠ざければ、なんとか屋敷から脱出できるだろう。
しかしながら、戻ってきたばあやが私がいない、と大騒ぎしそうだ。それに、彼女に対し、嘘は吐きたくない。
ばあやは生まれたときから私の傍にいて、お世話してくれる。実の両親よりも、長い時間を過ごしてきたのだ。
心配をかけさせたくなかった。
バルトロマイ、ごめんなさい、と心の中で謝っていたら、ばあやが顔を覗き込んでくる。
「ジュリエッタお嬢様、どうかなさったのですか?」
「どうしてそう思いましたの?」
「だって、先ほどから上の空なんですもの」
どうやらばあやには、何もかもお見通しのようだ。
隠し事なんて、きっとできないのだろう。だから、彼女にだけは打ち明けておく。
「実は、フェニーチェ修道院の告解室で、わたくしに話を聞いてほしいってお方がいて、今日、会う約束をしていましたの。どうやら私にしか話せないことのようで――」
「まあ! そうだったのですね」
「可能であるならば、わたくしはお話を聞いて差し上げたい、と思っていますの。でも、お父様とお母様から、外出を禁じられているから、どうしようかと考えていまして」
「それで上の空だったのですね」
頷いて見せると、ばあやは眉尻を下げ、なんとも言えない表情を浮かべる。
「ジュリエッタお嬢様は、本当に誰かのために、何かをするのがお好きなのですね」
「それは――違いますわ。ただの、個人的な自己満足です」
前世の私は愛さえあれば、なんとでもなると信じていた。
けれども今思えば、炊事洗濯などの家事を知らなかったので、元夫と田舎暮らしなんてできなかっただろう。
あかぎれや傷ひとつない、箱入り娘が持つ美しい手の持ち主だったから。
生まれ変わった今は、奉仕活動のおかげで、家事は一通りできる。
けれども、誰にも祝福されない結婚をするつもりはないし、駆け落ちなんて愚かなことだとわかっている。
「ジュリエッタお嬢様、自己満足だなんて、おっしゃらないでください。長年、奉仕活動に身を投じるなんて、できることではありませんよ。大丈夫です。これからフェニーチェ修道院へ向かいましょう。ばあやに任せてください」
「で、でも……」
「さあさ、早く準備をしますよ」
私は前世でばあやにたくさんの迷惑をかけた。
ばあやには政敵であるモンテッキ家へ足を運ばせ、元夫への手紙を運んでもらっていた。さらには、結婚式の手続きまでしてもらった。
今世では迷惑をかけないようにしよう、と思っていたのに……。
ひとつ、不安があったことを思い出す。
「あの、わたくし、実はばあやがお休みの日に一度だけ抜け出したことがあるんだけれど」
「まあ! なんてことをなさったのですか! どこかへ出かけるときは、このばあやをお連れください、と言っておりましたのに」
「ごめんなさい」
しょんぼりしていたら、ばあやが優しく抱きしめてくれる。
「次は、わたくしめが休みでも、お伝えくださいね」
「ええ、約束します」
許してくれたようで、ホッと胸を撫で下ろす。
「それで、外出したさい、何かあったのですか?」
「裏口から出入りしているところを、メイドに見つかってしまって。きっと、私が勝手に出て行かないよう、見張っている気がするのです」
一応、口止め料を払ったものの、メイド達の視線が気になるように感じていた。
もしかしたら、私の行動を目撃し、口止め料が貰えると思っているのかもしれない。
「でしたら今日は、一階の窓から出たらいいですよ。このばあやが、見張っておりますから。ジュリエッタお嬢様は木登りがたいそう得意でしたから、窓を乗り越えるくらい、なんてことないですよね?」
「ばあや……」
彼女はそう言うやいなや、衣装部屋から修道服を運んできて、瞬く間に着替えさせてくれた。
「ジュリエッタお嬢様は、悩みを隠す癖がありますからね。絶対に怒りませんので、このばあやには、なんでも聞かせてくださいませ」
「ええ。ばあや、ありがとう。いつも感謝しておりますわ」
「ふふ、もったいないお言葉です」
ばあやは私が正直に話したら、味方になってくれる。だから、なんでも話さないようにしよう、と決意していた。けれども、最終的に今回もばあやを巻き込んでしまう。
「ジュリエッタお嬢様、お約束の時間が迫っているのでしょう? 早く行きましょう」
「ええ、そうですわね」
どうせ、バルトロマイと会うのも最後だろう。
ばあやに迷惑をかけるのも、今回限りだ。
そう思って、ばあやと共に屋敷からの脱出を目論む。
一階にある、裏門に近い窓をばあやは案内してくれた。
「ジュリエッタお嬢様、こちらです」
「ええ、ありがとう」
窓を乗り越え、地面に着地したあと、ばあやも続こうとした。その時、廊下から声が聞こえてくる。
「あら、エルダ様、そんなところで何をしているのですか?」
おそらくメイドだろう。私が窓から出たあとでよかった、と胸をなで下ろす。
どうやらばあやと仲がいいメイドみたいだ。
「庭にハリネズミがいて、眺めていたんですよお」
「まあ! ハリネズミを見ただなんて、ラッキーですね。なんでもナメクジを食べてくれるとかで、庭師が大切にしているのですって」
「へ、へえ、そうなんですか」
ばあやはメイドに見えない角度から、手を振っている。ひとりで先に行け、と示しているのだろう。
この場はばあやに任せ、裏口を目指す。
急いで走っていたら、屋敷の角を曲がってきた人とぶつかってしまった。
「きゃあ!」
「痛え!」
勢いよくぶつかったので、後ろに転んでお尻を打ち付けてしまう。
いったい誰なんだ、と顔をあげたら、思わず「げっ!」と声をあげてしまう。
「そんな声、一家のご令嬢があげてもいいのか?」
嫌みったらしく言ってきたのは、カプレーティ家の狂犬こと、イラーリオだった。