愚か者
「皇帝陛下、今回の騒動で、このような品を拝見しました」
バルトロマイは上手い具合に言葉を濁らせながら、帝国の歴史が書かれた巻物を皇帝陛下へ返す。
「こ、これは――厳重に保管されていた物ではないのか!?」
「ええ。よほど大切なものなのか、邪竜が守護していたそうです」
モンテッキ公爵は再度、皇帝に耳打ちする。
近衛騎士達の耳目があったので、下がらせたようだ。
幸いにも、私は追い出されなかった。
「バルトロマイ、何が目的なんだ?」
「カプレーティ家とモンテッキ家の争いを止めてください」
「それは双方の家が勝手に争っていることだろうが!」
「いいえ、違います。両家の争いは、教皇と皇帝陛下の命令で行われているものです」
ここでモンテッキ公爵がバルトロマイのもとへやってきて、まさかの行動に出る。
頬を思いっきり叩いたのだ。
モンテッキ夫人が、「あの人は皇帝陛下の忠実な僕だから」と言っていたのを思い出す。
実の息子であれど、皇帝に楯突く者は容赦しないのだろう。
「バルトロマイ、皇帝陛下に謝罪するんだ!」
「嫌です。こんなの、納得できません」
モンテッキ公爵はもう一度、バルトロマイを叩こうとしたが、今度は腕を掴んで阻止した。一度目は叩かれてあげたのだろう。
「もう教皇はおりません。皇帝陛下さえ許可してくれたら、カプレーティ家とモンテッキ家は平和に――」
「う、うるさい! こんな巻物があるから悪いんだ!!」
皇帝はそう叫ぶや否や、巻物を破いてしまう。
足で踏み付け、モンテッキ公爵に燃やすよう命じていた。
「陛下、父上、なりません」
「バルトロマイ、少し黙っておけ!!」
モンテッキ公爵はバルトロマイを叱りながら、巻物に火を点ける。
瞬く間に燃えていったが――真っ赤な魔法陣だけが大理石の床に残った。
「おい、モンテッキよ。なんだ、この汚れは」
「先ほどまではなかったのですが」
モンテッキ公爵が魔法陣に触れると、全身が黒い炎に包まれる。
「う、うわああああああああ!!」
「な、なんだこれは!?」
黒い炎は瞬く間に広がり、謁見の間を黒い炎で包んでいく。
巻物にあった警告を無視し、破って燃やしたために、魔法が発動してしまったのだろう。
「ジル!!」
バルトロマイは私を横抱きにし、謁見の間から脱出しようとした。
けれども出入り口にも黒い炎が燃え上がり、逃走を許さない。
イラーリオが作った炎とは異なり、聖剣でも斬れなかった。
「くっ、閉じ込められてしまったか」
「バルトロマイ様、モンテッキ公爵は?」
「もう手遅れだろう」
モンテッキ公爵の体は炎に包まれ、倒れ込む。それを見た皇帝陛下は逃げようとするも、黒い炎はどこまでも追いかけていた。
「寄るな! くそが!」
皇帝は途中で転倒してしまった。
バルトロマイに助けを求めようと手を伸ばしていたが、黒い炎に包まれてしまう。
「ぎゃああああああああ」
皇帝はじたばた暴れ、黒い炎を振りほどこうとしていたが、無駄な抵抗だったのだろう。
私達は為す術もなく、身を寄せ合っているばかりであった。
玉座があった辺りに、巨大な赤い魔法陣が浮かび上がる。
バチバチと火花を散らし、靄が天井につきそうなくらい噴いた。
そこから、人影が浮かんだ。
魔王サタンが降りたってしまったのか。
思っていたよりも小柄な男性である。
黒い炎の影響か、視界が霞んでいる。目を擦ると、その姿が鮮明になった。
「え!?」
「あれは――」
黒い修道服に、十字架のペンダントを下げた、人の好さそうな中年男性。
フェニーチェ修道院の院長である。
「あの、院長、どうして?」
「おやおや、ここにやってきても、気付かないのですか?」
「思い出した、魔王サタン!」
突然、バルトロマイが叫ぶ。
いったいどういうことなのか。彼の顔を見上げた。
「バルトロマイ様、どうかなさいましたの?」
「前世で、この男が俺に契約を持ちかけたんだ。俺の命と引き換えに、生まれ変わらせてやると。俺はその契約に乗って――死んだ」
まさか前世の彼に対し、そのような契約を持ちかけていたのが院長だったなんて。
そういえば、バルトロマイは記憶が戻ったあと、院長を見て驚いた反応を見せていた。
前世で会った覚えがある、という記憶は正しかったのだ。
「なぜ、あなたは神父の姿でいたのですか?」
「それは、ちょっとした娯楽でしょうか?」
「娯楽?」
「ええ。愚かな人間は、何百年と見ていて飽きません」
「わたくし達も、そういう目で見ていたのですか?」
「もちろん」
ゾッとする。
誰よりも親身に相談に乗ってくれた院長が、魔王サタンだったなんて。
「皇帝陛下とモンテッキ公爵をこのような状態にして、何がしたいのですか?」
「別に何も。ただ、巻物に記された魔法に従ったまでです」
魔法と言えば、本当に帝都を灼き尽くしてしまうのか。
そう問いかけようとしたら、すぐ傍で怒号が聞こえた。
「バルトロマイ!! お前が、お前が巻物なんか持ってくるから、我がこんな目に遭うんだーー!!」
黒い炎にまみれた皇帝が、襲いかかってくる。
しかしながら、院長が手をかざした瞬間、黒い炎は勢いを増し、全身を焼いてしまった。
「があああああああああああ、ああ、あああ……!!」
あっという間に皇帝の体は消えてなくなる。
「さて、と。このあと、どうしますか?」
院長もとい、魔王サタンの問いかけに、私達は言葉を失った。




